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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女の首を持ち帰ったら本人が取り返しに来た件

 巨大な鉄の刃が、重力に従い、無慈悲に真下へ落ちていく。


 スパンという音。

 勢いよく、何か太いものを断ち切る音。


 それは人の首を断ち切る音。


 断頭台に固定された罪人の頭と胴が、泣き別れにさせられた音。



 無数の歓声がいびつに重なり、濁った轟音となる。

 その場に居合わせた観客が、老若男女、みな喜んでいる。

 ある者は跳びはね、ある者は拍手喝采し、ある者は知人と手を取り合い、またある者は両手を振りあげて万歳している。



 この日。

 屍の魔女と呼ばれた、ある伯爵令嬢が処刑された。





 ──まだ二十歳そこそこの娘の首が切り離されて、どさりと落ちるのが、そんなに嬉しいか。

 なんて奴らだ。


 ……いや、待てよ。

 むしろ、だからこそ見たかったのかもしれんな、こいつらは。

 苦労知らずの令嬢が残酷なやり方で未来を断たれるところを見て、いい気味だと、あざ笑いたかったんだろう。

 醜悪だ。

 どいつもこいつも、滑稽なほどに、醜悪だ。


 三十なかばの年齢の処刑人は、心の中で、周囲の人々を下衆の集まりと罵っていた。


 しかし、俺も人のことは言えん。

 なにせその娘の首を落としたのは、俺がこの広場に設置した断頭台の刃だ。

 お偉い方々に逆らえぬ身の上とはいえ、俺が手を下したことに変わりはない。

 魔女が死んだ、悪女に罰が下ったと、浮かれて騒いでいるこいつらと、本質は何も違いやしない。


 臨時の処刑場と化した広場において、この男だけが、顔に暗い影を落としていた。


 断頭台のそばにたたずむ処刑人が、思考を切り上げ、足元を見る。

 広場に用意された高台に設置された断頭台の前方、罪人の首を受け止めるべく置かれた籠の中に転がる、魔女の頭。

 まだ若い、その横顔が目に入った。


 若者への執行は、処刑人の男にとって、あまり気が進まないものだった。ましてやそれが女性なら、なおさらだ。

 そういう時、男は助手たちに罪人の相手を任せ、自分は断頭台の設置などの作業に回る。

 できるだけ見ないようにする。

 そして助手たちが罪人を断頭台の枷に固定し、男がギロチンを引き止めていた縄を切るのだ。

 今回もそうしていた。


 だから、処刑人はその時ようやく、魔女の顔をはっきりと、しっかりと見た。

 そして、目を奪われてしまったのだ。



 死してなお微笑みを崩さぬ、かげりのない美貌に。



 ──なんて、綺麗なんだろうか。


 これまで斬り落としたいくつもの首とも、俺の偏屈を絵に描いたような不機嫌面とも、この広場を埋め尽くすクソみたいな笑い顔とも、根本から違う。

 大理石から頭を切り出し、金糸を髪として、眼窩に宝石をはめ込んだような、豪華絢爛な美しさ。


 そんな魔女の頭は、この何もかもがおぞましい乱痴気騒ぎの中でとてもまばゆく輝く、かけがえのない至宝のように処刑人には見えた。



 魔が差したとは、このことだろう。

 一目惚れとは、このことだろう。


 男は、生まれて初めて、血色を失い青ざめた生首を美しいと思った。



 処刑人の男は、誰にも悟られることなく、見られることなく、丁重に、彼女を持ち帰った。

 彼女とは、言うまでもなく魔女として処刑された伯爵令嬢のことであり、その頭部だ。


 魔女とやらは、男の心を惑わし、意のままに操るというのだが、こんな首だけになってもその力は残ってるのか?

 では、俺は操られてるのか?


