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17.心の行き先(中)




明将さんの手は何事もなかったかのようにすんなりと離れた。

さりげない仕草に「全部わかっている」と、そんな意味が込められているように思えた。


かつてわたしを苛んでいた孤独への絶望はもうここにないのだと、大きな背中が伝えてくれた。


悲観から来る恐怖が少しずつ引いていく。反対に心の底から湧き上がってきたのは、無力な自分に対する苛立ちと、こうなった元凶への確かな怒りだった。


油断しているとまたあの男が気まぐれに奇襲をかけてくる。

嘆いているばかりではいられない。大切な人たちを守るためにも、わたしの頭でしっかり考えないと。



どうすれば母を、明将さんたちを守れるのか。


義父や奥園家ではない。見誤ってはいけない、わたしの敵。


わたしがどうにかしなければいけないのは、——須藤雷也。ただ一人だ。



楯突くのは、とても怖い。

勇気だけでどうにかできる相手じゃない。


判断を間違えれば、確実に誰かが死んでしまう。

だからといって言いなりになっていても、犠牲が増えない保証はどこにもないのだ。


篤志さんや、照土さんだって……。あの男はもう、何人もの命を弄んでいる。


たとえわたしが死んだとしても、あの男の遊びはまだ続く。誰かに答えを求める必要もなく、それだけは確信できた。


このままじゃいけないとわかっているのに、焦るばかりで具体的な打開策が思いつかない。

正面から立ち向かっても勝ち目がないのは明白だ。

あの男に反抗の意思を悟られてはいけない。そんなことになったら、今度こそ母が危ない。


須藤さんの監視はどこまで及ぶのだろう。

会話は聞かれている。わたしの動きも、おそらくあの男には筒抜けだ。迂闊な真似はできない。


寝台の中央で膝を抱えるわたしと、縁に腰掛ける明将さん。話しをするでもなく、静かに時間が過ぎた。



「朔、入るよ」



遠慮気味に断りを入れ、雪根さんが部屋の襖を開く。

わたしと明将さんはほぼ同時に雪根さんへと顔を向けた。



数秒間。この場にいる誰もが何も言わず、部屋に微妙な空気が漂う。後ろめたいことはひとつもないのに、どことなく言葉を発しづらかった。



「……何してたの?」



沈黙を破ったのは雪根さんだった。

何、と聞かれても。特別これといって報告できることはない。

世間話に興じるわけでもなく、ただなんとなくぼんやりしていた。


はっきりと返答できないのは明将さんも同じらしく、互いに顔を見合わせて同時に首を捻った。



「……何もしてねえよ」


「じゃあなんなの、今の間は?」


「何もなさすぎて返しに困っただけだ。こんなことでいちいち突っかかるな」



明将さんは面倒くさそうに髪をかき上げた。


ふうん……と、気の抜けた返事をして雪根さんは部屋へと足を踏み入れる。

寝台に膝をつき体勢を低くした彼に顔を覗き込まれ、間近に迫った男性の顔面に一瞬思考が止まった。



「目が赤いね。ちょっと冷やそうか」



雪根さんはすぐに身を起こし、隣の台所へと行ってしまう。

残されたわたしは目どころか顔全体が赤くなっていた。



「距離感に遠慮がねえな」



呆れる明将さんがいなければ、わたしは今以上にうろたえていたことだろう。



「……ありがとうございます」



戻った雪根さんから濡れた手拭いを受け取り、涙の跡を拭った。目元に手拭いを強く押し付ける。ひんやりとした水気が顔の熱を奪うのが心地良く、そのまま深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けた。


悲しみに暮れていても、大切な人たちは守れない。

彼らを死なせないためにも、わたしにできることを探そう。


手拭いを握る手に力を込め、勇気を出して口を開いた。



「夏休みの課題が、まだ終わってないんです」



唐突な発言に、何事かと二人が凝視してくる。

真っ直ぐな視線を受け止めて、次の言葉を続けた。



「その……、隣の部屋で、宿題をしてもいいでしょうか?」



初めてわたしからした、未来に繋がる前向きなお願い。


まだ、全てを諦めるつもりはない。

すごく遠回しだけど、わたしも頑張るって伝えたかった。


短い言葉を言うだけで、とてつもなく緊張した。

どくどくと心臓の主張が激しくなり、額にどっと汗が滲む。


明将さんと雪根さんが互いの目を見合わせる。数秒後、雪根さんがわたしに向かって満面の笑みで頷いた。



「いいよ。なんなら俺も手伝うよ?」


「教えるならともかく、できることに対して過剰に甘やかすな」



苦言を呈して明将さんが立ち上がる。



「事務仕事もらってくるから、先に行ってろ」



ひらひらと手を振って、彼はそのまま部屋を後にした。







      *





須藤さんに逆らうと決めたところで、わたしの臆病な本質はそうすぐに変えられない。

昨日の今日で襲撃はないと信じたかったけど、いつ蟲の気配がするか、彼の声が聞こえてくるかと内心冷や汗が止まらなかった。


気がそぞろになり課題が進まない。動かなくなった筆記具を手放し、ちらりと後ろを振り返る。

寝台の上で書物を読んでる雪根さんが時を同じく顔を上げた。目が合って、微笑まれる。


目敏すぎだ。音も立ててないのに、どうして気づけたの。もっと書物に集中してくれてよかったのに。

恥ずかしさが込み上げて、体を机に戻した。


わたしは嘘が下手くそで、隠し事はすぐに顔に出てしまう。

須藤さんの気配を察知したら、平常心で隠し通せる自信がなかった。


不安と同時に、とある可能性がふと浮かぶ。


雪根さんたちは、わたしの見張りをしているのではないか——と。


それは裏切りや内通を想定してとか、負の意味合いではなく、敵——須藤さんに行き着く糸口を探るために、彼らはわたしの近くにいるのだとしたら……。



赤兎班の本命は須藤さんであって、奥園ではない……?



