らんのこころ
一之瀬蘭は、かなりモテる。
告白にくる男子は後を絶たないが、本人はまったく相手にしていない。
ハル、蘭、みなみの3人組がいるだけで、その空間が華やかになるのは、もはや説明はいらないだろう。
そんな3人組も、みなみはレンのところで、ハルと2人だけとなってしまった。
蘭は、ハルから聞くレンの話が楽しみだっだ。
自分では介入できない世界の話を聞けるからだ。
そして、大好きなレンの話だからだ。
自分でも驚いた。
「いい人だな‥」ってのが、初めて会った時の印象だった。
ハルから色々聞いてはいたが、実際、想像の遥か上をいっていた。
「まさか、わたしが好きになるなんて‥」
みどりへの対応も含めて、レンへ気持ちが変化していったのだ。
ハルがレンを好きなのは知っている‥というよりわかる笑
みどりも、レンを好きなのはわかる。
なのに、わたしも好きになってしまった。
3人とも理解している。
だからといって、譲るとか引くとかの選択肢はない。
権利は平等にあるのだ。
とは言っても、蘭はスタートで、かなり出遅れた。
いつも、ハルかみどりがいるシチュエーションばかりだからだ。
「やっぱり、わたしがボーイッシュすぎるからかな?」と、自分をみる蘭がよくいる。
性格がボーイッシュであって、姿ではないことに早く気付いてほしいものである。
ハル、みどりに一歩引いてレンと接している感がいつも漂っていた。
そんな蘭に気付かないレンではない。
買い物や遊びに行った時も、蘭の気遣いにレンは感じるものがあった。
気にはしているのだが、踏み込めないレンがいた。
それは渡米を決心していたからだ。
蘭も、しばらくしてレンがアメリカに行くと聞いて、喜びと絶望感の間で苦しんだ。
あとで考えると恥ずかしくなるのだが、居ても立っても居られず、喫茶店に向かっていた。
ハルともみどりとも約束していない。
喫茶店につく。
「あら?蘭ちゃん!おはよー!」と店の入り口付近で準備していたかなえが
蘭に気付く。
「お、おはよーございます!」と頭を深く下げる蘭。
「ふふっ、どうしたの?蘭ちゃん!息が上がってるわよ」と指摘されて気付く。
(あっ、走ってきちゃったのか⁈)
「まだ、開店前だけどどうぞ!」と、かなえがドアを開けて招き入れてくれた。
店内のコーヒー豆の香りが蘭を一気に襲う。
そんな香りに包まれながら、カウンター席に向かう。
「アイスコーヒーでいい?」とかなえに聞かれた。
蘭がこの暑い中、急いで来たのを考慮してだろう。
「おや?蘭ちゃん!おはようございます!」と、そこに、壬生が現れた。
「おはようございます!すみません!開店前にお邪魔しちゃいまして!」そういいながら、席を立ち頭を下げる蘭。
「大丈夫ですよ!それより蘭ちゃん、今日は九十九くんは9時からですよ?」と壬生はニコニコしながら蘭をみる。
それを聞いたかなえも、頬が緩む。
蘭は、壬生の言葉に動揺を隠せない。
それをみていたかなえは思う。
(ホント、オーナーはこわいわ‥)
カウンターで俯いて頬を染める蘭。
壬生のアイスコーヒーが差し出される。
「はい、蘭ちゃん。まずは一口飲んでくださいね」と、優しく話す壬生。
「は、はい!ありがとうございます!」
「いただきます!」と、コンボのようにアイスコーヒーを飲む蘭。
それをみて微笑む壬生。
「蘭ちゃん」
「は、はい!」
「九十九くんにいいたいことがあるんじゃないですか?」
驚きを隠せない蘭。
「そうですね‥、いいたいこと‥というか、よくわからないんですけど、このままバイバイは嫌だなって思ったんです」
そういいながら、アイスコーヒーをみる蘭。
コップについた水滴がキラキラ輝きを放っている。
「そうですか‥わかりました!九十九くんが来たら、30分、蘭ちゃんにあげましょう!」ニコニコしながら指を3本だす壬生。
「さ、30分⁈壬生さん、いいんですか?お仕事は?」