 心臓が、激しく脈打つ。

 落ちつけ俺。

 いつものようにムスッとしてるんだ。


 ああ、こんなに帰り道を長く長く感じたのは、いつぶりだったろう。

 平静を装いながら、興奮を押さえ込みつつ、処刑の後始末を終えて我が家の門をくぐることができた。



 男は、一人暮らしである。

 父親は十年ほど前に流行り病に倒れ、母親は愛する夫を失ったショックから体調を崩し、その数年後亡くなった。

 母親の実家がかなり遠い街にあるのだが、処刑人の家系に入ったことで、母親とそこはほとんど絶縁に近い状況である。


 使用人もいない。

 ごくたまに掃除夫を頼むくらいだ。


 助手たちには、それぞれ自分の家がある。彼らは一様に覆面を被り、世間に素性を明らかにはしない。

 その正体は、牢獄の看守だったり、尋問などの後ろ暗い任務に関わる者たちだったりする。彼らにとって罪人の処刑とは、関与を知られたくはない、稼ぎのいい副業なのである。


 よって男は天涯孤独の身の上だった。

 それは今の彼にとって、実に好都合なことであった。



 何事もなく自宅に持ち帰れた彼女を、ゆっくりと、寝室にあるテーブルに置く。

 そのまま直にというのは、いくら首だけとはいえ客人に失礼だと思ったので、柔らかい枕を敷物にした。

 薄く微笑んでいるその表情は、魔女どころか天使のようだ。

 これから首を落とされる人間が、どうしてこんな笑みを浮かべていたのか。

 やはり、本当に魔女だったのか?


 役人たちに聞いた話では、この令嬢の罪状は、外法に手を染めたことらしい。

 墓地から死体を掘り起こしたり、あるいは新鮮な死体を買いつけ、それらを触媒に様々な儀式を行ったそうだ。


 正気と思えぬ、いかがわしい行為にふけっていたとの話もある。

 若くたくましい男の死体を剥製にして交わっていたと。

 流石にこれは眉唾ものだと思うが、しかし、真実として、令嬢の犯した罪のひとつに数えられた。


 どれもこれも謎。

 ただの処刑人に過ぎない自分には、わからないことだらけだ。

 だが、ひとつ確実なことがある。


 このことは、俺が彼女を自宅に連れ込んだことは、決して秘密にしなければならない。

 断じて他人に知られてはならない。

 うっかり喋ってはならない。

 もしバレたら、正気を失った者を押し込めておくための治療院で寿命が尽きるまで過ごすことになるか、魔女に従うしもべと見なされて火あぶりか。

 まともな末路は送れまい。


 しかし、危険と隣り合わせになろうと、彼女を手放したくはない。


 我が手に思いがけず舞い込んできた、この大輪の花を。





 かくして、処刑人と死者による蜜月の日々は幕を開けた。





 男の仕事だが、それは無論、大罪を犯した者に、命をもってしかるべき償いをさせることである。


 けれど、そう次から次へと極刑を告げられる者は気軽に現れない。

 この国の『法』が権力者によって著しく悪用されることもなく、それなりに正しく機能しているからだ。


 だから男は、普段の副業として、薬師や医師としての顔を持っていた。

 仕事柄、死体と向かい合う機会は他の職業よりも多い。

 しかも大半は罪人の死体だ。知識を深めるため解剖しても、とがめられることもない。

 その知識をもって、貴族や富豪の病を癒したり、様々な薬の処方もする。

 けがれた役職の者として世間からは毛嫌いされているが、上流階級の者達からはなにかと重宝されていた。



「……なあ聞いたかい。あの飯屋では犬の肉を出してるそうだぜ。あそこのケチババアならそのくらいはやりかねんな。ヘヘヘ」


「へえ」


「貴族街じゃあよ、幽霊騒ぎが起きてるとか。女の幽霊が夜な夜なさまようって話だが……へへ、案外、頭の弱いどこぞのお嬢様が屋敷から抜け出してんじゃないのかね」


「はあ」


「こんな話もあるぜ。お隣の国に聖女が現れたらしい。なんでもまだ七つだと。その歳で怪我とか祈りで治せるってんだから、末恐ろしいねえ、全くよ」


「もっともだ」


 処刑人の男の、自宅の裏手。

 男は生返事をしつつ、頼んでいた品が全てあるかどうか確認していた。


 真偽の定まらぬ話をあれこれ語るのは、普段の生活や本業で使う品々を届けに来てくれた雑貨屋だ。

 処刑人とも顔見知りで、かれこれ長い付き合いである。

 歳は、こちらのほうが処刑人より五つ上だ。


 仕事が仕事だけに、処刑人はそこらじゅうの店から嫌がられている。商いに悪いものをもたらすと思われている。

 店によっては、露骨に追い出そうとすることすらあるのだ。

 処刑人がまともに買い物をできる店など、この都に数えるほどしかない。


 店だけではない。


 男と道ばたですれ違った者は、それだけで、顔をしかめたり、地面に唾を吐いたり、何かを身体からはたき落とす仕草をしたり、汚れからお守り下さいと祈りをブツブツ呟いたりする。

