七、王女の婚約者は
「ぴぃちゃん、聞いて!私ね、エヴァリスト様のこと、エヴァ様ってお呼びすることになったの!それでね、私のことは、レッティと呼んでくださるのですって!」
エヴァリストと昼食を共にしたピエレットは、そのまま午後をエヴァリストと過ごし、夕食前に帰宅するなり孔雀のぬいぐるみを抱き締め、次に抱え上げて報告した。
突然のことに、ぬいぐるみの瞳が戸惑っているように見えなくもない。
「あ、もちろん分かっているのよ?恐らくは、ルシール王女殿下もエヴァ様のことエヴァ様って呼んでいらっしゃるって。それに、エヴァ様がそう言ってくださった場所は、ルシール王女殿下お気に入りのガゼボなのですもの。エヴァ様ってば、どれだけルシール王女殿下がお好きなのよと思うわよね。でも、でもね、ぴぃちゃん。私もエヴァ様って呼べるの。そう思うだけ、エヴァ様って口にするだけで、ほわほわほわーん、と幸せな気持ちになってしまうのよ。これが、恋する気持ちというものなのね、きっと」
きゃあ、と再び孔雀のぬいぐるみを抱き締め、ピエレットはベッドに転がる。
「エヴァ様、エヴァ様、エヴァ様・・・はあ。好き。素敵。私がソースやバターを塗り、具を挟んだサンドイッチを『旨い』と嬉しそうに笑顔で食されて・・・はあ、幸せ。蕩ける」
ころん、ころんとベッドの上を転がり、孔雀のぬいぐるみを抱き締めて今日という日を回想していると、階下が急に騒がしくなった。
「あ、お父様とお母様ね」
バルゲリー伯爵家は、領地を持つ貴族であると同時に、数代前より、領地の品を中心に商いも手掛けている。
そしてピエレットは、若い頃よりやり手だった父ジュストが、隣国で販路を拡大している時に、隣国の侯爵令嬢だった母ブリュエットと知り合い、恋に落ちたのだと聞いた。
その関係もあって、今もふたりは隣国へ赴く時は必ず一緒で、幼い頃は、そこに兄イアサントや自分も同行した、と懐かしく思いながらピエレットは階下へと向かった。
「父上、母上。お疲れ様でした」
「おかえりなさいませ、お父様、お母様」
帰宅した両親を、兄イアサントと共にピエレットがエントランスで出迎えれば、父も母も満面の笑みで交互にピエレットを抱き寄せる。
「ただいま、ピエレット」
「お土産があるわよ」
そうしてそのままイアサントも同じように抱き締めたふたりは、まずは旅装を解くと言って、その場を後にした。
「まあ、そうなのですね。おじい様、まだまだお若い」
家族四人で摂る夕食の席は、両親の報告のような、土産話で盛り上がる。
「そうなの。お父様ってば、まだまだ現役、とか言ってお兄様を苦笑させていたわ」
既に侯爵家当主の座を長男に譲っているピエレットの祖父は、家業もすべて譲ったものの、個人資産を利用して、新たな商売を確立しつつあるらしい。
元気なおじい様だとピエレットが微笑ましく聞いていると、両親が何か目配せをし合い、母ブリュエットがピエレットへと視線を向けた。
「それでね、ピエレット。突然なのだけれど。デュルフェ公爵令息から、ルシール王女殿下について何か聞いていない?」
「え?エヴァ様・・・エヴァリスト様からですか?それは、色々お伺いしていますけれど」
ええ、お母様。
それはもう、色々聞いておりましてよ。
お蔭様で私、ルシール王女殿下の宝飾やドレスのお好み、お気に入りのお店はもちろん、お菓子やお化粧品に至るまで、知っているだけでなく、実際に幾つもエヴァ様から贈っていただきましたもの!
