第三話 実験庭園
二人で過ごす昼休み。
翌日。三年一組の教室に四限終わりのチャイムが鳴った。宗が鞄を手に机を離れると、一人の男子生徒が声をかけてきた。
「日下部、今日一緒に飯食わね?」
「あぁ、ごめん。今日は先約があって」
「先約?珍しいな」
「そうかもね」
男子生徒は大きな黒縁眼鏡の向こうで面食らった顔をした。しかし宗はなんてことないといった顔をしていた。
「ま、いーや。じゃ、また今度な」
「うん」
宗は特に理由を問われることもなく、ペールピンクのシャツを着た背中は遠ざかっていく。ネクタイ曲がってるよ、と男子生徒に言う間はなかった。宗はそのまま教室を出て、そして気づく。
――そういえば、どこだか言ってなかった。
昨日、なぜか宗が変則術式を組んであげることになった後輩――月宮華奈と、今日の昼休みを一緒に過ごす約束をした。術式を作るために必要な、彼女のことを知るために。
宗は彼女に、いつ何をするかは伝えていた。しかし肝心な場所を伝え忘れていたことに、今になってようやく気付いたのだった。彼女もきっと、どこに行けばいいのか迷っていることだろう。
宗が向かうのは、一年二組の教室。彼女のクラスは、昨日宗が篠崎に見せられたデータに書いてあった。我ながらよく覚えているな、と宗は若干の呆れを覚えつつ一年のフロアを進んでいった。
一年二組の教室はもう扉が開いていて、宗は廊下から少し身を乗り出して教室の中を覗いた。華奈はまだ教室にいたが、机の上を片付けていて宗に気づかない。
しかしここは一年生の領域。赤のリボンやネクタイをした生徒ばかりの空間で、黒のネクタイをした宗は目立っていた。否、目立っていたのはネクタイだけではなかったのかもしれない。彼の周囲にいた一年生たちはどよめき、一度は彼に目を奪われていた。
「黒?三年生?」
「えっ、三年が来るとか何の用?」
「てかあの先輩、ビジュやば……」
後輩たちのどよめきを、宗は意識の中に取り込まない。彼にとって、それらは認識する必要のないものだった。
「あの、何か用ですか?」
廊下に出ようとしていた一人の男子生徒が宗に声をかけた。それが自分に向けられた言葉であることに気づくまで、宗は一瞬の間を要してしまった。
「ああ、このクラスの月宮さんに用があって」
それを聞いた男子生徒が振り返って教室を見渡した時にはもう、宗の前には華奈がいた。
「こんにちは」
華奈は鞄の持ち手を両手で握り、柔らかく微笑んでいた。宗が無表情のまま彼女に会釈すると、男子生徒は何も言わずに去っていく。
「ごめん、どこだか言ってなかったから」
「ああ……確かに、聞いていませんでしたね」
「うん。ついてきて」
***
宗は華奈を連れて数分歩き、校舎を出て学校の敷地内の外れにある実験庭園にやってきた。
実験庭園は昼休みにも開放されているが、授業以外にわざわざ足を運ぶ生徒はほとんどいない。季節ではなく魔法に従わされた草花が咲き乱れるこの場所は、宗にとって数少ない安息の場所だった。
庭園の奥に設置されたベンチの端に宗が腰を下ろすと、華奈も遠慮がちに反対側の端に腰を下ろした。二人は自然とお互いの間に鞄を置いて、さながら背の低い塀のようになっていた。
宗はそんなこと気にも留めない様子で、鞄から弁当の入った保冷トートを取り出した。華奈もそれに倣うように自らの鞄から保冷トートを取り出し、二人ともそこから弁当箱を取り出して蓋を開いた。
「あ、卵焼き…」
先に言葉を発したのは華奈だった。宗は一度華奈の弁当箱の中身に目をやると、自分のそれに目線を戻す。
「僕も今日入れてきたよ」
宗は箸で自分の卵焼きを一切れ摘んで口に入れた。
「お弁当、ご自分で作っていらっしゃるんですか?」
入れてきた、という宗の言葉選びに、華奈はそう問うた。
「ああ、今日はね。母親が夜勤だったから」
「お母様は、なんのお仕事を?」
「医者。ここから割と近くの病院だよ」
「まあ、ご立派でいらっしゃいますね。夜勤ということは、大きい病院ですか?」
「まあ、そこそこ大きいのかな、あそこは。少なくとも、入院できるくらいの規模ではあるね」
「なるほど……それでお弁当を作って来られる先輩も、すごいです」
「え?そうかな」
宗は不思議そうな顔で自分の弁当を見た。
「そうですよ。そんな美味しそうなお弁当、私にはとても作れそうにありません」
「え、そう?……君のお弁当も美味しそうだね」
「私のは、家の人に作って頂いておりますから」
「そっか。その卵焼きは甘いやつかな」
華奈はそう言われて、ようやく弁当に手を付けた。卵焼きを一切れ箸で摘むと、口元に持って行く。
華奈が卵焼きを飲み込むまで、宗の手はずっと止まっていた。
「ん、甘いです。よくわかりましたね」
こちらを向いた華奈と目が合ってようやく、宗は自分が彼女を見つめていたことに気づいて目を逸らした。
「あ、いや……焼き色でさ。ほら、僕のはだし巻きだけど、そういう焦げ目にはならないから」