 視界に入れることすら嫌う者もいる。


 人の死に様を滅多にない見世物として楽しむ者たちが、処刑人を忌まわしいものと見なす。

 民衆はこの身勝手な矛盾を理解しつつ、自分たちの愉悦のため、見て見ぬふりをしていた。


「いつも助かる」


「こっちも仕事だからな。気にするな」


 この毎回の配達は、国からの特別な依頼にあたる。

 誰かがやらねばならない汚れ仕事として、本来の代金以外にも、報酬が与えられるのだ。


「んじゃ、また来週な」


「次はベラドンナの粉を多めに持ってきてくれ」


「あいよ」


 雑貨屋の男は帰っていった。



「ふう」


 裏手の扉に鍵をかけ、寝室に戻る。

 厚いカーテンは閉めたままだ。


「……あれも悪い男じゃないんだが、長話なのが玉にキズでね」


 男は、寝室の棚の奥に隠し込んでいた魔女の首を取り出し、話しかけながらベッドの上へ、そっと置いた。


「しかし、やはり不思議だな、君は」


 君をこんな風にしてから一月あまり。

 今のところ、誰にもこの関係は気づかれていない。


 胴体だが、誰にも見つからぬよう、ひそかに共同墓地の端に埋めたよ。

 慣例として魔女の死体は燃やさねばならないのだが、そんな気になれなかったんだ。

 身につけているものが薄汚れたドレス一着なのがあまりに不憫(ふびん)に思えて、大きなお世話かもしれんが、俺のマントをかけておいたよ。いい迷惑だったかな?


 ……危ない橋を渡っているのは、自分でもわかっている。


 そんな不審な真似をして、もし君を連れ帰ったことが知れたら、ただではすまないからね。

 最低でもとびきりの異常者として扱われるに違いない。これまでの嫌われようなど初歩の初歩だったと思うくらい世間からの指弾を浴びるだろう。その後に待ち受けるのは隔離生活か死かの二択だ。


 しかし、不安こそあれ後悔はないぞ。


 俺はね、今、とても人生が充実しているんだ。世界が明るいんだ。

 君のおかげだよ。

 上の言うがままに見ず知らずの他人を断頭台の餌食にするだけの人生。

 権力者を診察し、適切な対応をして、その余命を伸ばす手助けをするだけの人生。

 高貴な方々や金余りの方々のための道具でしかない人生。


 今は、違う。

 今の俺は、君と共にいるひとときのために生きている。そう断言できる。

 十五くらい歳の離れた娘相手に、こんなに熱を上げるなんて、なかなかにみっともない話だが、なったものは仕方ない。


 彼女は、何も言わない。

 ただ静かに微笑み、そのサラサラの髪の毛を触らせてくれている。

 嗅ぎ慣れた死臭ではなく、少女ならではの清純な甘い香りを、ほのかに漂わせている。

 時には受け入れてくれる。


 化粧をしてあげるべきかとも思ったが、やめた。

 門外漢の俺がやってもただの落書きにしかならないだろう。唇に紅を引くことすらしくじりそうだ。


 それに、この素晴らしい死の美貌に、そのような小細工などいるだろうか。


 いらない。

 いるはずがない。


 いつまで経っても、腐ることも干からびることも朽ちることもなく、血の気が失せた死人の顔でありながらも美しいまま、俺のそばにいる。

 奇跡だ。

 そんな奇跡を、貧相なつまらん色合いで塗り潰すのは大いなる損失だ。


「ひょっとしたら……隣国の幼女ではなく、君こそがまことの聖女なのかもしれないな」


 もしそうだとしたら、そんな君をギロチンにかけた──だけでなく、その尊厳をおとしめるような、口にするのもはばかられるエゲツない真似までしてしまった──俺は、死後、地獄の深いところまで落ちることになりそうだ。