「心配ありませんよ!わたしとかなえちゃんがいますし、こちらのことは気にしないでくださいね」
そう言われて蘭がかなえの方を向くと、かなえがウィンクしている。
「あ、ありがとうございます」と頭を下げる蘭。
「蘭ちゃん」と壬生が優しく語りかける。
「30分は長いようで、案外短いものです。今はピンとこないでしょうが、九十九くんとちゃんと向き合ってくださいね!」
そう言われ、素直に「はい!」と応える蘭。
壬生の煎れてくれたアイスコーヒーを飲む蘭。
コップの水滴が流れると同時に、蘭の背中にも何か流れたようなものを感じた。
レンは、今日は9時からだが、30分前にはいつも出勤している。
つまり、もうすぐ来るわけだ。
蘭のアドレナリンが全開になっているような感覚に襲われる。
「蘭ちゃん、九十九くんは九十九くんですよ」そう壬生に言われた。
当たり前のようだが、この言葉は、蘭を落ち着かせることになる。
「そうです。それでいいんですよ」とニコニコ顔の壬生が蘭をみている。
蘭も壬生をみて、笑顔になっていた。
「おはよーございます!」とレンが入ってきた。
いつもの挨拶が終わると、レンは蘭のそばにきた。
「おはよ!蘭ちゃん、蘭ちゃんはやいねー!」といい蘭に笑顔を浴びせる。
「おはよー!レンくん、朝、散歩してて、そのままついここに‥」
(す、少し違うけど間違いではないもん!)
膝の上に乗せていた両手をギュッとする蘭。
「蘭ちゃんは、健康的だね!ゆっくりしていってね」と着替えにいくレン。
壬生がレンを追いかける。
2人で話しているのが見える。
蘭の心臓は爆発寸前だ。
レンがバックヤードに消えていく。
壬生が蘭をみて、OKサインを出している。
蘭は思わず頭を下げた。
「蘭ちゃん、2階に行ってくれるかな?」と壬生に数分後言われた。
バックヤードを抜け、2階にいく蘭。
そこのテーブル席にレンが座っていた。
「あ、蘭ちゃん!ここでいいかな?」と、レンが立ち、席までエスコートしてくれた。
「時間とってくれてありがとう」と蘭も座りながらレンにお礼をいう。
「いやいや、オレは礼を言われることはしてないよ!礼なら壬生さんにだね!」と笑顔を同時にかえすレン。
これは、蘭がそう思っているからかもしれないが、決して、レンとの関係で出遅れているわけではない。
蘭が思っているほど、2人の距離は離れているわけではないのだ。
ただ、そう思ってしまうと、その型で進行してしまうもの。
壬生は、そんな蘭をみてレンとの時間を作ってあげたのだ。
30分が多いか、少ないかはわからないが、壬生がしてあげられることは、これくらいしかない。
後は、本人しだいとなる。
「蘭ちゃんとこうやってちゃんと話すのは初めてだよね」と、レンが口火を切った。
「いつも、ハルとみどりが一緒だったし、ら‥わたしだけは初めてだよ」という蘭の眼差しは真剣だ。
「蘭ちゃん、いつも一歩引いててえらいよね!」そう言われて蘭は気付く。
(レンくん、ちゃんとわたしをみてくれているんだ)
「ありがと!ら‥わたし、2人に甘えてばかりいるから‥」と、言った途端、レンの顔がそばに来た。
「らんって言って平気だよ」と優しく言われる。
蘭は自分のことをホントはらんと呼ぶ。
みんなと合わせて違和感ないように、わたし‥と言っていた。
普段は平気なのだが、なぜかレンの前だと、らんと言いそうになる。
自分を見て欲しいのか、それとも、レンには全てをさらけ出したいのか、どちらか、または両方かわからないが、いつもの、らん‥といいそうになった。
「レンくん、笑わない?」と俯いていた顔を上げる蘭。
瞳が少しウルウルしている。
「なんで?笑う理由は全然ないけど?」とレンはいい笑顔で蘭をみる。
「蘭ちゃんってさ、意外に周りに気を使うタイプだよね!」とレンの口元が緩む。
「レンくん、意外には失礼じゃない?」と蘭が頬を膨らませる。
その頬を、レンが右人差し指でちょんと触る。
「ごめん、レンもきをつける」
それを聞いて蘭は思わずレンをみる。
