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11.泡沫の想い(中)




翌日、皇立院の授業が再開された。


送迎車用の待機場所にて生徒の拉致未遂事件が発生。しかも主犯の男はどういうわけか現場で奇行の末に倒れ伏した。

さらには連れ去られかけた生徒を助けようとした鳳の所属者が、敵の攻撃で重傷を負った。


目撃者が多数いる中で発生した騒動だけに緘口令を敷くのが難しく、学校側は各所への説明や取り成しに時間を要した。


生徒たちの安全を十分に保証し、何度も対策会議を重ねての授業再開ではあったが、実際に初日から登校した生徒は半数にも満たなかった。


朝一番に講堂にて開催された全校朝礼も空席ばかりで、参加した生徒の不安を煽る。


休み時間、閑散とした教室前の廊下で樋渡さんに話しかけられた。

彼は蟲に刺された啓斗さんを心配していて、聞きにくそうにしながらも安否を問うてきた。



「一命は取り留めたので、ご心配には及びません」


「……そうか」



よかった——と、彼はそこでようやく肩の力を抜いた。



「本日、留美香は学校に来てないのですか?」


「まだ様子を見たいだと。あんなことがあった手前、無理はさせられないからな」



普段よりも人がいない廊下をぐるりと見渡し、彼は肩をすくめた。



「他の家の者たちも、今登校している生徒に何事も起こらなければ、徐々に通学してくるだろう」



休んでいる生徒たちはまるで、初日から登校した生徒で安全を確かめているみたいな言い方だ。

実際のところ、その通りなのだろう。



「樋渡さんは、学校に来てよかったのですか?」



次代の奥園当主となる彼が、不安のはびこる場所に自ら足を踏み入れても大丈夫なのか。

わたしの疑問に樋渡さんはとても不思議そうな顔をした。



「皇立院は安全が確保できたから、授業を再開する通達を出した。それが全てだろう。赤兎班も、君がここに通っても問題ないから送り出したのでは?」


「……そうですね」


「第一、奴らの目的は留美香だった。標的となった本人が今も怯えているのはわからなくもないが、他が過剰に危険視するのには疑問がある」



言いながら彼はわたしから正面に視線を移す。彼の見ている先、教室にいた男子生徒がこちらに気づき、人懐っこそうににこりと笑い手を振ってくる。それに樋渡さんは片手を上げて返した。友達なのかな。



「まあ、こちらとしてもまたとない機会だ。存分に利用させてもらうさ」



皮肉の効いた、悪どい笑い方。

彼もこんな顔をするのかと感心していると、今度は隣の教室から女子生徒が廊下に顔を出した。


彼女はこちらを窺うように首を傾げ、樋渡さんがそれに頷くと綺麗な所作で礼をして教室に戻った。



「今日登校した生徒の顔は、覚えておいて損はない。今の奴らも俺と同じ考えなんだろう。君も、自分の教室にいる生徒は把握しておくべきだ」



授業の始まりを知らせる鐘が鳴ったので、樋渡さんとはそこで別れた。



教室に戻り、席に着いた同じ学級の在籍者たちをぐるりと見渡す。



なるほど。


空席の目立つ教室内。

ここにいる人たちは、わたしと全く関わったことがない。


陰口を言ってきたり、お弁当を落としたり……。

わたしと赤兎班との繋がりを知って擦り寄って来た人たちは、今日の教室に姿がなかった。





普段は感じない漠然とした連帯感とでもいうのか。

初日に登校した生徒たちはみんな、示し合わせるまでもなく似通った意思を共有していた。


学校の中で誰が信用に足る者なのかを見極め、互いの結びつきを深くする。

未来の日の元を背負う彼らにとって、将来の利益となる選別に、今日ほどふさわしい日はないのかもしれない。


昼休みともなると、校内の至る所で学級や学年を超えた交流が行われていた。

二年の教室が並ぶ廊下にも、学年の違う生徒がこの日に限っては目立った。



さらにはわたしを目的に、一年の男子生徒が教室まで会いに来た。



「奥園先輩、ですよね? 一年の鷹飼といいます。突然すみません。……でも、こんな機会じゃないと先輩とはお話しできそうにないから、思い切って来ちゃいました」



あどけなさの残る容姿が人懐っこい印象を与えてくる。裏腹に、彼の大きな瞳の奥には、わたしに隠したい「何か」が見え隠れしていた。



「……わたしに何か?」



警戒心が態度に出て、突き放すような言い方となった。

そんなわたしに彼は苦笑する。



「実は俺、鳳の赤兎班に憧れてまして、将来は皇じゃなくて赤兎班の所属を目指しているんです。奥園先輩は今、赤兎の本部で暮らしてるんですよね? 班員たちがどんな暮らしをしているのか、少しでいいので教えていただきたくって」


「すみません。内部のことは、口外できません」


「そんなあ……、些細なことでもいいんです。赤兎班の方たちは、任期中は単独での外出が許されないと聞いたことがあるのですが、本当に規則はそこまで厳しいのでしょうか? 皇や華闇、旧家の血筋に関係なく、班長に認められたら赤兎班に所属できるらしいけど、班長がどんな人を採用するかって、なんとなくでもわかりませんか?」