 もしその時が来たら、反論せず甘んじて受け入れよう。

 それが俺の贖罪(しょくざい)だ。





 しばらく、一方的に楽しいひとときを過ごした後、太陽が沈みかけてきたのをきっかけに男は衣服を整え、寝室から台所に向かう。

 適当に夕食を作り、二級品のワインで流し込むように腹に収めた。

 食にこだわりはない。

 不味くなければそれで十分だ。


 そこで少し休んでから、寝室ではなく作業部屋に行き、ある貴族の夫人に頼まれていた精力剤の調合にとりかかる。

 夫に飲ませるのか、それとも浮気相手にか。尻軽の噂がある夫人だ。どちらもありえる。


 まあどちらでもいいと、男は思った。


 それ自体は、男にとってはそう難しい仕事ではない。薬学はこの男の得意分野なのだ。

 いくつか別の作業も並行しつつ、二時間ほどで必要な量が出来上がった。


 ふうと息を吐き、一息つく。



コン、コン



 ──男は、心臓が止まりそうなほど驚いた。

 窓をノックされたからだ。

 しかも二回。


 なお、窓の外だが、足場になりえるものなど一切ない。


 気のせいか。

 風で小石でも窓にぶつかっただけだろ、どうせ。


 男がそう思っている(というか、そう思いたいのだろう)と、



コンコン、コンコン



 さっきよりも早めのノックが二回。 

 はっきりと。

 男の耳に届いた。

 気のせいや風のせいという安易で楽観的な答えは、男の中から綺麗さっぱり消え去った。


 明らかに何者かが窓の外にいる。

 人ではない何かが。


 あの雑貨屋から聞いた話が、男の頭をよぎる。


 貴族街をさまようという、女の幽霊がいるだって?

 もしや、徘徊する縄張りをこの辺りにまで広げたのか?

 我が家をたまたま狙いに定めたのか?

 よりによって?


「…………ふん」


 ──それがどうした。


 人を死なせることが生業の者が、知識のために平然と死体を解体する者が、死人から抜け出た霊魂になど怯えていられるか。


シャッ!


 俺は腹をくくって椅子から立ち上がり、窓のそばに近寄ると、カーテンを思いっきり開けた。



 ない。


 いない。


 幽霊など影も形もなかった。

 くだらない勘違いと恐怖に、一人で踊っていただけだったのか。

 念のため窓を開けて外を見たが、やはり何者もいない。


「ハッ」


 己の臆病さを鼻で笑い、窓を、そしてカーテンを閉めた。

 別の依頼にとりかかろうか、それともまた明日にしようかと、俺は迷いながら振り返り──


 ──間違いなく閉まっていたこの部屋の扉が開いているのを見て、絶句した。



 思考が止まっていた。

 男は、たっぷり二分は凍りついていた。

 ようやく氷漬けの心身が溶けていく。思考が再び動き出す。

 そうして男は、正気に戻るや否や、部屋を飛び出した。


 彼女は。

 彼女は無事なのか。

 いったいどうやって侵入者は中に入ったのか。窓を開けたときか。バカな。どうやって俺に見られず入り込むことができる。幽霊だからこその芸当だとでもいうのか。

 いやそんなことはどうでもいい。

 彼女だ。

 彼女の安否を真っ先に確認せねば。

 他は全て些細なことだ。

 招かれざる客が生きた人間だろうと死んだ人間だろうと知ったことか。

 急げ。彼女のもとへ。

 急いで向かうんだ。


 処刑人の男は、困惑する思考に振り回されながら、魔女の待つ寝室へと駆けていた。



 寝室の扉は、開いていた。



 まずい。

 寝室のベッドで待たせている彼女を、絶対に見られた。

 絶望。

 これは、完全に終わった。言い逃れなどもはや不可能だ。


 ──もう、やるしかない。

 寝室にいる誰かさんを始末するしかない。

 作業部屋から持ち出してきた、こんな頼りないナイフ一本で、息の根を止めるしかない。


 しかし……できるのか?


