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22.母(中)





      ◇  ◇  ◇







空木村へは帰らない。


決断したわたしは、学業の傍ら短期労働に打ち込んだ。

都市で生きるならまずはお金が必要だ。蓄えは多すぎて困ることはない。

倉庫作業に工事現場、料理店——、接客に肉体労働に事務仕事と、雇ってもらえるところがあればどんな仕事もした。


大学と仕事に忙しくなり恋人とは疎遠になったけど、それを気にする余裕がないぐらいとにかく必死だった。




大学四年の秋の終わり。

なかなか卒業後の就職先が見つからないわたしを、恋人が呼び出した。

とうとう別れ話かと身構え彼に会いに行くと、彼は真剣にわたしを心配していた。


何かに追い立てられているのは知っている。しばらく様子を見守っていたが、もう限界だ。

困っていることがあるなら、頼むから相談ぐらいしてくれと、彼は真摯に告げてきた。


ひとりで生きようと決めたのに、上手くいかなくて。就職先はおろか卒業後の住む場所さえ決まらない。

途方に暮れていたわたしは彼の優しさにすがり、故郷のことを全て話した。



彼の行動は早かった。

旧家と縁の深い家の出自らしい彼は、学生ながらも一軒家を所有していた。

わたしは住所を下宿先のままにして、彼の家に上がり込んだ。


大家さんに口止めしつつ、少しずつ私物を移動させ、年の瀬にはわたしの引っ越しは完了した。


彼は卒業後すぐに結婚して家に入ってほしいと言ったけど、わたしは就職を強く希望した。

短期労働で勤めていた事務所の社長が、卒業後も正社員として雇いたいと言ってくれたのだ。


こんな本音、彼にはとても言えなかったけど……。できることなら社会を経験して、いざという時の選択肢を増やしておきたかった。


大学卒業が迫ると、下宿先に空木村の人が訪ねてきたと大家さんから度々連絡が入るようになった。

大学近辺でもわたしを探す者の気配を感じたが、直接村人とでくわすことはなく、無事に卒業を迎えた。





そのまま順調に、仕事と彼との生活が始まった。


しかし社会人生活は長く続かず、就職してわずか二ヶ月でわたしは会社を辞すことになる。


彼との子どもを身籠ったのだ。


わたしのことは絶対に守るから結婚しようと彼に言われた。

そしてお腹の子に嬉しさと同時に戸惑いを覚えるわたしを、彼は自らの両親に紹介した。




彼との幸せはそこで終わる。


彼の親がわたしの出自と育ちを調べるために、空木村へと使いをやったのだ。

芋づる式にわたしの所在は照土にばれて、叔母たちが村へ連れ戻そうとやってきた。


彼は絶対に守ると誓ってくれたが、家の前でなりふり構わずわたしの名を叫ぶ村人たちは恐怖でしかなかった。


不幸中の幸いだったのは、辺境の村とはいえ、わたしが歴史ある血筋ということが彼の両親に知れたことか。

意外にもあっさりと結婚の許可が下り、同時に彼の家が照土との間に入って交渉してくれる運びとなった。



それから間も無く。

婚約者となった彼の家から伝えられた交渉の結果に、わたしは愕然とする。



——お腹の子を差し出せば、愛里は諦めよう。



照土の家と彼の家では既に約束が交わされ、出産後すぐに赤子は照土家へと引き取られることが決定していた。


絶対に嫌だと泣きつくわたしを彼は慰める。


優しく、穏やかな声で彼は言った。




子供ならまた作ればいい——と。




この子が産まれたら、あの村に渡す?


わたしの幸せのための犠牲にしろと?



照土はこの子に愛を与えない。

あそこはただ神代巫女の宿命を背負わせるだけの、寂しい家だとわたしが誰よりも知っている。



そんな場所に、……わたしの子を?



