第22話:月光の獅子
二日目の朝。
アイラ・アスラーンは焦りと戸惑いの中にいた。昨日あれほど訪れても分からなかった謎の答えを求め、彼女は朝一番に迎賓館を出てきたのだ。
朝の爽やかな光がいつしか頭上から降り注ぐ正午の光に変わり、そしてオレンジ色を帯びた西日のような光へと移ろいでいく。繰り返される堂々巡りの探索に、アイラの体力と集中力は少しずつ削られていった。
「……これで、10回目よ、アルスラーン」
バルト館の前に設置されたベンチに座り、アイラは昨日からの訪問回数を指折り数え、美しい眉をひそめて呟いた。
彼女ほどの頭脳をもってすれば、この程度の謎、数分で解けてもおかしくないはずだった。だが、何度この館を訪れても、AIロボット『バラビちゃん』がくれるヒントはあまりにも曖昧なものばかり。核心に近づいている感覚が、全くない。
原因は分かっている。いつもなら、こういう時、隣に立つ執事が完璧な助言をくれるはずなのだ。
「申し訳ございません、アイラ様。本件に関する情報アクセス及び、謎解きに繋がる思考補助は、私のシステムレベルでロックされております」
アンドロイド執事アルスラーンは、申し訳なさそうに、しかしプログラムに忠実にそう答えるだけだった。
「分かってるわよ……。あなたのせいじゃないのは」
アイラはため息をつくと、再び立ち上がった。目の前のバルト館には、珍しく長い行列ができている。穏やかな表情をした、無数の小さな人型ロボット――モブロボたちが、整然と並んで入場の順番を待っていた。
「仕方ないわね。もう一度、中を調べてみましょう。何か見落としがあるのかもしれない」
アイラとアルスラーンが、その行列の最後尾に並ぼうとした、その時だった。後方から、二人の参加者が舌打ちをしながら早足でやってきた。
「チッ、またロボットの行列かよ!付き合ってられるか!」
「ねえ見て。あいつら、ただ並んでるだけみたいよ。横から入っちゃいましょうよ」
そのペアは、アイラたちだけでなく、行儀よく並んでいたモブロボたちを乱暴に押しのけ、列の先頭へと割り込んだのである。
次の瞬間、異変が起きた。
それまで穏やかな表情を浮かべていたモブロボたちの顔が、一斉に警告の赤へと変色したのだ。その目は、まるで地獄の業火のように、青白い光をたたえている。
一体、また一体と、何十、何百というモブロボが、割り込みをした参加者ペアに、無言で、しかし恐るべき速度で詰め寄っていく。
「な、なんだよお前ら!」
「いやっ、来ないで!」
悲鳴も虚しく、参加者ペアは、あっという間にモブロボの群れの中に飲み込まれた。そして、まるで神輿のように、モブロボたちの頭上へと掲ぎ上げられる。
『ブウウウウーーーーッ!』
けたたましいブザー音が鳴り響くと同時に、彼らの足元の地面が、巨大な円形の蓋のように開いた。
モブロボたちは、割り込みをした参加者を頭上に掲げたまま、その開いた暗い穴の中へと、次々と身を投げていく。まるで、獲物を巣へと持ち帰る、蟻の群れのように。
数秒後、ブザーが鳴り止み、地面の穴が音もなく閉じる。後には、何事もなかったかのような静寂だけが残された。
アルスラーンは、主であるアイラの前にすっと立ち、守るようにその小さな肩を抱いた。
「アイラ様、お怪我はございませんか?」
しかし、アイラの大きな瞳に浮かんでいたのは、恐怖よりもむしろ、冷徹なまでの好奇心と、そして、わずかな既視感だった。
「……大丈夫よ、アルスラーン。……すごいわね、このシステム。ルールを破った人間をあんな風に排除するなんて。合理的で、一切の無駄がない。……まるで、昔いた場所みたい」
最後に呟いた言葉は、アルスラーンにしか聞こえないほど、小さな声だった。
彼女は、この試験の本当の厳しさを理解したが、それを「恐ろしい」とは感じなかった。ただ、自らが育ってきた世界の法則と、あまりにも似ていると思っただけだった。
* * *
アイラ・アスラーンは、これまでと同じようにバルト館の中をじっくりと見て回り、新しい発見が何もないまま、再び出口へと戻ってきた。
これまでの9回、AIロボット『バラビちゃん』がくれるヒントは、『ミャクミャクは、美味しいものが大好きだった』、『熱くて丸い食べ物』、『特にチーズやミートボール』などという、あまりにも曖昧なものばかり。しかし、何かを信じるように、彼女は腐ることなく、10回目の訪問でも、今までと全く同じように、丁寧にバラビちゃんに話しかけた。
「バラビちゃん、こんにちは。私、何回か訪問しているけど、毎回このハーブの香りにとても癒されています。ありがとう。……ところで、ミャクミャク様の人形について、何か新しいことを知りませんか?」
その言葉遣いは、とても8歳の少女のものとは思えないほど、礼儀正しく、美しい。伝統あるアスラーン家としての教育は、ごく幼い頃にしか受けていないはずだが、その気品は血筋によるものなのかもしれない。
