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7.幸せの在処(上)




日の元という檻の中でしか生きられない。


不自由なわたしたちは不幸なのか。







頭痛がひどい。少し眠った程度だと体調は回復しなかったようだ。

布団の感触に重い目を開く。ここは赤兎本部のわたしの部屋で間違いない。



……間違いないのだけど、わたしはどうやってここまで戻ってきたのだっけ……?



車が本部に到着して、啓斗さんが運ばれていった。

心配でたまらなくて、わたしも医務室の前まで行こうとしたはず。

……そこからどうしたのか、記憶が曖昧だった。


あの時は気分が悪くて、歩くのも辛かった。

息苦しさで呼吸が荒くなるなか、誰かと話をしたかもしれない。

なんにせよ自力で部屋に戻ってきた覚えがないあたり、また赤兎班の人たちに迷惑をかけてしまったのだろう。


肝心な時に役に立たず、体調管理ひとつまともにできない。自分の駄目っぷりに嫌気がさす。


不貞腐れて壁の方へと寝返りを打つと、濡れた手拭いが額からずれ落ちる。誰かが置いてくれたのだろう。時間が経ってすでに温くなっていた。


手拭いを握りしめ、布団の中で身を丸くする。

制服のまま寝ていたみたいだけど、今さら着替える気も起こらない。


自分で洗ったのか誰かに世話してもらったのかは定かでないが、手についた血は綺麗になくなっていた。

それでも手のひらを見ると、啓斗さんの怪我が鮮明に思い出された。



拳銃で自らを撃ち抜いた男と、男から出てきた蟲も——。



「…………っ」



頭が万力で締め付けられたみたいに痛み出し、きつく目を閉じた。

じっと動かずにいると、少しずつ頭痛は消えていく。

代わりに腹部の不快感が増して吐き気がひどくなった。


歯を食いしばるわたしの耳に、扉を叩く音が聞こえた。



「……朔、入るよ。起きてるかな」



襖の向こうで聞こえた雪根さんの控えめな呼びかけに反射で身を起こす。

返事をしようとして声が詰まった。



「朔? 開けるよ」



ゆっくりと襖が開かれる。

雪根さんの顔を見るや否や、緊張の糸がぷつりと切れた。

目からぼろぼろと涙が溢れ、ひっきりなしに嗚咽が漏れる。



「……っ、けいっ、と……さんは……」



寝台の縁に腰掛けた雪根さんに頭を撫でられた。



「啓斗は大丈夫。助かったから、もう心配いらないよ」



その報告に、涙の水量が増した。顔をぐしゃぐしゃにして泣き崩れるわたしが落ち着くまで、雪根さんは何も言わず傍にいてくれた。


自覚していた以上に自分が恐怖に苛まれていたのだと、今になって思い知らされる。

安全な場所で信頼できる人の顔を見て気が緩んだ。


当たり前か。目の前で人が刺されて、しかもそれは身近な人で……。

現場に居合わせて、平然としていられるほどわたしは強くない。


雪根さんが来てくれてよかった。不測の事態が起こって彼も忙しいだろうに。

安堵と同じだけ、彼を煩わせた申し訳なさに自己嫌悪が押し寄せる。



「熱はどう?」



髪を撫でていた雪根さんの手が移動し、額に触れる。



「まだちょっと熱いね。夕飯は、軽くなら食べれそうかな?」



遠慮気味な問いかけに、力なく首を横に振った。


倒れた男の姿。体内より這い出る蟲。

刺された啓斗さんと、真っ赤な血——。