冗談じゃない。



一瞬にして目が覚めた。この子は絶対に渡さない。

子供を簡単に見捨てるこの男もいらない。


わたしは学生時代に貯めたお金を持って、何も言わずに彼から逃げた。






それからは皇都の裏町にある古い集合住宅に身を隠した。

出産して子どもを育てるにも、とにかくお金が必要だった。

つわりが落ち着いてから、無理に頼み込んで裏町の夜の食堂で働かせてもらった。


日の元では夜は休息の時間とされ、深夜に営業する店は世間的によく思われていない。

だからこそ彼や村の者に見つかる心配も少ないと判断した。


夜の食堂の客は主に祓い屋とされる人たちで、ここは祓い屋たちの仕事の拠点と情報交換の場となっていた。


最初は雇用に渋っていた店主も、わたしが接客だけでなく食材の発注管理といった裏方の仕事もこなせるとわかると重宝してくれた。

短期労働でいろいろな経験を積んでいてよかった。


だけどやっぱり、身重の体で夜に働くのは良くないと、散々悩んだ店主はわたしにひとりの男性の家事手伝いという、新しい仕事を紹介してくれた。





奇妙な縁があるものだ。

果たして紹介先はどんな男性かと警戒しつつ顔を合わせたのは、わたしの知っている人だった。


民俗学に博識があり、大学に入学したてのころ、都市部の暮らしについてたくさんの知識をくれた人。


わたしはそこで、大学の恩師・雲居(くもい)宗作(しゅうさく)と再会した。





再会に驚いたのはあちらも同じようで、恩師はわたしに事細かく事情を聞いてきた。

空木村の神代巫女について把握していたその人は、わたしの状況を理解するのも早い。


そして唸りに唸って考え込み、やがてひとつの提案をわたしに示した。



結婚して、自分の籍に入らないか——と。





雲居先生は大学の職を辞していた。聞けば不治の病に侵され、長くは生きられないという。


ずっと大学で研究に明け暮れていた先生には余命を知らせる家族もおらず、知人からわたしを紹介されなければこのままひとりで死んでいくつもりだったらしい。


自分を看取り、葬式など死後の世話をしてくれるなら、遺産はお前にやる。ついでに腹の赤子も、自分の子として認知してやろう。そうすれば照土の姓も、馬鹿げた男の姓も名乗らなくて済む。

