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26.それは終わりか始まりか(下)





「……ありがとうございます」



深く頭を下げたわたしに宮城さんは軽く頷き、留美香の元へと移動する。

地面に座り込み呆然としていた留美香は、目の前に立った宮城さんに気づいて顔を上げた。



「……あ、……らい……、雷也は?」


「本物の須藤雷也は七年前に死んでいる。今となっては病死という死因も怪しいところだがな」


「……う、うそよ」


「須藤家の当主が全て吐いた。可愛がっていた息子を外つ国の秘術で生き返らせたつもりだったらしいが、あれを息子として長年にわたり可愛がるとはどうかしている」



皮肉に笑った宮城さんは、鋭利な眼差しで留美香を見下ろす。



「須藤家の当主は、息子を蘇生する秘術とやらをどこで知り得たんだろうなあ?」


「……知らない。……そんなの知るわけないじゃない! 外つ国にこじつけてお父様に濡れ衣を着せようったってそうはさせないわ。たとえ赤兎班であったとしても、奥園に手を出してただで済むとは思わないことね」


「夢に縋る前に現実を見ろ」


「……違う。あれは、あんなのは雷也じゃない。そうよ。きっと、本物の雷也はどこかに捕まって……」



必死になって否定する留美香に、宮城さんは呆れて息を吐く。そして待機していた班員に命じた。



「時間の無駄だったな。さっさと連れて行け」


「ちょっと、やめなさいよ! わたしにこんなことして、ただで済むと思ってるの!?」


「それしか言えねえのか。奥園の本邸と本社は制圧済みだ。赤兎班の主導ではあるが、皇一族と鳳本部、華闇本山の承認も得ている。奥園が飼い慣らした旧家の連中にもとやかく言わせねえ」



