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21.御社参りへ(下)





日の元を支える三本の柱のひとつ、華闇は信仰を司っている。

御社を管理し、神々と民を繋げ、人々の心に安寧をもたらすことが華闇の使命である——というのが、世間の認識だ。


しかしこれは華闇が存在する理由の全てではなかった。


鳳、赤兎班に裏の役割があるように、華闇もまた民の知らない日の元の仕組みに深く関わっているのだ。


御社は光と闇の均衡を保ち、民に潜む妖の本性を封じるために、全国各地に建っている。

民の生活の一部になっている御社参りに、重要な意味があったなんて知らなかった。


日の元で生きるわたしたちは、知らぬうちに国の仕組みに乗っ取った行動を促され、皇、鳳、華闇の管理下で生かされていた。


それが不幸なことなのかは判断が難しい。

赤兎班の預かりとなった現状はともかく、わたしはこの国の生活に特別不満を抱いたことがないからだ。


だけど、自由に国の外へと出られない日の元の実情は、未知への探究心が強い民にはいささか窮屈に感じてしまうのかもしれない。

義父が進んで須藤さんに協力しているならば、その原動力は外の世界への強烈な憧れではないだろうか。


海の向こうにあるという、大陸に対する好奇心。

奥園は日の元の貿易を一手に担う家系だ。それだけ外つ国の文化に触れる機会も多く、見知らぬ土地に馳せる想いが人一倍強まってもおかしくない。


しかしながら妖の血を受け継ぐ日の元の民である限り、直接海の向こうへ赴き、自身の目で外の世界を確かめることは叶わない。


それを不当な扱いだと、皇に不信感を覚えたとして。憤りの果てに、外つ国から甘い誘惑を囁かれたら、人は抗えるだろうか……。






御社へと続く参拝者の列に並び、のろのろと階段を上りながら、人知れずため息をこぼした。


赤兎本部を出発するまでは、人の目に触れることに少なからず恐怖があった。

だけどそれはすぐに杞憂だと知れる。

御社を目的に集った人々にとって、わたしなど関心を示すに値しない、その他大勢のうちのひとりに過ぎなかった。


左右に木々が生い茂る、御社までの道のりは、階段の両橋に等間隔で立つ灯籠に火が灯され、参拝者達を境内へと誘う。

次第に鈴や太鼓、笛の音が聞こえてきた。一度にいくつも重なる鈴の響きがいつまでも耳に残った。


石畳の緩やかな段差につまづかないように足を踏み締めながら一歩一歩、階段を登っていくとやがて御社の表門に辿り着いた。一礼し、両開きの大きな扉が開かれた門を潜る。


日はすっかり沈んで周囲は薄暗い。見上げた先の空は藍色だった。


いたるところに配置された灯籠により、境内は淡く優しい光に包まれていた。

参拝者の列は表門を抜けた先も切れることなく石畳に沿って並ぶ。それは広い敷地の中央にそびえる、天上の神々を祀る瓦屋根の建物——華殿へと続いた。


華殿は手前側、吹き抜けとなった拝殿と、その奥に位置する本殿の二つの棟で構成される。


拝殿の内部では笛や太鼓の奏者が音色を奏で、中央部分で巫女が木の枝を手に舞を披露する。

列をなした参拝者たちは、やがて拝殿の正面に行き着く。作法通りにお参りしてすぐに立ち去る者もいれば、その場に留まりしばらく呆然と拝殿を眺める者もいた。


太鼓の低音が体の内側に響いてくる。

これだけの人が集まっているのに、おしゃべりに興じる声は聞こえない。

参拝者たちから感じていた重い空気も、境内に足を踏み入れたころからしなくなった。


これが帰魂祭の御社参り。

厳かな雰囲気に自然と背筋が伸びる。こんな空気の御社は初めてだった。


境内を見渡していると、敷地の向こうから見知った人が歩いてくるのを見つけた。



「……柊さん?」



ふだんの背広ではなく、墨色の袴姿の柊さんだ。

宮城さんは先に御社へ向かったと啓斗さんが言っていた。彼も宮城さんに同行していたのだろう。



「持ち場を離れたってことは……、そういうことなんだろうな」



わたしと同じく柊さんに気づいた明将さんがぽつりと呟く。



「そんなことだろうとは思ってたけどね」



小声で話す雪根さんはどこか呆れているようだった。



「行こうか」



雪根さんがわたしの手を取る。導かれるままに拝殿へと並んでいた列を抜けた。


明将さんを先頭にして柊さんの方へと足を進める。

近づいてきていた柊さんが立ち止まり、わたしたちに目線で拝殿の奥を示すとそのまま踵を返した。



これは、ついてこいってこと?



