【コミカライズ】婚約破棄の慰謝料を払ってもらいましょうか。その身体で!
婚約者である王太子殿下の誕生日に合わせて開かれた夜会にて、エスコートされずに放置されている女がひとり。公爵令嬢にもかかわらず、黒豚令嬢としてみんなに蔑まれている哀れな女、それが私だ。私は見目麗しい婚約者を前に、一世一代の啖呵を切っていた。
「王太子殿下、失礼いたします」
「さわらないでください。どうなっても知りませんよ」
「なあに、豚の癖に生意気だとでも? もう怒ったわよ」
「何を言っているのか理解できませんね」
「ダンスを一曲踊ってくれたら、穏便に婚約を解消して、他のご令嬢との婚約に協力してあげようと思ったのに。必要なら、爵位の低いご令嬢を私の妹として迎え入れることも視野に入れていたのよ」
「いらぬお節介です」
「ええ、ええ。そうでしょうとも。だからね、私、正々堂々と慰謝料をもらうことにしたの」
「へえ、そうですか。どうぞ、わたしは別にかまいませんよ」
目をすっと細めて、婚約者が薄く微笑んだ。こ、こ、こええええええ。え、お前ごときが、不敬、豚は人間の言葉をしゃべるなってこと? ふふふん、でもここまで来たら、もういくしかないもんね!
自分でも理路整然としているようで、実際は支離滅裂なことを言っているような気はしたけれど、女は度胸だ。その場の勢いで婚約者に抱きついた。
***
ある日、目が覚めると同時に私は前世の記憶を取り戻していた。
「ぐあああ、頭が痛い! 寝起きからクライマックスってどういうことよ。ええと、昨日は夜遅くまで残業で目を酷使したっけ? いや、低気圧による片頭痛かも? まさかの二日酔いか? あああああ、もう無理いいいいい。ぎぼぢわるいいいいい」
「……あの、お嬢さま。お加減は大丈夫でしょうか?」
「は?」
「やはり、あのアホ王子とのやりとりがお嬢さまに負担をかけているのではありませんか?」
目の前には、なんともクラシカルな侍女さんがいる。うーん、一体誰だ?……と考えたのもつかの間、私はスムーズに彼女のことを思い出すことができた。彼女は私付きの侍女のクリスだ。前世の記憶がよみがえっても、あくまで私は私のままだったらしい。よかった。
「ああ、うーん、大丈夫、大丈夫。ちょっと疲れがたまっていただけ」
「こんなに可愛らしいお嬢さまに負担をかけて、本当に許せません!」
「でもまあ、罵ってくるとかじゃないからね。視界に入れないようにして、ただひたすら私の存在を無視しているだけだし」
「その行為がそもそも許しがたいんですよ」
「まあ、王太子殿下も事情がおありかもしれないじゃん」
「どんな事情があろうとも、女性を泣かせる男は万死に値します!」
「でも顔がいいしさあ」
「顔の良さだけで物事を判断してはいけないと、いつも口を酸っぱくして言っているでしょう!」
クリスが、私の分まで怒ってくれている。そのせいだろうか、婚約者にまったく大事にされていない私だが、意外と楽しく暮らすことができていた。
ただ、ちょっと気になるのは今の立ち位置のこと。頼む、モブであれとは思ったものの、王太子殿下の婚約者である公爵家令嬢というのはどう考えてもモブとは思えない。それに個人的な考えで言わせてもらうなら、私はたぶん終盤でざまぁされる悪役令嬢なのだと思う。理由? 私に二つ名があるからだよ。黒豚令嬢っていう、とんでもなく失礼なあだ名だけどね!
