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17.愛里の娘(下)




      ◇  ◇  ◇





山の中腹にて。

はらわたをえぐられた袴装束の男の死体を横目に、雪根は結界の一時的な修繕を完了させた。


頂上に建つ御社を守るため山の要所に設置された結界の起点は全部で八つ。そのうち二つ、表の参道に最も近い場所が何者かによって破壊されたのだ。

結果、参道になだれ込んだ蟲によって、帰りを急ぐ参拝者が何人か食い荒らされた。


犠牲は出たものの、たった三人の赤兎班の人員で境内への蟲の侵入はどうにか防げた。鳳の応援が駆けつけるまで、よく生き延びられたと雪根は自分と仲間の強運に感謝した。


社勤めの男の死体はそのままに、御社へと戻る細い獣道を登る。雪根に成人男性を担ぐ気力は残っていなかった。


鳳の応援が蟲の駆除に加わったとき、雪根はひとり戦闘を抜けて結界の修繕に走った。社勤めが役に立たないなら、自分がやるしかなかった。

蟲を警戒しながらの、参道を挟んだ二つの地点の修繕にはそれなりの時間を要した。


即席とはいえ結界は完成できた。

力の依代となっている石は取り替えが必要だ。ちゃんとした修繕は一樹たちが近日のうちに行うだろう。

ひとまず蟲は入り込めなくなったので山中は安全だ。


日はすっかり沈み、汗ばんだ身に冷たい夜の風がささる。


少し前から参道方面で大きな物音は聞こえなくなっていた。ならば明将と啓斗は先に境内へ戻っているはずだ。


ぬかるんで足元が不安定な道とも言えない道を、慎重に一歩一歩踏み締める。

胸にたちこめるもやもやがとにかく不快だった。


一体誰が、山を守る石を壊したのか。

結界が発動しているうちは、蟲はおろか外の神も依代の石に近づけない。


順当に考えればこれは人の仕業なのだろうが……、日の元の民で御社を害することを実行に移せる者はそういない。


これも朔の母、愛里が——?


しかし彼女が拘束されてから結界が壊れるまでに、かなりの時間差があった。別の協力者がいる可能性も捨てきれない。


壊した結界の位置が、最も判明しやすい参道近くだったのも気になる。まるで敵は蟲の侵入を御社の者にあえて気づかせようとしたみたいだ。


そして何より不可解なのが、襲撃してきた敵の数だ。

襲ってきた蟲たちは御社の関係者と参拝者を皆殺しにするには、明らかに過剰な量だった。


たまたま雪根たち赤兎班が居合わせたから無事に済んだものの。

今日の昼間、朔が御社へ行きたいと言い出さなければ今ごろ、ここには血の海が広がる惨状ができあがっていただろう。

これを幸運でかたづけていいのか。


木々の間にぼんやりと見える灯籠の明かりを目印に進んでいると、やがて参道に戻れた。

階段の先を見上げれば、鳳の他班が参拝者を下へと誘導していた。


人の流れに逆らい階段を登る。石の不規則な段差が疲れの溜まった脚にこたえた。

やっとの思いで境内へ辿り着く。人の集まる社務所では、社勤めの男数人に無事を安堵された。



「俺以外の赤兎班の二人は?」


「先ほど戻られて……、闇泉のほうへ行かれました」



闇泉へ……何をしに? 疑問は口にせず、ふらふらと社務所へと踏み入れる。花歩が待っているであろう部屋の扉を開いた。


小さな照明が灯る部屋の中に寝かされた一樹と花歩をみとめ、雪根の足がとまった。


なぜ二人して、ここで寝ているのか。

一樹も花歩も、こんな状況下で眠れるような人ではない。


境内で何があった?


