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5.まさかの再会(下)




学校と赤兎の本部を行き来する生活は、二週間もすればそれなりに慣れてきた。


その間、義父についてどんな調査が行われているのか、こちらには一切の情報が入ってこなかった。わたしがまだ赤兎班で生活しているのだから、おそらく事態は進展していないのだろう。



これだけ長い時間を過ごしていても、わたしは未だに赤兎の本部で穂高さんと柊さん、宮城さんと、そして花歩さんの四人しか人の姿を見ていない。


わたしの食事の世話などは、全て花歩さんがしてくれていた。

穂高さんと柊さんは通学時以外で顔を合わせることが滅多になく、宮城さんに至っては最初に話して以降会っていない。


皆さん忙しいのか、それともわたしとは活動時間が違っているのか。

建物はいつもがらんとしていて、広さのわりに人の気配がなかった。


朝起きて、学校へ行って、赤兎の本部へ帰って、一日が終わる。

わたしの生活は、ここに来る以前とそう変化していない。

結局のところ、帰る場所が変わっただけだ。


……いや、違うか。


奥園の家では、留美香は別の階にある自分の部屋で生活していた。母と義父も仕事でほとんど家に帰ってこなかったから、わたしはいつもひとりだった。


ここでは毎日、食事の時間に花歩さんと顔を合わせている。

彼女は人当たりがよく、口下手なわたしにも明るく話しかけてくれるから、ぎこちないながらも会話が弾んだ。

もしかしたら、わたしは家にいた時よりも今のほうがたくさんお喋りをしているのかもしれない。


気を遣ってくれる花歩さんには、とても助けられていた。


それでもやっぱり、わたしが安心できる時間は、ひとりきりになれる夜にあった。


人が寝静まった深夜に、真っ暗な部屋で寝台に腰掛けて目を閉じる。

風の音や虫の声に耳をすませ、暗闇に発生する小さな動きを感じ取る。


夜は日中のように情報の洪水に溺れる心配もない。


体の力が自然と抜けた。

暗闇に紛れて、闇の世界の気配を微かに感じられる。この時間が一番好きだ。


もう少ししたら、寝台に横になって眠ろう。


あちらの世界へ行ける機会は、わたしが高校生になったころから格段に少なってしまった。

今日こそはと期待して、朝に落胆するのを繰り返すうちに、だんだんと闇の世界にたどり着けないことを受け入れてしまうようになった。


今となっては、みんなに会える日のほうが珍しい。


わたしは大人になるまでにあと何回、闇の世界に行けるだろうか。


離別の日は突然くる。

なんとなく、そんな予想はできていた。


寂しさになかなか眠れずにいると、外の空気が不自然に震えた。

何事かと立ち上がったちょうどその時、恐怖に染まった悲鳴が頭の中に響く。それと同時に身に迫る白に怯えて、必死にもがく小さな黒い靄が脳裏に過った。


慌てて窓の外を見た。

はっきりと気配が感じられる近い場所に、確かにいる。

闇の子が、こちらに迷い込んでしまったんだ。


一刻も早く見つけ出して保護しないと。


焦る気持ちに任せて六畳間を飛び出したものの、台所の前で別の焦りに見舞われて立ち止まった。


ここがどこなのか、自分がどういう立場なのか、忘れたわけじゃない。

赤兎班に預けられている身で、無断で外に出ていいはずがないのだ。


わたしが迷っている間も、闇の子はもがき苦しんでいる。


どうしたらいい。


花歩さんや穂高さんに正直に話せば、外出の許可は貰えるだろうか……?


