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18.心の行き先(下)





翌日。朝食後に宮城さんから呼び出しがあった。


初めてここに連れて来られた時と同じ、真っ赤な絨毯が敷かれた広い部屋でソファに座り、再び彼と相対する。

ただしあの時と違って部屋の中には穂高さんや柊さんの姿はなく、ここにいるのは宮城さんとわたしの二人だけだ。



「死んだ魚の目になっていると予想していたが、存外問題はなさそうだな」



わたしが腰掛けるや否や、こちらの挙動を観察していた宮城さんが気怠げに言い放った。

いや、気怠げというのはわたしが抱いた印象でしかない。この人にとって、他者を見下した緩慢な態度はおそらく通常運転なのだろう。



「悲劇を嘆き続けるのもそれなりに疲れるだろ?」


「……そうですね。流れに身を任せた方が楽なのは身をもって理解できました。……奥園としての立場を、崩すつもりはありませんが」



付け加えた言葉に宮城さんは口をつぐんだ。沈黙の中、互いの意図を探り合う。

挑むように視線を逸らさないわたしに、宮城さんは微かに口の端をあげたが、すぐに表情を戻した。



「まあいい。たとえ奥園であったとしても、お前にできることはたかが知れてる。開き直りはいいが自棄になるなよ。あとはそうだな。くれぐれも勝手な行動は慎め」


「肝に銘じておきます」



宮城さんは一息付いて足を組み直す。


空気が変わった。



「さて、ここからはお前自身と、日の元という国についての話をしようか。なあにちょっとした世間話だ」


「それは……、知ってしまったからには家に帰れない。ということは……」


「今のところそれはない。国としての機密事項ではあるが、知っている奴にとってこれは常識だ。少なくとも、お前の義父は把握しているはずなんだがな」


「……義父も」


「これに関しては敵も味方も関係ない。中途半端な知識でいられるより、全容を理解してもらえた方が俺たちも安心できる。聞いて、頭に叩き込んでおけ」



腕を組んだ宮城さんは皮肉そうに顔を歪めて笑う。

哀れみの情をわたしに向けているように思えるのは、気のせいだろうか。



「一度自覚してしまえば、もう戻れない。……悪いな、普通の日常に返してやれなくて」



別にそこは謝らなくていいと、他人事のように思う。


なんとなく、そんな気はしていた。




恨み言をぶつけるつもりはない。

宮城さんをはじめ、赤兎班の人たちはわたしにその事実を隠し通すつもりだったと知っているから。


時には冷たく突き放してでも、彼らは踏み込んではいけない境界線を示してくれていた。


踏み止まれなかったのは、わたし自身の弱さと、真の敵を見抜けなかったことが原因だろう。

わたしは奥園だと自分に言い訳して、須藤さんに逆らえない状況に甘んじていたのだ。


篤志さんが亡くなった玉乃江の倉庫。思い返せば鏡に覆われたあの場所に閉じ込められた時から、わたしの転落は始まっていた。


これを赤兎班の、……宮城さんのせいとするのは見当違いだ。



「日の元に生きる民は、どの割合でお前と同じだと思う?」



しかし核心を突く直球の問いかけがいきなり来るとは、さすがに予想できなかった。


もう少し、段階を踏んで心の準備をさせてくれても良いのでは……いや、無理か。宮城さんにそんな優しさを期待するのは、それこそわたしの甘えだ。



「妖の本質を秘めている人の割合、ということでしょうか?」


「そうなるな」



難しい問題に首を捻る。そもそもわたしは人がなぜ妖に変わってしまうのか、原因を理解できていない。

血筋が関係しているのか、人間として産まれた後になんらかの影響を受けた結果なのか。検討がつかない。


これまでに会った、妖の本質を持った人は、篤志さんに照土さん、そしてわたし——。


反対に、目の前にいる宮城さんや須藤さんは、絶対に妖には変貌しないという確信があった。



だったら他の人たちは?



明将さんや雪根さん、花歩さん、わたしの母は、どちらに当てはまるのだろうか……?