***
どうやら私の婚約者は、私のことが嫌いらしい。
何せ、幼い頃に婚約してから彼は私の元へは一切通ってこないのだ。遠い昔、婚約する前の記憶によれば結構仲良くしていたみたいなのだが。それにもかかわらず、彼は婚約後私に対して非情に冷たくなった。婚約前と婚約後で変わったことと言えば、ただひとつ。私がぷんぷくりんに太ってしまったことだろう。つまり彼は、おデブになった私は許せなかったということだ。まあしゃあない。デブ専でも、それはそれで困ったし。
「はあ。せめて黒豚ではなく、白豚ならねえ。地黒とはいえ、切ないわ」
「ですが、お嬢さま。公爵家の特産である黒豚は、非常に美味なことで有名です。恥じることはありません!」
「いや、特産品を褒め称えているっていう体で、面と向かって悪口を言っているだけだからね」
「いえいえ。豚は賢く、手先が器用、あの見た目は誤解されがちですが、実際には太っているというわけではなく、大変足が速いのです。まさにお嬢さまにお似合いの生き物ですよ」
「やだあ。全然嬉しくないいいいい。私も白薔薇の君とか呼ばれたかったああああ」
「まあ、見た目があれだけ美しくても、ツンツンとげとげしていて口を開けば悪口ばかりなのですから、あんな男クソですよ。白薔薇どころか、薄馬鹿です」
「もう、クリス。不敬よ。誰かに聞かれたらどうするの」
「何かあったら薄馬鹿はわたしが始末して、必ずお嬢さまを自由にしてあげますので」
「クリス。お願いだから、絶対に暴走しないでね。それに、あれでも私の大切な婚約者さまなのだし」
「お嬢さま、趣味が悪すぎます」
「だって、私相手に見せるあの冷たい表情も冷淡な口ぶりも、それはそれで私限定だと思えば、わりと幸せというか!」
「お嬢さま……」
推しの私専用限定ボイスだと思えば、わりかし美味しいよね?
***
とはいえ、むざむざと断罪ざまぁを迎えるつもりはない。とりあえず、断罪回避を試みるべく、いろいろやってみることにした。
「あああああああ、お嬢さま、一体何を!」
「えーと、断捨離?」
「そんな、これは最高級の絹を使って作られた流行最先端のドレスなんですよ! それを捨てるだなんて!」
ああ、これが今一番流行りのドレスってこと? でもねえ。今のトレンドとか言われてもゆめかわ乙女系のドレスは似合わないんだってば。骨格がしっかりしているせいか、無駄に太って見えるし。そこ、実際に太っているとか言って笑わない!
「まさか、これらすべてを処分なさるおつもりで?」
「そんな勿体ないことするわけないでしょう。商会に引き取ってもらって、現金化するわ。それで、婚約者さまの名義で神殿や個人に寄付をするつもり」
「その件については、お嬢さまがご心配なさる必要は」
「でもほら、私って、他のご令嬢と違って茶会とか夜会でのサポートができないじゃない? だったら、お金で応援するしかないと思うのよね」
「応援したところで、お嬢さまの好みにかすりもしないドレスを贈ってくる男ですよ? 完全に嫌がらせの域に達していますよ?」
「まあいいじゃない。私のために、考えて贈ってくれただけで十分よ」
私の答えに、クリスは不満そうに頬を膨らませた。
ドレスをシンプルで動きやすいものに変更したのなら、次は運動だ。やっぱり食生活だけで体形を変えるのは難しい。某栄養士さんによる辛口評価に翻弄されつつ、運動の項目をきっちり入力しないと良い点数が出ないらしいと携帯アプリを前に絶望していた前世の記憶がそっと脳裏をよぎる。
「私、運動って意外と得意だったのね」
「昔のお嬢さまは、馬に乗って遠駆けにでかけたり、お城で木登り競争をしたりと、とってもやんちゃなお嬢さまでしたからね。しばらく馬に乗っていなくても、身体がしっかり覚えているのでしょう」
「どうして運動を止めたか覚えている?」
「おそらくは王太子妃教育の一環で、淑女らしくないと言われたことが原因かと」
「確かに、有事の際に役に立つ可能性はあるとはいえ、乗馬や木登りの腕を磨くなら、もっと痩せろと言いたくなっても仕方がないわよねえ」
「お嬢さま、今からでも遅くはありません。王太子妃教育に携わり、お嬢さまになめた口を利いた輩を抹殺してしまいましょう。思い出すだけで、不愉快になります」
「クリス、落ち着いて。別に私は気にしていないから。それに彼女たちは、今は王宮では姿を見かけないでしょう?」
「追放では生ぬるいのです」
「クリス……」
前世の記憶を引っ張り出し、ホットヨガやエアリアルヨガを楽しんでみた。ころころの黒豚ボディでも意外と動けてびっくりする。この身体、ポテンシャルが高い。やはりただのモブではなく、悪役令嬢コースなのでは?
