【第二話】
「蒼結」
そう呼ばれて振り返れば、少し湿った海碧の髪。首にタオルをかけたまま、しっかり温まったのだろう紅潮した頬でこちらに近付いてくる。
まるで懐いた子犬のようだ、と思わず笑みが溢れた。出会った頃と比べて、海羽の表情は随分と柔らかくなったと思う。長い間一緒に居たからなのか、昔に比べて海羽は我儘を言えるようになった。
私は、そんな海羽の想いを出来るだけ叶えてやりたい。海羽に甘くて過保護だなんてこと、とうの昔に言われ慣れている。私だってそれなりに自覚しているつもりだ。
それでも、仕方がない。海羽が願うことは嫌じゃないから。むしろ、願ってくれること自体が嬉しかったりもする。そして、私には断る理由がない。ただ、それだけの話。
海羽へ二口ほど減った氷菓を差し出す。しゃくり、と控えめな咀嚼音。緩やかな生活に紛れて、我儘になっていく相棒が私にとっては心地よかった。
ある日を境に始まった、海羽の癖。端的に言えば、なぜか海羽は私と同じものをよく食べたがった。外食のメニューをすべて合わせる程ではないが、それでもしきりに貰いたがるし、与えたがる。
それこそ、最初は止めていたような気もする。しかし、頑固な相棒は一度決めたら微塵も譲ろうとはしなかった。そして、いつしか海羽のお揃い癖は私の中で定着してしまったのだ。もはや、そこに違和感を覚えることすらなくなってしまう程に。
そういえば、過去に一度だけ、その理由を尋ねてみたことがあったような気がする。海羽は少しだけ口にするのを躊躇う素振りを見せたが、少し照れたように笑いながら、なにかを思い出すように目を瞑り、優しく言葉を紡いだ。
____蒼結が、自分を大切に出来るように。
私はそれを聞いて、なにそれ、と苦笑を漏らした。そのときは大学の飲み会の帰りだったため、きっと二人とも酔っていたのだろう。私はその意味の分からない言葉を笑い飛ばし、海羽もまた、そんな私を見て朗らかに笑った。
酷く、柔らかな時間だった。海羽と住んでから、ずっと。
私が海羽の癖を受け入れていったように、海羽が私にあまり遠慮をしなくなったように、人間はあらゆることに慣れてしまう。それが自分にとって居心地の良いことなら、なおさら。
弛緩して、なにもかもを赦して、それで良いと思った。その存在の大きさばかりに満足して、どんどん戻れなくなっていく気持ちの深度には気付けないまま。