赤兎の班員に左右から両腕を掴まれ、強引に立たされた留美香は信じられないと言わんばかりに顔を青くした。うそよ、ありえないと口の中で繰り返す。


何かの間違えだと、宮城さんに必死で訴えかける留美香の視界にわたしが入った。焦りの表情がみるみる憤怒に変化していく。



「……許さないわよ」


「…………うん」



当然だ。自分の正しさを貫くために、わたしは留美香の未来を潰した。

わたしが赤兎班に情報を売らなければ、彼女はこれからも、彼女にとっては幸せな未来を歩めたかもしれない。


作戦の成功率を上げるために留美香の説得を諦め、恋心を利用する道を選んだのだ。どんな理由があろうと、人を陥れて不幸にしていいはずがない。

それでも、たとえ一生恨まれる結果となったとしても、わたしは選択を後悔することができなかった。



「あんた、自分が何をしたかわかってるの! それでも奥園の人間なの!?」



……わたしは奥園の——、人間じゃない。



「なんとか言いなさいよ! ちょっと、引っ張らないでっ。離しなさい!」



留美香を連行する班員が歩調を速めた。



「聞かなくていいよ。あんなのの恨みなんて背負う必要ないし、さっさと忘れてしまいなよ」



雪根さんの慰めに「はい」とは簡単に言えず視線を落とす。

留美香の喚く声は次第に遠くなっていった。



「あれが奥園の後継だったと思うとぞっとするな」



明将さんのぼやきに穂高さんが苦笑する。



「あえて何も知らせず、甘やかして育てたのだろうね。旧家の、しかも本家の血筋であることに変わりはないから、彼女はこれからが大変だ」



彼らの話をぼんやりと聞いているうちに、胸に苦いものが込み上げた。


母は大切だ。無事でよかったと心から思う。

会いたいと望む気持ちに嘘はない。


母には幸せになってほしい。これも本音だ。


でも、だからこそ、母が今でも義父を愛しているなら、奥園を裏切ったわたしはもう母の元にはいられない。


これからどうすればいいのだろう。

須藤雷也という脅威が消えても、めでたしめでたしにはならない。



何でもかんでも、わたしは高望みのしすぎか。

肩の荷が降りたからといって、全部の悩みが解消されるわけじゃない。そんなの当たり前だった。

大切な人を守れた。それで十分だと言い切れない欲深さに自己嫌悪して、また気分が沈む。



「先に戻ります」


「ああ、——……」



明将さんと宮城さんが話している。すぐそこにいるはずが、声が遠くて詳細は聞き取れない。



「——帰ろうか。…………、ゆっくり休もう」


「……はい」



深く考えず雪根さんに返事をした。時間を置いて、わたしはどこに帰るのだろうと疑問が湧く。

しかし疲れ切った脳みそでは思考の組み立てがうまく続かない。


雪根さんと明将さんに促されるまま車に乗った。

車中の狭い空間に、安心できる顔ぶれ。もうどこにも警戒しなくて良いのだと思うと気が抜けた。







その先の記憶は曖昧だ。


目を開けた時にはゆらゆらと、仰向けになって水面を漂っていた。寒くはないけど、肌に触れる水はとても冷たい。

真っ暗な場所。わたしの他には誰もいない。

これは夢だと自然に理解して、夢の中のわたしは力を抜いて流れに身を任せた。


小さな波が体にぶつかる。



——朔がいなければ……。



母の声が響いたのを境に、水面の揺れが止まらなくなった。



——あんたのせいよ。



留美香の恨みがましい声がする。



——とんでもないことをしてくれたね。



義父の言葉が大波となって襲いかかる。


水面が荒れ、体が水中に沈んだ。


巨大な水蠆(やご)が何匹も、わたしの周りを泳いでいる。

近付いては離れ、互いに牽制しながら捕食の機会を見定めているようだった。



——……あーあ、みんなを不幸にしちゃったね。朔ちゃんの選択では、結局誰も幸せになれないよ?