「ふう、運動は楽しいけれど、髪が邪魔なのよね。毎回、髪を洗ってくれるあなたにも手間をかけてしまって申し訳ないわ」
「そんなことはありません。お嬢さまの髪の毛を美しく整えることは、わたしの人生における最大の喜びです」
「大袈裟だよ。うーん、でも実際夏場は毎年うんざりするくらい暑いしなあ。ああいっそ、髪を切ってしまうのもありかなあ? どうせすぐ伸びるし」
「あああああああああああああ!」
「ちょっとクリス、どうしたの?」
「お、お、お、お嬢さま、この国では髪が短い女性というのは罪人か、修道女になった女性だけです。結婚式だってそう遠い話ではないというのに、一体どうするおつもりですか!」
「髪が短いと、結婚式を挙げられないの?」
「当然です!」
ああ、これはあれか。ギロチンで首をはねられるときに、切断をミスって苦しまないようにするために髪を短く切ってしっかり首を見せるっていう風習を思い起こさせるとか、そういう理由かな。別に髪が長くても短くても、人間の本質は変わらないんだけどな。
「そうなんだ。じゃあもういっそさ、私は修道院で暮らすことにして、婚約者さまが意中のお相手とそのまま結婚式を挙げちゃえばいいんじゃない? そうすれば式の準備も無駄にならないし。ドレスも私の体形のものからなら、いくらでも布地を絞って小さくできるし、デザインの変更も簡単でしょ」
「そんな、まさか、結婚式を挙げたくなかった? やはり薄馬鹿は顔も見たくないほど嫌われていたと?」
「王太子殿下抹殺を企んでいたクリスがショックを受けるのはおかしくない? っていうかね、別に私は結婚式を挙げたくないわけじゃないのよ。ただ、黒豚令嬢との結婚は嫌と言われたら仕方ないじゃない……って、クリス? おーい、クリス!」
とうとう、クリスは失神してしまった。気絶したくなるほどひどい話だったの? まあ、主人が罪人ってのは嫌か。確かに。マジでごめんってば。大丈夫、私がいなくなっても失職しないように、どうにかしておくから!
***
毎年初夏に行われる夜会。王太子殿下の誕生日を祝う夜会には、未婚の令息と令嬢が招待される。けれど今年もやっぱり婚約者さまは、私を迎えには来なかった。まあ、わかってたけどね! 彼は一度たりとも私を迎えに来たことないし!
「お嬢さま、あのクソ野郎に会いましたら、髪の毛を引きちぎってやればよいですよ!」
「もう、クリスは物騒なんだから。ダメよ、将来の国王さまが若ハゲなのはかわいそうだわ」
「お嬢さまを傷つけているのですから、髪の毛の千本や一万本くらい差し出して当然です」
「クリス、髪の毛って大体十万本くらいなんですって。一万本もむしってはやっぱりダメよ。ほら、それよりも今回のドレスはどう? 似合うでしょう? ……運動しても全然痩せはしなかったけれど、ちょっとは引き締まったんじゃない?」
ちょっとだけしょんぼりしつつ、私はドレスの裾を持ってくるりと回ってみせた。今までよりも見た目のむちむち感は解消されたような気がする。いや、気のせいかも?
