25.それは終わりか始まりか(上)
——やっと。
人が刃物で刺された。目の前に広がっているのは凄惨な現場なのだろう。
しかしながら刺した側も刺された側も、さほど逼迫した様子がないため、目撃者たちの理解が追いつかない。
わたしを含め、校庭にいる者たちの中で最初に我に返ったのは、彼らの最も近くにいた留美香だった。
須藤雷也の徐々に赤く染まる胸部と、シャツを破って突き出た鋭利な刃先に、みるみる留美香の目が開かれてゆく。
「……っ、いやあ——!!」
悲鳴は瞬く間に伝播し、そこかしこで恐慌状態になる人が続出した。
宮城さんが鬱陶しそうに舌打ちする。
「うるせえ騒ぐな」
敵を貫いた刃が青白い炎を放つ。
ここにきて須藤雷也が初めて焦りを見せた。身を捩って強引に刃を抜き、宮城さんから距離を取るため地面を蹴ろうと膝を曲げる。
体勢を低くした須藤雷也のこめかみを、至近距離から一発の銃弾が撃ち抜いた。穂高さんだ。
地面に転がった須藤雷也を、宮城さんの隣に立った作業着姿の穂高さんが無表情で見下ろす。
「ひぃっ……」
足元に横たわった須藤雷也を前に、留美香は腰を抜かして尻餅をついた。
放課後の凶行に、事情を知らない無関係の生徒たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。ある者は校門へ。ある者は校舎の中へと悲鳴を上げながら。
そんな生徒の波に逆らうようにして次々に赤兎班の人たちが駆けつけ、この場を囲んだ。
「朔っ!」
雪根さんと明将さんの姿もあった。
真っ先にこちらへ来てくれた二人に、緊張の糸が緩む。
「あのっ、母は……」
縋るような問いかけと、宮城さんが動くのはほぼ同時だった。
地面に伏した須藤雷也に小太刀を突き立てる。
「やめてっ」
留美香の制止の声は無視され、須藤雷也の首めがけて一直線に小太刀が迫るまさにその時。
胸を貫かれ、さらにはこめかみを撃たれて死んだはずの男が動いた。
首の前に腕を出し、手首で刃を受け止めて急所を守る。仰向けになった須藤雷也は自由な方の手を鎌状に変形させて宮城さんの首を狙った。
宮城さんは刃物の刺さった須藤雷也の手首を踏みつけるように蹴り、抜けた小太刀で鎌の攻撃を受け流す。そして後ろへ飛び退いた。
「さすがにあの程度じゃ死なねえか」
「不意打ちとか、卑怯じゃない? それに俺の言い分も少しは聞いてくれたっていいんじゃないの?」
「うぜえ。さっさとくたばれ」
「ひどいなあ」
よいしょっと、上半身を起こす。受けた傷をものともせず、須藤雷也は立ち上がった。
「やってくれたね、朔ちゃん」
こちらを見てにこりと笑われ、全身に悪寒が走った。
「下がってろ」
明将さんがわたしと須藤雷也の間に入る。
雪根さんに促されて騒動の中心から距離を取ると、さらに二人、赤兎班の班員がわたしの前に立った。
「朔、お母さんは無事だよ。身柄は鳳が確保した」
小声で教えてくれた雪根さんを見上げれば、彼は微かに口の端を上げ、うんとわたしに頷いた。
よかった。
助けられた。
足の力が抜けて崩れ落ちそうになったところを雪根さんに支えられる。彼の手を借りなんとか踏ん張り、自分の足で立った。
泣いている場合じゃない。
脅威はまだここにいる。
溢れそうになった涙を乱暴に拭い、真っ直ぐに須藤雷也の視線を受け止めた。
「へぇ。そういうこと」
「ら……、雷也?」
「ん? どうしたの、留美香?」
須藤雷也は人の形をなくした手を振り、平然と聞き返す。そんな婚約者候補に留美香はひぃと短く悲鳴を上げた。
「あはは、だめでしょ。将来の奥園を背負う子が、これしきのことでうろたえてたら。留美香は痛い思いも、苦しい思いもしてないのに。——ねぇ、朔ちゃん?」