「手掛かりをやろうか。妖の因子は、血によって受け継がれる。多少人間の血が混ざったぐらいで秘めたる獣の本性が消えることはない」



そうなると、わたしの母や祖母。空木村の照土さんの家族も妖の血筋ということになる。


……ううん。おそらくこれは、そんな小規模な話じゃない。


日の元には、外つ国にあるという人種の細分化がない。産土(うぶすな)による優遇や差別は法律により禁止されている。


つまり妖の血筋なんて区分は、常識的な別の名称に差し替えられているわけでもなく、元から存在していないのだ。


婚姻の自由は民の権利だ。誰とでも結婚ができるということは、どこにでも妖の血は広がっている。

全てを知る人たちは、それにいついて全く問題視していない。


……違う、今さらする必要がないと考えるべきなんだ。



「……日の元は、妖の国。ということですか?」


「さすが、察しが早くて助かる」



宮城さんは親指と人差し指で小さな丸を作ってわたしに見せた。



「日の元に純粋な人間はほぼいない。この国では誰もが、自覚なきまま妖に変わる可能性がある」


「ほぼ……ということは、人間も……?」


「ほんの一部だ。旧家の連中は人間の血に固執して出来るだけ色濃く残そうとしているが、所詮は無駄なあがきでしかない。いずれは薄れて消える」



蔑むような口調で言い切り、宮城さんは笑う。



「お前の言う通り、日の元は妖の生きる国だ」






一般に知られる日の元の建国神話は、癒しの巫女が地上で神と出会うところから始まる。

それは史実として正しいが、日の元の成り立ちを語るうえでは不十分な情報だと宮城さんは教えてくれた。


日の元の王族——皇家の始祖は、はるか昔に天上と深淵、双方の神域の神が恋仲となって地上へ駆け落ちした際に産まれた、神々の子供だという。


地上に渡り肉体を得た者は、二度と神域へは帰れない。

自らの子らを深く愛していた天上と深淵、両者の長は争いを望まず、協定を結んだ。


光と闇。互いの領域は決して侵略せず、共に我が子が生きる地上の守護を誓い合ったのだ。


取り決めは今日まで続き、日の元は神域の神々に守られている。



「日の元は建国時より妖の数が人間を上回っていた。人の姿に化け、人間と共に生きる道を選んだ妖たちは、長い時間をかけて自らの本性を忘れていった。だが本来妖とは闇の属性に近しい存在だ。光の下で正気を保ち続けるのは難しい」



均衡が崩れ光の属性に傾きすぎた時、民は妖に戻ってしまう。

自らの本性に気づいた時もまた然り。本性を知らず人として生きていた者が、自らの獣性を受け入れるのは非常に難しい。

大抵は現実を受け止めきれずに心が壊れ、やがては本能が理性を凌駕し人の姿を保てなくなる。


日の元を守るためには、妖の正体を民に知られてはならないし、自覚させてもいけない。



「日の元が外つ国の進入を許さない理由もそこにある。早い話、海の向こうはお前たち妖にとって眩しすぎるんだ」



宮城さんが人差し指を上に向ける。



「大陸を支配する神の主権は天上にある。闇は悪として淘汰され、光が満ちた大陸の土地は妖が生きられる環境ではない」


「外つ国にも、神様がいるのですか?」


「いる。というよりも、地上と神域は切っても切れない関係だ。地上の文明の繁栄には多かれ少なかれ神の意思が影響している。もっと言えば地上で起こる大規模な諍いは、言わば神々の代理戦争だ」


「……戦争」



外つ国で起こるという、人間同士の殺し合い。


それを神様が引き起こしているというの?



「お前は深淵の神々を知っているだろう。神も好き嫌いや意思がある、欲深く自分勝手で不平等な生き物だ。どこの神格も大して変わんねえよ」



吐き捨てた宮城さんは皮肉たっぷりに笑ってみせた。



「さて、ここからは俺たち赤兎班の『敵』の話をしようか」



背もたれに深く身を預けた宮城さんを慌てて止める。



「さすがに、それは」


「ああ? 俺が勝手に喋ってお前に揺さぶりをかける分には問題ないだろ」



そんなわけあるか。問題しかない。

いつ須藤さんが聞き耳を立ててくるかわからない状況で、この人は何を悠長に言っているのか。


日の元がどんな国なのかは理解した。もう十分だ。

お願いだからこれ以上わたしの立場をややこしくしないでほしい。


全てを知ったとして、わたしはどんな身の振り方をすればいいの。



「この日の元という島国がお前たち妖にとって、最後の安住の地なのは分かったな?」


「…………はぁ……」



わたしの心境なんてお構いなしで宮城さんは話を続ける。

というかこの人、わたしがうろたえるのを見て楽しんでない?