緊張が強まる。

早まってはいけない。わたしの希望に結論をこじつけている可能性だって捨てきれないのだから、一度冷静にならないと。



「……雪根さんは」


「うん?」


「お仕事は……、その、ここにいても大丈夫なのでしょうか?」



当たり障りのない言葉を選んで問いかけた。

(ページ)に指を挟んで書物を閉じた雪根さんは、一切の迷いなく頷いてみせる。



「全く問題ないよ。宮城さんにも許しを得たから。俺の今の仕事は朔の監視」



——監視。物騒な単語のわりに彼の口調はとても軽かった。



「そういうことだから、朔が嫌がってもひとりにはさせられないからね。嫌でも諦めてもらうしかないよ」



言っていることは高圧的だが、実際雪根さんが取る行動はこれまでと変わらないのではないか。

別段わたしに問題はない。むしろ一緒にいてくれるのはとても心強い。こんなこと口が裂けても言えないけれど……。


思いの伝え方に困るわたしに「朔」と、台所前の机に座る明将さんが声をかけてきた。



「異論や異議申し立ては慎重にしろよ。反抗の度が過ぎると、俺たちは朔個人ではなく奥園に叛逆の意思があるとみなすからな。家を不利にしたくないなら文句を言わずに大人しくしてろ」



言葉の通りに受け取れば、警告、忠告、——脅しの(たぐい)になるのだろう。しかし発言にそんな意図がないのは確認しなくてもわかる。



「そうですね。……気をつけます」



素直に頷き、勉強机へと向き直った。

表には出せない、意思の擦り合わせ。秘密裏に育まれる一体感に、恐怖とは別の理由でどきどきした。




妖となり命を失った照土さんは、その後青い炎に焼かれ、跡形もなく消えた。……彼の弔いは、されるのだろうか。


気になる。でも、赤兎の事情や敵について考えてしまうと、わたしから切り出していいものか迷ってしまう。


なかなか言い出せないまま時間だけがすぎる。

日が沈み外が薄暗くなったころ、啓斗さんが部屋を訪ねてきた。



「朔、いる?」


「どうした」



真っ先に反応したのは玄関の一番近くにいた明将さんだった。



「日も沈んだし、ちょっとぐらいなら外に出れるよね。別に、無理に誘ってるわけじゃないけど……、でも、献花、行くなら今かなって」



啓斗さんの手には菊の花束が握られていた。

誰に、とか。どこへ、など。説明がなくても詳細は察せられた。ちょうど気にかけていたというのも大きい。


座っていた椅子から立ち上がろうとして、その前に雪根さんを窺う。赤兎班側にとって、わたしがそんなことをしても問題ないのか不安になった。



「行く? だったら俺たちも付き合うよ」



予想以上に軽い答えが返ってきた。

雪根さんも明将さんも、啓斗さんの誘いに反対しなかった。


わたしが神経質になりすぎているのか。彼らとの距離感は慎重になる必要があるけど、その度合いが難しい。


昨晩は追われて駆け上がった屋上の階段を、今日はゆっくりと上った。

屋上への扉を開けると、空は西の地平線付近の微かな朱色を残して、暗い藍色が埋め尽くそうとしていた。


だだっ広い屋上の、給水塔の下。

そこには既に花束がひとつ置かれていた。

昼間の太陽に晒され続けたからか、色とりどりの花は萎れかけだった。

啓斗さんに勧められて、手渡された菊の花束を横に供えた。


照土さんはきっと、わたしを恨んで死んでいった。

故郷の空木村を救おうと遠路はるばる訪れた土地で、訳もわからず利用されて……。

せめて魂だけでも空木村へ帰れますようにと、願わずにはいられない。


お参りを終えて、後ろで待ってくれていた三人に頭を下げた。


化け物退治の英雄譚は日の元に沢山存在する。

赤兎班に所属する人たちは人知れず妖と戦う、まさしく現代の影の英雄なのだろう。


しかし彼らは自らの戦果を誇らない。

赤兎班は妖の正体を人だと知り、こうして死を弔う意識を持っている。

人が亡くなったという事実を受け止め、悼む気持ちがあるのだ。


深淵のためにと迷わず赤兎班に協力して、大して深く考えず照土さんを葬ると決めたわたしとは大違いだ。

赤兎班の班員として生きる彼らの方がよっぽど、人としての心がある。


自分の境遇や受ける仕打ちに悲観していたけど、明将さんたちが同情するほど、わたしの内側は綺麗じゃない。自分本位で、考えるのはいつも大切な人のことばかり。


嘆いてないでもっと利己的になれと、かつて深淵でユウに言われた。地上の生き物は傷つけ合うことでしか均衡を保てない——とも。


わたしは地上で生きて、死んでいく。それはもはや変えられない。

ならばとことん、わたしは大切な人のために生きてやる。



屋上を立ち去る前に、もう一度供えた花束へと振り返る。


ごめんなさい……と、心の中で照土さんに語りかえけた。




ごめんなさい。あなたの遺志は継げない。



わたしは空木村の神代巫女にはなりません。







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