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いのちの続きを、この地下で ~地下1,000mの大阪万博で出会った君は、アンドロイドの体で僕に微笑んだ~  作者: 春凪一
第一部

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第17話:迎賓館の夜

要と悟は、それぞれの車体の『自動返却ボタン』にそっと触れた。電子音一つ立てず、二台のモビリティはすうっと滑るように走り出す。やがて他の参加者たちが返却したであろう十数台の群れに合流すると、整然と列を成し、無人のまま貸出所へと帰っていった。


主催者からのアナウンスに従い、二人は大屋根リングを目指す。マップによれば、ベルギー館の手前に大屋根リング上部へと続く長いエスカレーターがあるはずだ。


見つけ出したエスカレーターは、まるで天へと続く光の帯だった。茜色に染まり始めた人工の空の下、二人の体を乗せたステップが、静かに地上20メートルのいただきへと昇っていく。地上という『日常』から、空という『非日常』へと、境界線を越えていくような不思議な浮遊感があった。


そして、リングの上に足を踏み出した瞬間。


視界が、爆発するように開けた。


「……すごい……」


要の口から、感嘆の吐息が漏れる。


眼下に広がるのは、光の海。今日一日で巡った場所が、この広大な世界のほんの一部でしかなかったことを、要は知る。リングの向こう岸が、霞むほどに遠い。地平線のように見える向こう岸の上を歩いている人影は、まるで針の先のように小さかった。


視線を外に向ければ、偽りの海が、沈みゆく太陽の最後の輝きを乱反射させ、きらきらと宝石のように瞬いている。


その光景を、悟は懐かしむように、そして慈しむように見つめていた。


「そやな。ここからの景色は特別や。昼間の雄大さもいいけど、この時間、夕暮れから夜へと世界が姿を変える瞬間は、まるで異世界に迷い込んだような、不思議な気持ちにさせてくれる」


父の言葉を聞きながら、要もまた、視線をゆっくりと右から左へ、そして左から右へと動かし、その途方もないスケールを全身で味わう。


その、パノラマの中の一点に、要の視線が吸い寄せられるように止まった。


遥か前方を歩く、二つの人影。小指の爪ほどの大きさにしか見えない、銀色の髪の少女とその姉。


刹那、要の心臓が、これまで聞いたこともないほど大きく、ドクン、と鳴った。


悟が言っていた『異世界に迷い込んだような感覚』とは、また違う。もっと、胸の奥を甘く締め付けるような、初めての感覚。広大な世界の真ん中で、たった一つの輝きを見つけてしまったような、そんな途方もない感覚だった。


* * *


大屋根リングのスカイウォークをしばらく歩いた先にあるエレベーターで地上に降りたところのほど近くに、その建物は静かに佇んでいた。夕闇に白く輝く、ガラス張りの高層建築。要と悟は、その入り口の前で思わず足を止める。


「……ここが迎賓館?道を間違えたんかな。俺の記憶が確かなら、25年前の迎賓館は、確かに格式は高かったけど、平屋建てやったはずやで?」


悟が呟く。しかし、目の前にあるのは、優に10階はあろうかという巨大なタワーだった。その言葉に応えるように、ガラスの自動ドアが静かに開き、中から一体の案内ロボットが滑るように近づいてくる。


「咲良要さま、咲良悟さま。ようこそ迎賓館へ。本日のプログラムは全て終了です。お疲れさまでした」


「……マジか」


悟は、変わり果てた(というより、全くの別物に生まれ変わった)迎賓館を、もう一度根本からてっぺんまで見上げて呟いた。


「なるほどな。地上の万博じゃ、各国の要人を迎えるための『特別な施設』やったから、一般人は立ち入り禁止やった。けど、地下ここでは、俺たち参加者のための宿泊施設などにも利用できるようにするために、使いやすく大規模にアップグレードした……そういうことなんやろな」


