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10.泡沫の想い(上)




そんな気はしていた。

本当はずっと前からわかっていた。


弱気な夢は、始まることなく静かに終わる。







鳳本部の巨大な建物の一角。外部からの来訪者が通される区画にて。


応接用の部屋が並ぶ、幅が広めに取られた廊下をゆっくり奥へと歩いた。


人の気配がする部屋の前に立ち、扉で隔たれた室内に意識を集中させる。あの独特な、ねっとりとした蟲の気配を探るためだ。


廊下の端まで等間隔に並ぶ、木製の扉には窓がない。

それぞれの部屋に待機する人物の詳細までは知らされていなかった。大雑把に、義父に関連する人が招集されたと聞いたぐらいだ。


機密事項を知りすぎる必要はないという、鳳の意図もあるけれど、主な理由はわたしの精神的な負担を軽減させるためである。

部屋にいる人の姿を見てしまい、万が一その人の体内を蟲が蝕んでいたら……、皇立院で起こった残酷な光景を想起しかねない。

あとは部屋の中にいる人物に、わたしの顔を見せない目的もあるらしかった。


外から部屋を確認し、異常がなければ次の部屋へ。

ほとんどは何事もなく空振りに終わる。

まれに蟲の気配を察知すれば、わたしに付き添う灰墨班の人に伝える手筈になっていた。


寄生系の蟲の出現は、安定期が間近に迫り緊張が高まる鳳にさらなる動揺をもたらした。

自覚なく体内に蟲を宿す可能性のある者を放置しておくわけにはいかない。

しかしながら、蟲について秘匿にしたまま長期に渡り身柄を拘束するには、義父と関わりの深かった者たちは社会的権威が強すぎた。


だからこそ、こうしてわたしが鳳の本部に呼ばれたわけだ。

義父——奥園当主との関係の聴取という名目で呼び出された、扉の向こうにいる人たちに蟲の気配がしないか、ひとつひとつ探っていく。


奥園の姓を持つわたしの証言など信じてくれないのではと、初めは不安だったけど、役目に徹すればすぐにそれは杞憂だと悟った。


成熟後に宿主の肉体から出てくるまで確認のしようがない蟲を、前段階で捕捉できるのは赤兎班だけでなく、鳳にとってもありがたいことだという。

さらには宮城さんの信頼が後押して、鳳の本拠地での仕事に専念できた。






昼の時間は休憩用の個室を用意してもらえた。

長机が並べられた小会議室で、隅っこに腰掛ける。

ずっと集中し続けて頭が痛い。一人きりという環境に気が抜けて、力なく長机に突っ伏した。


本当に、わたしの持つ探査能力は鍛えれば持続力が身に付くのか。

一朝一夕で成果が出ないことはわかっているが、こうも毎回半日でへとへとになっていると自信がなくなる。


食欲が湧かない。だらけた状態で机に用意された昼食に目を向けた。

昼食は鳳本部の食堂で購入されたおにぎり弁当だ。


花歩さんは未だに目を覚まさない。

皆が不安を抱えながら、彼女が起きるのを信じて待っている。


気怠さに耐えながら姿勢を起こし、お弁当へと手を伸ばした。

ここで体調を崩してはいられない。

食事は生きるために必要不可欠な行為だ。食べられる時に胃に入れて、少しでも体力をつけないと。


自分に出来ることをやろうと決めたのだから、こんなところでくよくよしてはいられない。





学校が休校中なのをいいことに、鳳での「仕事」は連日続いた。


夕刻に赤兎本部へ戻るころにはいつも疲労困憊で、当初は食欲よりも睡眠欲求が勝って寝台に直行していた。


それが四日目にはふらふらながらも夕食を食べられるようになった。

仕事に慣れたからなのか、気配の探査能力が鍛えられたからかは定かでないが、わたしにも環境の変化に対する適応能力はちゃんと身に付いているようだ。


それでも、雪根さんには無茶をしてないかと顔を合わせるたびに詰め寄られるし、明将さんにも体調を気にされる。

啓斗さんに至ってはこの前廊下であった時に非常に複雑な顔で「大丈夫なの?」と聞かれてしまった。


彼らにとってわたしはとても軟弱で、危なっかしい存在なのだろう。これまでの経緯から鑑みても、強く反論できそうにない。



そうやってこの身を心配する人たちがいる傍らで、最近の宮城さんは非常に上機嫌だった。