「どうした?」とレンが不思議そうな顔をしている。
「レンって‥」
「あぁ、蘭ちゃんといる時は、自分のことレンって言うことにした」と笑みを浮かべるレン。
ホント小さいこと、たわいもないことなのは分かっている。
だけど、蘭にはそれが幸せすぎて堪らない。
「あ、ありがとレンくん。らん、嬉しいよ」そういう蘭からは、ボーイッシュさが消えていた。
「蘭ちゃん、話があって来たんだよね?」と、レンもあわてて空気を変える。
「あっ、はい!らん、レンくんにお願いがあって‥」
この時の蘭のお願いは、レンとの橋渡しとしてのものだったのだが、後にそれはレンにとって重要なものとなる。
「レンくんの食生活のサポートをしたいの!」
以前、このことは、ハルには伝えたことがある。
それは、ハルからレンが食生活にあまり関心がないみたいな事を聞いたからだ。
蘭はハルも認めるくらい、料理が得意だ。
それも後押しして、レンをサポートしたいと強く思うようになる。
しかし、現実はアメリカに行ってしまう。
その前に、自分の気持ちを伝えたかった。
「食生活か‥そうだよね、ちゃんと考えなきゃダメだよな‥」と、真剣に考えるレン。
「一応さ、バランスよく食べるのと、ジョーダンの食べ方は参考にしてるんだけどね‥」と蘭をみながら頭をサワサワするレン。
「らんが、後でチェックしていい?」といい頭を少し傾ける蘭。
さすがのレンも、その仕草にグッとくるものがあった。
とりあえず、仕事前だし、お互いLINEを交換して、この件は次回に‥となった。
「蘭ちゃんがさ、レンの専属の栄養士になればイチバンだね!」そう言って満面の笑みを浮かべるレン。
この何気ない一言が、蘭の進む道を照らし導くものとなる。
「おや?終わりましたか?」フロアに帰ってきた2人をみて壬生がいう。
「壬生さん、ありがとうございます!」と言ってレンは頭を下げ、蘭にバイバイをして仕事に入った。
蘭に壬生が近寄る。
「成功ですかね!」と壬生がニコリと笑う。
「はい!」そう言って満面の笑みを浮かべる蘭。
壬生にお礼をいい、そのあとレンを見つめる蘭。
「オーナー!」とかなえが壬生のそばにくる。
「どうしました?」
「青春ですね!」とかなえが嬉しそうにいう。
「どうでしょうかね?青春と一言で片付けたら失礼かもしれませんよ」と優しい笑みを浮かべる壬生。
その後は黙って2人をみつめていた‥。
この日を境に、蘭はレンと毎日話すことになる。
食生活をレンが蘭に送り、蘭がアドバイスするという形だ。
渡米までにコンディションを万全にしたいレンにとってはありがたかった。
こうして、2人の距離も縮まり壁もなくなり、深まっていく。
蘭が食事を作ることも多くなったそんなある日‥。
レンから電話がきた。
「どうしたの?レンたろ(蘭はいつの間にかレンのことをそう呼んでいた。勿論、2人だけの時にだ)」
「 蘭、忙しいところごめん」
「ううん、平気。なんか変な物食べた?」
「蘭、まだレンの食生活を疑っているのか?」そういい笑うレン。
「冗談に決まってるでしょ?」
「わかってますよ!それよりさ‥」
「うん」
「渡米の日にちが決まったよ」
「‥ホント⁉︎おめでとう‼︎」
「ありがと!蘭のおかげで体調もバッチリだし、いよいよって感じだよ」
「そんなことないよ‥うーん、そんなことあるか!」笑う蘭。
「ホント、ありがとな蘭‥」
「ダメだよ!レンたろ!向こうで成功しなかったら、らんのサポートの意味ないんだから!」
「成功しないとでも?」
「ち、ちがうよ!そんなことは思ってないよ?‥ただ、まだはやいというか、なんというか‥」
「ハハッ、わかってるよ!ありがと、蘭!」
「もう、レンたろは!」そう言って、モジモジしている蘭がベッドの上にいた。
「蘭」
「ん?」
急に流れを変えるレン。
「向こうに行く前に、蘭の食事が食べたい!」
その言葉が耳から離れない蘭。
抱き枕を抱えて、ベッドの上でゴロゴロする。