……だめだ。

甘い考えを取り払うために首を横に振る。

普通の人には闇の子は見えないし、認識できない。

言ったところで信じてもらえないだろう。


でも……、こんな近くで感じた気配を放ってはおけない。


意を決して運動靴に履き替え玄関の戸を開けた。

照明の消えた静かな廊下を、可能な限り足音を立てずに歩く。階段を下り一階を正面玄関とは反対方向へ進んだ。

裏口の鍵は内側から簡単に開けられた。


迷い子を連れて帰ってくるだけ。

すぐに戻れば大丈夫。

そう自分に言い聞かせて、建物を離れた。



街灯の消えた道路を、闇の子の気配を辿りながら走る。

赤兎の本部から三軒ほど離れた場所に建つ商店の裏の小道で、目を凝らして周囲を探った。

どこだろう。すぐそこに混乱して必死にもがいている闇の子がいるはずなのに、はっきりとした位置が特定できない。


道と建物の敷地を隔てる垣根が揺れた。

がさがさとなった音の出所を探ろうとして、異変に気づく。


もがき苦しむ闇の子の他に、もうひとつ。近くに何かがいる。

異質な気配を辿り、垣根に囲まれた建物を見上げた。



視線の先。

三角屋根の頂から、それはわたしを見下ろしていた。


姿を捉えた途端にそれが屋根を飛び降り、目の前に立ち塞がる。


高さはわたしの腰ぐらいある、巨大な茶色い鼠だ。

暗闇でも色が認識できるということは、それ自体が強い光の属性を持っている。


これは動物じゃない。(あやかし)の類だ。


鼠の妖が後ろ脚で立ち上がる。身の丈はわたしの身長よりも高くなった。


妖や怪異に属するものをはっきりと目の当たりにしたのは初めてだ。

いつも何処かに身を潜めているのは知っていたけど、自らわたしの前に出てくるものはこれまでいなかった。


化け鼠の突き出た口から涎が溢れ、地面にぽたりと垂れる。


妖は飢えていた。

纏う気質が不安定に変化し、歪む。

耐え難い渇望を満たすために、わたしを襲おうとしている。


目を逸らせばすぐにでも飛びかかってきそうな巨大な鼠と睨み合う。注意深く観察し、なんとか突破できないかと思案にくれていた時……。


わたしは巨体の中に、探していた気配を見つけてしまった。



「……っ、なんてことを!」



一度気づいてしまうと、その存在ははっきりと知覚できた。

闇の子は、目の前にいる。化け物に飲み込まれたのだ。


鼠の体内から外へ出ようと必死にもがいて、恐怖に怯えている。


驚愕するわたしの後ろで、向こうの世界から誰かが「逃げろ」と強く訴えてくる。

無理だと心の中で呟き、必死になって考える。


なんとかして助けないと。

わたしだけ逃げるなんてできない!



鼠の妖が前脚を地面につけて姿勢を低くする。今にも飛び掛かってきそうで足が竦んだ。


睨み合いが続くなか、先に目を離したのは妖だった。

急に鼻先をひくひくと動かし、垣根へと突進して隠れたかと思えば、また道路へと姿を現す。


……一体何がしたいのだろう?



「……なんでお前がここにいる」



いきなりした声に驚き振り返る。

わたしのすぐ後ろには、いつかの夜に会った二人組が立っていた。


妖に集中しすぎて、接近に気づけなかった。


男性二人はわたしを追い越し、妖の前に立ちはだかる。

化け鼠は黒板を爪で引っ掻いたような耳障りな鳴き声で、二人に吠えた。



「逃げないのか」



二人組のうち、以前相方にアキと呼ばれていた男性が怪訝そうにしながらさらに前へと踏み出す。



「危ないから下がって」



もう一人の男性が、わたしに化け鼠から離れるよう後ろ手に指示を送る。



「恐怖心がわからなくなるまで狂ったか。なんにせよ好都合だ」



アキ、が。

腰に挿した短刀を引き抜く。

露わになった刀身の、尋常じゃない力に目を見張った。



——霊力? 妖力?