 さっきのは、生きた人間がやったお宅訪問とは、やはり、とても思えない。

 どこにでもあるこんな安い刃物ひとつで、幽霊を退治など可能なのか?


「えぇい、ままよ!」


 一か八かだ。

 幽霊だったらほっといても朝になれば消えるだろうし、そうでなければ、生きた人間なら、死に物狂いで仕留めてやる。

 やってやる。

 俺はやってやるんだ。

 人殺しなど手慣れたものじゃないか。ギロチンがナイフに変わっただけのことだ。


 男は、ありったけの覚悟を胸に、死地に飛び込んでいく。

 そして、驚きのあまり言葉を失った。


 ベッドの横にたたずんでいた人物は。





 頭部のない、薄汚れたドレスの女性だった。





 血と泥で汚れたドレスの上から羽織っているのは、見覚えのあるマント。

 俺がよく着用していた、野暮ったい黒のマントだった。


 それが意味することは一つしかない。


 来たのだ。

 取り返しに来たのだ。

 魔女の烙印を押され、数多くの民衆の前でさらし者にされながら処刑された、あの伯爵令嬢が甦ったのだ。

 誰にも渡すわけにはいかない、かけがえのないものを取り返すために。

 彼女は、彼女を取り返そうとあちこちを無為にさまよい、とうとうここまで来て、ついに彼女を見つけたのだ。


 その後は、どうなるか。

 決まっている。

 自分を殺し、あまつさえその首を持ち去り、愛で、眺め、楽しんだ盗っ人に罰を与えるに違いない。

 魔女ならではの術をふんだんに使い、恐ろしい責め苦を俺に味わわせるのだろう。

 それだけの事をやられても仕方ないくらいの罪を、俺は犯したのだから。


カランッ


 軽い音。

 右手に持っていたナイフを落とした音だ。

 わざとだ。

 恐怖のあまり指の力が抜けたとかではない。必要なくなったから離したのだ。それだけだ。

 彼女がどんな罰を俺に下そうと、それに抵抗する気もないし、罰を恐れて自害する気もない。だからナイフを捨てた。


 おかしな話だが、この行為にはプライドも関わっていた。

 処刑人たる自分が、己がその憂き目にあわされた時にみっともなくもがいたり、楽になろうとしたりするのは、とても情けなく思えたからだ。

 実におかしな話だ。

 こんな呪われた家業に、誰もが顔をそむける一族に、俺は誇りなど持っていたというのか。

 なんてこった。この土壇場でそれを思い知らされるとは。

 とんだ喜劇だ。


 処刑人の男は、困惑や恐怖や罪の意識に振り回されたあげく、とうとう、自身でも理解してなかった(まこと)の本心と向き合っていた。


 一方、首無しの令嬢はというと、男のそんな一連の心の動きなど(当たり前だが)知るよしもなく、気にせずベッドに手を伸ばす。

 そして、どこかもたついた動きで頭を掴んで、右脇に抱えた。


「ふぅ……」


 息を軽く吹き、


「やっと、見たり喋ったり、まともに動いたりできるようになりましたわ。うふふ」


 透き通るような美声。

 その言葉通り、令嬢の動きには、先ほどの鈍さは感じられなくなっていた。優雅さが宿っていた。

 いや、むしろこの場合は、取り戻したというべきだろう。


「俺を、裁くのか」


 ようやく男は、その言葉だけを喉から絞り出した。


「なんのこと?」


 それを聞くのか、この俺に。

 自分から言わせたいのか。


「裁くなど、あり得ませんわよ。むしろ好ましく思ってるくらいですわ」


「好ましい?」


「ええ。この世で唯一、私に情けをかけ、愛し、慈しんでくれたあなたをね。だから、私の首を落としたことなんて、気にしなくて結構ですわよ?」


「やめてくれ」


 男は懇願した。


「あら、どうして?」


「俺は、その、そんなことを言われるような人間ではない。誤解だ。違うんだ」


「どう違うの?」


「……………………俺はね、どうしようもない男なんだ。欲望を抑えることができなかった。最低の人間だ。だから、処刑の件だけを悔いてるわけじゃないんだ。駄目な男なんだよ」


