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31.月の下で待っている(下)




赤兎本部に戻って三日がすぎた。

部屋に篭り続けるのは、さすがに限界だろう。


今は放置してくれているが、赤兎班に籍を置かないわたしが班の手伝いもせず、本部に引きこもるのは明らかに迷惑だ。

宮城さんたちにも申し訳ない。


そろそろ踏ん切りをつけないとと思いながらも、結局行動できずにいた。



「焦らないで、気楽にしてたらいいんだよ」



仕事の合間に部屋を訪れた雪根さんは、そう言ってわたしを慰めた。


昼休憩はとっくに終わっている。彼も忙しいところに様子を見にきてくれているのだと思うと、申し訳なさでいっぱいになる。

玄関に立つわたしは部屋から出られない。雪根さんに長居する気配はなく、彼は廊下で半開きの扉に手を添えていた。



「朔が誰を好きであっても、こっちに気を遣う必要はないよ。俺が勝手に朔のこと好きでいるだけだし」



気にするなと言われても、簡単に頷けない。

でも、雪根さんの気構えは、わたしが明将さんに寄せる想いと同じなのだ。



「アキのことが好きなら、俺はそれでいい。でも、そのことで朔が悩んでるのは見ててつらい」


「……すみません」



足元ばかりに視線がいって雪根さんの顔をうかがうことができない。

一番悲しませたくない人を、わたしがまた苦しめてしまってる。


罪悪感に思考が空回って目をぎゅっときつく閉じた。


服の裾をきつく握り、しばらく動けなかった。

手が痺れ出し、そこでようやく体の力を抜いた。



「……明将さんのことが、好きでした」


「…………うん」


「でも……、恋というものが、今はよくわからなくて……」



ぽつりぽつりと話していたら、雪根さんがさりげなく玄関へ入ろうとした。


違和感……、というか。


これは彼が隠し事をしたい時の空気感だと瞬時に理解する。


まさかと思い至り、雪根さんの横を通り抜けて廊下に出た。



「……あっ」



迂闊だった。

自分のことで一杯一杯になって、周りに気を配れてなかった。


廊下には明将さんが立っていた。


やらかした。目を見開いて固まる明将さんに、全てを悟る。

聞かれてしまった。隠し続けるつもりだったのに。


この気持ちを一番知られたくない人が目の前にいる。顔がかっと熱くなった。


ぱくぱくと口は動くが言葉が出てこない。

明将さんはそんなわたしに目を泳がせた。


よそよそしい空気を最初に動かしたのは明将さんだった。


決まりが悪そうに頭をかいて、彼はあさっての方向へと目を逸らす。



「あー……。悪い」


「謝らないでっ」



反射で言葉を遮ってしまった。


彼は何も悪くない。

わたしに謝ることなんて、ひとつもしていない。



「わたしが、ひとりで舞い上がっていただけなんです」



一度言ってしまうと、次から次へと堰を切ったように感情が溢れ出した。



「わがままだって、わかってます。……でも、明将さんがすごく素敵で、素晴らしい人だと思う気持ちは今も変わらなくて……」



積み重ねた「好き」は、諦めた程度で簡単に捨てられるものではなかった。

自覚した時にはどうしようもないぐらいに、心の中で大きく育っていた。



「……あなたを好きになったことを、間違いだったと思いたくないんです」



そう言ってようやく気づく。

そうか。これは一途さを装ったわたしのちっぽけな自尊心だ。

自己満足に浸って変化を嫌がり、結局前に進めてない。


こんな一人相撲に、明将さんを付き合わせるわけにはいかない。



「明将さんは、何も悪くない。……ごめんなさい。もう、ちゃんと終わりにします。だから……、明日からも、また、わたしのことを仲間として接してくれませんか?」



ただ伝えなければという想いが先走り、何を喋っているのか自分でもよくわからない。支離滅裂な告白を、明将さんは最後まで口を挟まず聞いてくれた。



「お前も謝ってんだろ」


「……ごめんなさい」



だって謝る以外に、どうしようもない。


こんなの言うつもりはなかったのに……。


顔が上げられないわたしの前で、明将さんは深く息を吐き出した。


呆れられた。

涙腺が緩むのをぐっと堪える。



「——ありがとう。朔に好きになってもらえた自分を、俺は誇りに思う」



真っ直ぐに。揺るぎない口調で告げられた。

気休めやその場しのぎの慰めじゃない、彼らしい言葉だ。


ゆっくりと顔を上げて、明将さんの視線を受け止めた。



「でも……、やっぱりごめんな。朔の気持ちに応えられないことも、俺にとっては誇りになるんだ」


「……っ、はいっ」



知っている。

それは彼が花歩さんを愛し続けているという証明だ。


悔しくも悲しくも寂しくもない。

それなのに、なぜか涙が止まらなかった。


仕方がないなと明将さんが喉の奥で笑う。



「踏ん切りが付いたら後ろ見ろよ。あれは俺の手に負えないから、朔に任せた」



言わんとすることは理解した。

了承するのは彼にも失礼だから沈黙を貫くが、任されることが嫌なわけじゃない。



「……握手」


「ん?」


「最後に、してもいいですか?」



迷いなく差し出された明将さんの手を握る。

力の入らない、緩い握り合いだった。


今より近づくことはない。

これがわたしと明将さんの適切な距離だ。



「これからも、よろしくお願いします」


「ああ。よろしく」