しかも、そのなかの幾つかは既に私の愛用品でもあります。
あ、お好きな場所も順位づけてリストに出来ますわ。
お任せくださいませ。
「まあ、ピエレット。デュルフェ公爵令息を、そのようにお呼びするようになったのね」
「そうなのです、お母様。それで、わたくしのことはレッティと呼んでくださるのですわ」
ふわんと蕩けるような笑みを浮かべ、心底嬉しそうに報告するピエレットを、母ブリュエットは微笑ましく、父ジュストと兄イアサントは不服そうに見た。
「それで?母上。ルシール王女殿下が、どうかなされたのですか?」
何か隣国で気になることでもあったのか、と問うイアサントに、ジュストもブリュエットも揃って頷きを返す。
「ええ、そうなの。まずはわたくしの実家の侯爵家で。ルシール王女殿下のご婚約者でいらっしゃる隣国の第三王子殿下は、もとより女遊びが激しいと噂があったのだけれど、ここのところ、その放蕩ぶりが激し過ぎると、お兄様もお義姉様も眉を顰めていらしたわ。しかも、わたくしがこちらへ嫁いでいる関係で、こちらの王家への情報流出を懸念していらっしゃるのでしょう。お兄様達侯爵家には情報が入らないように、何かあちらの王家が操作までしているとかで。よくないことを隠しているに違いない、とお兄様が懸念なさっていたわ。そうしたら」
そこで言葉を切って、ブリュエットはジュストを見た。
「商人として出向いたとある子爵家で『娘が第三王子の子を産んだ祝いの品が欲しい』と言われた」
「え」
苦虫を噛み潰したような表情で言う父ジュストを、ピエレットは呆然と見つめてしまう。
「隣国の第三王子殿下といえば、わが国のルシール王女殿下のご婚約者だからね。驚きはしたが、もちろん顔に出すことなく、商人として求められる品をお買い上げいただいたのだが」
『今は秘密裡に動かねばならないが、娘はやがて第三王子殿下の正式な妃となる』
『邪魔ではあるが、隣国の王女との婚約を破棄することは出来ないから、その挙式を終えるまでの辛抱』
『第三王子殿下が真実愛するのは、我が娘』
『隣国の邪魔な王女は、お飾りの妃となるだけ。幽閉でもしてしまえばいいと第三王子殿下も仰っている』
と、ジュストがその王女の国の伯爵だと知らない子爵とその夫人は、自国で話をできない鬱憤を晴らすかの如く、ここぞとばかりに言いまくっていたのだという。
「え。ですが、お父様。いくら商人相手とはいえ、そのようなことを軽々しく口にしてしまい、噂となっては困るのでは?」
そのような機密を軽々しく口にして大丈夫なのか、やがて自国の貴族、更には隣国貴族の耳にも入るとは思わないのか、と首を傾げるピエレットに、ジュストが苦笑した。
「貴族との繋がりなど持たない、小さな商会だと思われているよ。『後ろ盾として、懇意にしてやってもいい。その代わり』と、法外な値引きを要求されたからね」
「まあ。それで?お父様は、どうなさいましたの?」
あまりにひどい言いように、ピエレットは眉を寄せてしまう。
「もちろん、どちらも丁重にお断りしたさ」
当然、と言い切る父にほっと息を吐いたピエレットは、とある可能性に気付いて背筋を正した。
「お父様。もしかして、影のようなお仕事もされているのですか?」
隣国の子爵とその夫人とはいえ、父の身分を知らないなど隠しているからなのでは、と推測したピエレットが言えば、イアサントが重々しく首を横に振った。
「あ、それも秘密・・・ごめんなさい。家族とはいえ、影のようなお仕事なら」
「違うよ、ピエレット」
守秘義務は当然、と言いかけたピエレットにイアサントが悪戯っぽい目を向ける。
「父上は影のお仕事などされていない。ただ、貴族としては周りの認識が薄いだけだ」
「え?」
「はは。イアサントは手厳しいな」
「そうよ、イアサント。ジュストは商人としての知名度の方が高いだけよ。商人としての評価、隣国でも物凄く高いのですからね。本当に凄いのよ、ジュスト」
イアサントの言葉にジュストは苦笑し、ブリュエットはそう言って嬉しそうにジュストを見た。
・・・・・ええと、お母様?
それって、貴族としてよりも、商人として認識されているということですよね?
お母様はとても誇らしげでいらっしゃるけれど、それって、どうなのかしら。
もちろん、お父様の商人としての能力が高いというのは分かるし、素晴らしいとも思うけれど。
普通は、バルゲリー伯爵は商い上手、とかって評判が広まるものではないの?
隠してもいないのに、言わなければ貴族と認識されないお父様って。
まあ、商いの際に、わざわざ名乗らないからなのでしょうけれど。
バルゲリー伯爵家が商いを始めた頃は、貴族が商人の真似事をするなど、と言われた時代だったらしく、当時の伯爵は、自分を伯爵と名乗ることなく、いち商人として動くことを信条としたらしい。
それはいつしかバルゲリー伯爵家の伝統となり、今に繋がるわけなのだが、自ら名乗らずとも周りは知っている、というのが常だとも祖先から同時に伝わっているだけに、ピエレットはなかなかに複雑な思いがする。
「まあ、伯爵だからと忖度されるよりいいと思っているよ」
苦笑するジュストに、ピエレットは考えつつ頷きを返した。
「そう・・ですね。お品物の正当な評価をいただく方が大切ですし。それに、だからこそ、今回のように有力な情報を得られたのですもの。わたくし、エヴァ様にお話ししてみますね」
エヴァリストが大切にするルシール王女殿下の一大事かもしれない事態に、ピエレットは、むんと気合を入れた。
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