第四話 違和感
なんてことのない、ある春の日。
四月末の水曜日、始業前。三年一組担任、篠崎のホームルームはいつも三十秒で終わると評されていた。
「おはよー。今日も連絡事項は掲示板にあるから……あ、そうだ」
どうやらこの日はそうもいかないようだった。
「最近また魔物が結構出てるらしいな。みんな気をつけろよ。戦えない奴は速攻逃げる。戦える奴も調子に乗ると怪我するぞー。確実に倒せそうなのじゃなければ速攻逃げること。魔物にやられて入院とか勘弁してくれよな。あっでももし登下校中魔物にやられて怪我したら学校の保険が下りるからな、どっちにしろ魔物の怪我は必ず報告しろよ。交通事故と一緒だな。まぁ交通事故も気をつけて欲しいけど……ま、こんなもんか。じゃあ今日も一日頑張って」
篠崎はすぐに教室を出ていき、一限開始まではあと十五分ほどの時間があった。
三年一組の一限は生徒によって異なる選択科目で、教室にはすでに着席して授業開始を待つ生徒、移動の準備をする生徒の姿があった。篠崎のホームルームはそれでも簡潔すぎたのか、他のクラスから教室に入ってくる生徒の姿はまだない。
教室の奥では、席についていた男子生徒二人が話している。
「魔物多いって、またなんかあったん?」
「なんか最近炎上あったくね」
「またかよ」
「なんか子供に寿司を犬食いさせてる動画」
「は? 虐待じゃん」
「な。そりゃ炎上するわ」
「それで魔物出て俺らがなんとかするの、冷静に考えたら意味わかんなくね?」
「でも倒せば普通にバイトするより稼げるしよくね?」
「まーザコならそうなんだけどさ」
「炎上ならだいたいザコじゃん。俺でも適当に加熱で倒せるし」
「あっ、俺最近重力で潰すのにハマってる」
「なにそれ」
「第六で魔物の周りだけg=980にする。百倍。98だと潰れないやついるけど、980なら大抵なんでも一瞬で消える」
「gって重力加速度?」
「そう。でさ、これコツがあって、範囲を魔物より一回り小さいくらいの箱にするんよ。そしたら俺は潰れない」
「えぐっ、てか魔物より範囲小さくていいん?」
「俺らだって胴体潰れたら死ぬじゃん」
「あーね。お前ほんと物理強いな」
同級生たちの会話をよそに、宗はスマホを片手に移動教室の準備をしていた。画面に表示されていたのは、「子供に犬食いさせるとか意味わかんない」「寿司がトラウマになりそう」といった無数の呟きだった。
***
その日の昼休み、鞄を手にぶら下げて実験庭園にやってきた宗は先客の姿を見た。
壁際に植えられたツツジの低木の前に、ひとりの女子生徒が立っている。襟元のリボンは緑色で、中学二年生のようだった。
女子生徒は白く膨らんだツツジの蕾に触れ、念を込めるような仕草をしながら何かを呟いていた。しかし何も起こらない蕾の前で、彼女はうなだれていた。
「開花の練習?」
「あ……はい」
宗が声をかけると、女子生徒はやや驚いたように彼を見て答えた。
宗はツツジに目をやると、空いた手で女子生徒が触れているのとは別の蕾に触れた。するとたちまちその蕾は白い花を咲かせ、女子生徒はますます目を丸くした。
「え、すご」
「そんな大したことじゃないよ。花は自分が咲く時期だってわかると蕾を開くわけだけどさ、どうやって花びらを広げてるんだと思う?」
「どうやって……?」
「花びらってさ、内側からこう開くわけじゃん」
宗は女子生徒に握りこぶしを差し出すと、すぐにその手を広げてみせた。
「てことは、僕たちが見ている花の正面は、もともと蕾の中だと内側を向いていたってのはわかる?」
女子生徒が頷いたので、宗は説明を続ける。
「それがこう、中心から押し広がるようになるのは、花びらの内側と外側で成長スピードが違うからなんだ。内側のほうが外側より成長が早いの。もし成長スピードが同じなら、花びらはこうやって開かないで、閉じたまま真っ直ぐ上に伸びちゃうってのは想像つく?」
「あー、茎が伸びるみたいに?」
「そうそう。でも花が咲く時は内側のほうが成長早くて、外側のほうが遅くて、ただ内側と外側はくっついてるじゃん。一枚の花びらなんだから。そうなると内側は、自分よりまだ小さい外側から、蕾の根元の方に向かって引っ張られて、こう、上の方が外側にくるんって」