考えを巡らせるうちに思考が鮮明になっていく。

神経が麻痺し、疲労がすぅっと消えた。


息をするのも忘れ、雪根は社務所の壁越しに闇泉のある方向を食い入るように見つめた。



「——っ!」



最悪の事態が頭をよぎり、急いで社務所を飛び出た。

数秒前と打って変わった素早い雪根の動きに、外で待機していた者たちがぎょっとする。



「朔はどこ?」



誰にというわけでもなく、質問を投げかける。


どうしてあの子がここにいないのか。



「俺たちと一緒に御社に来た、彼女は今どこに——?」



雪根に明確な答えを出せる者は、誰ひとりこの場にはいなかった。







      ◇  ◇  ◇







布が押し込まれた口の中。からからに乾いた喉に舌がくっつき、息ができず苦しさにむせた。


急激に意識が覚醒する。

目が覆われて視界が真っ暗な状態で、どこかに横向きに寝かされた体は、常にがたがたと不規則な振動を受けていた。

手は後ろに拘束されたままだ。

一度出た咳はなかなか止まらず、腹筋に力が入り殴られた鳩尾部分が鈍く痛んだ。



「どうした? 目ぇ覚めたか」



低い機械音に混じって声がした。

毛布だろうか。体を覆っていた布が捲れ上がる。


咳き込んで反応できずにいると、口周りの圧迫感が消えて、口内の布が取り外された。



「……みず、を」



けほけほと、乾いた咳の間になんとか呟けば、近くの男が「よかった、生きてたか」と安堵する。



「なんだ、喉が渇いたのか」


「あんま飲ませると小便漏らすぞ」


「死なれちゃ困るだろ」



顔を上向きに固定され、口に少量の液体が流し込まれた。苦味からして、お茶のたぐいだと思う。

喉は潤ったものの、水気が気管に入りかけて再びむせる。



「じきに村に着く。なあに、あんたは大事な後継ぎだ。悪いようにはせんさ」



そう言って男はわたしの全身に毛布をかけ直した。


咳が落ち着くのを待って、周囲の気配を探る。

さほど広くない空間。すごい速さで移動している。

音からして電車じゃない。どうやら大型車の一番後ろの席に転がされているようだ。


前方には運転手を含め、大人が六人。さっきの声からして、御社からわたしを連れ去った人たちで間違いない。


彼らひとりひとりに意識を向けていく。……かつて須藤雷也だったモノ——、外つ国の神はここにいないようだ。



今は何時だろう。

御社を離れてどれだけの時間が経過した?


刺された一樹さんは?


明将さんたちは無事なの?


……お母さんは?


外つ国の神は、どこに——?



わからないことが多すぎる。

御社のその後を知れないのが、殊更不安を煽った。


推測できたのは、わたしを攫ったこの男たちの正体と、現在向かっている行き先だけ。


「愛里の娘」と彼らはわたしをそう呼んだ。その情報だけで十分だった。


ここにいるのは母の故郷——空木村の人たちだ。





この人たちはなぜ今日、あの時間に御社へ来たのだろう。あまりにも間がよすぎる。

空木村と外つ国の神は、一体いつから繋がっていたの?


母は、わたしがこうなることを知っていた?



……わたしは、母に売られたの……?



でも、母は故郷を嫌悪して、常々わたしに空木村とは関わるなと説いていた。

決めつけるのはまだ早い。なんとしてでも母に会って、確かめないと。


安定期が終わるまで、助けは期待できない。

赤兎班の人たちはわたしよりも日の元を優先させる。確信があったし、彼らはそうしなきゃいけない。


鳳の専門の班が捜索をしてくれる可能性はあるけれど、御社で姿を消したわたしと空木村を関連付けるのは難しいだろう。

空木村は山奥の閉ざされた場所にある。隙をついて脱出したところで、街まで逃げられるか。


現実性のないことにまで、あれこれ思考を巡らせる。

こじつけでもいいから希望を見出さなければ、心がくじけて全てを諦めてしまいそうだった。


まだ、終わりにしたくない。



もう一度……、彼に会いたかった。






どれだけ走っただろう。

途中で車が給油所に立ち寄る際に、再び口を塞がれた。毛布を何重にも体にかけられ、重さと暑さに頭がくらくらした。


意識が朦朧とし始めたころ、走行する車の揺れが激しくなり、右へ左へと急な曲がり道に体が大きく傾くことが増えた。山道に入ったのだとわかったが、揺れからくる酔いと、体の暑さと疲労感から、次第にわたしの意識は遠のいていった。




「——おい、起きろ」



頬を叩かれて目を覚ます。

いつの間にか車はとまっていた。体を包む毛布は消えて、口の猿轡も外されている。しかし逃走を警戒しているのか、手首は縛られたままで、視界もいまだに真っ暗だ。



「この状況で眠りこけるとは、随分図太い神経してんな。今後が楽しみだ」



馬鹿にされても、言い返す余裕がない。そんなわたしを男は担ぎ上げ、車から降ろした。


外気が顔に当たる。冷たい風は一足早い冬の気配を帯びていた。

暗闇にいるときの独特な静寂に微かに混ざるうごめきが、もうすぐ夜が明けることを教えてくれた。



男が屋内に入った。

建物は二階建てのようで、無数の人の気配をあちこちに感じる。

木板を軋ませながら奥に進んだ男は、やがて板間にわたしを下ろした。


目隠しと手の拘束が外される。一番最初に見たのは、木でできた格子だった。

横に立つ男が隅にある格子戸をくぐり、外から鍵をかけた。



「話しは明日だ。そこでおとなしくしてろ。あぁ……俺もやっと寝れるわ……」



そう言って、大きなあくびをしながら男は去っていった。


座敷牢、という単語が頭に浮かんだ。

角材でできた格子の先は廊下になっていて、向かいの壁には剥き出しの電球がひとつ、申し訳程度に光っていた。

それが今いる場所を照らす唯一の光源だけど、正直この明かりはいらない。

通された部屋は前方を格子、後方と左右を土壁に囲まれている。左奥の角には布団が畳まれて置いてあった。その布団の手前に長方形の盆があり、やかんと湯呑みが乗せられていた。


