26.内に潜む(下)
「出直しますか?」
穂高さんの問いに宮城さんは否と首を振る。
「本命だったら何人居ようが同じだ。近くに蟲はいないんだろ?」
「今のところ、気配はありません」
「だったら人を集めても仕方がない。罠の可能性も視野に入れるが、もしも奴がいたならお前たちはすぐに引け」
宮城さんが鋭い視線をわたしに送った。
「退路の安全はお前にかかってんだ。何がなんでも生き延びろ」
心の中を見透かされたような発言に、苦々しさを感じながらも頷いた。
雑木林を嫌な感覚がするほうへと進んでいく。道中は誰ひとりとして喋ろうとしなかった。
やがて緩やかだった上り坂が急勾配に変化し、壁のような斜面が行く手に立ちはだかる。
斜面から突き出した、縦に割れた大岩。どろどろの気配はあそこから出ている。
「……あそこの岩の裂け目です」
声を潜めて報告すると、全員の顔がこちらに向いた。
「裂け目?」
きょとんとする雪根さんに、はいと返す。
突如既視感に見舞われた。
御社で、華殿に立つ母をわたし以外が見つけられなかった時と同じだ。
「目の前にある、大人二人分くらいの高さの岩ですが……、真ん中で、縦に二つに割れてませんか?」
見えている通りに説明すると、宮城さんが忌々しげに舌打ちした。
「認識阻害系の力か。めんどくせえもん使ってきやがる」
宮城さんは持っていた木箱を地面に置いて靴で踏みつけた。「絶対に触るな」とわたしたちに念押ししてからひとり岩の裂け目へと向かう。
岩の割れ目は大人ひとりが入れるぐらいの幅があった。近づいた宮城さんが割れ目に手を伸ばす。
穂高さんたちがはっと息をのんだ。岩の本来の姿が見えたのだろう。
そのまま裂け目の内部へと入った宮城さんはすぐに外へと顔を出し、ちょいちょいと、指でわたしたちを招き寄せた。
「奴はいないが、ある意味大当たりだ」
岩の間より日光が差し込むそこには、狭い入り口の先に六畳ほどの空間が広がっていた。
平らに整地された地面には石が中心より渦巻き状に並べられ、渦の中心には透明な金魚鉢がひとつぽつんと置いてある。
さらには渦巻き状に並んだ石とは関係なく、地面には赤黒い塗料で大きな円と、円に沿うようにして細かな模様が何重にも描かれていた。
「外つ国の文字だね。なんて書いてあるかまではわからないけど、似たようなものは見たことがある」
穂高さんが足元を見ながら言いつつ、ゆっくりと顔を上げる。
「中央へは……、行かないほうが良さそうだね」
「問題はないだろうがやめておけ」
本の入った木箱を片手に宮城さんが戻ってきた。
「なんですかここ?」
明将さんの問いかけに宮城さんは中央の金魚鉢を顎で示す。
「奴を大陸から召喚した場所なんだろうが、今は不足の事態に見舞われた際の避難場所として利用しているようだ」
彼はぞんざいに木箱を放り投げ、金魚鉢を掴んだ。
中には透明の、動かない小さな蟲が一匹。——蝶、じゃない。羽虫の類か。
「見覚えがあるだろ?」
ある。宮城さんに首を切られた須藤雷也が最後に変貌した、あの蟲だ。
「いくら肉体を潰そうが復活してくるわけだ。こうして縁を作った場所に体の一部を避難させておけば、いざという時、精神をここに移動させて逃げられる」
金魚鉢の中にいた蟲が火花を散らして爆ぜた。
宮城さんが金魚鉢を放り投げる。高い音を立ててガラスが割れ、奥で破片が飛び散った。
「逃げ先を消せたなら、後は本体を潰すだけで済む。そういう意味では大手柄だ」
よくやったと褒められ、気恥ずかしさに頷いた顔を上げられない。
「この場所も、書物もろとも消しておく。先に車まで戻ってろ」
指示された通りに車へと戻る。
途中、後ろをちらりと見た穂高さんが「少し急ごうか」とわたしたちを急かした。
その理由はすぐに知れる。
雑木林を抜けて玉乃江の家に戻ったあたりで、爆発が起こった。
背中を押し出すような衝撃波と鼓膜を揺らす爆音に体が縮こまる。
振り返ると山の一部が地滑りを起こし、地面の茶色が剥き出しになっていた。あの大岩があった位置だ。
「……消すって……」
……そういうことだったの?