(な、なんか夫婦みたい‥)
そう思って、蘭の妄想が膨らむ。
蘭は、夫婦の前に恋人にならないといけないことを忘れているようだ。
好きな人と一緒にいられることが、こんなに幸せなのか‥と、蘭は噛み締めていた。
もちろん、一緒にいて楽しいから成り立つこともある。
つまり、同じ時間を同じ価値観で共有できるからこそ、そのひと時が楽しいものとなるである。
好きなもの、趣味が合うとかは、その最たる例だろう。
蘭は、レンと出会い、明らかに視野が広がった。
自分の世界がいかに小さい世界かを感じることができた。
料理を作って、レンが少しでも喜んでくれるのなら、いくらでも作りたい‥そう思う自分がいた。
それと同時に、もうすぐいなくなるなのかと考えると、残された時間の大切さに気付かされた。
蘭は、よく喫茶店に行く。
レンがいないのはわかっている。
だけど行く。
そこに行くと、落ち着いて考えることができるからだ。
間違いなく、この人の醸し出す雰囲気だろう。
「いらっしゃい!蘭ちゃん、ゆっくりしていってくださいね」と、ニコニコといつもの笑顔を振りまく壬生。
オーナーなのに、そんな素ぶりもみせない。
「蘭ちゃん、大切にね!」といい、バックヤードに向かって行った。
(すごいなぁー壬生さん。何も言ってないのに‥)
レンとの日本での日々も残りわずか‥
一気にコーヒーを飲み干す蘭だった。
蘭は思った。
ドラマやアニメ、漫画ならこのシチュエーションはないだろうな‥っと。
レンが蘭の料理を食べたいと言った。
だとしたら、普通は家かな?と思う。
蘭も内心期待している自分がいた。
しかし、それは期待でしかなかった。
レンに呼ばれたのは、ある総合施設型体育館だ。
渡米前だというのに、自分の身体に鞭を入れるレン。
蘭に自分の練習を見て欲しかったようだ。
「わざわざありがとね!蘭!」
バスケをやっているレンは、さらにカッコいいと蘭は思っていた。
「大丈夫だよ!らん、邪魔じゃない?」
レンはそう言う蘭をみて、やっぱりこの子のこういうところ、かわいいよな‥っと思っていた。
「大丈夫!ここでみててくれるかな?」
そうポジションを指定して、コートに向かって走っていった。
ちょこんと座ってみている蘭。
「あら?レンくんが練習に見学者を呼ぶなんて珍しい!」といいひとりの女性が近付いてきた。
「こんにちは!びっくりさせてごめんなさい!わたしはここの館長の百田かおりよ!よろしくね!」とウィンクされた。
館長にしては、若いなっと蘭は思った。
「こんにちは!一之瀬蘭です。よろしくお願いします」そう言って頭を下げる蘭。
「あなたが蘭ちゃんね!なるほどねぇ
〜」上から下までスキャンされる蘭。
「ど、どこか変ですか?」と、わけわからないことを言ってしまった蘭。
違う違うと右手を左右に振る百田。
「レンくんのタイプをインプットしてました!」といきなり敬礼する百田。
蘭は思った。
(なんか、この人の感じいいな‥)
なんだろ、レンたろの周りには、ホント素敵な人ばかり集まる気がする‥
蘭は改めてそう噛み締めていた。
「レンくんはね、バスケの時が一番覚醒しちゃうのよね‥」と百田が隣に座り話し出す。
「覚醒?ですか?」
「ふふっ、ピンとこないわよね!」
「はい、なんのことかも‥」
「なんていうのかな、そうだな‥レンくんがいる山が高すぎて、他の人がそこまでいけないのよ」
「‥孤立とは違うんですか?」
「孤立とは違うわね!レンくんは周りの大切さを十分理解しているからね」
蘭もそれには同意した。
「ただね、そこに行ける人もいるのよ」
「レンくんと同じくらい、上手い人ですか?」と聞いた途端、笑う百田。
「なかなかいないわよ!数多くの選手を見て来たけど、本当にすごいわよ!でも、いたとしても今は選手じゃないわね!」そういいながら、蘭をみる百田。
「わたしですか⁈」とんでもないという身振りをする蘭。