すると、これまでと同じ定型句を繰り返すだけだったバラビちゃんの、お腹の辺りについているもう一つの顔の目が、初めて違う動きを見せた。ぎょろり、とアイラの方を向き、その小さな口が、特別な言葉を紡ぎ始める。
「何度も足を運んでくださり、ありがとうだっちーに。今回の訪問で10回目だっちーに。おめでとうっちーに。お客様の熱意にお応えして、特別なヒントを差し上げますっちーに。スウェーデン、スイス、オーストラリア。この3つの国のパビリオンにも、何か手がかりがあるかもしれませんっちーに」
「「!!!」」
ついに与えられた、決定的なヒント。
「バラビちゃん、ありがとう!」
アイラは、驚きと喜びのあまり、思わずバラビちゃんに駆け寄ると、その小さな体をぎゅっとハグし、ポルチーニ茸の傘の部分を優しくなでなでして、軽く親愛のキスをした。
* * *
バルト館から外に出ると、アイラは弾んだ声で言った。
「アルスラーン!次に向かう場所が、とうとう分かったわね!」
「はい、アイラ様。誠に、よく頑張られました」
アルスラーンも、心なしか嬉しそうだ。
「そうね。バラビちゃんが教えてくれたとおり、スウェーデン、スイス、オーストラリアの順に回ってみましょう」
「承知いたしました。最初の目的地であるスウェーデンは、北欧館の中にあるようです」
「北欧館は……ちょっと遠いわね。ふぅ、さすがに少し、歩き疲れちゃった」
「はい、今日も一日中、本当によく歩かれました。この先にベルギー館があるようですので、そこのレストランで少し休憩と、お食事にいたしましょうか」
「うん、お腹も空いちゃった!」
二人は、バルト館から歩いてすぐのベルギー館へと向かった。階段を上りレストランに入ると、白い天井と床、そして紺色の壁と柱で構成された、お洒落な空間が広がっている。
案内されたのは、子供には少し高すぎる椅子が置かれている、バーカウンターの席だった。アルスラーンは、ひょいと軽々とアイラを抱き上げ、椅子に座らせてあげる。
「椅子が高いですからね、アイラ様。落ちないように、お気をつけて」
「落ちないわよ(笑)」
足をぶらんぶらんさせながら、アイラが楽しそうに笑う。
「何を召し上がりますか?」
アイラは、メニューを真剣な表情でじっくりと眺めている。
「そうね……ムール貝のガーリックバター、ハーフサイズと、フランドル風ビーフシチューにするわ。飲み物は、サンペレグリノをお願い」
「承知いたしました。少々、量が多いかと存じますので、僭越ながら私もご相伴に預からせていただきます」
「うん、ありがとう!一緒に食べましょう」
運ばれてきた熱々のムール貝は身がぷりぷりで、しっかりとした、しかし決して濃すぎることのない絶妙な味付けのスープがたまらなく美味しい。ビーフシチューも、スプーンで触れるだけでホロホロと崩れるほど柔らかい牛肉が、これまた絶品だ。
「あぁ、このムール貝のスープ……とっても美味しい!ビーフシチューも柔らか〜い!なんだか……とても口に合うわ。……おうちの夕食みたい」
やはり、わずか8歳の少女にとって、この広大な万博会場の連日の探索は過酷だったのだろう。美味しい料理をひととおり食べ終わり、満腹になったアイラは、こくり、こくりと、小さな頭を揺らし始めた。バルト館へのお百度参りに時間を費やしてしまったこともあり、外の(人工の)空は、もう美しい夕焼けに染まっている。無理もない話である。
高い椅子から落ちてしまわないよう、アルスラーンは眠ってしまったアイラを優しく抱きかかえ、レストランを後にした。
そして、迎賓館の部屋に到着すると、部屋の大きなベッドに、そっと彼女を寝かしつけた。
小さき挑戦者、アイラ・アスラーンの長い二日目は、こうして終わりを告げた。
本当の謎解きは、また明日から始まる。
* * *
【リアルタイム観察AI:ログ記録】
対象: アイラ・アスラーン
行動: 困難な状況(年齢、保護者AIの機能制限)にもかかわらず、粘り強く課題に取り組み、10回の訪問を経て正規のヒントを入手。極めて高い精神力と忍耐力を確認。評価ポイント**+5**。
行動: AI『バラビちゃん』との対話において、常に敬意と感謝の姿勢を崩さず、最後に物理的な親愛の情(ハグ、キス)を示す。AIに対する自然な共感性を確認。評価ポイント**+3**。
行動: ベルギー館にて、未知の食文化であるベルギー料理を積極的に摂取し、心からの喜びを表現。食に対する高い好奇心と受容性を確認。評価ポイント**+3**。
結論: 対象は、与えられたハンディキャップをものともしない、驚異的な精神的成熟度を示す。また、食やAIといった、あらゆる文化や存在に対して敬意を払える、優れた人間性を持つ。監視レベルを維持し、引き続き動向を注視する。