思い出すだけで胃の中が迫り上がる。

とても口に食べ物を入れられそうになかった。



「じゃあ今日はもう休もうか」


「あの、明将さんは」


「アキなら花歩さんが啓斗を治したのを見届けて、また現場に戻ったよ」


「……そう、でしたか」



やっぱり、ここの人たちはみんな強い。



「啓斗だけど、明日には普通に動けるようになるよ。でもこれは内緒」


「花歩さんが力を使ったからですか?」


「うん。目撃者が何人もいるみたいだし、啓斗はしばらく本部に待機。姿を隠しておかないといけない」


「わかりました。ひょっとして、花歩さんは……」


「そうだね。花歩さんは眠ってしまったから、しばらく目を覚まさない」


「では、また記憶が?」



治癒の力の代償に花歩さんは記憶を失ってしまう。

首肯して雪根さんはそっと目を伏せた。


なんだろう。啓斗さんが助かって本当に良かったと思う。これは紛れもない本心だ。

それとは別に、手放しで喜べないやるせなさが胸の奥にくすぶっている。



この数ヶ月、花歩さんにはたくさんお世話になった。

美味しいご飯を作ってくれて、いろんな話をして、少しずつ、時間はかかったけど花歩さんの暖かい光に触れる心地よさも知れた。


たとえ記憶を無くしてもまた一から関係を築けばいい。それは尤もだ。


だけど……。


複雑な気持ちを言葉にしきれず黙り込む。

そんなわたしの気持ちを汲んで、雪根さんは背を向けて寝台に座り直した。



「花歩さんは記憶を失ってでも俺たちを助けたいと言ってくれてる。だけどそれはずっと以前の、赤兎班に来た時の花歩さんの意志なんだよね。忘却を繰り返しても、彼女の本質は変わらない。……でも、だからといって俺たちも気軽に彼女の積み重ねた思い出を奪っていいわけじゃない」



肩を落とした雪根さんが上体を捻って振り返った。わたしと目を合わせ、彼は力なく笑う。



「人の命には変えられないって、言ってしまえばそれまでだけど。難しいね」


「……はい」



自分の記憶を白紙に戻せば、大切な人の命が助かる。

もしわたしが花歩さんの立場だったとしたら、迷わず同じことをしただろう。


自己犠牲の裏側で、負い目を感じる人の気持ちを慮る余裕はきっとない。



明将さんは相当悩んだはずだ。

彼は今日、啓斗さんの命と花歩さんの記憶を天秤にかけた。


わたしが蟲に気づいて報告をしたから、そういう状況になってしまった。

だけどあのまま蟲を体内に宿した男を放置していたら、留美香や他の人たちが死んでいたかもしれない。


たらればの想定であっても、最適な答えが見つからない。

どう足掻いても、犠牲なしでは片付かなかった。


あの場でどうするのが正解だったのか、考えたところで納得できる模範解答はどこにもない気がする。



「花歩さんの体も、そろそろ限界が来るだろうし。治癒の力に頼ってばかりではいられない」


「……そんな」



代償は記憶だけでは済まされないの……?


雪根さんは花歩さんについて、それ以上は語ろうとしなかった。



「大怪我しても命が助かるって、むしろ今まで都合が良すぎたんだよ。俺たちも、もう覚悟を決めないと」



それは、戦いで命を落とすことに対する覚悟なのか。

いつ殺されるかわからない、危険な任務に身を投じる。死の恐怖と向き合う覚悟を指しているの?



