三十一、優しい音色 ~音匣~
「エヴァ様。とっても素敵な場所ですね」
「そうだな。見事な薔薇園だとは思う。今は花の時季ではないが、次の季節には、また見事に咲き誇るだろう」
「それは、きれいでしょうね」
デュルフェ公爵邸の見事な薔薇園をエヴァリストに案内され、ピエレットはうっとりと満開の薔薇の景色を想像した。
今は、葉の緑しかないこの場所に、様々な薔薇が咲き誇る様子はどれほど素晴らしいだろうと、ピエレットは夢見心地でアーチを潜り、邸のひとつも立ちそうな広さの庭園を眺める。
「美しい芝の周りに広がる、美しい薔薇。満開ともなれば、きっと夢のようでしょうね」
「確かに美しくはあるが、絶対にここで、という決まりがあるわけでもない。レッティが他に気に入った場所があれば、そこでもいいんだぞ?」
確かにきれいな場所ではあるが、花の時季でもない今ふたりがここを訪れたのは、婚姻式の際にある宴の下見のため。
正式な披露目の宴は、公爵家ということもあって、邸の大広間を使って大々的に行われるが、それとは別に親しい者だけを招いてガーデンパーティをするのが、デュルフェ公爵家の倣いだと、ピエレットは義母となるデュルフェ公爵夫人から教えてもらった。
『公爵家の婚姻式や披露目の宴は、まるで外交をしているかのようだけれど、そのパーティは、本当にお祝いしてくれる人たちだけを招待していいのよ』
公爵夫人として、社交界に名を馳せるデュルフェ公爵夫人のその言葉、そして着々と整っていく仕度を見るたび、その規模の大きさに怖気づきそうになるピエレットだったが、今日、この薔薇園を見て、ピエレットは初めてその楽しいパーティについて具体的に考えることが出来たように思う。
「いいえ、エヴァ様。わたくし、こちらで行いたいですわ」
「そうか。レッティがいいなら、そうしよう。あちらにガゼボもあるから、行こう。昼食も、用意させている」
「ありがとうございます」
極自然にエヴァリストにエスコートされ、ピエレットは薔薇園を歩く。
「なんだか、平和ですね」
思えば短い期間に色々なことがあった、とピエレットは隣を歩くエヴァリストを見上げた。
「そうだな。漸く筋力も戻って、安心した。これで、いつでもレッティを抱き上げられる」
「まあ。そこが基準なのですか?」
「ああ。俺は、何よりレッティの騎士でありたいからな」
冗談めいた声で言うエヴァリストに、ピエレットも嬉しそうな笑みを浮かべる。
「はい。もう、何処にも行かないでくださいませ・・いえ、お傍には、いてくださったのですけれど」
「分かっている。もう孔雀のぬいぐるみに仮住まいなどしないから、安心しろ」
二度としたくはないが、あれは稀有な体験だった、とエヴァリストは、遠い目をして言った。
ピエレットが聞いたところによれば、ルシール王女との婚約破棄を阻止するため、少しでも視線を逸らせるために、エヴァリストへの恋心を隣国に利用されたアダン子爵令嬢は、エヴァリストの魂を孔雀に移したのだと訴え続けたという。
しかしながら、実際にペンダントが使われたのはバルゲリー伯爵邸であり、孔雀が居る場所からは遠く離れていたこともあって、エヴァリストが意識を失っていたのは孔雀とは無関係、と判断された。
公にはそう収まった事件であるが、ピエレット達は、エヴァリストが実際に孔雀のぬいぐるみに仮住まいしていた、その真実を知っている。
「アダン子爵令嬢は、エヴァ様を孔雀に押し込めて、ご自分と婚姻するとお約束させるおつもりだったようですね。本気で」
「ああ。だからこその、あの孔雀への対応だったのだろうな」
その様子を直に見ているふたりは、ぞっとしたように顔を見合わせる。
「エヴァ様が、虫を召し上がる羽目にならなくてよかったです」
「俺は、何があっても、どんな状況でもレッティを裏切るような真似はしない」
同時に口を開き、まったく違うことを言ったピエレットとエヴァリストは、思わずその場に立ち止まった。
「レッティ。俺の心配を」
「エヴァ様。嬉しいです」
そしてふたりは、他者の入る隙などないと、じっと見つめ合う。
「きっと、エヴァ様のそのお心が、わたくしの所まで来てくださったのですね」
「レッティが俺を大事に想ってくれるから、孔雀ではなく、あの孔雀のぬいぐるみに移動したのだろうな」
もう離れない、ともう一度誓って、ふたりはガゼボへとゆっくり歩を進める。
「そうだ、レッティ。今日は、デザートもたくさん用意したから、存分に食べてくれ。何やかや、ずっと食べていないだろう」
「え?」
「東の国に倣って、好きなものを絶つ。俺のために、嬉しかった」
「あ・・聞いていらして」
エヴァリストが無事意識を取り戻すよう、好きなものを絶って願った、その事実を知られていたのかとピエレットが真っ赤になった。
「ほら、あそこだ」
その時前方に広く瀟洒なガゼボが見え、エヴァリストはピエレットを誘う。
「レッティ。食事の前にこれを」
「エヴァ様?」
「俺からの贈り物だ」
「ありがとうございます」
きれいなりぼんをかけられたそれを受け取り、ピエレットはくすぐったそうに微笑んだ。
「なんだか、開けるのがもったいないです」
「なら、俺が開けてやろうか?」
そう言うと、エヴァリストが少々乱暴にピエレットから箱を取り上げようとするのを、ピエレットが体を反らせて躱す。
「だ、駄目です。ゆっくり堪能しながら開けるのです」
「そうか。じっくり楽しんでくれ」
楽しそうに笑いながら言うその様子に、ピエレットは、先のエヴァリストの乱暴とも思える行動は、わざとだったのだと思い当たった。
「エヴァ様って、結構不器用ですよね」
「放っておけ」
自覚はしている、とエヴァリストは拗ねた様子で頬杖を突く。
「・・・これは」
宣言通り、ゆっくりとりぼんを解き、そのりぼんをきちんと畳み、と存分に贈り物を開ける時間を楽しんだピエレットは、箱の中を見て驚愕の声をあげた。
「気に入らないか?」
「とんでもありません、エヴァ様!そんなことを言ったら、罰が当たります」
不安そうに言ったエヴァリストに言い切ったピエレットは、慎重な手つきでそれを取り出す。
「音色も、確認してくれ」
「え?音楽も聴けるお人形なのですか?」
エヴァリストがピエレットに贈ったのは、陶器で出来た人形と見え、ピエレットは首を傾げるも、エヴァリストは悪戯っぽく笑った。
「音匣だからな」
「え!?これ、音匣なのですか!?」
どうみても、ひとりの男の子とひとりの女の子が、手を取り合い、微笑み合っている人形にしかみえない、と驚くピエレットの前で、エヴァリストはそのからくりを起動させた。
「わあ・・・可愛い・・素敵」
流れ出した音楽に合わせ、手を繋ぎ合った男の子と女の子がくるくると回る。
それは、まるで楽しく踊っているようにも見え、ピエレットはその曲と動きに見入ってしまう。
「レッティ」
「エヴァ様」
優しい風が吹く、緑薫るガゼボで。
人形の男の子と女の子に自分たちを重ねるよう、エヴァリストとピエレットは互いに手を握り合い、そっとその唇を寄せた。
完
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オルゴールは、漢字にすると自鳴琴が一般的なのかもしれませんが、私にとっては音匣がしっくりきますので、こちらを使っています。