明将さんは軽く頭を下げ、後腐れなくあっさり立ち去った。


階段に消えた彼を見送り、乱暴に涙を拭う。

そして大きく深呼吸をしてから雪根さんへと振り返った。



「振られてしまいました」



悲しい報告のはずが、気持ちは晴れ晴れとしていた。


涙は止まらない。それでも、心が軽くなったことで自然と笑みがこぼれる。

雪根さんが笑顔でわざとらしく肩をすくめた。



「うん。朔を振るなんて、アキは見る目がないね」



そううそぶいて、雪根さんはわたしへと片手を差し出す。



「握手」


「……?」


「俺もしたい」



望まれたままに手を握る。

雪根さんとの握手は、遠慮がちながらも互いに力がこもった。



「ねえ、ぎゅってしていい?」



それは手の力について言ってるのじゃないと、瞬時に察した。


握る手と、雪根さんの顔と。交互に視線を彷徨わせ、逡巡の末に頷く。


握った手を軽く引っ張られた。

前のめりになったところを抱きしめられる。



「うん。やっぱり俺はこっちがいい」





——これが、わたしと雪根さんの距離。









      *








その日の夕飯時に勇気を出して食堂に降りた。


事前に通達がされていたからか、赤兎班の人たちに特別注目されることはなかった。


何人かの見知った人たちに気さくに言われた「おかえり」が嬉しかった。





夜。

寝台で寝ていたはずが、気がつくと真っ暗な世界にいた。

何度も体験してきたはずの闇がとても重く感じられる。


——違うか。


闇が重いのではなく、この深淵においてのわたしという存在が薄まっているんだ。


肉体が成長したことにより、闇に傾いていた属性が、光との均衡を取れるようになった。

内の闇が薄くなった状態だと深淵の闇は重すぎて、みんなの言葉が届かないどころか、みんながどこにるのかもわからない。


もう、奇跡が起きて再びここに来れたとしても、わたしはみんなを認識できない。


いつかは来ると知っていた。


完全な別れじゃない。みんなはいつも、見守ってくれている。


……でも、みんなの声は、もう聞けない。



しばらく闇の世界でひとりたたずみ感傷に浸った。


踏ん切りがついたところでわたしは彼らに敬意をはらい、鳩尾の前で指を組んで、深く深くこうべを垂れた。






…………にゃあ。





足元で、猫の鳴き声が聞こえた気がした。






——————…………。



………………。





波のような、風のような。

遥か遠くより壮大な気配が接近し、わたしを中心とした渦となった。


深淵には水がなければ風も吹かない。


だから今、わたしに届いているのは、みんなの意思だ。


何を言っているのか具体的な言葉としては認識できない。

しかし胸に染みる愛しさとみんなの慈しみの気持ち。

そしてこれが本当に最後だということは、漠然とでも伝わってきた。



「——っ、ありがとう!!」



形式的な礼儀なんて取っていられない。


とにかく力いっぱい叫んだ。



「みんな大好き!! これからも、ずっと!!」



渦が消えると、黒い夢は終わる。



「わたしは、地上で頑張るから。みんなのためにも、強くなるからね!」



さようならは言わない。


これが今生の別れではないから。



「……大好き。ありがとう——……」



夢で会えなくても、みんなは見守ってくれている。


愛しい闇はずっと、わたしたちの側にあるのだ。







朝になり、泣きながら目を覚ました。


枕が涙で濡れていて、手鏡で見た目は真っ赤になっていた。

台所で顔を洗い、濡らした手拭いで目を冷やすがなかなか腫れは治らない。



「どうしたの?」



朝食へと誘いに来た雪根さんは、玄関口で迎えたわたしをみるなり驚いた。

心配する彼に何もないと首を横に振るも、夢を思い出すだけでまた泣けてきた。



「夜、……深淵のみんなに、ありがとうが言えました」



嬉しいけど、寂しい。

感情を昇華しきれず、心の整理が追いつかない。



「そっか」



眉をハの字にして微笑む雪根さんに、小さく何度も首肯する。



「……朝ご飯、先に行ってください……」



泣き腫らした顔で食堂へ行くのはためらわれた。



「持ってくるよ。俺も静かなとこが好きだし、こっちで一緒に食べよう」



そう言って雪根さんはわたしを部屋へと押し込めて、階下へ行ってしまった。



相変わらず、彼はわたしを甘やかすのが上手い。







部屋で朝食を終えるころには高ぶった感情も落ち着いてきた。


深淵という神域との別れは、わたしにとってひとつの区切りだ。


これまで無条件に愛され、支えられ、助けてくれたみんなからの、巣立ちでもある。


強くなるって、宣言したんだ。


今度はわたしがこの地上で、みんなのために頑張る。


それにわたしはもう、ひとりじゃない。



「雪根さん」



ごちそうさまでしたと手を合わせ、箸を置く。

先に食べ終えていた正面に座る雪根さんを、真っ直ぐに見つめた。



「わたしは華闇の総本山へ行きます」



逃げるのじゃなくて、前に進むため。


自分にできることを始めていこうと思う。



「ん、わかった」



雪根さんはわたしの決意に満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。






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