いやだ。


そんなの。



——死んでほしくない。



喉から出かかった言葉は唇を噛んで押しとどめた。


こんな我儘、訴えたところで彼らの危険は消えやしない。



「ごめんね。こんな話をしてしまって。心配しなくても、みんなそう簡単には死なないよ。ここの班員はあれでいて結構しぶといし、悪運の強いのが集まってるから」



軽い口調で雪根さんは言ってのける。

わたしが励まされてどうするの。本当に辛くて苦しいのは、雪根さんたちなのに。

やるせなさに再び涙腺が緩む。手をきつく握りしめ、泣くのをぐっと堪えた。


自分の呼吸に集中して気持ちを落ち着けていると、玄関の扉を叩く音が聞こえてきた。

立ち上がった雪根さんが覗ける程度に襖を開ける。



「朔ちゃん、起きてる?」


「……あっ、はいっ」



玄関からした穂高さんの声に反射で返事する。



「……寝てたらいいのに」



呆れるような、残念そうな、そんな声で雪根さんはぽつりと呟き、襖を大きく開いた。

隣の台所に照明が灯る。

日が暮れて間なしの暗い部屋に人工の明かりが差し込んだ。


開かれた襖の向こうから長い影が伸びてくる。部屋に顔を覗かせた穂高さんは、まず雪根さんがいることに難色を示した。



「仮眠はしなくてもいいのかな」


「休憩時間をどこでどう使おうが俺の自由でしょう」



悪びれた様子もなくあっけらかんと返され、穂高さんは諦めの境地で額に手を当てる。



「アキたちが戻ったらまた出るんだから、休める時に休まないと……って、お前は言っても聞かないか」



何を今さらと言わんばかりに雪根さんが肩をすくめる。

部屋の空気が少しずつぎすぎすし始め、静かに苛立つ穂高さんが顔に満面の笑みを貼り付けた。



「余力があるなら雪根には厨房の片付けを頼もうか。人が足りなくて、そこまで手が回ってないんだ」


「俺、休憩中なんですけど……」


「——んん? 頼んだからね」



笑顔のごり押しが怖すぎる。



「……わかりました。やればいいんでしょ」



最終的に折れたのは雪根さんだった。自由に振る舞っていても、上下関係というのは一応わきまえているらしい。



「……あの、わたしでよければお手伝いしましょうか」



夜に仕事があるなら、雪根さんこそちゃんと休まないと。それに動いていたら少しは気が紛れそうだ。



「駄目。朔は休んでて。本調子じゃないのに動くのは良くないよ」



しかしそう簡単に許可は下りない。



「そんな顔しても駄目なものは駄目。俺は別に疲れてないから」



自分がどんな顔をしているのか、恥ずかしくてそんなこと聞けない。

おそらく不満が隠しきれずに出てしまったのだと思う。



「……わかりました」



居候に近い身で、頼まれてもない仕事を強引に取るのは気が引ける。

必要ないというのなら大人しく引き下がろう。



「いい子。行ってくるね。……ゆっくりお休み」


「はい。……雪根さんも、お仕事頑張ってください」


「うん。そう言ってくれたらすごく頑張れそう」



さっきのぎすぎすした空気は何処へやら。上機嫌になった雪根さんに頭を撫でられる。

人懐っこい雪根さんは常時とても距離が近い。

真っ直ぐな気持ちが全面に出ているから、拒否感なく受け入れてしまう。



「長居しないでくださいね」


「君じゃあるまいし。入り浸ったりはしないよ」



それでも部屋を後にする際の雪根さんと穂高さんのやりとりは、互いに牽制し合うというか……、決して和気藹々な感じとはいかなかった。


布団を足元に押しやり、さっきまで雪根さんが座っていた寝台の縁に腰掛ける。


部屋で穂高さんと二人きりという状況に慣れず、自然と姿勢が伸びた。

座っているのも失礼な気がして立ち上がろうとしたところ、穂高さんは片手を上げて制した。



「そのままでいいよ。体調はどう?」


「大分楽になりました。ご心配をお掛けしてすみません」


「いや、むしろよく本部まで我慢したと思うよ。現場で卒倒しないでくれて助かった」



それは、とにかく必死だったから。

敵の標的はわたしじゃなかったというのも、幾分か冷静でいられた理由だと思う。

 


「学校はしばらく休校になった。再開の目処が立てばまた連絡が入るって」


「わかりました」



多くの生徒が集まる放課後の、送迎車の待機場所で起こった騒動だ。皇立院側も重く受け止めているのだろう。

詳細の把握に保護者への説明。今後の対策も必要になってくるはずだ。


現場に居合わせた赤兎班に、責任が向けられなければいいのだけど……。



「それはいいとして、ひとつ聞いてもいい?」


「何か」



腕を組んで考え込んだ穂高さんは数秒の間を置いて口を開いた。



「啓斗の体に入った蟲の毒の巡りを止めたのは、朔ちゃんなのかな」



啓斗さん、蟲の毒、……巡り……?


