俺には、五年は長かった。
男女の話し声が聞こえてくる。
もっとも話しているのは男ばかりで、女はひたすら謝っているだけだ。
舌打ちの代わりに、長い煙を吐き出す。
別に痴話げんかを盗み聞きする趣味はない。
だがタバコを吸うには、駅前に一つだけのこの喫煙スペースを動くわけにはいかない。
タバコは高い。貧乏くさかろうが何だろうが、根元までじっくり吸わなけりゃもったいない。
「だからさあ」
衝立の向こうからまた男の声が聞こえてきた。
ああ、うるせえな。
キツい現場仕事の後の一服くらい、静かにさせろ。
だけど俺はついつい、そいつらの会話に耳を傾けてしまった。
聞いたら絶対に気分悪くなると、分かってたってのに。
「ナオの事情とか、この際どうでもいいんだよ。言っとくけど俺の方が百倍忙しいからね」
「ごめんなさい」
「問題は、どうして一度も思い出さなかったのかってことだよ。知ってる? 一日って二十四時間もあるんだよ。そんな長い時間どうして思い出さなかったの? ねえ、どうして?」
「……ごめんなさい」
「俺もこんな説教したくないよ。ナオは自分がどれだけ人の時間を奪ってるか考えたことある? 自分よりもはるかに価値のある人の時間をこうして奪って、平気なわけ?」
男は執拗だった。
胸糞悪い野郎だ。
聞いていると、自分の腹の底にコールタールのように粘っこい苛立ちが溜まってくるのが分かる。
今はまずい、と理性が告げていた。
短気を起こすな。
あと一週間でいいんだ。余計なことをするな。
「本当にごめんなさい」
ついに女の声が嗚咽で掠れた。
「はあ? それ、何についてのごめんなさい? 形だけの謝罪になんか、何の意味もないから」
男は嘲った。女は泣いていた。
俺は別に女の味方でもなんでもない。
ただ、女を泣かす男が嫌いなだけだ。
ガキの頃いつも母親を泣かせていた、義父のことを思い出すからかもしれない。
歩き出しざまに指で弾いた吸い殻は、灰皿の底でじゅっと音を立てた。
「おい」
肩を掴んで男を振り向かせると、その鼻っ面に思い切り拳を叩き込む。
案の定だ。
ぴいぴいとよく喚く割に、一発殴っただけで、生まれて初めて殴られましたみたいな顔でへたり込みやがった。
女が呆然としている。
あーあ。やっちまった。
『被告人を懲役三年に処する。この判決確定の日から五年間その執行を猶予する』
あの日の裁判官の声が蘇る。
執行猶予五年。あと少しだったのにな。
まあいいさ。
少なくとも、塀の中にいる間は女の泣き声を聞くことはねえだろうから。