「うふふっ」


 具体的なことをどうしても言えず、しどろもどろになっている悲痛な告白に、首無しの令嬢は笑っていた。


「なにが、面白いんだ」


「そんなに自己嫌悪や後悔するほど、嘆かなくともよいのではなくて? タガが外れてやり過ぎることなんて、誰でも経験あることでしょう?」


「……それは、君が俺のやらかした行いを、何も知らないからそう平然と──」


「あなたが私の口を使ってることなら知ってますわよ? それも、一度や二度じゃないこともね。そうそう、つい数時間前もしたでしょう?」


 処刑人の男は絶句した。

 脳天に杭を打ち込まれたかのような衝撃を受け、床に両膝をついた。


 知られていた。

 全部知られていた。


 ──いや。

 知っていて当然だったのだ。

 この令嬢は言っていたではないか。俺が愛し慈しんでくれたと。ならば俺が楽しんでいたことを、知らないわけがないのだ。

 欲望に負け、首だけの死体を汚していたことを。


 俺は、情けなさのあまり、床に膝をついたまま頭をかきむしるしかできなかった。


「感謝してますのよ、私」


 彼女は、自身の右腕に抱えられながら、優しく微笑んだ。


「は?」


 意味不明にも程がある言葉に、髪の毛をぐしゃぐしゃにしていた手が止まる。


 感謝?

 何を言ってるんだこの子は?

 こんな冴えない男にいいように玩具にされたというのに、感謝だと?

 言葉の真意がまるでつかめない。わけがわからない。


「そのおかげで手早く復活できましたもの。いくら儀式が成功したとはいえ、遺体を燃やされ、灰を川や海にでも撒かれていたら、いつこの世に舞い戻れたか……だから、あなたには感謝しかありませんわ。私の身体を焼かず、しかも新鮮な()()まで何度も与えてくれたのだから」