せめてもう少し顔周りや二の腕がほっそりしていたら、もっとマシに見えたのになあ。あれほど努力したのに、まったく痩せないとかおかしくない? 水を飲んでも太るとか、そういう体質か? そういう特異体質は氷河期の時代で終わらせてくれ。
「ねえ、クリス。やっぱり私の付き添いで一緒に来てくれたりとかしてくれない?」
「一緒に隣にいたいのはやまやまなのですが、申し訳ありません」
「ううううう」
「やはり、あの顔だけ塩対応男の相手をするのはさすがに辛いですか?」
「ううん、辛いというか、なんだか申し訳なくなってきちゃって。今日は王太子殿下の誕生を祝う夜会でしょう? それなら政治的な力関係だけで選ばれた好きでもない婚約者と過ごすよりも、いっそ解放して好きなひとと幸せになってほしいなあって思ったり」
「お嬢さま、中途半端に情けをかけてはいけません。もうあの男に付き合いきれないと思ったなら、容赦なくとどめを刺してやるべきです。手元で飼うのは限界だが、殺すのは忍びないと野に放せば、後々お嬢さまを苦しめる原因となります」
クリス、王太子殿下のことを特定外来生物とか、侵略的外来生物みたいに言うのはやめなさい。
***
「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下。お誕生日おめでとうございます」
「殿下、よろしければ一曲」
「あの」
無視! 無視!! 無視!!!
再三のこちらの呼びかけもすべてスルー。その癖、他の令嬢にはにこやかに対応するんだから、マジで王太子殿下って、性格が終わっている。それでも、顔と声は死ぬほど好みなんだよなあ。まあ、暴力を振るってくることはないから、一番近くで観賞させてもらうだけでよしとするか。
案の定壁の花となった私は、一般のご令嬢なら手をつけずに見て楽しむだけの料理やデザートを心行くまで楽しむことにした。やっぱり、王宮料理人の料理は最高よね。その上、この葡萄ジュースもなかなか美味しいじゃない。最近は、ダイエットのために節制してばかりだったからね。今日は解禁日じゃー。
「飲みすぎですよ」
「ちょっと、一体どういうつもりよ」
ひとり飲食を楽しんでいたら、なぜか婚約者さまにストップをかけられた。何だこの野郎、さっきまですんごい可愛いご令嬢とデレデレ話をしてたじゃないか。なんで私が気持ちよくご飯を食べてたら怒られなきゃならんのだ。
「まったく、言うことが聞けないというのであればこのままご自宅に戻します」
「はあ、エスコートもせず、何をおっしゃるのかしら」
あら、不思議ね。今日はどうしてこんなにストレートに婚約者さまに不満をぶつけられるのかしら? 普段なら「でも、豚って呼ばれる私が悪いのに」って思えるのに。そう考えると、私に注意してくる婚約者さまの態度が妙に理不尽に思えてきた。むにっと、いきなり婚約者さまの頬を引っ張ってみる。ほほう、ほっぺたを伸ばしてもイケメンだとな。
「さわらないでください。どうなっても知りませんよ」
「なあに、豚の癖に生意気だとでも? もう怒ったわよ」
「何を言っているのか理解できませんね」
「ダンスを一曲踊ってくれたら、穏便に婚約を解消して、他のご令嬢との婚約に協力してあげようと思ったのに。必要なら、爵位の低いご令嬢を私の妹として迎え入れることも視野に入れていたのよ」
「いらぬお節介です」
「ええ、ええ。そうでしょうとも。だからね、私、正々堂々と慰謝料をもらうことにしたの」
「へえ、そうですか。どうぞ、わたしは別にかまいませんよ」
目をすっと細めて、婚約者が薄く微笑んだ。こ、こ、こええええええ。え、お前ごときが、不敬、豚は人間の言葉をしゃべるなってこと? ふふふん、でもここまで来たら、もういくしかないもんね!