「消したな」
「消したね。跡形もなく、完璧に」
明将さんと雪根さんも遠い目をして、窪んだ山の斜面を眺めていた。
爆発物も持たずにどうやったのかなんて、わたしたちは宮城さんに聞いちゃいけない。
爆風に乗って漂ってきた気配に禍々しさは消えていた。
そこにあったのは、呼吸のしやすい澄み切った秋の風だった。
それから数日が経過した。
敵の退却場所を潰せたのは良かったが、外つ国の神の行き先は依然として掴めていない。
島国とはいえ日の元は広い。身を潜めた敵にたどり着くのは、そう簡単なことでなかった。
奥園礼司にゆかりのある目ぼしい場所を調べ尽くしたわたしは、赤兎本部にいることが多くなった。
時間ができても学校へは行かず、内部の手伝いをして一日を終える。
花歩さんの代わりにはなれないけど、少しでも彼らの役に立てたらと身の回りのことを請け負っていた。
今回の安定期は始まりが遅かった分だけ、終わりも延びている。
秋の印象が強い安定期の最中に関わらず、冬の気配はもうそこまで近づいていた。
「朔って雪根さんのことどう思ってるの?」
朝食の仕出しの片付けが終わり、洗濯できた寝台の敷布を屋上で干していたとき。
一緒に作業をしていた啓斗さんがそんなことを聞いてきた。
「どう……とは?」
「や、別に他意はないけど。雪根さんって、すっごく朔のこと好きみたいだから」
直球の指摘に目が泳ぐ。干してる敷布のおかげで啓斗さんが見えなくてよかった。
「そう、……ですよね?」
そうかなあとは思っていたけど、はたから見てもわかるんだ。
「あ、自覚あったんだ。なんかちょっと安心した。あれに気づかないほど、朔は鈍くないと思ってたし」
「優しくて、頼りになる人だと思います……。だからつい、甘えすぎてしまうんです」
わたしが頼ったら、雪根さんはさらに甘やかそうとしてくる。
それでまた頼って……、悪循環が延々と続いてしまっている。
早いうちにどうにかして抜け出さないと、わたしだけでなく雪根さんまで泥沼に嵌ってしまいそうで怖い。
「それって悪いこと? 甘やかそうとしてるんだから、気軽に甘えればいいんじゃないの?」
「……でも、それだと雪根さんの好意を利用しているみたいで……」
「よくわかんないけど、朔が気づいてるなら俺が言うことはないか。……雪根さんで悩むんだったら、望みはないだろうし」
啓斗さんは空の籠を持って、次の洗濯物を取りに行くため屋上をあとにする。
残されたわたしは敷布の陰に隠れてため息をついた。
あれがだめだから、こっちにする?
……明将あきまささんがだめなら次は雪根さん?
