19.御社参りへ(上)
お前の願いを言ってみろ。
一階にいる時間が長くなると、赤兎班の人に会う機会が増えてしまう。
宮城さんに日の元の秘密を教えられながら奥園の立場を貫くわたしは、どんな顔をして彼らと向き合えばいいのか。
想像しただけでひとり気まずくなり、急いで階段を駆け上がった。
宮城さんは意地悪な人だ。
わたしの隠し事に気付いているのに、そこにつけ込んで強制的に従わせようとはしてこない。彼はあくまで、わたしが自分の意思で赤兎班に付くことを望んでいる。
揺さぶりも精神的な圧迫も容赦がなかった。
当然か。宮城さんをはじめとした赤兎班が背負う重責に比べれば、わたしの事情なんて塵みたいなものだ。
知らないままでいた方が幸せだった真実すらも、迷いなく突きつけられた。たとえこの先普通の日常に帰れたとしても、日の元の秘密が常につきまとう。
三階に到着して深いため息を吐き出す。
もう戻れない。知りたくなかったと思う反面、心のどこかでほっとする自分もいた。喉の奥に引っかかっていた小骨が取れた、そんな感じ。
だけど不可解だったもやもやの霧が晴れたところで、見えた景色は美しいものではなかった。
須藤さんは日の元にとって危険な存在。これは否定のしようがない。
そんな男に与する義父への不信感は、以前よりも増していた。日の元を脅威に陥れてなお、義父は一体何を求めているのだろう。
母は彼らの本性や目的を把握しているのだろうか。
もしも母が日の元の秘密を知りながら、なおも義父や須藤さんに協力していたら……。
浮かんだ可能性は頭を振って否定した。
悪い方に考え出したらきりがない。
連絡手段を断たれている現状、わたしは母を信じるしかない。
階段を軽やかに駆け上がる気配に、足を止めて振り返る。
早いうちに近づいてくるのが雪根さんだと判別できたので、緊張で体がこわばることはなかった。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
疲労を悟られないように軽くお辞儀を返す。
「大丈夫? 宮城さんにいじめられなかった?」
「……はい」
大丈夫ですと、言葉を続けられなかった。
雪根さんだって赤兎班に所属しているのだから、日の元の秘密を知っているはずだ。
日の元を守るための明確な理由があって、奥園を敵とみなしている。
雪根さんは宮城さんに全てを知らされてなお奥園側の立場であろうとするわたしを、どう思うのだろう。
呆れられるのかな。
幻滅されてしまうかもしれない。
彼の落胆を想像しただけで落ち込んでしまう。
「やっぱり廊下は暑いね。ひとまず部屋に入ろっか」
罪悪感から顔を上げられないわたしを、雪根さんはさりげなく寝泊まりをしている部屋まで誘導する。
優しさが、とても痛かった。
台所の前に設置された食事用の机に着いたわたしに、雪根さんがお茶を出してくれた。
「……すみません」
「気にしないで。混乱してるだろうし、とりあえず落ち着こうよ」
雪根さんは自分のお茶を用意して、わたしの斜め向かいに腰を落ち着けた。
机に両肘をつき、手を額に当てる。俯いた視界の隅で、ガラスの水飲みに入ったお茶の水面が微かに揺れた。
「宮城さんは怖かった?」
「……圧はすごかったと思います」
雪根さんにとっての上司の悪口はさすがにまずいかとぼかしたけれど、これでは怖いと言っているのと同じじゃないか。
ちらりと斜め前を窺うと、苦笑する雪根さんが横目に見えた。
「遠慮をしない人だからね。必要だと判断すれば相手の都合はお構いなしだし」
そっか。わたしだけじゃなくて、部下に対してもそんな感じなんだ。
「心労が増えたのは……、なんというか、居た堪れないんだけど……」
顔を上げたわたしに、雪根さんは少し寂しそうに頷く。
「知ってしまったからといって、背負う必要はないよ」
「え……と」
「日の元がそういう国だと理解していながら普通に暮らしている人は、多くはないけどそれなりにいるから。朔が重荷に感じることはないよ」
ですが……、と。否定しようとして口を閉じる。
わたしはそういう国だと理解しながら、日の元の根幹を脅かす者に味方している。
逆らえないからと自分に言い訳しているけれど、このままじゃいけないのはわかっている。
「……わたしは、普通に戻れるのでしょうか?」
「全部が終わった時に何を選ぶのかは朔が決めることだよ。宮城さんの勧誘がしつこくて怖かったら、俺が朔に味方してあげる」
「それは、雪根さんが怒られるのでは」
「俺は平気。怒られるのは慣れてるから」
そういう問題じゃない。
へらりと笑う雪根さんに、つられて肩の力が抜けた。
込み上げてくるおかしさに、ふふっと吹き出しそうになり手で口元を隠した。
そんな愉快でいられる心境ではないはずなのに、わたしにもまだ余裕があるみたい。
敵は健在。母の安否は依然として不明のまま。
いつあの男が仕掛けてくるのかわからない。
これからどうすればいいかも決めあぐねているのに、わたしは笑っていられる。
安全な場所にいるから?
雪根さんがわたしを傷つけないと知っているから?
わたしさえ良ければ、他はどうでもいいの?