「活力…………まさか」


 その意味を察した俺に対し、彼女は脇に抱えていた頭を、俺に差し出すように両手で持ち上げる。

 そして、目が離せなくなっている俺に、舌なめずりを見せつけた。


「ごちそうさま」



 それから。

 不死者として甦った伯爵令嬢は、処刑人の男に経緯を語った。


 幼い頃から、死体というものに愛着があったこと。

 死体に欲情する性癖が目覚めたこと。

 自分に、並々ならぬ魔女の資質があるのがわかったこと。

 若い男の遺体を剥製にして、楽しんだこと。


 出鱈目ではなく、事実だったんだなと、男は思った。


 墓地あさりや死体の買い取りをしていた事を、伯爵家の政敵や神殿の異端狩りなどに嗅ぎ付けられて、じわじわと立場が危うくなってきたこと。

 伯爵家としても、もはや、とても庇いきれそうにないこと。

 自業自得とはいえ見捨てられること。

 ならば全てが明るみになる前に、不死者へと生まれ変わる儀式を、あらゆる文献から得た知識を使い、手持ちの品々をありったけ用いて、不眠不休で執り行ったこと。

 そして、儀式がうまく成功したこと。

 あとはただ、死ぬだけだったこと。


「だから余裕の笑みを見せていたのか」


 男はようやく納得した。ずっと頭に残っていた謎がいくつも氷解した。


「それから、甦ったはいいものの、どうにもぼんやりして、これはおかしいと思ったのですけど、何がどうおかしいのかも曖昧で……」


 頭がこの男に持ち去られたのだから、無理もない。

 しかし、そのおかげで令嬢の復活が早まったのだから、運命というのはまさしく複雑怪奇なものである。


「そのうち、こう、ある程度意識が引かれるというか、気になる方向へと向かったら……」


「この家にぶつかったと」


 令嬢が、首を縦に振った。

 厳密には、頭は腹部の前で両手で抱えているので、首だけを振ったのだが。



「詳しいことはあらかたわかった」


 嘘をついているとは思えないし、嘘をつく意味もないしな。

 全て真実なんだろう。


「……名残惜しいが、これでお別れか」


 しょせん、ひとときの関係。

 はかない夢だったということか。

 まあ、それもまた、仕方のないことなのだろう。生者と死者でさえ禁忌の関係なのに、生者と不死者ではな……。


「いいえ」


 思いがけない否定が、令嬢の口から出てきた。


「言ったでしょう? あなたのことを好ましく思ってると。私のことを大事に扱ってくれましたし……しかも、同類ですもの」


「同類?」


「死者に興奮する異常者同士ということですわ。もっとも、今の私は生者ではなく、死者の側、まさしく屍の魔女ですけどね。うふふふっ」


「待ってくれ。俺はそんな趣味は……」


 ない、と言おうとしたのだが。


 語尾が弱まり、消えていく。

 彼女に対してのいかがわしい行為を思い出し、最後まで言えなかった。否定できなかった。


「あなたには、これからも私を愛でていただきましょう」


 令嬢がまた右脇に首を抱える。

 自由になった左腕を、まるで、何かをこちらに呼ぶかのように振る。



 突如、信じられないものが現れた。



 寝室の壁がどんどん朽ちて腐り落ち、外の景色が見えるほど開いた穴から、二頭立ての馬車が乗り込んできたのだ。

 馬たちは、肉も皮も眼球もなく、骨だけであった。明らかに不死の魔物のたぐいである。

 よく見れば、馬車にも、あらゆる箇所に人や獣の骨が使われていた。


「……ああ、ついに来てくれたのね。呼び掛けが届いて良かったわ。やっぱり、不完全なぼんやりしたままだと、あなた達を使役することはできなかったのね」


 この馬たちや馬車は、宵闇の馬車という。

 夜空を自在に飛び、いかなる場所にも馳せ参じる。高位の不死者が操る使い魔の一種である。

 まだ人間だった頃の彼女では呼び出せなかったこれらの魔物も、完全な不死者となった今の彼女ならば造作もなかった。


「な、なんてこった」


 無茶苦茶にも程がある。

 彼女は、俺をこれに乗せてどこかに連れ去るつもりなのだ。

 俺を不死者である自分の情夫にする気なのだ。

 搾り取る気なのだ。


「……我が家業も、俺の代でおしまいか……」


 まさかこんな突拍子もない斜め上の理由で終わるとは。

 あの世に行ったら、父さん母さんはもとより、ご先祖様たちにも平謝りしなければならないだろうな……本当にすまない。


 だけど俺は彼女についていくよ。


 ここまで執着されるってのも、そう悪くない。

 常に苦虫を噛み潰してるような人相の処刑人が、だいぶ年の離れた綺麗な令嬢に求愛されるなんて、なんとも光栄だし、嬉しいじゃないか。

 まあ、ここで嫌だと言っても無理やり連れていかれるだろうがね。こんな恐怖の馬車から追いかけ回されて逃げ切れる者がいるはずがない。


「うふふ、ゆくゆくは、あなたも私のように……いえ、私よりも高位の不死者にして、永遠を差し上げますわ。私の復活を後押ししてくれたお礼にね。うふっ、ふふふっ、あはははははははっ」


 心底嬉しそうに笑う令嬢。

 輝くその蒼い瞳は、男を決して手放しはしないという意志と、獲物を捕らえた猛禽のような鋭さ、淫魔(サッキュバス)もかくやという好色な目つきを、同時に宿していたのだった。





 ──処刑人の住む屋敷の壁に、大穴が空いている。


 そんな一報が警備兵の詰め所に届いたのは、まだ早朝のことだった。

 あんな縁起でもないところに朝から行きたくないとゴネる兵達だったが、年配の上官にどやされ、やむなく現場へ。


 屋敷の中にも外にも、争った形跡や血痕はなし。

 地下室や屋根裏まで念入りに調べられたが、家主である処刑人の姿はなかった。

 金品などを持ち去った様子はあるが、特に荒らされてはいない。第一、強盗や泥棒があんな穴を空けて侵入するはずがない。

 しかも、寝室に空いたその穴は、破壊されたのではなく、劣化と腐敗によるものだとわかった。


 結局、この事件は、処刑人が持てるだけの財産を抱えて夜逃げしたということで終止符が打たれたのだった。



 なお、近隣にいる初老の浮浪者が、『深夜、あの屋敷から何かが空に飛んでいった』『馬車だった』『それを痩せ細った馬のようなものが引いていた』などと言っていたが、どうせ酒が切れて幻でも見たんだろうと、誰にも相手にされなかった。

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