話を振られたとしても反応はしない。
この期に及んでわたしと留美香の関係性を歪めようとしている魂胆が透けていたから。
わたしの役目は終わったのだから、大人しくしておくに越したことはない。
「あらら、すっかり飼い慣らされちゃって」
須藤雷也は肩をすくめる。
困ったように見せかけて、その実どこまでも余裕のある態度を崩そうとしない。
「この様子だといろんな方面に手を回されてるんだろうなあ。……あーあ、どうする留美香? 俺たちの帰る場所、なくなっちゃったよ」
「……は、……え?」
留美香はぽかんと大きく口を開けた。状況についていけてない彼女に、須藤雷也の緩い口調はまるで響いていない。
「……何? どういうことなの?」
「そんな腹芸、できる子だとは思わなかったなあ。義理とはいえ妹の乙女心を利用するなんて、朔ちゃんもなかなか腹黒いね」
なんとでも言えばいい。
守りたい人たちのためになら、道化にだってなれる。
須藤雷也を学校に留めているうちに、赤兎班含めた鳳が奥園を制圧する。それが今日の作戦だった。
人の苦しむ様子を笑い、無駄な足掻きを喜ぶこの男にとって、わたしの滑稽な姿はさぞ楽しかっただろう。
ただわたしひとりでは、須藤雷也を完全に引き留めていられるか不安だった。ふとしたことで目論見がばれたら、母だけでなく赤兎班の人たちも危ない。
だからより作戦を確実にするため、須藤雷也の言う通り、わたしは留美香を利用した。
留美香のわたしを厭う気持ちと、須藤雷也への独占欲と嫉妬心をわざと焚きつけたのだ。わたしがこの男に接近できない間も、敵を学校に引き留めておくために。
急襲を受ける奥園側から須藤雷也へ連絡が入るかは、宮城さんたちの奇襲の手腕にかかっていたけれど、こちらも上手く事を運べたようだ。
「見事に騙されたわけだけど……、最初に会った時はそんな子じゃなくて、もっと素直で聞き分けが良かったはずなのに。いつから平然と人を貶められるようになったのかなあ」
あなたがそうさせたのだとは、言いかけてやめた。
そんなことより、須藤雷也がわたしにばかり話しかけてくるのが気になった。
……狙いはなに?
雪根さんがわたしの肩を優しく叩く。
「自分で立てる?」
「ぁ……、はい」
「じゃあ危ないからもう少し下がろうか」
緩い口調は、赤兎本部で話していた時とちっとも変わらない。
「一方的によく喋る人ってめんどくさいよね」
緊張感がまるでない。というよりも、雪根さんは敵の空気に全く影響されていないのだ。
そんな彼はわたしの前に移動し、背中で敵を視界から隠してくれた。
須藤雷也に集中していた意識が雪根さんへと移動し、自分の中に余裕が生まれる。
すると視界が開けたように、様々な方向に注意が分散できるようになった。
周りを見れて真っ先に知覚したのは、地中を移動するどろどろとしたおぞましい気配だった。
「——っ、土の中、宮城さんの足元にっ!」
叫んだ途端、それは地面付近を離れて地下深くへと潜った。
しんと静まり返る校庭に、緊張が走る。
一度気づいてしまえば、地面の中で動く気配はより鮮明になっていく。でも、この気配の存在を証明する術をわたしは持っていない。
どうしたらいいの。このままでは、虚言で赤兎班の気を散らそうとしているみたいに思われるかもしれない。
「一匹か?」
不安に苛まれるわたしに、宮城さんが投げかけた。
気配を追いながら、首を横に振る。
「動いているのが三つと、……もっと深い場所にひとつです」
「よくやった」
宮城さんが不敵に笑う。
……言葉だけで、信じてくれるの?