「……そうなのですね」



わたしを班員に誘ってくるぐらいだ。宮城さんが人事で好き勝手してるのは、さもありなんと察するところがあった。


鷹飼と名乗った彼に言われて改めて思い至る。赤兎班の所属に年齢や経歴が関わらないのは、宮城さんがいるから実現できていることなのだろう。


そして宮城さんの採用基準は、班に利益をもたらすか否か——その一点だ。



「いや……、ここで納得しないで。俺の質問、聞いてました?」


「わたしは赤兎班について話すことができないと、申し上げたはずです」


「そうはいっても、奥園先輩だって赤兎班からしたら部外者でしょう? 部外者の先輩があそこで見知ったことぐらいなら、よそで話しても問題ないと思うのですが……」


「その判断をするのは、わたしでもあなたでもありません」


「少しでいいんです。皇の高位に属する旧家の子息も、赤兎班に所属してますよね? 彼がどんな経緯で班長に許諾を得たのか、ご存じありませんか?」



やたらと食い下がる。

しかも彼が話してくるのは、わたしが知っていいものか不安になる内容ばかりだ。

班員の人たちの個人的な事情を見ず知らずの他人に話されるのは、あまりいい気がしなかった。



「何を聞かれても答えは同じですので、お引き取りください」



こちらが頑なな態度を貫いていると、彼の瞳に剣呑さが滲んだ。

侮辱された時の怒りに近い、よく知った感情だ。……目下の者が思い通りに動かない苛立ちを今、彼は抱いている。



「あら」



真顔になった男子生徒が口を開くも、言葉を発するより先にわたしたちの間に人が割り入った。

それはわたしと同じ教室に所属する、女子だった。


彼女はわたしの机に手を置いて、一年の彼を下から覗き見る。



「東郷家の分家の若様じゃない。赤兎班に興味がおありみたいだけど、本家の方に出奔した息子のことを探ってこいとでも言われたの?」


「……え?」



瞬く間に彼の苛立ちは霧散し、代わって焦りが顔に浮かぶ。



「彼女に付き纏うのはやめた方がいいわよ。校内では樋渡が目を光らせているから」



しまったと言わんばかりに男子生徒は教室の扉へと振り向く。当然だけど、樋渡さんの姿はない。

彼はばつが悪そうに目を泳がせた。


女子生徒が面白そうににやりと笑う。



「……あの、鷹飼さん、でしたね。お名前は赤兎班の班長に報告させていただきます」



本当に赤兎班を目指しているなら、班長に名前を知られるのは嬉しいことのはずだ。

しかし彼は苦虫を噛み潰したような表情で「もういいですよ」とだけ言い放ち、逃げるように教室を立ち去った。



「意外。ちゃんと言い返せるじゃない」


「いえ、おかげで助かりました。ありがとうございます」



頭を下げると、彼女は驚き目を見開いた。



「あなた、変わったわね」


「……そうかもしれません」


「あら、自覚があったの。わたしは今のあなたの方が断然いいと思うわ。だからおまけで助言してあげるけど……」



勝ち気そうな目を細め、彼女は真剣な顔で声を潜めた。



「あなたは排斥が決定した当主の後妻の娘って、難しい立場なのだろうけど、旧家の相関図ぐらいは把握しておいて損はないのじゃないかしら。無知なままだと、今みたいにいつどこで利用されるかわからないわよ」



彼女の言葉の響きはとても真っ直ぐだった。

嘘や思惑はなく、純粋な心配からくる言動だとすぐに理解できた。



「ご忠告、ありがとうございます」



さっきの一年の男子生徒を、彼女は東郷の分家の若様と言った。


東郷——つまり明将さんに関係する家の者だ。家名の繋がりを知っていれば、最初から彼の目的を推し量ることもできたはずだ。


鷹飼と名乗った彼は、わたしから明将さんと……花歩さんのことを探ろうとしたのだろう。

気をつけないと、わたしだけでなく大切な人にまで害が及びかねない。



「……本当に、変わったわね。前は不幸のどん底が自分の定位置だと言わんばかりに、死んだ魚みたいな目をしてたのに」



真っ直ぐで正直者の彼女は、非常に容赦がなかった。



「言っておくけど、これは褒め言葉よ? 以前のあなたのままだったら、わたしはこうして話しかけようと思わなかったもの」


「そう、ですか」


「あなた、奥園……、朔だったわね」


「はい」


「将来行く場所に困ったらわたしの家、梁谷(はりたに)へいらっしゃい。家の者にあなたの名前は伝えておくわ」



口調は同じなのに、言葉を発する際の空気に違和感がこもる。微かな変化が、彼女にも思惑があるのだと教えてくれた。



「……ありがとうございます。覚えておきます」



形だけの社交辞令は相手にもあっさりと見抜かれた。

肩をすくめた彼女は気分を害することなく、むしろ上機嫌に笑みを浮かべた。



「心のこもらないお礼ね。まあ正解よ。旧家については、知らないならばそうやって警戒しておくに越したことはないわ」



後腐れなく、彼女はあっさりとわたしの席を離れていった。

そのまま教室を出ていく後ろ姿を見送る。



先程の一年男子よりも、彼女のように建前と本音を程よく混ぜてくる人の方が厄介そうだ。






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