「外つ国との過度な交流は日の元に強すぎる光をもたらす。国を覆う結界はそれを防ぐためのものであり、同時に神域含めて日の元は外つ国へ干渉しないという意思表示の意味がある。ここまではいいな」



いいなじゃない、と思いつつ諦め混じりに頷く。

宮城さんはそんなわたしに目を細めた。



「外つ国との交易を皇より任されている奥園は、どこよりもそれを理解しているはずなんだかなあ?」


「……義父が仕事で何をしているのか、わたしが知るはずありません」


「そんなことはわかっている。いいから最後まで聞け。外つ国と絡む以上、奥園の当主は光への耐性が人一倍必要になる。日の元を狙う外の連中をいなす精神力や交渉術も同時に求められている。それは一年やそこら修練を詰んだぐらいで身につけられるものではない」



部屋の空気に威圧感が増した。



「奥園家の当主というのは本来、先代が急死したからといって、ぱっと出の入り婿に代行できるほど軽い役割じゃねえんだよ」



それは、義父のことを示しているのだろう。

須藤さんも、義父は先代当主の入り婿で、実家の姓は玉乃江だと言っていた。


宮城さんの表情に苛立ちが滲む。



「どういうわけか、真っ先に意を唱えるべき奥園の分家は中継ぎの当主を黙認した。しかも当主に代わり分家が責任を持って次代を育てるかと思いきや、直系の一人娘は野放しで未だに修練に励む様子がない。極め付けは奥園の監視者である須藤家までもが、腑抜けて役目を果たせていない」


「……監視者……、とは」


「外つ国と関わりを持つ奥園が、日の元を狙う連中に喰われないよう見張る役目を担った家のことだ。須藤家は奥園家の行動を監視すると同時に、奥園の人事や方針に口出しできる権限が与えられている」



須藤の名前に震える手は、指を組むことで隠した。



「ぱっと出の現当主は、日の元の事情を鑑みず外つ国との交流を活発化させようとしている。明らかな異常事態にも関わらず須藤から鳳への報告は依然として上がってこない。奥園について表面上は何の問題もないときた」



わたしは顔色を変えずに話を聞けているのか、不安になってきた。



「どう考えても、奥園内部に外つ国の病巣が入り込んだとしか思えねえんだよ」



宮城さんは身を強張らせるわたしにかまわず、忌々しそうに舌打ちをした。


無言の時間が痛い。

そんな奥園にお前は味方するのかと責められているようだ。



「……だから、赤兎班は須藤家に代わって、奥園を取り締まろうとしているのですか?」



沈黙に耐えかねて質問すると、宮城さんはすぐに答えを返してくれた。



「まあ半分正解だな。厳密に言えば俺たちが取り締まりたいのは、奥園に入り込んだ病巣の方だが……。そもそも外つ国の人間は、結界に阻まれ日の元への上陸がかなわない。裏で奥園を操り、蟲を使役する敵が人間でないことは最初から把握済みだ。だから赤兎が動いていると言ってもいい」



人間でない、外つ国の者。

建国神話からのここまでの流れで、察するものはあった。


あまりにも話が壮大すぎて、理解が追いつかない。

しかし宮城さんはわたしの心の準備が整うのを待ってくれない。



「皇を守護する赤兎の真の敵は、日の元に侵入を果たした外なる神だ」



まるで窃盗は犯罪だと説くかのような軽い口調で、彼はその事実をわたしに言ってのけた。






       *






空気が重くなった。

これは宮城さんの迫力からくるものなのか、……それとも、別の要因があるのか……。


判別しようにも周囲に集中できない。


この話題をどう切り抜けるか。そのことで一杯一杯だった。



「俺たちの敵に、心当たりがあるんじゃないのか?」



確信があっての問いかけだ。焦りを悟られまいと表情を引き締める。


宮城さんはわざとわたしに綱渡りをさせている。失敗して落ちてしまえば、あとはもう赤兎班に協力するしかないとわかっているから。本当に、たちが悪い。



「……どうしてわたしに、そんな重要な秘密を……?」



慎重に言葉を選んだ。話を逸らした、とも言える。

身を固くするわたしを宮城さんは意地悪そうに鼻で笑った。



「これでも勧誘しているんだが、伝われないか?」


「わたしに奥園を裏切れと?」


「うちに入れ。お前には素質がある」


「……家に帰れると、宮城さんは仰ったはずです」


「確かに言ったな。だからここから先はお前の意思だ」



無茶を簡単に言ってくれる。



「実際問題、全てを知りながらお前はこれまで通りに生活できるのか? 家族も友人も隣人も、いつ均衡が崩れて人でなくなるかもわからない。常にその可能性を意識しながら、何事もない日常を振る舞えるのか?」