自分でも理路整然としているようで、実際は支離滅裂なことを言っているような気はしたけれど、女は度胸だ。その場の勢いで婚約者に抱きついた。
婚約者に強く両腕を回せば、体重差ゆえに彼がよろめく。あああああ、なんだかなあ。体格差は確かに萌えだけど、ただの体重差は精神的に来るんですけれど? ああん? なんだこの世界? いっそ種族差ってことで、婚約者はエルフ、私はオークってことにするか?
「婚約破棄の慰謝料を払ってもらいましょうか。その身体で!」
恥も外聞も投げ捨てて、私は婚約者の唇を奪っていた。
***
慰謝料代わりの殿下の唇は、とろけるようにふわふわと柔らかい。私以外には甘い笑顔を振りまいているのだから、唇はもう別の誰かに捧げていることだろう。いや、唇どころか身体の関係だってきっとあってしかるべきなんだろうな。ちくしょうめ。
「な、な、なにを」
「何って、ちゅーしただけですけどお? 好きにすればって言ったじゃない」
貞操? んなもん知るか。とはいえ正直私の行動と発言は、一国の王子さまに対してさすがに不敬だ。だが今の私は無敵なのだ。自ら初恋の相手の幸せを願い、彼との未来を手放した傷心の乙女。ずかずかと私の心に入り込んできたら、張り手でぶっ飛ばしてやるんだから!
不愉快な発言と行動の責任をとってこのまま打ち首かと思っていたその時。
私の身体の中で、みしみしと音がした。え、何、気が付かない間にもう既に刺されちゃってた? 黒豚が王子を襲ってたら、やっぱりみんなドン引きだもんね? 慌てて確認してみたけれど、特に剣に貫かれたりはしていない。まあ、護衛もちょっと離れたところにいるしね。さすがにこの距離で剣を投げてきたりはしないか。いや、それよりも大事なことに気が付いてしまった。私の身体、何か光ってるんですけれども?
「え、やだ、何。殿下に不敬な行動をとると光るシステムなの? やだやだ、ひとりエレクトリカルパレードみたいになりたくないよー」
「まったく。あなたはいつ見ても本当ににぎやかしいですね」
「ひいいい、殿下が笑ってるううううう。怖いいいい。先ほどまでのことは謝りますから、どうぞお助けを! お情けをくださいませ!」
「何を言っているのやら。ああ、お情けを賜りたいとのことであれば、喜んで。では僭越ながら」
「む、む、むぐぐううううう、ぎょええええ」
「ほら、もっと可愛い声を聞かせてください」
べ、べろちゅーだ! めっちゃ舌入ってきた! 息が、息ができない! こいつめっちゃテクニシャンだ。知らんけど! その上、至近距離でいつもは周囲のご令嬢たちに向けられるきらきらビームがこっちに向かってきている。えーん、なにこれ、もうやだああああああ。
自分から仕掛けたくせに、動揺しすぎたせいか、急に周囲がぐるんぐるんと回り始めてしまい、私はあっさりと意識を手放したのだった。
***
私が自室のベッドで目を覚ました時、目の前にはやっぱりにこにこ笑顔の婚約者がいた。近い! ってか、一緒にベッドに入って寝ているのはどうかと思うのですが? つい昨日まで、近づくな、触るな、視界に入るなとか言っておいて、なに、なんなの?
先日までの塩対応からの距離なし行動に正直、ドン引きです。あ、大嫌いな黒豚に無理矢理唇を奪われて、脳みそが焼き切れちゃったか。そうか、かわいそうに。ごめんね。
「酔いは覚めましたか?」
「むしろ酔っているのは、王太子殿下の方では?」
「わたしは素面ですよ。あんなにパカパカとグラスを空けて。心配するこちらの気持ちにもなってください」
婚約者が私の心配? そんな馬鹿な!