簡単に心移りしそうな自分が浅ましく思えて仕方がない。
彼の真っ直ぐな気持ちを思うと、わたしの恋情はあまりにも軽い。
だからこそわたしは雪根さんの優しさに、これ以上甘えてはいけない。
華闇の総本山にいる母の容体は相変わらずだそうだ。
お見舞いとかの理由は抜きにして、今回の一件が終われば華闇に行けと宮城さんに言われていた。
正式に赤兎班に所属するにしても、華闇総本山である、中央霊山での修練が必須になるからだ。
わたしは……。今も心は変わらなくて。
たとえ報われなくても、明将さんが好き。
こんなわたしが、雪根さんを振り回してはいけない。
心の整理をつける意味でも一度、わたしは赤兎本部を離れるべきだろう。
安定期は終わりを見せない。そんななか、寒さが一段と増して山が紅葉に彩られた矢先、木枯らしが吹いた。
警戒態勢は続くものの御社の一件以来大きな襲撃もなく、赤兎班の人たちの時間に余裕ができはじめる。
「御社に顔を出すか?」
明将さんに提案されたのはそんな時だった。
時間が出来たら一樹さんに会いに行きたいとは、かねてより伝えていたけれど、母の一件以来、御社へは足を運べていなかった。
「ご迷惑ではないでしょうか」
いざ提案されると及び腰になってしまう。
蟲に襲撃された御社は多数の犠牲者を出し、今も山の穢れは清めきれていないらしい。
現在、一樹さんの管理する御社は関係者以外の立ち入りが禁じられている。
深刻な状況でわたしが訪ねても問題ないだろうか。
「安定期が終われば御社の本格的な浄化が始まるから、むしろ行くなら今のほうが都合がいいと思うぞ。宮城さんに先触れを頼めば、あちらも否とは言えないだろう」
明将さんはいたずらっ子のように笑った。
「俺は特に話すことはないが、元気になったあの人を見ておきたいんだ。使って悪いな」
「いえっ、そういうことでしたら、わたしも一樹さんにお会いしたかったので。……その、よろしくお願いします」
「了解」
明将さんの行動は早く、その日の午後には御社へ行く許可を宮城さんから貰ってくれた。
昼食の片付けが終わったのを見計らい、わたしと明将さん、そして雪根さんは赤兎本部を出発した。
少人数での訪問となるが、前回と違って赤兎本部には動ける人が詰めている。
御社までの距離も近いため、有事の際はすぐに赤兎班が駆けつけられる体制が整っているのは心強かった。
そもそも神を祀る神聖な場所で、何かが起こるというのが例外中の例外だったのだ。あんなこと、もう二度とないと思いたい。
目的地にはすぐに到着できた。
ふもとの駐車場に車を停めて、石の階段を上る。
聞いていた通り参拝者の姿はなく、御社へと続く道はとても静かだった。
階段の途中で、空気が重くねっとりとしたものに変わった。
「これは……」
「ひどいな」
明将さんと雪根さんも異様な空気を感じ取ったらしく、二人とも顔を顰めている。
「結界があるから外に漏れることはないけど、予想以上に悪い状態のようだね」
雪根さんが境界線を指差した。
かつては敵の侵入を防ぐために設けられていた御社の結界は、役目を変えて内側の穢れを外へ出さないための封じとなっている。
あの時、闇泉の穢れが深淵に影響を及ぼすのを防ぐことはできた。でも、それで終わりじゃなかったんだ。
改めて、母の罪を考えさせられる。
どうしたって過去は変えられない。苦悩を一緒に背負えなかったわたしはこれから、母のため、御社のために何ができるだろう。
重々しい空気の中を上へと進んでいく。
見えてきた表門は固く閉ざされていた。
両開きの大きな扉の横に設置された、片開きの戸を雪根さんが叩く。
しばらくは内側から反応がなく、何度か繰り返してようやく人が近づいてくる足音が聞こえてきた。
「遅くなりました。お話は伺っておりますので、土地守りの元へご案内します」
戸を開けた袴装束の男性は顔色が優れず、とても疲れているようだった。
常時穢れの中に身を置いているのだ。無理もない。
彼がわたしに見せた複雑な表情にちくちくと胸が痛んだ。
しんとした境内に、わたしたちの足音だけが響く。