「…………それは」


「真実を打ち明けたところで誰も信じないだろう。お前がおかしな目で見られるだけだ。全てが終わった際に家に戻るのは勝手だが、この先の人生、ひとり秘密を抱えた状態で生きられるのか?」



じわじわと包囲網を狭められる。

言い返さないと。少なくとも今は誘いに乗ってはいけない。



「……わたしは奥園家の者としてここにいます」


「そうだな。赤兎班に所属するのに出自は不問だ。ここの班員は皆、日の元の根幹を理解している。ここにいれば、孤独を背負う必要もない」


「わたしは奥園を裏切りません!」



思わず立ち上がって叫んだ。

お願いだからこれ以上揺さぶらないで。


勝手なことばかり言って。仲間になれと言うならわたしを助けて欲しい。


口から出かけた文句は寸前で止める。

本音を吐き出したら、母が危ない。



「まあ今はうちの事情がわかればそれでいい。そういう訳だ、お前が止めても俺たちは奥園に対して容赦するつもりはない」


「それをわたしに受け入れろと?」


「受け入れるしかないだろ。なんならお前も日の元の敵になるか?」



「日の元」という言葉の裏に「深淵」の意味が込められているのを悟る。

わたしが日の元を裏切れないことを、宮城さんはとっくに見抜いているのだ。



「……話は終わりですね。失礼します」



ソファへ腰を落ち着けず、逃げるように宮城さんに背を向ける。



「待て。明日の夕方から、帰魂祭の御社参りに行く心づもりをしておけ。場所は一樹の管理する御社だ」


「あなたの指図は……」


「年中行事での御社参りは民の義務だ。縛り付けてでも連れて行くからな」


「…………」


「嫌なら大人しく従え」


「……わかりました」



言い捨てて部屋を出ると、穂高さんと柊さんが扉の前にいた。

軽く頭を下げて三階へ戻る。


まだ頭の中が混乱していて、まともに考えを組み立てられない。


あの部屋を出てはっきりとわかった。

今もなお残滓として纏わりつく嫌な感覚。この重苦しくてどろどろした空気は、宮城さんに起因しない。


宮城さんの気配はもっと張り詰めて、ぴりぴりしていた。

 だったらわたしの感じているこれは……。




須藤さんが、どこかで聞き耳を立てていた……?








        ◇  ◇  ◇







とある縦積み式集合住宅の最上階にて、大窓より街を見下ろしていた須藤雷也は、くっと吹き出して笑い声を上げた。



「ウサギさんは大胆なことをしてくれるねえ」



誰にでもなくひとり呟く。

同室にいた少女がその声に気づき、須藤の元へ歩み寄った。



「いろんなところで悩まされて、朔ちゃんも可哀想に」



言葉とは裏腹に、須藤はとても楽しそうだ。



「どうして雷也があいつの名前を出すのよ」



後ろから近づいた少女、奥園留美香が須藤の腕に手を絡める。

須藤はしなだれかかる留美香を自由にさせて、再び景色へと目をやった。



「そりゃあ、彼女は今も不自由な生活を強いられているだろ。心配にもなるよ」


「そんなの雷也が気にする必要はないわ。連れ子ふぜいが少しでも奥園の役に立てたのだから、むしろあいつは喜ぶべきなのよ」



抱きしめる手に力を込め、留美香は須藤の意識を自分へと向けさせた。



「これ以上あいつを気にかけたら、わたし、雷也のこと嫌いになっちゃうわよ」



唇を尖らせ上目遣いになって臍を曲げる留美香に、須藤は困ったように笑いかけた。



「それは嫌だなあ」


「きゃっ!?」



不意打ちで横抱きにされ、留美香は咄嗟に暴れた。逞しい腕の中では、小柄な娘の抵抗は無意味に近い。

安定した様子で留美香を抱いて、須藤は寝室へと歩き出す。



「さあて、俺のお姫様はどうすれば機嫌を直してくれるのかな」



顔を覗き込まれた留美香は真っ赤になって口をぱくぱくさせた。



「馬鹿なこと言ってないでおろしなさいよっ。雷也、聞いてるの!?」



言葉では必死に拒絶するも、須藤に身を預けたまま腕から逃れる素振りはない。

嫌がっているのは建前で、先の展開を期待している彼女の心情が、須藤には手に取るように理解できた。





本当に留美香は可愛くて面白い。





暇つぶしにはちょうどいい娘だ。








        ◇  ◇  ◇







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