見たこともない甘い顔と、聞いたこともない甘い声に脳みそがくらくらする。
「なるほど。最後の晩餐ならぬ最後のイケメンってことね。わかったわ、煮るなり焼くなり好きにしてちょうだい。あ、でもやっぱり火刑はなしで! 黒豚の丸焼きって名前で後世に伝わるの嫌だから」
「何を当たり前のように、死ぬ気でいるんですか?」
「だって婚約破棄で醜態をさらしたら、処刑っていうのが王道の流れじゃない?」
「裁判もなしに一気に死刑とか、どこの蛮族の国ですか。まったく」
地下牢にぶち込まれているはずが、屋敷で寝かされていた上に、有無を言わさず抱きしめられただと? 何か予想外の展開になってきたけど、どういうことですかね、これ? ダメだ、私には平常心が必要だ。カモン、私の外付け良心&常識! 今こそ、クリスを召喚よ!
「クリスを呼んでちょうだい!」
「呼んでも無駄ですよ」
「まさか、クリスに何かをしたんじゃ!」
「さあどうでしょうね」
「この卑怯者!」
「何とでもおっしゃってください。わたしはただあなたに、愛を乞いたいだけなのです」
ずっとずっと、婚約者に振り向いてもらいたいと思っていた。他のひとに向けられる笑顔を想像するだけで、どんなに大変な勉強も、辛いダイエットも、他の令嬢からの悪口だって耐えられた。それなのに、どうしてだろう。ようやっともらえた甘い言葉は、全然私の胸に響かない。だって、辛いときに私のそばにいてくれたのは、優しいクリスだけだったのだから。
「今さらよ。あなたは全然、私に関わろうとはしていなかったじゃない」
「……わたしは、ずっとあなたの近くにいました。おはようからおやすみまでずっと」
「嘘を吐くならもっとマシな嘘を吐いてよ。あなたを追いかけていた私でさえ、城で姿を見かけるだけが精いっぱいだったのよ。それなのに、あなたが朝から晩まで私のことを見ていられるはずがないでしょう」
「わたしは、嘘は吐きません」
「ふーん、じゃあどうやって見ていたのよ」
「……あなたのそばに、朝から晩まで一緒にいられる人間がひとりだけいるでしょう」
「そんな人間、いないわよ」
「本当に?」
「……私付きの侍女なら当てはまるかもしれないわね」
「それです」
「は」
「それがわたしですよ」
「はああああああああ」
……なるほど。この王子さま、女装趣味? もしくは男の娘属性だったってこと? まあ確かにこれだけ美形なら、許される気もするけれども。
あれ、じゃあなんで、今は普通にイケメンモードなんだ? あと、無駄に王太子をボロカスに言いつつ、王太子モードでは私のことを無視していたのか、まったくもって意味がわからないし。
「また脳内で失礼なことを考えていますね?」
「そ、そんなことないよ?」
「どれだけあなたのお世話をしてきたと思っているんです。予想もつきますし、耐性もありますよ」
「そっかー。じゃあ侍女の時に履いているパンツは男物なのか女物なのかって聞いてもいい? すごく大事なポイントだから」
「却下します」
「けち」
「むしろ、どうしてクリスとしてあなたのそばにいたかを聞いてはくれないんですか?」
「ああ、そこ、聞かなきゃいけない感じ?」
「そこを聞かずして、何を聞くんですか!」
怒涛の勢いでツッコミ続ける婚約者は、まるでクリスそのもので私は思わず笑ってしまった。
***
「つまり、すべては魔女の呪いのせいだと?」
「どちらかというと、魔女を怒らせた先祖のせいです」
婚約者であるクリストファーさまは、王家にかけられた呪いについて教えてくれた。
かつてとある魔女を怒らせた国王がいたことで、王族は代々言葉と態度を反転する呪いをかけられてしまったのだとか。本当に愛する者には塩対応しかできず、最も嫌い憎むものに対してまるで恋をしているようにふるまってしまうのだそうだ。地獄か。
反転の呪いは、自分とは異なる性別の姿で過ごすときには抑えられるのだとか。おかげで、歴代の王族の中には、男装のまま国王となったひともいるらしい。世継ぎ問題はどうやってクリアしたんだろ。