なんと言うのかは知らないけれど、あの短刀は化け鼠を簡単に滅ぼせてしまう代物だ。



「——っ、待って! あれの中に、闇の子が!」



たまらず叫んだ。

二人の注意がわたしに向いた一瞬をついて、化け鼠が動いた。

鼠はあの巨体でいとも簡単に垣根を飛び越え、建物の壁をよじ登る。



「くそっ」


「アキ、お願い」



近くにいた男性がわたしをアキへと押し付けて化け鼠を追った。

軽い助走で垣根を跳び超え、商店の敷地内に入る。彼は排水管に手をかけ、壁の僅かな窪みに足を入れ、あっという間に建物の中腹へと到達した。


男性は屋根の上から顔を出した化け鼠に、先の尖った投擲武器を投げる。

狙いは外れず、小さな武器は暗がりの中で化け鼠の目に刺さった。


けたたましい鳴き声を響かせて、化け鼠は建物の屋根から飛び降りる。

続いて男性も壁を蹴って軽々と道に着地した。


片目を潰された化け鼠が男性に襲いかかる。

それを余裕でかわした彼は、化け鼠の脇腹に短刀を突き刺す。



「だめ!」



切られた部分から青白い炎が発生し、化け鼠を包み込んでいく。



「やめてっ。まだ……、あの子は生きてる!」



妖に近づこうとするわたしを、アキが取り押さえる。



「もう手遅れだ! あれに取り込まれては、助からない」


「うそ! だって、まだそこに……」



声という音になって、耳を通して聞こえなくても、あの子は化け物の内側から悲鳴を上げている。

あの子の強い恐怖がわたしには伝わっていた。


次第に化け鼠の体がぼろぼろと崩れだす。

闇の子の叫びもやがて届かなくなった。


青い炎が消えるとアキはわたしの拘束を解いた。


ふらつく足取りで、化け鼠だったもののところへと歩く。

焼けてできた塵が風に乗って運ばれていく。

数秒もしないうちに、化け物は散ってなくなり、わたしはその場に膝から崩れた。


こんなことって。

こんな終わり方はあんまりだ。


闇の世界で、あの子はただそこにあっただけなのに。

意図せず境界に発生した穴に落ち、眩しい世界に迷い込んで。怖い化け物に捕食され、化け物退治に巻き込まれて死んでいく。

どうして、闇の子がこんな目に遭わなければいけないの。


悔しさに歯を食いしばる。

自分の無力が腹立たしかった。


アキがわたしの近くに来た。



「送っていく。家はどこだ」


「……ひとりで帰れるわ」



彼らが悪いわけじゃない。

わかっているけど、口調はきついものになってしまう。


八つ当たりみたいで、ますます自分が嫌になる。



「ちゃんと送ってもらおうか。帰る家を間違えられたら困るからね」



……うそ。

聞こえるはずのない声に血の気が引いた。


わたしが夜に出歩いていることを、一番知られてはいけない人の声。

血の気の引いた顔でゆっくりと後ろへ振り返った。


聞き違いであって欲しい、なんて願いは叶わず。

穂高さんと柊さんが、そこにいた。



「……どういうことですか?」



誰だ、と穂高さんたちを警戒するでもない。アキの問いかけにますます混乱する。


穂高さんはそんなアキともう一人の男性に肩をすくめながら、わたしの前に立った。



「それはこっちが聞きたいな。知り合いだったなんて、報告は受けていないよ」



腰をかがめて顔を覗き込んでくる穂高さんに、無言で首を横に振る。

わたしだって聞きたい。


妖を追いかけている二人組と赤兎班の人たちが知り合いって……、どうなっているの。


こちらの戸惑いを受け取ってか、穂高さんは苦笑して姿勢を正す。

そしてやれやれとため息を吐き出した。



「尻尾を掴ませてくれるかと思ったけれど、君は予想外の方向に突っ込んでいく子だね」



言葉の意味は、すぐに理解できた。


わたしはあえて泳がされていたのだ。



「まあ、学校は自由にさせているんだから、夜間の方にそこまで期待はしていなかったんだけど」



二人組と柊さんへ、穂高さんが視線を移す。



「とにかく戻ろうか。宮城さんにも報告しないと」


「穂高さん、こいつは」


「……そうだね」



穂高さんは真剣な表情でわたしの背後を真っ直ぐに見つめた。



「ここは地上です。過度な干渉は世の定めに反します」



はっきりと言いきって、穂高さんがわたしへと手を差し出す。

背後で闇がざわついた。


若造が、と。強い憤りを感じたけれど、あちらの世界で見守ってくれている誰かは、渋々ながら身を引いたみたいだった。


どうして穂高さんが、みんなのことを知っているのか。考えている余裕はなかった。



「立てるかい」


「……はい」



腕を引かれて立ち上がる。

彼らに連れられて、わたしはあの牢獄へと戻された。





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