柊さんが遠ざかる。夜の闇と人に紛れ、すぐに姿が見えなくなってしまった。



「焦らなくていいよ。場所はわかってるから、ゆっくり行こう」


「柊さんは、どちらに?」



雪根さんと明将さんの足取りには迷いがない。参拝目的でなく、他に行く場所があるみたいだけど、宮城さんがそこにいるのだろうか。


わたしの手を引く雪根さんが身を屈めた。



「拝殿の奥。内緒話ができることろだよ」



祭囃子が声をかき消す。おそらくその言葉はわたしにしか届かなかった。

雪根さんは微笑みながら頷き、再び歩き出した。



ゆっくりと拝殿の横を通り過ぎる。

体の内に響くのは太鼓の音か、それとも心臓の鼓動か。

進行方向にある建物が目的地だと、近くに来ても信じられなかった。

緊張から背中に汗が滲む。ここはわたしのような一般人が立ち入っていい場所じゃない。



拝殿の奥にあるのは、天上の神々を祀る本殿だ。





本殿は拝殿を見下ろすように建てられている。

外周を囲う縁側はわたしの背丈を超える高さがある。彫刻が施された欄干が目隠しになり、近づくほどに建物の全体像が掴めない。

解放的な拝殿とは反対に、本殿の内部は外から覗けない造りになっていた。


社務所を通り過ぎたあたりから、参拝者の姿はなくなった。灯籠の数が少なくなり、暗さが増す。

立ち入り禁止の立札や柵がなくても、作られた空気感が人の入りを拒んでいるのだ。


周囲に人気がたえると祭囃子はどこか遠くに感じられ、わたしたちの足音がよく目立った。

明将さんの背中について行くと、境内の中央に建つ華殿を大きく回り込み本殿の裏側に辿り着いた。



「お話は伺っております。どうぞ中へ」



本殿の内部へと上がる階段の前で、御社の人がわたしたちに告げた。



「行くぞ」


「ですが、こちらは……」


「大丈夫、招いたのは宮城さんだし。俺たちが入っても誰も怒らないよ。目的の場所はこの奥だから」


「……内緒話をするところですか?」


「そう。御社の敷地内にも守護は届いているけれど、人の目は避けられないからね。ここだと誰に聞かれる心配もない」



雪根さんに促され、ためらいながらも本殿の階段を上る。草履を脱ぎ、内部へと足を踏み入れた。


床も壁も、天井も。木板で囲われた通路にぽつぽつと燭台が立ち、蝋燭の火が微かに揺れている。

本殿の中は不思議な空気に満ちていた。

ここにいるとやたらと目が冴えるというか。昼夜の変化を感じる体内時計が狂ったような錯覚があった。


外の世界は夜になったはずなのに、華殿の中は夜じゃない。

時間の感覚に戸惑いながらも窓のない閉塞的な廊下をまっすぐ進むと、やがて行き止まりにあたった。


そこは引き戸だったようで、明将さんが軽く叩くとすぐに戸は開かれた。



「こんばんは。どうぞこちらへ」



中から戸を開けたのは一樹さんだった。



「こ、んばん……は」



たどたどしいわたしの返しに、一樹さんはいつもと変わらず穏やかに微笑み目元の皺を深くした。


引き戸の先は大きく開けた広間だった。


板張りの壁に窓はない。四隅に太い円柱の柱が立ち、中央部分は床の板が外されて大きな岩が置かれていた。

天井は色彩豊かに鮮やかな絵が全体に描かれている。蔓で繋がる色とりどりの花と、大きな鳥の絵だ。


中央の岩近くに宮城さんが立っているのが戸口から見えた。

入り口の側には柊さんがいて、壁際には穂高さんも控えている。

全員の視線を浴びてうっと息が詰まった。


見られている。

わたしたちの様子を覗き見しているのは、この場にいる宮城さんたちだけじゃない。


一樹さんに頭を下げて引き戸の先へ。一歩足を踏み出し、敷居を跨ぐ。


空気が変わった。肌に感じる気配に足が止まる。

まるで巨大な生き物に取り込まれたようだ。あるいは精神が、途轍もなく大きな存在の思考に否応なく流されていくみたい。


明らかに異様な空間だった。

強い光の気配はあるのに、眩しさは感じない。

この光は敬って然るべきだと、理由もなく納得してしまう。


ふと足元を見る。自分に影がないことに気づいた。わたしだけでなく、広間に立つ人たち、柱や中央の岩にも。


そういえばここには、照明や蝋燭といった光源がない。しかし光はどこからともなく広間を照らし、わたしは視覚を通して情報を得ている。


どうなっているの?