「そのまさかよ!蘭ちゃんは、レンくんの場所に行けるし、居られるわね!間違いないわ!」と、自信たっぷりの態度な百田。
「わたし、そんな実感ありませんよ?」と、トーンダウンしながら話す蘭。
百田が地面を指差している。
「どうしたんですか?」
「ここ!」
「ここですか?」
「蘭ちゃん、あなたはここにいるのよ?」
百田さんから聞いた。
ホント、レンたろは、自分の練習には誰も呼ばないらしい。
それは、個人的な練習の時の話だそうだ。
「レンくんが見る世界、レンくんに見える世界を、間違いなく共有できる人の1人ね!」と、またウィンクする百田。
「逆にね、レンくんは見てほしいのかもしれないわね‥、自分だけが見ている世界を‥あっ、ごめんなさいね!色々言っちゃって‥」と、軽くウィンクする百田。
「も、百田さんもその1人じゃないんですか?」と蘭は思い切って聞いてみた。
少しびっくりした顔で蘭をみる百田。
「考えてもみなかったな‥、わたし、館内のみまわり自分でしてるから、そんな風にはね!」と、また蘭に向かってウィンクしている。
しばらく2人でレンの練習を見守る。
「終わったわね!」と百田がいう。
「蘭ちゃん、レンくんがフリースローを3連続決めたでしょ?あれ、終わりの印よ!」とまた、チャーミングなウィンクをする百田。
百田の言う通り、3連続決めたらこちらに向かってきた。
「百田さん、おつかれさまです!」とレンが言う。
「最後はどうだったの?」少し真剣に聞く百田。
「はい!満足です!ここはやっぱりいいですね!」汗を拭きながら、レンは楽しそうにこたえた。
「最後だなんて‥いつでも来なさい」そう言った百田の顔は真剣そのものだった。
「はい!ありがとうございます!蘭ちゃん、シャワー浴びてくるから、ロビーで待っててね!」
そう言って館内のシャワー室へ向かうレン。
「じゃあ、ロビーに行きましょうか!」百田はウィンクしながら、そう言って誘導してくれた‥。
シャワーから戻ってきたレンに、蘭は手を掴まれてどこかへ連れていかれる。
「ど、どうしたの?レンたろ!」
蘭をみてニコっとするレン。
しばらくして着いたのは、施設内のある部屋だ。
栄養調理研究室
「え?」と蘭は驚きを隠せない。
「びっくりした?ここさ、百田さん発案の部屋なんだよ!」
「百田さんが?すごい‥」
「普通ないよね!体育館にさ!」
スポーツは内外が大切だという理論で、百田はここの館長を務めている。
「ここ、なんでもそろってるし、今日はなんでも使えるから、蘭、よろしくね!」と、期待に満ちた顔をするレン。
「百田さん、すごい‥食もスポーツには欠かせないスキル‥これだけ完備されてるなんて‥」
蘭が驚嘆するのもそのはず、ここが体育館の一室とは思えない。
「が、がんばるね!」と両手でガッツポーズみたく身振りをする蘭。
それからは、あっという間に時間が過ぎた‥。
蘭の手料理を食べ、沢山話し、笑う。
こんな楽しいひと時が、今日で最後かと、ふと蘭は考えてしまった。
「蘭?」
「え?なに?やだ‥」
蘭の頬をいくつもの雫が通り過ぎる。
「らん、た、楽しいんだよ!レンたろ、嘘じゃないから!」
しかし、蘭の頬には、流星のように涙が流れている。
涙を拭う蘭だが、それは止まらない。
「蘭‥」
そういって優しく抱きしめるレン。
蘭は、レンの胸の中で泣いている。
「ごめん‥」と小さい声でレンが蘭の頭の上で囁く。
レンの胸の中で頭を左右に振る蘭。
心と身体は一致しないもの‥この時の2人は十分感じていた。
「‥レンたろ‥は、なに‥も、悪くない‥よ‥」蘭のその言葉を聞き、さらに抱きしめるレン。
蘭は、自分が幸せ者だと感じていた。
こんなにも心配されて、側にいてくれると‥。
レンは、自分の胸から蘭を解放し、蘭の顔を自分に向ける。
見つめ合う2人。
流れる涙。
それをレンが拭う。
また見つめ合う2人。
窓から差し込む月明かりが、重なった2人のシルエットを優しく映し出していた‥。