自己完結した悟の隣で、案内ロボが恭しく一礼する。二人はその先導で、柔らかな絨毯が敷かれたロビーへと足を踏み入れた。


道すがら、ロボットが館内の説明を続ける。


「皆様には、2050年現在の最高級ホテルグレードのお部屋をご用意しております。お部屋にもバスルームはございますが、最上階には展望温泉がございます。会場を一望できますので、ぜひご利用ください。また、ご夕食・ご朝食は8階のレストランにて、日替わりで各国の料理をご提供しております。そして――」


そこで案内ロボは少しだけ間を置き、まるでとっておきの情報を開示するかのように続けた。


「ちょっとしたご飲食のために、7階にドリンクの自動販売機と、私どもが特におすすめしております、軽食の『大阪名物自動販売機コーナー』を設けております。ぜひ、お立ち寄りください」


やがて、案内された部屋の前に着く。カードキーも不要、二人がドアの前に立つだけで、生体認証によって静かに扉が開いた。


「案内ロボさん、ありがとう」


要がひらひらと手を振ると、ロボットは綺麗に一礼し、音もなく去っていく。


部屋に入るなり、二人は寸分違わぬタイミングで、ふかふかのベッドに倒れ込んだ。


「ふぅ……さすがに疲れたね、お父さん」


「そやなぁ。モビリティのおかげで歩く距離はだいぶ減らせてるはずやけど、やっぱりこの会場は広大やわ」


「色々食べたから、もうレストランの夕食は入らないかな。案内ロボが言ってた軽食コーナー、探検してみない?それを夕食がわりにしようよ」


「お、ええなそれ。せっかくやし、何があるか見に行こか」


「うん!このままここにいたら、絶対に寝ちゃうよ(笑)」


「ははは、違いないわ(笑)。よし、行こ行こ!」


二人は再び体を起こし、部屋を出た。


* * *


エレベーターホールには、美しいホログラムのフロアガイドが浮かび上がっていた。


「なるほど。最上階が温泉で……えっ、露天風呂まであるんか!素晴らしいな。で、9階がラウンジとバー、8階がレストラン、7階が自動販売機コーナー、俺たちの部屋がある6階から2階までが客室、と。地下には物販店もあるんか。着替えが足りんようになったら、そこで買えるかもしれんな」


「フロアガイドを見た感じ、1フロアに5部屋だけみたいだね。客室は全部で25室、多くても50人くらいしか泊まれない計算かな。この建物の大きさでその人数って、かなり贅沢な作りだね」


「部屋も相当広かったしな。調度品も見るからに高級そうやった。お父さんが若い頃はな、部屋のほとんどがベッドで埋まってる、激狭のビジネスホテルなんてのもあってな。常にベッドの上で過ごすスタイルや。まあ、あれはあれで秘密基地みたいで楽しかったけどな(笑)」


そんな話をしながら、二人は7階でエレベーターを降りた。すると、少し先の廊下から、賑やかな光が漏れている。壁には『大阪』『名物』『粉もん』などと書かれた赤い提灯がいくつもぶら下がっていた。


「ここが、案内ロボが言ってた『大阪名物自動販売機コーナー』か」


そこは、ホテルの洗練された雰囲気とは一線を画す、レトロで温かみのある空間だった。様々なデザインの自動販売機がずらりと並び、中央にはくつろげるテーブルとソファが置かれている。二人は、一台一台、どんな商品が売られているのかを興味深く見て回った。そして、要が歓声を上げる。


「ああっ!『めちゃうま大阪たこ焼き』がある!お父さん、僕、今日の晩ごはんはこれにする!」


「ふっふっふ。そんなに焦って決めてええんか?こっちには、さらに上質な逸品が鎮座しておるぞ」


悟が芝居がかった口調で指差す先。そこに、あった。


白地に赤い文字で『551蓬莱』と書かれた、神々しくすらある自動販売機が。もちろん、売られているのはチルド商品だ。2050年の最先端技術が集うこの場所でも、工場から直送される出来立ての味を守るという、551蓬莱の鉄の掟は健在だった。