「不思議がってないでさっさと来い」



動けないでいるわたしへと、痺れを切らした宮城さんが言い放った。

有無を言わせない響きに自然と足が動いた。


おかしい。緊張感はあるけど、警戒心が続かない。

ここがどういう所なのか聞く前に、わたしはあるがままを受け入れてしまっている。


宮城さんに従って当然だとする、この思考の根拠はどこにある。

この場所ではなく、自分自身の異変に目を向けることで辛うじて異常さを実感できている状況に危機感が芽生えた。



「……わたしは、どうなってしまったのでしょうか」


「朔?」



振り絞った声に反応したのは雪根さんだった。

彼の表情に心配の色が浮かぶ。雪根さんの瞳はいつも通り、優しい。



「感受性が強すぎるとそうなるのか」



宮城さんが雪根さんの肩に手を置き、わたしの前から退かせる。



「俺の声はわかるな」



雪根さんと場所を入れ替わった宮城さんへと、素直に頷く。



「俺の他に感じているものは騒音だと思っておけ。存在そのものの規模が大きすぎるおかげで、全容を汲み取ることは叶わないだろ。気にせず無視しろ」



無茶を簡単に言ってくれる。



「ここは……?」


「華闇の総本山に次ぎ、日の元において最も天上に近い場所だ」



天上——、光の神様の、領域。



「外なる神の力も、神域までは及ぼせない。ここなら腹を割って話せるだろ」



腕を組んで見下ろしてくる宮城さんは、袴や着物ではなく、普段着のままだ。

どうでもいいことが気になって、思考がうまくまとまらない。



「ぼうっとしていて、時間がかかると奴に怪しまれるぞ。そうなって困るのはお前だろう」



はっとして宮城さんを見上げた。

彼の発する強い威圧感が畏怖の念をもたらし息が止まった。目を合わせると萎縮してしまいそうで、反射で顔を背けた。


宮城さんは、まさか……。


言葉を失うわたしに、目の前に立つその人は喉の奥で笑った。



「敵に聞かれる心配もない。神の前での取引といこうか」



どくどくと、心臓が強い鼓動を繰り返す。

威圧感に気圧され逃げ出したくなる気持ちを必死で抑え、彼の言葉を待った。


やがて宮城さんは悠然と口を開く。



「朔、お前の願いを叶えてやる。代価は俺たちが欲している敵の情報だ」



赤兎の求める情報。

思い当たる節は、ある。


だけど、それ以上に。


宮城さんは試しているんだ。

わたしを。わたし自身の意思を。


ここは日の元の神の領域で、外つ国の神は手出しができない。——つまり、須藤さんも聞き耳を立てられないというわけで。


脅されているから何も言えない。だから赤兎班の味方はできない。

そんな言い訳は通用しない。


わたしが……、わたし自身が日の元をあだなして、奥園につくかどうか。


求められているのはこの答えであり、まさに今、決断を迫られている。


宮城さんの言う通り、ここにいる時間が長引くほど須藤さんが不審に思う可能性が高まる。

あの男の干渉できない場所に居続けるのは危険だ。



わたしはどうする?


どうすればいい?



こちらの答えを待って誰も動かないし、喋らない。

沈黙に焦りが増幅し、玉の汗がこめかみを伝った。



須藤雷也は、敵だ。

だけど赤兎も、完全には信用できない。


もしわたしが赤兎班についたら、義父はわたしをどう思うだろう。

やっと幸せになれた、母は……。


嫌なことばかりが脳裏をよぎる。

震える手をきつく握って誤魔化した。



「……あっ、わたし、は……」



縋るように振り返る。

雪根さんと明将さん——赤兎班の二人は、何も言おうとしなかった。

判断を委ねられているのだと、すぐに察した。


わたしが赤兎班を裏切り、敵になっても恨まないと……。かつて伝えられた明将さんの言葉を鮮明に思い出す。


目頭がつんとして、眉間に力が入った。


心が潰れて妖になるはずだったわたしを、明将さんと雪根さんは助けてくれた。

今も、日の元のために命懸けで戦っている。彼らの敵になんて、なれるわけがない。



「望みは何だ?」



宮城さんに問われ、嗚咽が溢れる中で懸命に声を振り絞った。




「お母さんを……っ、助けて」




それは祈りに近い、懇願だった。






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