第20話:カメの速度
二日目の朝、迎賓館のビュッフェで『シェフが目の前でつくる絶品オムレツ』を堪能した要と悟。二人は、東ゲートにあるパーソナルモビリティ貸出所へ向かう。
「でもお父さん、昨日みたいにビールを飲むことがあるかもしれないし、歩いて行ったほうがいいんじゃないの?」
「どやろな?まぁ、お父さんはちょっとやそっとじゃ酔っ払いにはならんから、借りて行ったらいいんちゃうかな」
悟の軽口をはいはいと横目で見ながら、モビリティを走らせる。スイス館の前に到着した二人は、植物で作られたクネクネ道を通り、パビリオンの中へと入る。入ってすぐの壁には、スイスの風景や文化をモチーフにした、無数の繊細な切り絵が一面に展示されていた。
「すごいな、これ全部切り絵か。悟、切り絵の中にハイジや色々な動物がおるらしいで」
「へぇ、面白いね。探してみよう」
二人はしばらくの間、童心に返って、精巧なアートの中から隠されたキャラクターを探して楽しんだ。ブランコに乗ったハイジや、有名なクララが立ったシーン、ペーターとハイジと……立派なツノがあるようにみえるが、あれはヤギのユキちゃんだろうか?ウィルスを殺す薬品や、E=mc の数式、これはアインシュタインだ。最後に可愛いネコちゃん。素朴なアートに思わず笑みが溢れる。
先に進むと、あたりが少し薄暗くなり、無数のシャボン玉がふわふわと浮かぶ、幻想的な空間が広がっていた。
「わぁー!これは綺麗だね!なんとも言えない色の照明が、シャボン玉をより幻想的に見せるというか……うまく表現できないけど、すごい」
「そやな。公式の説明によると、『シャボン玉を追いかける物理的な体験を提供』することを目指してるらしいけど、まあ、これはもうアートの範疇とちゃうかな」
「アートの範疇、というと?」
「理屈じゃない。好きか、嫌いか。心が動くかどうかで判断したらいいと思うで」
「なるほどね。そういうことなら、僕は好きだな、すごく」
15分ほどかけてじっくりとパビリオン内を見て回ったが、これといってミャクミャクの謎に繋がるようなヒントは見つけられず、二人は出口から出てしまった。
「うーん、ヒントになるようなものは、無かったと思うなぁ」
「そうやな……。あ、でも、あそこにレストランがあるみたいやで?行ってみるか?」
「そうだね、せっかくだから行ってみようよ」
二人は、パビリオン左手の細い通路を進み、真っ赤なエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの強烈な赤色に目が慣れた頃、ドアが開く。途端に、目に飛び込んできたのは、壁も床もテーブルも、全てが真っ白な空間だった。あまりのコントラストに、一瞬目が眩む。店内にはモブロボのお客さんが2組いるだけだ。
そして、その純白の空間で、ひときわ異彩を放つ二脚の真っ赤な椅子を、要は見つけた。
「あれ?……あははは!お父さん、スイス館のヒント、あれで決まりじゃない?」
「うん?どれのことや?……あっ!カタカナの『ス』のイスで、スイス!……ダジャレやん(笑)」
関西、こと大阪において、ダジャレは安易な笑いとされている。とはいえ、毛嫌いされたり、非難されたりするわけではない。『ダジャレか〜。しゃーないなあ、笑っといたるわ!しゃーなしやで?』というのが、この地におけるダジャレへの、優しくも厳しい作法なのである。
「ほんま、しゃーないなあ(笑)。まあ、とりあえず注文する前にヒントは分かったけど、せっかくやし、何か食べていこか?ラクレットチーズとか、めちゃくちゃ美味しそうやけど……っ!!」
悟の声が、メニューを見ていた途中で、わずかに上ずる。ドリンクの欄に、希少なスイスワインの文字を見つけてしまったのだ。
「すいませーん、スイスワインのグラス赤と白を一つずつ。それと、ラクレットチーズをお願いします」
「ちょっと、ちょっと!やっぱり飲むの?まだ午前中だよ?」
「ふっふっふ!若かりし頃、お初天神と東通り商店街と大阪駅前ビルの地下で鍛えた、このアルコール耐性を舐めてもらっちゃ困りますぜ!っていうかな、要。スイスワインはものすごく貴重なんや。生産量のほとんどを国内で消費するから、スイス国外には滅多に出てこない、幻のワインやねん。ここで飲んでおかんと、次にいつ飲めるか分からんレベルやで?」
「うーん、そうなんだ。……まあ、僕もラクレットチーズには興味があるから、いっか」