「ううっ……!でも、今のお腹の空き具合だと、両方は食べられないよ……そうだ!お父さん、めちゃうまと豚まん、半分こしない?」


「はっはっは!そう来ると思ってたで!」


二人は仲良く二つの商品を購入すると、探検もそこそこに部屋へと戻った。客室のミニキッチンに備え付けの電子レンジで温めると、部屋中にソースと出汁、そして豚まんの甘い香りが広がる。熱々のたこ焼きと豚まんを頬張ると、さすがに満腹になり、二人はベッドで寛いでいるうちに、そのまま深い眠りに落ちていった。


* * *


その頃、日向姉妹もまた、自分たちに割り当てられた部屋でくつろいでいた。


「最上階の露天風呂、行ってみたいけど……やっぱりダメかなぁ?」


璃奈が、窓の外に広がるパビリオンの夜景を見ながら、名残惜しそうに呟く。


「うーん、義体のメーカーは『10気圧程度までの防水は万全です』って言うてはるけど、温泉となると話は別やもんなぁ。万が一、精密機器が故障でもしたら、台湾まで修理に戻らなあかんし……今回はやめとこっか」


「……うん(涙)」


世界最高峰の技術で作られた義体であっても、温泉に含まれる複雑な成分がボディにどのような影響を与えるかは未知数だ。璃奈は泣く泣く温泉を諦めた。


「よし、念のため、メンテナンスモードでエラーログだけ見とくわ」


万里奈は自身のスマホを取り出すと、専用アプリ『TMYMDT_ADRD』を起動し、「メンテナンス」から「エラー確認」の項目をタップして、璃奈のうなじにそっと近づける。すると、画面に緑色の文字で『ALL GREEN : NO ERRORS DETECTED』と表示された。


「よし、エラーなし!さすが、世界のTMYMDTやな!」


「ありがとう、万里姉ちゃん」


璃奈が優しく微笑む。


「ところで璃奈さんよ。本体のほうの疲労はどうなん?一日中、常時接続しとったんやから、かなり疲れてるんちゃう?」


万里奈の言う通り、これほどの長時間の双方向リアルタイム常時接続は、璃奈にとっても初めての経験だった。


「うーん、頭は少し疲れてるけど、楽しい気持ちが勝ってるから大丈夫。それに、筋肉痛もないしね(笑)。今日は美味しいスイーツがたくさん食べられて、本当に楽しかった」


もちろん、義体がスイーツを食べても、病院にいる璃奈本体の空腹が満たされるわけではない。だが、五感の全てが忠実に共有されることで、彼女は本物と寸分違わぬ「美味しい」という幸福な体験を得ていた。


「そっか、それなら良かったわ。で、この後どうする?ディナー行く?それとも……探検?」


「ディナーはもういいかな。でも、案内ロボが教えてくれた『大阪名物自動販売機コーナー』には行ってみたい!何か凄いレアアイテムが隠されてるかもしれないし!」


「レアアイテムて(笑)ほんなら行ってみよっか」


二人が7階に到着し、エレベーターのドアが開ききるか、きらないかの、その瞬間。璃奈の青い瞳が、前方の光の中のある一点を捉えてキラリと光った。


次の瞬間、彼女は万里奈を置いて、脱兎のごとく駆け出していた。


「551!551!万里姉ちゃん!551があったよ!」


「えっ、ホンマやん!……あーっ!そういえば、なんばで預けたSLTのチルド豚まん、すっかり忘れとった……」


璃奈は満面の笑みで551蓬莱の豚まんを購入すると、大事そうに抱えて部屋に戻り、早速ミニキッチンの電子レンジで温め、至福の表情で頬張った。


その横で、万里奈はスマホを操作し、すっかり忘れていたチルド豚まんを、大学の最寄り駅から(地下の)夢洲駅まで転送するよう、SLTサービスに依頼をかけるのだった。


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