「柊、あぶり出せ。そっちはお前らで片付けておけ」
命じた宮城さんは返事を待たずに須藤雷也へと攻撃を仕掛けた。
「ほんっと、その探査能力って反則じゃない?」
「それをてめえらは捨てたんだろうが」
「知ってたらもっと大事にしてたよ。朔ちゃんも教えてくれたらよかったのに。そしたら……っ」
須藤雷也の、蟷螂のような形をした手が切り落とされる。
「そしたら、どうした? 朔でなく、そっちの小娘をうちに押し付けたか?」
攻撃の応報は終始宮城さんが優勢だった。
宮城さんから命令を受けた柊さんは抜いていた刀を鞘に収める。そして両手で柏手を打った。
柊さんが顔の正面で指を組み、左右の人差し指と小指を立てた。小さく何かを呟くと、彼を起点に強い衝撃が広がった。
稲光が地中を走る。
刺すような鋭い光は、蟲が纏うどろどろの気配と正反対の気質だった。
しかしどちらも属性が光であることに変わりはない。本能的に感じる恐怖心に耐え、自分で自分を抱きしめて体の震えを誤魔化した。
蟲たちが地中で暴れている。突然受けた攻撃に混乱して身をくねらせ、各々が右へ左へと進みながらも地上を目指す。
やがて舗装された地面を割ってそれらは姿を現した。
指のように枝分かれした平たい前脚を持つ、透明な化け物。頭部に二本の触覚が、口部分には四つの突起がついている。成人男性ほどの大きさをした、螻蛄だった。
蟲が視認できてしまえば、赤兎班の人たちの対応は早い。近くの者同士で協力し合い、螻蛄の脚や触覚を潰し、最後は胸と胴の節目を切り離す。
手慣れた動きは、彼らにとってこの戦いが日常であることを示していた。
四匹の蟲はすぐに駆除された。
地面の下や空など、周囲に他の蟲の気配はない。
ほっとして肩の力が抜けた。
こめかみを伝って汗が流れ落ちる。自分が汗だくになっていることに、その時初めて気づいた。
自然の風が体温を奪い二の腕に鳥肌が立つ。顔から上は血が上って熱がこもっていた。暑いのか寒いのかよくわからない。なんだか頭がふわふわしてきた。
ふらつきそうになるのを我慢して、雪根さんの背中から顔を覗かせ宮城さんへと目を向ける。
手駒を失った須藤雷也は宮城さんの攻撃をなんとか防いでいるが、動きは投げやりなものに変わっていた。
「あーあ……。まあ、それなりに楽しかったからもういいか」
不意に須藤雷也が戦うのをやめた。
宮城さんを前にして無抵抗に、飄々とした態度を崩さずこちらを見て、にやりと笑った。
「バイバイ朔ちゃん、また遊ぼうね」
「次なんざねえよ」
宮城さんが須藤雷也の首を切り落とす。
切断面から血が噴き出ることはなかった。
首より下、須藤雷也の肉体だったものが細かく分裂し、色を消して宙へと散っていく。
透明になった肉片は、目を凝らせばひとつひとつが羽根を生やして羽ばたいていた。
「逃がすと思ったか」
胴体から遅れて分裂を始めた頭部に、宮城さんが刃を突き立てた。
青白い炎が須藤雷也の頭を包み込む。それと同時に、空へと散った透明な羽虫が一斉に爆ぜた。
白い光が校庭の上空にキラキラと輝く。瞬きをすれば見逃したであろう小さな火花は、そよ風によって空気中に消えた。
蟲の死骸は溶けてなくなり、校庭には須藤雷也が着用していた制服が残るのみ。
しんと静まり返り、時が止まったように誰もが動きを止めた校庭は、宮城さんが小太刀を鞘に収めたところで時間の流れを取り戻す。
赤兎班の班員が須藤雷也の衣服を回収する。また別の班員は、校舎の中より様子を窺っていた教職員の元へ駆けて行った。
「朔、大丈夫……じゃないよね。すごい汗」
雪根さんの心配に、正直に頷く。ここで強がっても仕方がない。
「お疲れさん」
明将さんの声が聞こえたけれど、頭がぼうっとして反応が遅れた。
宮城さんが穂高さんと柊さんを連れて近づいてくる。
「よくやった」
労いに、軽く頭を下げた。
「母親は鳳で取り調べを受ける。しばらくは拘置所だ」
「……はい」
最初からわかっていたことだ。
須藤雷也はわたしを脅す材料に母を使ったけど、それは母が無実だという証拠にはならない。
奥園当主の妻であり、夫の秘書という立場にある母が今回の件にどこまで加担していたかは、調べられて当然だろう。
罪があるなら、裁かれる。
頭では理解できても納得し切れず、もやもやな気持ちを隠すために俯く。
母は生きている。無事だった。
今はそれで十分だと自分に言い聞かせた。
「約束だからな。近日中に合わせてやる」
宮城さんの言葉に、少しだけ顔をあげる。
至近距離で見る彼は相変わらず眩しくて、否応なしに畏れを湧き上がらせる強烈な気配を纏っていた。
それでも初めて会った時よりも、彼に感じる本能的な恐怖は薄らいでいる。
「悪いようにはしねえから安心しろ」
発言に嘘はない。
今のわたしは、宮城さんに任せても大丈夫だと信じられた。