自分がとても矮小に思えてどうしようもなかった。
両端が吊り上がっていた口を一文字に閉じる。視界が滲み、目からぼろぼろと涙が溢れた。
ああもう。最近泣いてばかりだってのに。
わたしはまだ泣き足りないのかなあ。
「……ごめっ、……なさぃ……」
笑えていたはずが今度は号泣とか、情緒不安定にも程がある。せめてひとりの時に泣くべきだったと後悔してももう遅い。
雪根さんが立ち上がり、机を回ってわたしの前まで移動する。
「……なんなの、でしょうね。もうっ……」
泣けば許してもらえるとは思ってない。
同情して欲しいわけでもない。
もっと冷静にならなきゃいけないって、頭ではわかっている。それでも涙が止まらなかった。
「そりゃ苦しいよ。いきなり日の元に生きる俺たちはみんな化け物だとか言われて、すぐに受け入れられるわけがない」
雪根さんに髪をすくように撫でられた。
「そんなわけがないって、信じられないのが当たり前なのに、ちゃんと向き合おうとしている朔はすごいよ。……だけど、ちょっとぐらいへばってもいいんだよ」
甘い言葉が心に染みる。それが正しいとか間違いだとか、判断する余裕はない。
しかし雪根さんへと伸ばしかけた手は寸前で止まり、わたしはその手で自分の頭を抱えた。
すがってしまうと、歯止めが効かなくなりそうで怖かった。
「秘密を抱えたまま普通に暮らすのが苦しくなれば、その時にまた別の居場所を探せばいい。赤兎班や華闇、……他にも、日の元の秘密を共有する集合体は色々あるから。何が最善か、俺も一緒に考えるから、絶対に朔を独りにはさせないよ」
「……華闇もですか?」
「神々を祀る、国の信仰の管理者だからね。あそこは一定以上の役職の人ならみんな把握しているよ」
言われてみればそうだ。赤兎班と華闇が近しい関係にあるのは、そういう点が関係しているのか。
華闇と聞いて、宮城さんに言われたことを思い出した。
「明日、夕方から御社参りへ行くそうです。帰魂祭の名目で、一樹さんの管理されている御社へ」
「宮城さんが言ってたの?」
首肯すると頭を撫でる雪根さんの手が止まった。
手首で雑に涙を拭いちらりと上を見る。
雪根さんは困ったような気まずそうな、引きつった笑顔を顔に貼り付けて固まっていた。
「……そっか、そうだよね。……うん。一樹さんのところが一番いいよ」
思考の整理がついたのか、そう間を置かずに、彼は自分を納得させるための言葉を呟いた。
*
昼食後、何もしないでいるといつまでも答えの出ない悩みに苛まれそうだったので、隣の部屋に移った。
奥の部屋で一心不乱に課題に打ち込もうとした。要するにただの現実逃避だ。
いっそのこと、全部を投げ出してしまいたい。
奥園なんて知らないと開き直れたらどんなに楽だろう。
日の元の抱える秘密などわたしには関係ないと言い切ってしまえば、心のもやもやも消えてなくなるのかな……。
気がそぞろになり、筆記具を動かす手が止まる。
明日の御社参りは憂鬱でしかない。
思えば夏休みが始まって以降、初めての外出だ。
一階の玄関まで移動するなら、赤兎班の人たちとも否応なく会うことになる。どんな顔をすればいいのか、今からとても気が重い。
明将さんたちはわたしと普通に接してくれているが、一般人の目に映るわたしは本当に人のままなのか。
周囲から見てこの姿に違和感はないだろうか。わたしの見た目のどこかに妖の片鱗がはみ出していたらどうしようと、不安が尽きない。
奥園の一件が解決したとして、日の元の秘密を知りながら日常へ戻れば、こういった悩みをひとりで抱えて生きることになるのだろう。
誰にも打ち明けられず、独り孤独に。
少し想像しただけで重圧に耐えられなくなり、とうとう筆記具を手放した。
「……行きたくない」
わたしの気持ちを代弁する声が、背後より発せられた。
寝台の上、壁にもたれかかり本を読んでいた雪根さんがどんよりとした面持ちで息を吐く。
「よりによって、どうして一樹さん……」
「ここらで一番でかい御社だからだ。華闇関連であの人を頼るのは今に始まったことじゃないだろうが、文句垂れるなうっとうしい」
台所前の机で書類と向き合う明将さんは、目線を書類に向けたまま言い放った。雪根さんと一樹さんの過去の繋がりを知ったところで、明将さんにそれを気遣う様子はない。
「仕事なら割り切れるんじゃなかったのか」
「割り切れるけど……、あの人に会うと毎回にこやかに笑いながら、さりげなく嫌味言ってくるんだよね。それが心に刺さるというか」
「それはけじめをつけずに赤兎班に来たお前が悪い。というかそんなに嫌なら明日は待機を申し出ろ」
「いやだ。俺も行くよ」
「ならうじうじ抜かすんじゃねえ」
ばっさりと切り捨てられ、雪根さんはいじけたようにごろりと横になった。そのまま仰向けに転がりくつろぐ体勢をとる。
「朔も休憩する?」
予想だにしない提案に勢いで首を振った。
「いえっ。わたしは、大丈夫です」
「朔はともかくお前はさぼるな。というか少しは手伝ったらどうだ。言っておくがそこで寝たら容赦なく上に報告するからな」
「寝ないって。座ってるのが疲れたから休んでるだけだよ」
雪根さんは終始自分の歩調を崩さない人だ。
寝台に寝そべり天井へとてを伸ばす彼はわたしにへらりと破顔し、そして両手首を自身の目元へと下ろした。
「明日、曇りだったらいいのにね」
「……はい」
日避け布の隙間から外の光が部屋にさし込む。
明るくて眩しい場所に恐怖を感じるわたしは、まだ不安定なのかもしれない。
夕方という時間を指定してきたあたり、宮城さんは気を遣ってくれたのかな。
あの人の考えることは、よくわからない。