面倒な仕事が省略できたのが嬉しいらしい。

いろいろ思うところはあるけれど、お役に立てたなら何よりだ。



「周りがうるさいから金銭は報酬にできないが、何か欲しい物や、ちょっとしたおねだりぐらいなら聞いてやるぞ」



——などと、ある日ひの仕事終わりに宮城さんに言われ、何がいいかと問われたが……。



「……すぐには思いつかないので、考えておきます」



そう返すのが精一杯だった。







      *






今回の安定期は例年と比べてやや遅れ気味らしい。

地上の不穏を憂いた神様の采配か。明確な理由は不明であるが、宮城さんは予定の狂いに不満を露わにしていた。


安定期は訪れるべくして来る、いわば自然の法則に則った現象だ。

神界の過度な干渉は、度が過ぎると地上のどこかで必ず皺寄せがくる。



鳳の本部で手伝っていた蟲の探査の仕事がひと段落するころ、皇立院より来週からの授業再開の連絡があった。

保護者への説明会やその後の対策などは発表済みで、安定期が終わるまでは鳳の実戦に特化した班が校内の警戒に当たることになった。


明日から学校が始まる、休校中ながらも多忙を極めた一週間の最終日。



母が赤兎本部を訪ねてきた。




「何かあったの? なんだか顔色が悪いわ」


「うん。数学の課題が難しくて、気がついたら徹夜しちゃったから、多分それだと思う」



母は眉間に皺を寄せて口をつぐんだ。

わたしの説明に納得していないのは明らかだったけど、追及はない。

ほっとする気持ちと同時に湧き上がった罪悪感を、手元のお茶を飲むことで誤魔化した。


やがて母は難しい表情のまま、まっすぐにわたしを見た。



「朔は、ここにいたいの?」


「……うん」



同じ意味の問いかけは、言葉は違えどこれまで何度もされてきた。その度に返す、わたしの答えは変わらない。


また説得されるのかと身構えたが、どういうわけか今日は事情が違った。

腕を組んだ母は視線を落とし、「もう……」と諦め混じりのため息を吐いた。



「頑固に育ったわね。一体誰に似たのかしら」



自嘲した母が上着の懐に手を入れる。取り出された小さな白い布の包みを丁寧に開いた。


布に包まれていたのは光沢がある藍色の石だった。形は円環で、中央に空いた穴に朱色の組紐が通され根付けになっている。



「手を出しなさい」



母はその石をわたしの手のひらに置いて握らせる。



「肌身離さず持ってなさい。それがお母さんの代わりに、朔を守るから」


「これは何?」


「お母さんの大事なお守りよ。……いい? 空木村には絶対に近づいてはだめよ。村の人間の話に、耳を傾けてもいけない」


「お母さん?」



石を握るわたしの手を母は両手で覆い、祈るように自らの額に当てた。



「その石には、何度も助けられてきたの。……きっと朔のことも、守ってくれるわ」



言葉には懇願に近い響きを感じた。

わたしに石を渡した後、母は仕事があるからと足速に赤兎本部を去ってしまう。



「お母さんっ」



いつもと様子がおかしい。

胸騒ぎがして呼び止めようとしたが、玄関前で上げたわたしの声は母に届かなかった。


母を乗せた車はすぐに走り去る。

わたしの手の中には藍色の石だけが残された。




意味のない物を念押ししてまで渡してくるとは考えにくい。

お守りと言われたけど、あの母がはたして神的な物に縋ろうとするだろうか。


指で摘んで藍色の石を観察してみる。

よく見れば石の光沢にはむらがあり、くり抜かれた中心の穴は正円ではなく微妙に歪んでいた。


母より預かった、「何か」がありそうな石を報告もせず所持するわけにはいかない。

迷った末に雪根さんか柊さんに聞いてみようと決めて、建物の中に戻る。

二人を頼ろうと思ったのは、どことなく石の纏う空気が御社の気質と似ていたからだ。


とぼとぼと廊下を進んでいると、宮城さんの執務室がある方向からちょうど柊さんがこちらへと歩いてきた。


柊さんに事情を説明する。当初彼は難しい顔をして押し黙った。

しかしわたしが問題の藍色の石を見せたら警戒心が微かに緩み、面妖な表情でしばし考え込んだ。


