第15話:25年前の約束
オーストラリア館のカフェ。ラミントンを頬張る璃奈の幸せそうな顔を眺めながら、悟の意識は、ふと25年前の、あの日の夜へと飛んでいた。
2025年10月13日、夜。
咲良悟は、大屋根リングの上にいた。
閉幕を告げるセレモニーの喧騒が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえる。半年にわたる熱狂の終焉をこの目で見届けるために、アルバイトのシフトを必死で調整して、ようやく手に入れた特等席だった。
無数のドローンが夜空に「ありがとう!」の文字を描き、最後の花火が弾けては消えていく。その光景は美しいはずなのに、悟の胸の内には、どうしようもなく耐え難い、灰色のモヤモヤとした感情が広がっていた。目の前の夜空が、滲んで歪む。
閉会式はクライマックスを迎え、万国旗がポールから名残り惜しそうに降ろされていく。半年間にわたって夢洲の夜を彩ったパビリオンの照明が、ひとつ、またひとつと、静かにその光を閉じていく。ステージでは、ミャクミャクが観客に深々とお辞儀をすると、くるりと背を向け、故郷である湧水地へと帰っていく……。
「……ああ、これで、全部終わってしまうんか」
ぽつりと、誰に言うでもなく呟いた。
「もう明日からは、ゲートをくぐることもでけへん。俺たちが半年間、青春の全てを捧げたこの街も、すぐに壊されて、無くなってしまうんやな……」
その時、隣に寄り添っていた女性が、秋の夜風に晒されて冷たくなった悟の手を、両手でぎゅっと包み込むように握った。この会場で出会い、共に働き、笑い合い、そして、互いの気持ちを確かめ合った、未来の妻となる女性――**環**だった。
「そうだね、悲しいね。……でも、私はこの場所に感謝してるよ。だって、この会場は、私にとても大きな、かけがえのない縁を運んできてくれたから」
環の優しい声が、閉幕の喧騒でざわつく悟の心を凪のように静めていく。見つめ合う二人。環の瞳に映る自分の情けない顔を見て、悟はもう気持ちを堪えることができなかった。
「環さん。俺は、この会場みたいに壊れたり無くなったりせえへん。そういうものを環さんと一緒に作りたい。やから……この先もずっと、俺と一緒にいてほしい」
それは、プロポーズと呼ぶには、あまりにも拙く、不器用な言葉だったかもしれない。だが、悟の全てだった。
環は一瞬だけ、大きく目を見開くと、次の瞬間には、夜空の花火にも負けないくらい、満開の笑顔を咲かせた。
「……!……はいっ!こちらこそ、よろしくお願いします。悟さん」
そして、彼女はこう続けた。
「小さくてもいい。私たちで、何か新しいものを一緒に作っていきましょう」
* * *
その後、二人は結婚した。
しばらく子宝には恵まれなかったが、結婚から10年ほど経った頃、待望の第一子を授かる。
家族という、新しい形。そして、いつかはこの子が、地域コミュニティや、もしかするとこの世界全体の、次の形を支える一助になってほしい。
そんな、万博が終わるあの夜に誓った願いを乗せて、二人はその子に「要」と名付けたのであった。