部屋の右奥は板間が一段下がっていて、近づいてみると糞尿の臭いが漂ってきた。

高さが低くなった場所の床には手のひらを広げたくらいの穴が空いていて、その下で水が流れる音がしている。


格子を隔てた廊下の先から人が来る気配がして、部屋の中央に戻る。

数秒もしないうちに、寝巻き姿の女が現れた。



「あんたが愛里の娘だって?」



腕を組み、値踏みするように不躾な視線を送ってくる。

沈黙を守っていると、鼻で笑われた。



「へぇ、生意気な目が愛里にそっくり」


「……あなたは」


「明日になさい。ったく、こんな夜中に起こされた身にもなりなさいよ」



彼女は気だるそうに顎で部屋の奥を示した。



「布団はそれ、便所はそっち。朝に食事を運んでほしければおとなしくしてな。くれぐれも騒いで起こすんじゃないよ」


「なぜわたしはここに……?」


「そんなの、愛里が逃げたからに決まってるでしょ」



鬱陶しそうに言い放ち、その女はきびすを返す。



「わたしがちゃあんと、いちから教育してあげるから、安心しな。あんたは立派な、神代巫女になるの」


「その話はお断りしたはずです」


「はっ、あんたに断る権利なんて、あるはずないじゃない」



格子の向こうの横顔に、にやりと嫌な笑みが浮かぶ。



「恨むなら愛里と、自分の血筋を恨みな」



眠そうに目をこすり、彼女はそそくさと立ち去った。


ひとり残され、わたしはしみのできた天井を眺めて重い息を吐き出した。









      ◇  ◇  ◇






御社の関係者が住まう建物の地下。

暗い牢屋の中で愛里は自らの膝を抱えていた。


自分のしたことに後悔はない。

この御社に恨みはないが、所詮は華闇の管轄。神を祀ると大層な名文によって建立されていても、どこの御社も取り仕切っているのは欲に汚れた地上の人だ。


神という曖昧な存在よりも、愛里は現実で救いの手を差し伸べてくれた男を選んだ。

そしてその恩人に対する義理は果たした。


それで自分自身がどうなろうが興味はない。

重い裁きを受ける覚悟もできていた。


唯一心残りがあるとすれば、娘のことか。


まさかあの子と御社で出くわしてしまうとは思いもしなかった。

この牢へ連行される直前に見た、朔の泣きそうな顔が頭から離れない。


それでも、朔を慰めるのはわたしの役目ではないと、愛里は自分に何度も言い聞かせた。

朔は鳳の赤兎班に居場所を見つけた。もう母親の手を離れたのだ。


ならばそこで幸せになればいい。幸せに、なるべきだ——と。


未練を打ち消そうと葛藤を繰り返すうちに時間が過ぎていく。

眠れずにいた愛里は、近づいてくる足音に顔を上げた。


蝋燭の灯る燭台を片手に現れた男に、警戒心をあらわにする。


射殺さんばかりに睨む愛里へと、男は片方の手に持っていた手提げの鞄を格子の隙間から投げてよこした。


見覚えがある。愛里が御社に持参した鞄だ。


困惑する愛里に男が笑いかけた。



「君の娘さん、空木村に連れて行かれちゃったよ?」


「……は?」



男の口調にぽかんとする愛里だったが、告げられた内容が頭に入るとみるみる顔色が変わった。



「なんでっ、どうしてっ!?」



勢いよく格子に掴みかかる。

焦る愛里を前にして、男は人差し指を唇の前へ運んだ。



「しぃ……。大声出したら、誰かが来ちゃうよ」


「……?」



いぶかしがった愛里が何かに気づく。



「…………あんた、誰?」


「あははっ。それは、今の君にはどうでもいい、些細なことのはずだ」



懐から鍵を取り出した男はためらいひとつ見せずに牢屋の鍵を開けた。



「出ておいでよ。逃してあげる。今日の俺はとても機嫌がいいからね」



警戒して動こうとしない愛里に、男が決定的な言葉を投げかけた。



「娘さん——朔ちゃんを、助けたいんでしょ……?」





朝日が昇りきるより前。


奥園愛里は人知れず御社から姿を消した。







      ◇  ◇  ◇






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