質問の意味を理解するのに時間がかかった。



「確証はありませんが……」



穂高さんが聞きたいのは、おそらく学校から赤兎本部へ戻る移動途中のことだ。



「車でここに向かっている間、啓斗さんの傷口から良くないものが体内を進んでいくのがわかったので……。引き止められそうだからやってみたら、できたというか……」



どうやったのかと聞かれても、詳細は答えられそうにない。

あの時の感覚を言葉で説明するのは難しく、本当にやったらできたとしか言いようがないのだ。


黙り込んでしまった穂高さんの顔色を恐々と窺う。

何を言われるのかとびくびくするわたしに、彼は複雑に感情が入り混じった視線を投げつけた。



「普通はね、朔ちゃんの言うところの良くないものは、目に見えないし感じ取れない。ましてや侵食を止めて時間を稼ぐなんて、出来ることではないんだよ」


「……そう、なんですね」



……はあ……と、大きな溜め息が吐き出される。



「あんまり響いてなさそうだね。……君はもっと、自分の価値を理解すべきだよ」



価値、と言われても……。

索敵はできても、対応は戦える人に任せきり。しかも気配の探知も範囲を広めたり、長時間探ろうとするとすぐに頭痛を起こす軟弱な身だ。



「持続性がなくて、しかも毎回倒れてばかりで……。わたしは大事な時にお役に立てそうにありません」


「それは大雑把に例えたら、激しい運動後の筋肉痛と同じかな。普段使わない力を酷使すれば、体が悲鳴を上げるのは当然だし、訓練次第で鍛えられる部分だ」



最初から完璧な力なんて誰も期待していないと、穂高さんは呆れ気味に付け足した。



「今日の一件だって、もしも本部にたどり着くまでに蟲の毒が脳に達してしまったら、啓斗は処分するしかなかった」


「処分って、そんな……」



なんてことのないように言ってのけ、穂高さんは薄く笑う。

笑っているけど、全く楽しそうじゃない。やるせなさが痛いほど伝わってきた。



「本部に花歩ちゃんがいてくれて、一樹さんも間に合ったからことなきを得たけどね。蟲の毒に対応できる者は、華闇であったとしても本当に少ない」



自身の手のひらを見つめて、彼は笑みを穏やかなものに変えた。



「これでも俺自身、啓斗を手にかける必要がなくなって、ほっとしているんだよ」



……そうか。それは穂高さんに課せられた役割なんだ。



「鍛えればわたしでも、もっと力を使いこなせるようになれますか?」



長時間の索敵に耐えられるようになれば、もっと彼らに貢献できる。


わたしも日の元を護る側に立てるのかな……?



「そう簡単なものじゃないよ。それに、朔ちゃんが鍛えるべきはまずこっちだろうね」



断言して、穂高さんは自身の左胸を指し示した。



「朔ちゃんの力はとても貴重でうちにとっても役に立つものだけど、今の君自身には諸刃の剣でしかないと、十分自覚するべきだ」


「それは……、どういうことでしょうか」


「例えばこの先、朔ちゃんを守って一人や二人、赤兎班の誰かが命を落とす事態に見舞われたとして。最終的に朔ちゃんが生き残った方が、より多くの班員や国民を救う結果に繋がる——って言えばわかるかな?」



話を聞くうちに、胸が締め付けられて息が苦しくなってきた。

言葉を受け止めるまでにかなりの時間を要した。


頭の中で何度も繰り返し、意味を理解した時には目元に涙が滲んでいた。



庇われて、守られて……、仲間が死んでも生き続ける。そんな環境で、心を保てというの……?



うろたえるわたしに穂高さんは容赦がなかった。



「脅すような言い方になるけど、君はこれを心に留めておくべきだ。——仲間を盾にして、屍を踏みつけてでも生き残る覚悟と精神力がないと、その能力はいつか君自身の心を壊す」



何も言い返せない。

人の死を乗り越えられる心の強さはどんなに頑張っても得られる気がしなくて、彼らの役に立てると舞い上がった自分の甘さを痛感した。


それでも……もう、何も知らずにのうのうと日常を過ごしていたころに戻れない。

日の元の秘密を知ってしまった。赤兎班の人たちと、出会ってしまったから。

わたしがいることで、大切な人の命が助かるかもしれない。それもまた事実だ。


逃げても立ち向かっても、結局は苦しみが付きまとう。

だから穂高さんは心を強くしろと言っているのだ。



「赤兎班の正式な所属を前向きに志してくれるのは俺もありがたいと思うよ。でも、後になってじわじわと自滅されるぐらいなら、今のうちから知っておくべきだ」


「……そう、ですね。……もっとよく考えます」


「そうだね。結論は急がない方がいい。他の鳳の班に取られるぐらいなら、ここにいて欲しいというのが本音ではあるけど……」



力なく笑う穂高さんは、初めて会った時と印象が随分かけ離れているように思えた。

情を殺して任務に忠実であろうとする彼の、人としての一面。

忠告の根底にあるのが心配だとわかり、どうしようもなく胸が痛んだ。



「……本当はこんな話、するつもりはなかったんだけどね……」



思わず、といった感じで言葉を零し、穂高さんは肩をすくめる。



「いろいろ言ってしまったけど、もう休もうか。結論を焦ることはない」



ゆっくりおやすみと、小さく告げて彼は部屋を立ち去った。







ひとりになって、制服のままだったことを思い出し部屋着に着替える。


頭痛や胃のむかつきは起きた時よりましになっていた。……そのぶん、胸のもやもやが増した気がする。


さっぱりしたくて台所の流し台で顔を洗うも、気持ちは晴れない。


台所前の机に用意されたお茶を飲んで、ぼおっとしながら歯を磨く。

お風呂は明日の朝、浴室が空いていたら使わせてもらおう。


そんなことを考えながら再び寝台に横になる。

体はだるいのに目は冴えていて、すぐには眠れそうになかった。


穂高さんの言葉が頭の中で繰り返される。

わたしを守るために誰かが犠牲になる。そんなの到底受け入れられない。



心が強くなれば、割り切れるの?


だったらそんな強さ、わたしは欲しくないよ……。




悶々と考えるうちに、自分の悪い部分が出てきてしまう。





壊れるまで頑張る。



——っていうのじゃ駄目かなあ。







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