蔓延した穢れは華殿にも及び、じわじわと内部の神聖な空気が削られているのがわかった。
一樹さんとは社務所で再会を果たすことができた。
「……ほんとうに、よく無事に戻られましたね」
柔和な笑みで出迎えてくれた一樹さんを前にして、安堵の息がこぼれた。
「一樹さんも、ご無事で良かったです」
「おかげさまで。命拾しました」
その言葉には、曖昧に頷いてしか返せなかった。
後ろに立つ明将さんが、どうしても気になってしまったのだ。
社務所の一室でわたしと一樹さんは、机を挟んで向かい合う形で椅子に座る。
明将さんと雪根さんは任務という形式を保ち、わたしの後ろに控えていた。
怪我の影響と、穢れの中にいるせいもあるのだろう。一樹さんの顔色もかなり悪い。
「一樹さんの……、その、お体は……」
不安げに伺えば、察した一樹さんに苦笑された。
「もう若くもありませんからね。この環境は身にこたえます。安定期が終わり次第わたしも一度、中央霊山へ戻りますので、それまでの辛抱です」
「……そう、ですか」
なんと返せばいいのか。気遣いひとつできないわたしに、一樹さんは微かに首を傾げた。
「お母様はご無事でしたか?」
質問に、胸が締め付けられながらも頷く。
「はい。ですが、華闇の総本山へ送られる途中で、体調を崩してしまったようで……。今も、あまり回復していないそうです」
「では、お話ができる状態ではないと?」
「意識が混濁していると聞きました。早く良くなるといいのですが……」
「それは……お気の毒ですね」
一樹さんが言葉を濁す。御社を穢した張本人を同情する、彼の心境も複雑そうだ。
「それでその……、母が居たという牢屋をわたしに見せていただけませんか?」
「理由をお伺いしても?」
わたしのお願いに、一樹さんは表情こそ変えなかったが明らかに渋った。
「母は御社の牢から自力で逃げ出したとは考えにくいと、宮城さんが言っていました。そこに敵につながる、何かしらの痕跡が残っていればと思いまして」
理由を説明しても色良い返事はもらえなかった。
「検分をお願いしたいところですが、華闇の牢は少々特殊でして……。関係者以外に安易にお見せすることができません。かの方の申し出だとしても、さすがにそれは……」
「……わかりました。無理を言ってすみません」
「つまり総本山の許可を取ればいいんでしょ?」
雪根さんが口を挟み、わたしと一樹さんは同時に顔を上げた。
「宮城さんに言えば難しいことじゃないだろうし、次にきた時には調べられると思うよ」
きっぱりと言い切る雪根さんに、一樹さんは顔を綻ばせた。
「そうしてください。お手間を取らせて申し訳ございません」
「……はい。こちらこそ、いきなりすみませんでした」
もとよりここに来る前に、宮城さんにひとこと聞かなかったわたしが悪い。
それぐらいお願いすれば見せてもらえると、慢心していた結果だ。
相談や報告は、もう少しこまめに行わないといけないと思い知らされた。
一樹さんたちがこの御社に常駐するのは、今回の安定期まで。
神の加護が戻り次第、彼らは華闇の総本山へ戻るそうだ。
そこで本格的に、穢れの対処法を話し合うとのこと。
安定期はあと少しで終わる。
御社の人たちの体調を考えると、ここに留まる時間が短いのはいいことのはず。
それなのに、この胸騒ぎはなんだろう……。
御社に蔓延する空気に外つ国の神の気配が混ざっているのは当然だ。
この地の穢れは、あの男に由来するものなのだから。
でも……、本当にそれだけ……?
気持ち悪さが身に纏わりついて、徐々に吐き気がしてきた。
わたしの体調を心配した明将さんと雪根さんに促され、早々に御社を出る運びとなった。
最後は一樹さんも表門まで出てきて見送ってくれた。
「また来てもいいですか?」
「いつでもどうぞ」
そんな挨拶を交わし、わたしたちは階段を下った。
ふと途中で振り返り、大きな門を見上げる。
見送りに立つ一樹さんが、穏やかに笑いながらひらひらとこちらへと手を振った。
慌ててわたしもお辞儀で返し、先を行く明将さんたちと開いてしまった距離を縮めるべく、急いで階段を駆け下りた。