「なるほど」
華奈は宗の弁当を覗き見た。
「先輩は、だし巻きがお好きなんですか?」
「まあ、どっちかというと」
今度は宗が華奈の弁当に視線を落とす。
「君は、甘いのが好きなの?」
「ええ、まあ。だし巻きも好きですよ」
「そっか」
そこで会話は途切れた。それから二人は黙々と弁当を食べ進め、平らげたのはほぼ同じタイミングだった。
「「ごちそうさまでした」」
お互い小声で、それでも確かに重なった言葉に、二人は目を見合わせた。気まずさに顔をしかめるでもなく、かといって笑い合うでもなく、先に目を逸らしたのは華奈の方だった。
二人は空になった弁当箱を各々の保冷トート、そして鞄にしまうと、宗が言った。
「何か、好きなものとかある?」
「えっ?」
「ああ……食べ物とか、趣味とか、そういうの」
「好きなもの、ですか」
「うん」
華奈は少し考え込んでから、宗の方を向いた。
「読書、とか……ごめんなさい、ありきたりで」
「いや、そんなことないよ。小説とか?」
「はい」
「そっか。やっぱ純文学とか?ラノベも読む?」
「どちらも読みますが……ライトノベルは、完結しているものばかり読んでしまいます」
そう言って、華奈は宗から目を逸らした。宗は理由を聞こうとして、しかし彼女の横顔を前にそれを飲み込んでしまう。
彼女の端正な面を彩る紅玉の瞳は、正面に咲く白いチューリップを映していた。
宗の視線はまた彼女の横顔に吸い込まれていた。ただ、今度は自分で気がついた。そして華奈が見ているチューリップに視線を移す。
「好きな花って、ある?」
「好きな花、ですか」
華奈は庭園を見回して、しかし何も見つけられなかったような顔で宗を見た。
「桜、とか。ここにはありませんが」
「桜……確かに。桜吹雪とか、綺麗だよね」
「ええ。花城は、桜が二回見られていいですよね」
「ああ、ようこそとさよならね。入学式と卒業式の」
「はい。あれは、環境委員会の方々が調整してくださっているんですよね」
「みたいだね。それこそ、ここの花とかでも練習してるよ」
「そうなんですか?」
「うん。基本放課後みたいだけど、二月とかは昼休みにも自主練してる子いたよ」
「そうですか……確かに、ここなら色々練習できそうですね」
「うん。僕もたまにこっそり遊んでる」
「先輩は、第三属性がお得意なんですか?」
「まあそこそこ」
宗はベンチから立ち上がると、壁際の鉢植えに近づいた。華奈も立ち上がって彼を追う。鉢植えにはバラが植えられていて、いくらか蕾をつけていた。
宗は鉢植えの前で屈むと、わずかに黄色の花弁を覗かせた蕾の一つを指先でつまんだ。するとたちまちその蕾だけが満開に咲き誇り、それを見ていた華奈はつい感嘆の声を漏らす。
「わぁ……!」
「見たことなかった?」
「はい……開花の瞬間を間近で見たのは、初めてです」
「そっか。まあ君は第四だもんね。これ、第三の実技でやることだし」
宗は満開となった一輪のバラから手を離し、改めてそれを眺める。華奈も前屈みで覗き込むように花を眺めていたが、ふと不思議そうに首を傾げた。
「実技でこんなことをするんですね……ですが、どうやって元に戻すんでしょう」
「え?あー、実技の時はそのままだけど、戻すなら第六で、こう」
宗がまた満開のバラに触れると、花は時が巻き戻るかのように蕾へと姿を戻した。
「すごい……すっかり元通りですね」
「まあ、元の状態に戻したんだからそりゃそうだけど」
宗がそう言いながら立ち上がると、華奈は彼の方を向いて微笑んだ。
「素敵なものを見せて頂きました。ありがとうございます」
「別に大したことじゃ……でもまあ、どういたしましてなのかな」
「はい。あと、黄色のバラも好きになりました」
華奈は微笑みながらそう言って、宗は少し目を見開いた。
「そっか……よかった」
ちょうどその時、宗のスマホが上着のポケットの中で鳴動した。彼がスマホを取り出すと、アラーム画面が表示されていた。
「あ、もう時間か」
宗の言葉に、華奈も自分の腕時計で時刻を確認した。
「まだ、予鈴の10分前ですよ?」
「うん、でもそろそろ行かないとギリギリになっちゃうから。時計見るの忘れがちだから、アラームかけてる」
「そういうことですか」
「うん。行こうか」
宗はベンチに置いたままにしていた鞄の持ち手を握り、華奈もそれに倣って鞄を持った。
宗は後輩の少女と校内を歩きながら、先刻自分が言ったことをあまり思い出せずにいた。
しかし彼女の横顔と、彼女が好きだと言ったものだけ、一つ残らず覚えていた。
※このエピソードは、作者が構築した世界観、構成、表現の補強にClaude(Opus 4.6)を使用しました。
本文の一部にAIによる表現が含まれますが、本文そのものは作者が執筆したものであり、AIによって生成されたものではありません。
最終的な構成・編集・セリフ・物語の意図は、すべて作者自身の手によるものです。




