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5.暗雲(中)





いつもより早く学校へ到着したので、朝礼までの時間を利用して図書室へ足を運ぶことにした。


神代巫女について調べようとしたけれど、詳細が書かれた書物は見つけられなかった。

古い郷土史の索引をめくると、その単語は確かにあった。開いた(ページ)には隅に注釈として「華闇に代わり神事を執り行う者」とだけ記されていた。


情報量の少なさに違和感を感じるも、諦めて次は日の元の郷土資料を本棚から引き抜いた。


母の故郷、空木村についての統計情報はすぐに見つかった。


空木村は西郷の管轄区域に属する、人口が五〇〇人にも満たない小さな村だ。山間に点在する五つの集落から成り、主に農業と林業が村の経済の主体となっている。

村を取り仕切る代表者の家名欄には「照土」の名前が記載されていた。


続いて地図帳で検索すると、空木村の位置が知れた。皇都のはるか西、並行する二つの山脈の間にぽつんと小さく名前が記されてあった。


地図では旧中央街道のうねり曲がる細い線が、山脈を横断する途中で空木村を通過しさらに先へと続いていた。


そして地図上で目立つ道がもう一本。旧中央街道よりも太い二本線で記された新中央街道は山脈を避け、なだらかな曲線を描き日の元の主要な都市を繋ぐ。

新旧の街道が切り替わった時期は定かでないが、新中央街道の開通が空木村の孤立に一役買っているのが地図から読み取れた。


空木村から隣の村までは二つか三つ、山を越えなければ辿り着けない、まさに陸の孤島だ。


母はかつて、そこでどんな暮らしをしていたのだろう。

数字の情報だけでは空木村の細部まではわからない。

朝の自由時間はそこで終了となった。





神代巫女のことも、空木村についても、書物で得られる情報には限界がある。

調べ方の問題なのか、そもそも記載されている書籍が存在していないのか。それを特定するのにも時間がかかりそうだった。


母に直接聞けたなら話が早いけど、正直ちゃんとした回答は期待できそうにない。

以前空木村について調べると言っていた華闇の一樹さんなら、何か情報を得ているだろうか。


わたし自身、具体的に知りたいことが定まっているわけではないのだけど、空木村の神代巫女かじろみこの継承問題が片付いていない現状、少しでも村についての情報が欲しかった。