「侍女として近くにいた理由はまあ理解できたけど」
「けど?」
「それなら、どうして王太子のことをあそこまでこき下ろしたりしていたの。むしろフォローすべきなんじゃない?」
「理由はどうあれあなたを悲しませる行動をしているのですし、わたしは確かにクズ男でしたので」
「でも結婚式延期とか、別のひととの結婚を提案したら失神してたじゃない」
「あなたには傷ついてほしくありませんが、あなたと結ばれないと思ったらいっそ死にたくなったので」
「面倒くさい! わがまま!」
「なんとでも言ってください」
そういやクリス、いっそ王太子を殺せって言ってたな。あれマジだったのか。君を殺して僕も死ぬとか言うタイプじゃないだけ、マシなのかしらん。
呪いを解くことができるのは、呪いをかけられた相手の最愛の者だけ。けれど受け入れてもらえない愛情は、相手の中に魔力として留まり、愛すれば愛するほど肉体を膨れ上がらせるのだそうだ。なるほど、どれだけダイエットしたところで痩せないわけだ。
「魔女さまにそこまで恨まれるって、一体何をやらかしたのかしら」
「聞かない方がいいです」
「でも反転の呪いなんて、厄介ね」
「そうですね。まあ、今まであなたに嫌がらせをしてきた人間の名前はしっかり書き留めてありますから」
「閻魔帳という名のデ〇ノートじゃん。でも、私、夜会であなたに散々暴言を吐いちゃったわけでしょ? それなのに、何のお咎めなしで大丈夫なの?」
「あの後、あなたの身体から魔力があふれると同時に、王族とあなた以外の記憶が改ざんされましたので」
「アフターフォローもばっちりの呪いなわけ? 突然光り始めたから、スーパー戦隊に倒される巨大怪獣のラストみたいに爆発しなくてよかったわ。あ、鏡くれるの。どれどれ。って、なにこの超絶美人は! ちょっと、クリス! 見てみて、私、めっちゃ美少女なんですけど! クリス、来てー!!!」
「だから、クリスはわたしですってば」
ちなみにしっかりと話していると思っていたのは私だけで、ジュースと間違ってワインをがぶ飲みしていた私の呂律は大層怪しかったのだとか。それでも会話ができたのは、王太子殿下の愛の力によるものらしい。マジか。
その後女装侍女として今まで一日中私の隣にいた王太子殿下は、呪いが解けたことにより王城に住むことに。しかし私がそばにいない寂しさにより、禁断症状を発症した王太子殿下が暴走したため、先の予定だった結婚式の日取りが今年度中に繰り上げされた。
***
そんな感じで一気に痩せた私は黒豚から黒百合の令嬢として評判になり、誰にでも腰が低く笑顔を絶やさなかったはずの彼は、私に近づく男女すべてに対してブリザードを発生させることから、白薔薇の君から白狼の君へと名前を変えた。
「いやいやいや、別に私以外の相手をそう睨みつけることないでしょうよ」
「わたしの大切な婚約者は、今も昔もずっとあなただけ。どうして、あなた以外の人間にわたしが笑顔を振りまく必要が?」
「でも、わざわざ他のご令嬢たちと喧嘩する必要はないんじゃ」
「こちらが穏便に振舞っていても、無駄にしつこくされれば雰囲気が最悪になるのは当然のことです」
「え、でも、いつもにこにこ笑顔で……」
「反転の呪いですからね。そりゃあ大嫌いな相手を目の前にしたら、とびきりの笑顔になるでしょう」
「……なんと」
どうやら、ご令嬢たちと婚約者さまの仲は最悪だったらしい。それにも関わらず、「王太子殿下はチャラ男」「王太子殿下は、あの中の誰かがお好き」と見守っていた自分の頭のなんとお花畑だったことか。
「次にわたしがあなた以外の誰かに恋をしているなんて言ったら、その場で押し倒しますからそのつもりで」
「ひゃい」
にこにこ笑顔のはずなのにちっとも笑っていない瞳の圧力に、私は涙目で敬礼をした。
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