重い水が体にまとわりつく。

須藤雷也の笑い声がいつまでも頭に響いた。


大勢の怒りや憎しみの感情が振動となって水の中のわたしに伝わる。


恨み言に、耳を塞ぐ資格はない。

事実、わたしは義父を裏切った。彼や須藤雷也の目的を奥園側の立場で詳しく知ろうともせず、計画を潰した。


謝罪はしない。

わたしにとって、これが最善だったと言えるから。


怒りも憎しみも、全部背負う。

痛いのも苦しいのも受け入れる。


確かにわたしは誰も幸せにできなかった。

だけど、大切なひとたちを守るために下した決断を、間違いだったとは言いたくない。



——反抗的なのは良くないな。……そういやお仕置きがまだだったね。



真っ黒でどろどろとした水の中。無数の水蠆が「わたし」を喰らう。

まるで映画でも見ているように、その様子をわたしは別の視点で眺めていた。


目を背けたいのに、どうあがいても映像は消えない。

自分が捕食される。嫌悪感に息が止まった。

そういえばここは水中だったと自覚した途端、今度は窒息の恐怖に襲われた。


水面は遠く、息ができない。もがこうにも体には蟲が群がっていて……。


俯瞰的な視点から、いつの間にか蟲に喰われる主観に「わたし」が切り替わっていた。


どうにもできず混乱していると、周りの水がわたしを包むようにまとわり付いてきた。

よく視ると水は漆黒ではなく、虹色の艶を帯びていた。


精神が取り込まれる。恐怖に身が強張ったその時——……。



——…………朔。



地上にいるはずの、あの人の声が届いた。


朔。わたしの名前。

遠い地上に意識を向けた瞬間、周囲の景色が一変した。



——……仕方のないやつだ。



ユウの声が、どこからか響く。

他色の介入を許さない完全な黒がどろどろの水を押し流し、わたしはさらに深くへと沈んでいった。








そこからどれだけ時間が経過したのかはわからない。

いつの間にか水はなくなり、わたしは闇の中にひとり佇んでいた。


音はなく、みんなの気配も感じない。

声を発することもできずその場でぼんやりしていると、強い闇がわたしを前へと押し出した。






薄布団の重さ。汗で肌にまとわりつく衣服。後頭部に感じる冷たさは、布越しに氷枕があるからだ。

窓に日避け布が掛けられた、薄暗い室内。


五感で情報を得てようやくこれが現実だと実感する。

ここは赤兎本部の、わたしに当てがわれた部屋だ。


悪夢が鮮明すぎて、休めた気がしない。あれは本当に夢だったのか。そもそもわたしはいつ眠ったのだろう。


体はだるく、目の奥に鈍痛があった。体調は最悪なものの、心は自分でも驚くぐらいに落ち着いていた。

まるであのどろどろの夢の中に、わたしの醜い部分を置いてきたみたいだ。


部屋には人の気配があった。信頼できる人だったから、警戒せずに受け入れられた。

隣の台所の水の音が止まり、彼はこちらの部屋へと移動してくる。


起きているわたしに気づくと彼——明将さんは一瞬目を見張り、すぐに安堵のため息をついた。



「大丈夫か?」


「……頭が重くて、体がだるいです」


「だろうな」



明将さんは寝台の側に置かれた椅子に腰掛け、手に持つ濡れた手拭いをわたしの額ひたいに置いた。



「本来人が把握できないものを視るってことは、それだけ脳に負担がかかる。無理のしすぎだ」



視覚で情報を得ると目が回りそうになって、手拭いを両目の位置までずらした。目元に押さえつけると、ひんやりとして気持がいい。



「熱が下がるまで寝てろ。……と、その前に水飲むか?」



聞かれて喉の渇きを自覚した。小さく頷くと、横で明将さんが立ち上がる気配を感じた。


「……わたしは、お役に立てましたか?」


「当たり前だろ。俺たちも助けられた。朔のおかげで、どれだけの民が救われたと思ってんだ」



寝ぼけているのか? と訝しげな口調で呟きが聞こえ、彼の足音が遠ざかる。


自分の単純さに自然と笑いが込み上げた。

心臓が締め付けられたみたいにどきどきして、胸が熱くなる。体の異常は、決して不快な感覚じゃなかった。


霧が晴れるように、心に残った悪夢の残滓が消えていく。

たとえ誰かに恨まれても、自分のしたことに悔いはない。


彼の役に立てた。

それが、何よりも嬉しかった。






次に眠った時にはもう、嫌な夢は襲ってこなかった。

穏やかで優しい夢を見ていた気もするけれど、目が覚めたら夢の内容は忘れてしまっていた。


頭痛が治りすっきりした頭を持ち上げる。

身を起こすわたしに気付いた雪根さんが、額からずれ落ちた手拭いを掴んだ。



「おはよう」


「おはよう、ございます?」



返事をして、おや? と首を傾げる。

日避け布の隙間から差し込む光には、朝日の柔らかさがなく、朱色に近い赤みを帯びていた。



「あの、今の時間は……」


「夕方。もうすぐ日没だよ」


「わたしは、どれくらい眠っていたのでしょうか?」


「丸一日ってとこかな。アキが朝早くに一回起きたって言ってたけど、それは覚えてる?」


「……はい」



おぼろげだけど、記憶はある。

そこからまた寝て、こんな時間になってしまったのか。



「具合はどう?」


「大丈夫、です。だいぶ良くなりました」


「そっか、よかった」



部屋の襖が開かれる。台所から明将さんが顔を出した。



「起きたか」


「はい。……おはようございます」


「おはよう」



逆光の中で、明将さんが微かに笑った。


台所の天井についた照明の明かりが部屋に差し込んで、強い光に目を細める。しかし眩しさへの恐怖心はなく、照明の光は自然と受け入れられた。


暗いところが好きなのは、今も変わらない。

それでも、少しは成長できているのかな。


丸一日寝ていたと時間の経過を教えられ、そういえば昨日の朝以降、何も食べていないことを思い出す。

昼の教室で床に落とされたお弁当が急に恋しくなってきた。

申し訳なくて、もったいなくて……。

腹部に手を置くと、空っぽの胃が空腹を訴えているのを自覚した。



「……お腹、空きました」



思わず口から出た言葉に、明将さんが破顔する。



「少し早いが晩飯にするか」



待ってろと言い残し、彼は部屋を出て行った。



「すみません。大変な時に、寝込んでしまって」


「全然。朔は十分すぎるほど頑張ったんだから。まだゆっくり休んでていいんだよ」


「いえ……、さすがにそれは」



体調が回復したなら引きこもってはいられない。

一日も早く母に会いたい。罵られるかもしれないけど、この目で無事を確かめたかった。



「母と話して……、その後のことは、わかりませんが……」



母に捨てられたら、わたしに家族はいなくなる。

それでも、たとえ母に拒絶されたとしても未来が完全に閉ざされたわけじゃない。


華闇で修練を積めば土地守りになれると、雪根さんと一樹さんは言ってくれた。

からかわれただけかもしれないけど、赤兎班に入れと宮城さんに誘われた。

他にも気付いていないだけで、選択肢は無数にあるのじゃないかな。


根拠はないし、実のところ不安だらけだけど、わたしは以前のように、自分に絶望していない。

未来は苦しいだけじゃないって、今なら断言できるから。



「……身の振り方は決まってませんが、前を向いて頑張ろうと思います」



表情を綻ばせた雪根さんに頭を撫でられる。

優しい手つきが心地よく、俯き気味に目を細めた。



「強くなったね。でも、もう無茶はだめだよ」



直球で褒められたのが気恥ずかしくて、顔が熱くなる。



「ひとりで悩まないで、みんなと一緒に考えよう」


「……その時は、お願いします」


「うん。愚痴も相談も、なんでも聞くよ」



食事の前に着替えるかと問われ、はいと答えれば雪根さんは隣に移った。




その後、明将さんと花歩さんが食事を運んでくれて、四人で机についた。

わたしの無事を喜ぶ花歩さんの笑顔はとても眩しく、暖かかった。


彼らと共に食べる夕飯はおいしい。

みんなといると、光の下で生きる勇気が湧いてきた。





闇を愛する気持ちは変わらない。


静かで穏やかな、愛おしい夜はすぐそこにある。



だけどこれまでずっと抱いていた、寂しさに耐えながら夜に焦がれるあの必死さはもうなくて……。




地上でも、わたしはひとりじゃない。











第2部 .日の元の秘密【完】

第3部に続きます。

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