運ばれてきたラクレットチーズは、とろりと溶けたチーズを蒸したてのベビーポテトと玉ねぎにたっぷりと掛けていただく。濃厚なチーズの味わいと、ピリリと感じる唐辛子の刺激に、要は満足げに舌鼓を打った。
その横で、悟は至福の表情で、希少なスイスワインを心ゆくまで堪能している。
その姿を横目に、要は静かに頭の中で、ここまでに入手したヒントの整理を始めていた。
(オーストラリア館のヒントは、ラミントンの袋に描かれていた『大屋根リング』と『柱』のイラスト。そして、ここスイス館のヒントは、あの『スの椅子』。つまり『ス』だ。『ス』は何を表しているんだろう?……すきま?スクリーン……スタート地点とか?……うーん、これだけじゃまだ絞りきれないな。総当たりでも解けそうな状態ではあるけど、やっぱり、効率的な動きとしては最後の北欧館にも行ってみるべきだね)
「お?どうした?なんかあったか?」
「ううん。どう?ワイン美味しい?」
「おう、素朴な味わいやけど、かなりいいぞ!要も、はよ一緒に飲めるようになればいいのにな」
「あはは、まだ5年以上も先だよ」
(……産まれたての君をこの胸に抱いてからずっと、一緒に酒が飲める日をどれだけ楽しみにしてきたか。あとたったの5年やないか。もうちょっと。ほんの、もうちょっとや)
悟は、そんな親心は胸の内に秘めたまま、ただニコニコと、幸せそうにワイングラスを傾けるのだった。
* * *
「「ごちそうさま〜」」
要と悟はラクレットチーズを完食すると、また真っ赤なエレベーターに乗って地上階へ降り、駐車してあったパーソナルモビリティへと向かった。
「さぁ、次はいよいよ北欧館!お父さん、酔っ払ってない?」
「ははは、酔っ払うわけないやん。若かりし頃……それはもうええか(笑)さぁ、モビリティかっ飛ばして行こか!時速40キロしかでーへんけどな(笑)」
要が先に自分のモビリティに跨り、続いて悟がもう一台に跨った、その時だった。
『警告!ドライバーからアルコール反応を検知しました!安全のため、運転は許可できません!』
パーソナルモビリティから、けたたましい警告音声が大音量で鳴り響き、ナビ画面にも真っ赤な警告メッセージが点滅している。そこかしこをうろうろと歩いているモブロボたちが、いっせいに悟のほうに振り返る。
「あ、バレたか(笑)。そらそうか、場内でも飲酒運転は厳禁か」
「ほらー!だから言ったのに。どうする?歩いて行く?」
呆れる要に、悟は「まあ待て」と片手を上げた。
「……こういう時はやな……」
悟はナビ画面に表示されている警告メッセージを落ち着き払ってスクロールする。すると、一番下に『お困りの場合はこちら』という小さなボタンがあった。タップする。
「なになに……『徹夜明けなど、意識が朦朧として運転に不安がある場合は、『完全自動運転モード』を選択できます』……か。意識はハッキリしてるけど、このモードなら行けるんちゃうか?試してみよう!」
悟は、画面に表示されたボタンを迷わずタップし、高らかに宣言した。
「北欧館へ!」
『目的地、北欧館に設定しました。完全自動運転モードに移行します』
「ほら、いけた!お父さんの勝ちやな!」
悟が自慢げに要の方を向いた、その瞬間だった。
それまで、真珠のように穏やかなホワイトパールに光っていたモビリティのボディが、瞬時に警告の赤へと変色する。刹那、ハンドル、ステップ、そして悟の胴回りに、金属製のベルトが音もなく出現し、彼をモビリティに完全にロックした。本来は事故を予見した際に乗り手の安全を守るための保護機構が、今はほろ酔い客を捕縛する拘束具と化している。
真っ赤なボディのモビリティは、悟をロックしたままハザードを点滅させ、すぅっと静かに発進した。完全自動運転モードの制限速度であろう、時速10キロという、なんともゆっくりとしたペースで。
要も、そのペースに合わせて、のんびりと自分のモビリティを運転する。
「あははは!すごい安全運転だね。強制的に場外に連れて行かれなくて良かったよ」
「そやな!いやあ、さすが秘密の未来は違うわ!素晴らしい!」
拘束されながらも、なぜか満足げな悟。
モビリティは、AIが判断した最も安全で、かつ最短ルート――大屋根リングの下を少し進み、ウォータープラザ方面に一度だけ右折して北欧館へ向かうコース――を、正確に、そしてゆっくりと進んでいく。
こうして、カメさんチームは、本当にカメのような速度で、しかし確実に、次の目的地へと到着するのであった。