未亡人には得しかないぞと、先生は豪快に笑ってみせた。


雲居先生の心意気が嬉しくて、わたしは泣きながらその提案を受け入れた。




それからすぐに入籍して、わたしの姓は照土から雲居になった。


静かで穏やかな先生との生活は、わたしの人生において決して長い時間でなかったが、幸せに満ちていた。

世話人として雇われたのに、妊婦にそんなことさせられるかとちっとも家事をさせてくれない。

喧嘩はあったがそれもまた楽しくて、わたしにとってその人は夫ではなく、父親のような存在だった。


だけど時が経ちお腹の子が大きくなるにつれ、先生も次第に弱っていって、ついには入院を余儀なくされた。


毎日病院へと足を運ぶわたしを、先生はいつも無理をするなと怒り顔で迎えた。



臨月に差し掛かろうとしたころ。

これからのことが不安で不安で、わたしは病院の寝台に横たわる先生の前で愚痴を吐いた。

もう長くない。病で意識が朦朧としている人にする話じゃないとわかっていても、止められなかった。


先生は静かにわたしの言葉に耳を傾け、点滴に繋がれた細い手をわたしのお腹に置いた。



「……お前の子だ。強く育つさ」



弱々しい声に、泣きながら何度も強く頷いた。



翌週。

治療も虚しく彼は息を引き取った。




葬儀の喪主は夜の食堂の店主が務めてくれた。

雲居先生と店主の間では生前から話が決まっていたらしく、わたしが表舞台に立つことは最後までなかった。




そして先生が亡くなった二週間後、わたしは無事に女児を出産した。


産まれてきた子には恩師の名前——宗作から音をもらい、朔と名付けた。


あの人にはいくら感謝してもきりがない。

夜の食堂の店主に、夫の墓の管理はわたしにさせてもらえるようお願いした。店主は了承し、わたしは遺骨を預かった。


先生は驚くほどの遺産をわたしに残してくれていた。

贅沢をしなければ向こう十数年は娘とふたり十分に暮らせていける額だ。


だけど現状に甘えてはいられない。

いつまた空木村の者が連れ戻しにくるかわからないのだ。


産後、病院を退院してすぐに家を引き払い、皇都を離れた。




それからは朔を連れて、仕事と住処を転々として生きてきた。

どんなに良い職場にありつけても、空木村の気配を感じたらすぐに辞めて町を離れた。


安定しない生活でも、朔はわたしの不安をよそにすくすくと育っていった。



一度だけ、駅の階段で朔が事故に遭った時は生きた心地がしなかったけど、退院後には後遺症が残ることもなく、元気になってくれて心底ほっとした。



娘との生活はたくさんの幸せに溢れていた。


問題があるとすれば、わたしの職についてだ。

苦労してせっかく就いた仕事であっても、娘が待っているからと就業後の飲み会を断ることも多く、馴染むのには毎回時間を要した。

朔が大きくなるいつれ少しずつ仕事後の付き合いにも参加はしていったが、だけどやっぱり夜にひとりで朔を家に置いておくのが怖くて途中で抜け出してしまう。


わたしのいないところで、朔に空木村の手が掛かったらどうしよう。

できることなら、あの子は空木村のことを知らないまま、自由に育ってほしかった。




朔が小学三年になった冬のある日。

取引先を招いてのどうしても抜け出せない会食があった。

酒を飲んで酔っ払った上司が、夜の休息が取れないため世間的にも推奨されていない二次会へとわたしを誘った。


もはや常套句となった「娘が待っているので」の一言でにべもなく断るわたしに、上司は不満そうに「お前の仕事に対する姿勢は、金に余裕があるやつの趣味にしか思えない」となじった。


荒んだ気持ちのまま家に帰ると、夜も遅いのに朔が起きていて出迎えてくれた。


疲れたわたしを労い、酒の回った体にそっと水を渡してくれる。


気配りができる、よく出来た子だ。

本当にわたしが育てたのかと時々疑ってしまうほど、朔は優しい子だった。



「……朔がいなかったら、わたしの人生全く違うものになってたんだろうなあ」



もしもの未来は、ずっと頭の中にあった。

この子がいなければ、とっくに諦めていた。


逃げきれず、村に連れ戻されて、あの真っ暗な蔵に閉じ込められて……。叔母に神代巫女になることを強要されて、わたしは泣いて同意していただろう。


朔は何よりも愛おしい、わたしの宝物だから。


この子のためなら、なんだって頑張れた。







      *






皇都へは朔の中学入学を機に戻った。


街の片隅に居を構え、派遣秘書の仕事をしながら今後に備えて情報を手に入れていく。


朔の本当の父親が別の女性と結婚したことは風の噂で聞いた。

しかしいくら人の行き交いが多い都市であっても、日の元の辺境にある空木村については統計情報くらいしか手に入らなかった。


今更あの村に帰る気はない。だけど唯一、母のことだけは気がかりだった。

母は今でも、わたしが外で自由に生きていることを良しと思っているのだろうか。


わたしが最優先に守るべきは朔だ。無理はできない。

でもあの村から母を救う方法があるなら知りたかった。


空木村や神代巫女についての情報入手は難易度が高かった。

やみくもに調べて、あちらにわたしの居場所がばれるのは一番あってはならない。





焦るばかりで時間だけが過ぎていき、やがて朔は中学三年に進学した。



「——愛里ちゃん?」



そう呼ばれたのは、就業後に派遣先の会社の建物を出てすぐのことだった。

声が記憶の中でとある人物と一致して、ドクンと心臓が跳ねる。


頭が真っ白になりながらも気力で振り返ると、叔母の夫——照土奥廉おくやすが立っていた。



「愛里ちゃんだね。ああよかった!」



最後に会った時よりも老け込んだ男は、興奮気味にわたしの両肩を掴んで揺すった。



「間に合った! 諦めんでよかった!! 愛里ちゃん、すぐに村へ帰るんだ。お母さん——、留里るりさんが危篤で……」


「……え?」



真っ白な頭に、さらなる衝撃が加わった。



「愛里ちゃんが、都会の暮らしに馴染んでいるのはようわかっとる。だが、留里るりさんはもってあと数日の命じゃ。せめて死ぬ前に、一目娘の顔を見せてやってくれんかのう……」



男は弱々しげにわたしの顔色を窺う。

その態度に、腹の底から怒りが込み上げてきた。


幼いころからずっと、わたしは母に会いたかった。照土家てるつちけの者に何度も訴えては、その度に蔵へと押し込まれた。



死に目だから合わせてやりたいだと?