差し出された手に、藍色の石を置いた。柊さんは手の上で角度を変えて石を見た後、窓の光に透かす。



守玉(まもりだま)の一種だな」



ぽつりと呟き、柊さんは藍色の石をわたしに返す。



「刻印がないのは若干気になるが、持っていても問題はない」


「それは、どういったものなんでしょう……?」



柊さんは表情を一切変えず「詳しくは雪根に聞けばいい」と短く言ってわたしに背を向けた。



「あのっ、お忙しいなか、ありがとうございます」



彼の背中に頭を下げる。すると柊さんは半身で振り返って微かに頷いてくれた。







     *






「守玉はいわば御社参りの代用品。病気とか、いろんな事情で外出ができなくて、御社に行けない人のために特別に作られるんだ」



夕飯の時、雪根さんは守玉について教えてくれた。



「そんなものがあるのか?」


「華闇でも作れる職人は限られているし、ひとつを仕上げるのに年単位の時間がかかる貴重な物だから、ほとんど一般には出回ってないんだ」



明将さんも守玉の存在を知らなかったようで、雪根さんの話に聞き入っていた。


二人と夕食を食べられるのは数日ぶりだ。

ここに花歩さんがいない違和感には、いつまで経っても慣れそうになかった。



「その守玉を、朔はお母さんから渡されたんだよね」


「はい。こちらなんですが」



藍色の石を机の中央に置く。雪根さんは目を見張って食い入るようにそれを見つめた。



「へえ、珍しい形」


「……珍しいのですか?」



わたしは一般的な守玉がどのような物かを知らないので、母に渡されたものが正規の形をしているかもわからない。



「守玉っていう名前の通り、普通は球体が多いかな。俺が華闇本山で見たのも球体だった。形は地域によって多少違ったりするとは聞いたことがあるけど……、あんまり詳しくないや」



そう言いながらも雪根さんは箸を置き、興味津々で藍色の石を手に取った。柊さんと同様に、雪根さんも石を照明の光にかざす。



「柊さんは、その守玉に刻印がないとおっしゃってました」


「……確かに、どこにも名前が刻まれてないね」


「名前とは、製作者の?」


「ううん。これの持ち主の名前。守玉は制作段階からもう既に、誰の手に渡るかまで決まっているのが普通だから」



裏返したり、角度を変えて隅々まで確かめ終えた雪根さんは、手を出した明将さんに石を渡す。



「……素材は特別な鉱石か何かか?」


「清流の石を使うらしいけど、着色の仕方は知らない。噂では守玉の製作には特別な素質が必要らしい」



明将さんは石を観察するも、すぐにわたしの元へと返した。



「母親がこれを所持するに至った心当たりはあるのか?」


「いいえ。思い返せばこれを母が持っていた記憶は薄らとありますが、詳しいことは何も。ただ……」



引っかかるところがあるとすれば、ひとつだけ。



「思いつくのは空木村の神代巫女ですが……、これを渡してきた時も母は空木村とは絶対に関わるなと念を押してきたので、可能性は低いかと」



どうして、そしていつから母は持ち主が刻まれていない守玉まもりだまを持っていたのだろう。


それをこの時期にわたしへ預けた理由は——?


あれこれと考え込むわたしをよそに、雪根さんは箸を手に持ち食事を再開する。



「持ち主を守るための物だから、朔が持っているべきだよ。お母さんがそれを望んだのならなおさら、ね?」


「それでいいのか?」


「守玉自体は決して悪い物ではないからね。それに暗い色の守玉は、気質が深淵に属しているから朔と相性がいいはずだし」



言われてもう一度、しまいかけた守玉を見る。


藍色は深淵——闇の気質を表す。

母はずっと御社参りに行ってない。それにも関わらず、母の内にある光と闇の均衡は保たれ、妖の本性が表に出てくることは今まで一度もなかった。



……もしかして、この藍色の石が母を護っていたの……?



推測に確証はない。

ただ母の手元からこの守玉が離れてしまったことに、今更ながら不安が押し寄せた。








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