安定期が訪れる前に、一樹さんの管理する御社を訪ねられないかな。


……ううん、やっぱりだめ。赤兎班の人たちの現状を鑑みれば難しい気がする。ただでさえ彼らは忙しいのに、僻地の村の問題まできっと気を回してはいられない。


そうなると、わたしは安定期が終わるまで大人しくしておくべきだ。落ち着いたら、一樹さんに空木村のことを聞きに行こう。




そんなことをつらつらと考えて迎えた、その日の放課後。

送迎の車が並ぶ待機場所へ歩いていると、背中に微かな悪寒が走った。


確信までには至らない嫌な予感、とでも言えばいいのか。不穏な空気に辺りを見渡したが、眼前に広がるのはいつもと同じ放課後の風景だった。


下校する生徒をはじめ、周囲に不審な様子はない。

思い過ごしであってほしいと願いつつ、正門を出て車の待機場所へと急ごうとした。

駆け足になりかけた歩みはすぐに失速し、目的地に着く前に完全に止まる。

鼻から体内に取り込まれた空気に、腐臭が混ざった気がしたのだ。


意識を研ぎ澄ませて注意深く周囲を観察する。


人の気配に混ざって、どこからかどろどろとした粘着質な気持ち悪さを感じる。知覚した途端、二の腕に鳥肌が立った。


間違いない。


これは蟲の気配だ。



すぐ近くではないけれど、すごく遠いわけでもない。不快な気配は漠然としていて、発生源となる正確な場所が絞りきれない。

ならば視覚に頼ろうと四方を見渡したところで、それらしいものを見つけることはできなかった。


前例からしたら、地中や上空に関わらず蟲の位置は明確にわかるはずなのに。「いる」のは確実だが「どこ」かがはっきりしない。

ぼやけた感覚に焦りが増した。

急いで鞄から携帯電話を取り出し電話帳を開く。


誰に知らせるべきか。

悩んだのは数秒だけですぐに電話に切り替えた。



「——……朔か。どうした?」



呼び出し音がして間も無く電話の相手——明将さんは出てくれた。拡声機能を使用しているようで、電話口の声が遠い。微かに雑音も混ざっている。



「あの、今は……」


「運転中だが問題ない。何かあったから電話してきたんだろ」



ということは、今日は雪根さんと別行動だろうか。

正確な情報を伝えようとしてもう一度辺りを探るが、やはり結果は同じ。雲をつかむようなうやむやな感覚に申し訳なさが込み上げてくる。



「すみません……。近くに、蟲がいます」


「どこだ?」


「……わかりません。わたしは送迎車の待機場所にいるのですが、目に見える範囲では確認できていません。でも……」



どこかには、必ずいる。

電話の向こうから緊張感が伝わってきた。



「すぐにそこを離れていったん校舎に戻れ。とにかく身の安全を優先して動くんだ」


「はい」


「一度電話を切るぞ。鳳の他班にも要請をかける。俺たちももうすぐ着くから、危ない場所に近づくな」


「わかりました」



電話が切れる。

明将さんに言われた通り校舎に戻ろうとしたけれど、悪い予想が頭をよぎり足が止まった。


もしも蟲の狙いがわたしだったら……。


校舎に逃げて、より多くの人を巻き込んでしまうかもしれない。本当にそれでいいのか。

そうかといってわたしに蟲をどうにかできる力はない。危険が潜んでいると察知したなら、この場を離れるべきなのは火を見るよりも明らかだ。


だけど、万が一敵が校舎まで追ってきたらどうすればいい……?


迷ってそこから動けずにいると、前方から留美香と樋渡さんが下校してきた。


こちらに気づいた留美香がわたしを睨みつけた後、ふんとそっぽを向いて横を通り過ぎてゆく。

樋渡さんもわたしに軽く頭を下げただけで、特に声をかけてくるそぶりはない。



「あっ……あの……」



咄嗟に呼び止めようとした声はかすれ、二人は送迎車の待機場所へ行ってしまう。

彼らに蟲の存在を伝えていいものなのか。わたしには判断がくだせなかった。


そこからすぐに、状況が変わった。


留美香と樋渡さんが待機場所に立ち入ったのとほぼ同時に、蟲の気配が強まったのだ。


これは、何かある。


強烈に存在を主張してくるのに正確な蟲の位置は今も捕捉しきれない。焦燥感が気配の強まりに比例して増した。


とにかく、ここに脅威が迫っていることははっきりした。

直感に従い樋渡さんに注意を促そうと振り返る。


樋渡さんは留美香と一台の車に近づく。車の横に立つ運転手が後部座席の扉を開いた。



「——っ、待って」



ちょうどその時、停車する樋渡家の車の横を、三台の車が続けて通り過ぎる……かに思えた。

わたしの予想に反して先頭の車は一方通行の車道で減速し、ついには停車するに至った。

押し寄せてきた悪意の大波に息が詰まる。

前の車に合わせて減速した二台目が、急に速度を上げて方向を変えた。



「逃げて!!」



叫び声に反応した樋渡さんが座席に腰を下ろした留美香を強引に車外へと引っ張り出す。直後、大きな衝突音が待機場所に響き渡った。


樋渡家の車は斜め後ろから側面に衝突されて、歩道側へと押しやられた。

運転手が痛みに顔を歪めてうめき声とも取れる悲鳴を上げる。車と縁石の間に脚を挟まれたのだ。


騒然とするなか、道に停車した三台の車から複数人の男たちが降りてきた。

彼らは脇目も触れずに留美香へと突き進む。



「無事か!?」


「佐様、構わずお逃げください!」



車へ駆け寄ろうとした樋渡さんを、運転手が止めた。

樋渡さんは悔しげに歯を食いしばりながらも留美香の手を掴む。学校の敷地へと避難しようとする二人の行く手を男たちが塞いだ。



「……な、何よ……。なんなのよ」



怯える留美香を樋渡さんが背中で庇う。

騒ぎを聞きつけた学校の警備員が正門の内側にある受付小屋から駆けつけてきた。



「校内へ! 早く!!」



警備員の指示に慌てふためいていた生徒たちが一斉に正門へと走り出した。

混乱を極める送迎車の待機場所で、乱入者である男たちは留美香を確保しようと動き出した。それを樋渡さんと警備員が阻む。


男たちは戦いに慣れていないのか、樋渡さんの体術に翻弄されていた。

数の有利を活かしきれていないというよりも、彼らの動きにはどことなく迷いがあった。


乱闘中、道に停車した先頭の車の後部座席が開き、背広姿の男が地面に降り立った。

蟲の気配が一段と強まる。

鋭利な眼差しで留美香を見つめる男に背筋がぞっとした。


どうなっているの?