そんなの優しさでもなんでもない。

どうせ帰ったら、わたしは二度と村から出られないのでしょう。




——訃報を聞いても決して戻るな。




母の手紙の一文が、何度も脳裏でくり返された。



「わたしには関係ないわ!」



叫んで男を突き飛ばす。会社を退社する人たちが何事かと足を止めた。

よろめいた男は信じられないとばかりに手を震わせ、目を見開いた。



「親が死にそうだってのに、なんつう娘だ! わしらはそんな恩知らずを育てた覚えはないぞ!!」



無視して男に背を向ける。人目も気にせずとにかく走った。



「——だからわしは、都会へ行かせるのは反対だったんじゃ!」



背後からそんな絶叫が聞こえてきたが、構わず速度を上げる。



照土家に居場所がばれた。


もうここにはいられない。


皇都に長居し過ぎたのが原因か。とにかく一刻も早く、遠くに逃げないといけなくなってしまった。


息を切らせて帰宅すると、朔が不安そうに待っていた。



「……さっき、知らない人が来て、愛里さんの家はここかって聞かれたけど……。怖くなって、そんな人いないって言っちゃった」



娘の報告に息が止まった。



「ありがとう。怪しい人にはそれでいいのよ」



嘘をついてしまったことに落ち込む朔を強く抱きしめる。


なんとかしないと。この子もわたしも、あの村の奴らに捕まってたまるものか。





翌日の早朝、朔を連れて家を出た。

最低限の荷物を持って、周囲を警戒しながら皇都を脱出するつもりだった。


ひとまず裏町の民宿に腰を落ち着け、朔には絶対に外に出るなと言い含め、ひとりで派遣先の会社に向かった。


社長はとても良くしてくれた。

派遣の秘書でありながら、他の社員と同等にわたしと接し、たくさんの仕事を任せてくれた。


何も言わずにいなくなっては申し訳が立たない。

失望されるのを覚悟して、今日付けで会社を辞める旨を朝一番で社長へと伝えた。

驚きながらも社長は冷静にわたしとの面談を申し出た。


昨日の夕刻、会社の前で起こった騒動は社長の耳にも入っていたようで、彼は一体何があったのかと親身に相談に乗ってくれた。


恥を忍んで、故郷との確執を打ち明ける。

わたしがここにいると、村の者が会社に何をするかわからない。

社長と会社には十分すぎるほど世話になった。迷惑をかける前にいなくなる方が会社のためだ。


わたしの身の上話に耳を傾けた社長は、最後に大きく頷き「そういうことなら、力になれるかもしれない」とわたしに言った。




社長——奥園礼司さんは、旧家・奥園家の当主でもある。

旧家の力が届く位置にいれば、空木村の照土家てるつちけとやらも手を出せないだろうと、様々なことに協力してくれた。


わたしは派遣の秘書から、正式に礼司さんの社長秘書として雇用される運びとなった。

彼が手を回してくれたのか、あれ以来空木村の者を見かけることはなくなり、わたしたちは元の家に戻れた。


早くに妻を亡くした礼司さんは、周囲から再婚をせっつかれていたらしい。

しかし新たな妻を迎えての夫婦生活をする気が全くない彼にとって、わたしが妻の座に収まるのは都合が良かった。


互いの利害は一致する。


奥園家の庇護を得るために、わたしは礼司さんとの婚姻を了承した。



半年の間、偽装の交際を続け、やがてわたしと礼司さんは夫婦となった。

反対の声は大量に聞いたが、そんなものはどうでもよかった。


空木村も、照土家の者もこれでわたしたちに手出しはできない。ようやく朔を守れるようになったのだから。






そう思っていたのに——……。





どうしてこの村はわたしから朔を奪うの?


わたしも朔も、どんな手を使ってでも逃げきって、幸せにならなきゃいけないのに……。




だって。



だって、そうじゃないと。




母の人生を踏み台にしてまで、自由を選んだ意味がなくなる。






因縁はわたしが断ち切る。


空木村なんかに、朔は絶対に渡さない。







      ◇  ◇  ◇







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