宗は自分が開花させたツツジの花びらを破らない程度に引っ張りながら、なんとか中学生にもわかるようにと説明を試みていた。女子生徒はわかったようなわからないような顔をしていて、それを見た宗は苦笑いで言った。
「まぁとりあえず、花びらの内側と外側を意識して、まずは内側だけが成長していくイメージで。スピードが違うって言ってもややこしいし。上に伸びよう伸びようって内側を、外側が待って待ってってしてたら、そっちに引っ張られてくるんって広がる。それが五枚に分かれた花びらで同時に起こって、こんな風に咲くってわけ」
宗は自分が咲かせたツツジの花をもう一度指し示し、女子生徒は改めて自分が触れていた蕾に向き直った。
「内側が先で……引っ張られて……広がって……」
すると白い蕾はゆるやかに開き、確かに花が咲いた。女子生徒は嬉しそうな顔で、自分が咲かせたツツジの花と宗を交互に見る。
「ほら出来た。もう一回やってみる?」
宗は自分が咲かせたツツジをさっと蕾に戻してしまうと、女子生徒に譲るような仕草で一歩引いた。彼女はその蕾に触れると、先程と同じ台詞を呟きながらまた白いツツジの花を咲かせた。
「ありがとうございます。これでレポート書ける……」
「うん。忘れないうちに書いちゃいな」
宗は手からぶら下げたままでいた鞄を、ようやくベンチの真ん中に置いた。右側には女子生徒のものと思しきクリップボードと筆箱が置かれていたので、宗は左側に座った。
女子生徒もベンチの方にやってきて、筆箱からペンを取り出すとクリップボードも手に取った。そして彼女は立ったまま何かを書き始めたので、なんとなく居た堪れなくなった宗は彼女に声をかけた。
「……座ったら?」
「あ、はい」
女子生徒が筆箱をベンチの端にどけて腰を下ろしたその瞬間、宗は奇妙な感覚に襲われた。
彼は鞄の向こう側に座る人間に対して、なんとなくしっくり来ないような、あるいは強烈に違うような気がしてしまっていた。
宗はベンチから立ち上がりたくてたまらなくなった。しかし自分から座るよう促した手前、そんなすぐ立ち上がっては女子生徒の気を悪くしてしまわないか。そう考えると、彼は不思議な違和感を覚えたまま座り続けていることしか出来なかった。
しかし女子生徒は何かを思い出したかのように顔を上げ、すぐに立ち上がった。彼女は脇に置いた筆箱を手に取ると、宗に向かって「ありがとうございます」と言って実験庭園を出ていった。
女子生徒が立ち去ると、入れ違いのように別の女子生徒が宗の前に現れた。
「すみません、遅くなりました」
彼女の長い銀髪と紅玉の瞳を、宗は見間違えようがなかった。
月宮華奈。宗が篠崎に課題と称して押し付けられた、いわば仕事の対象。そのために彼女のことを知ろうと、二人で昼休みを過ごすようになってから二週間が経っていた。
宗が鞄をベンチの真ん中から自分側の端にどけると、華奈は反対側の端に鞄を置いて彼の隣に座った。宗はまたもや奇妙な感覚に襲われたが、それは先程と正反対だった。
彼は隣に座る少女に対して、妙にしっくり来るような、あるいは強烈にこうでなければならないという気がしていた。
「お弁当、待っていてくださったんですか?」
華奈に言われてようやく、宗は鞄のファスナーを開いてすらいなかったことに気づいた。
「あ、いや……さっきまでいた子に、ちょっと魔法を教えてたから」
「へえ、親切なんですね」
「いや、別に……」
既に弁当を膝の上に置いていた華奈に倣って、宗も鞄から弁当を取り出した。
彼女のことを知りたいのか、知らなくてはならないのか、宗にはわからなくなり始めていた。
※このエピソードには、作者が構築した世界観、構成、表現の補強にChatGPT(GPT-5.5 Thinking)、Claude(Opus 4.8)を使用しました。
本文の一部にAIによる表現が含まれますが、本文そのものは作者が執筆したものであり、AIによって生成されたものではありません。
最終的な構成・編集・セリフ・物語の意図は、すべて作者自身の手によるものです。