あの男は人だ。見た目におかしな点はない。

それでも、彼の人としての性質に紛れながら、粘着質のある蟲の独特の気配が漂っているのも事実だった。視覚と直感で得られる感覚が一致せず頭が混乱する。


自身の家の子供を迎えにきていた運転手たちは、車中に残る者、車を出て遠目に留美香たちを眺める者と様々だが、誰も樋渡さんに助太刀しようとはしない。


かく言うわたしも、この状況にどうしたら良いのか判断がつかずうろたえるしかできない。

そんなわたしの横を人が走り過ぎる。



「……お父様! 何をなさっているの!?」



車道に佇む男の元へ、ひとりの女子生徒が小走りで近づいた。



「こんなこと、すぐにやめさせてくださいっ」



今にも泣き出しそうな彼女の顔には見覚えがあった。

まだ須藤雷也が学校にいたころ、取り巻きとして留美香について回る姿を度々見かけたことがある。


女子生徒が男の腕に縋り付く。

男は煩わしそうに、自身の娘を躊躇なく払い退けた。

細身の生徒は樋渡家の車に激突して地面に倒れる。


まずい。

身を屈めて彼女の元へ急いだ。



「……あ、……どうして……。——お父様っ」



男の濁りきった目を見て胃が迫り上がった。

娘に対する愛情は微塵もない。邪魔者の排除に手段を選ばないどころか、この男は目的の達成だけを望み、その後のことを全く考えていない。


留美香を手に入れる。男を動かしているのは、その欲望だけ。

もしかしたらこの人は自分の娘を娘として認識できていない可能性もある。


これが蟲の影響なのか。なんにせよ近くにいては危険だ。



「こっちへ!」



なおも父へと訴えかけようとする彼女の手首を掴み、半ば引きずるかたちで歩道へと避難させる。



「放してっ、あんなの何かの間違いよ」


「……そうかもしれないわ」


「お父様は、あんな顔したことない。わたしに乱暴するような人じゃないのっ。何がどうなっているのよ……っ」



車の反対側へ移動し男の視界から身を隠す。

女子生徒は膝を擦りむいて血が出ていたけど、それを心配する余裕はなかった。



「わかってる。普通じゃないってことは、ちゃんとわかってるから」



彼女と目を合わせ、努めてゆっくりと語りかけた。

女子生徒はぼろぼろと泣き出し、両手で顔を隠して歩道にうずくまった。



「大丈夫ですか?」



脚を挟まれて動けないでいる樋渡家の運転手に声をかける。



「わたしは大丈夫ですが、佐様と留美香様が……」



運転手の初老の男性は脂汗が浮かぶ顔を歪めた。


首謀者であろう女子生徒の父親は、わたしたちに一切の興味を示さず留美香の元へと歩み寄る。

警備員の応援が駆けつけるも、刃物を持ち出した男たちに防戦を強いられていた。樋渡さんの息も切れかかっている。


乱闘の場に混ざった男は、軽く樋渡さんをいなして鳩尾を蹴り上げた。

樋渡さんが怯んだ隙に留美香の手を掴む。



「やめて! はなしっ……」



必死で暴れて抵抗する留美香の横顔に、男が手を振り上げた。

鈍い音がわたしのところまで聞こえるほど、容赦のない平手だった。



「っ……、ぁ……」



目を回してふらふらとよろめく留美香の腕を引き、男は車へと連れて行こうとする。



「留美香!」



樋渡さんが必死に止めようとするも、鳩尾に入った攻撃のせいで動きが緩慢になり、部下の男たちに囲まれてろくに近づけない。


どうすればいい。

このままじゃ留美香が拐われる。


焦ってもわたしに男を止める力がないのは百も承知だ。出しゃばったところでどうにもならない。


 

……でも、あと少し時間を稼げたら…………。








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