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2.そして、人質になる(下)




後ろに立つ穂高さんをちらりと盗み見る。

そして困惑しつつも宮城さんに視線を戻した。



「詳しいことは、ここに来てから、と」


「ああ、それは後ろのやつが言ったことだよね。俺が聞きたいのは、君が、君のお父さんから今回の件について、どこまで聞かされているかってことだ」



そう言われても……。義父は忙しい人だから、ここ一カ月まともに顔も合わせていない。

最後に話をしたのは、いつだったか。



「……義父(ちち)からは、何も」


「そっか。まあ別にどっちでもいいか」



宮城さんはこちらの答えに興味がないようで、曖昧にしか返せないわたしを気にすることなくゆっくりと足を組み直した。



「簡単に説明すると、君のお父さんは、鳳からとある容疑をかけられている。それで、お父さんの疑いが晴れるまで、君にはここにいてもらうことになった」


「えっ……」


「学校は今まで通りに行ってもらって問題ない。送迎はうちの班員がする。ただし、私的な外出については制限させてもらう。ひとりで自由に外を出歩くのは、ここにいる限りできないものだと思っておいて」


「ちょっと、待ってください」



いきなり突拍子もないことを告げられて、頭の整理が追いつかない。

だけど宮城さんはわたしの心境などお構いなしに話を進めてしまう。



「不自由な暮らしをさせてしまう分、うちもできる限りの配慮はさせてもらう。必要なものがあったら申告してくれ。よっぽどのものじゃなければ用意させる」



淡々と言い切った宮城さんが軽く首をかしげる。



「俺からの説明は以上だが、何か質問は?」


「……質問、ですか」


「そうだ。なければ君の居住する部屋まで案内させてもらう」



言われて焦る。

さすがに、これは「はいわかりました」と簡単に納得できる事態じゃない。



「……あの、義父には、一体どのような疑いが」


「詳しくは言えない。それについては現在開示している情報が教えられる全てだと思ってくれ。知りすぎてしまうと、今度は君を取り締まらなければならない」



情報って……、わたしがここで知り得たのは、今この部屋にいる三人の名前と、彼らが鳳の赤兎班に所属しているということぐらいしかない。

赤兎という組織と義父を関連付けるのは、あまりにも現実味がなさすぎる。


これは、考えなくていいはず。



「わたしは、いつまでここにいればいいのですか」


「さっきも言った。君のお父さんの疑いが晴れるまでだ。正確な日数について、こちらからはなんとも言えない」



……この人は、あえて「その可能性」を避けて話してくれているのだろうか。


もしも、有り得ないと思うけど。

義父の疑いというものが実証されて、鳳に取り締まられてしまった場合。その時わたしがどうなってしまうのかを、彼は何も告げていない。


知りたいと思う反面、知るのが怖くて口が動かない。

首を横に振って、あえて想像しないよう思考を切り替える。



「い……、家の者は、わたしがここで過ごすことを、承諾したのですか」



一縷の望みに掛けたくて、とにかくどんなに些細なものにもすがりたくて。

母を思い浮かべながら答えを待った。


宮城さんはそんなわたしに呆れた表情でため息を漏らし、ソファの背もたれに脱力してもたれかかった。



「あのねえ、別に信じなくても構わないけど、君がうちの預かりになるのは、君のお父さんからの提案なんだよ」


「……それは、どういう」


「『そんな疑惑を持たれているというなら、こちらが無実を証明できるまで、娘をあなたたちに預けます』って。ふたりいる娘のうち、朔ちゃん、君を指名したのは紛れもなく奥園氏だ」



……嘘だ。


どうしてわたしが……。



「まあ、俺らもそれを宣戦布告とみなして受けて立ったわけだが」


「そんなっ、何かの間違いです!」



義父の疑惑も、馬鹿みたいな提案も。

わたしに何の相談もなく、彼らに身柄を預けさせるなんて……母の愛した人が、そんなことをするとは思えない。


宮城さんは面倒そうに前髪をかきあげながら、現実を受け止めきれないわたしをさらに追い詰める。



「鳳だって、単なる脱税や贈賄なんかの嫌疑じゃ人を預かるようなまねはしない。勝手に勘違いされても困るから先に言っておくが、何も俺たち赤兎は、他班の助っ人に駆り出されているわけじゃない」



どくんと、心臓が跳ねる。



「……冗談、ですよね?」



まさか。そんなはずはない。

冷笑を浮かべた宮城さんは決して戯れ言で終わらせてはくれなかった。



「中学校で習ったよね。鳳の赤いウサギは、一体何を狩るのが仕事なのか……?」



それは、知っている。

中学の社会科の授業で、日の元の国家の仕組みについて学習した時、鳳についての項目もあった。


鳳という組織は、日の元の守護を目的として多様な事態に対応するため、統轄部の下に様々な専門班が枝分かれして設置されている。

傷害や殺人、詐欺に汚職、思想汚染など。班の数は地域別に分担されたものも含めると百以上にも及ぶ。

事案が発生すれば、それぞれの分野に特化した班が単独、または合同で動くわけだけど……。


鳳についての知識で、入試や学力試験においての頻出度が高く、こう問われたらこう答えると決まっているほど定番の問いかけがある。

それほどまでに国民の誰もが知る、一般常識。


鳳の赤兎班が取り締まるもの、とは……?



「……日の元の政治機関、(すめらぎ)を脅かす者」



定番の解答を呟けば、宮城さんがわざとらしくぱちぱちと手を叩いた。



「正解だ」



ようやく事の大きさを理解できたかと言いたげに、彼は顔色をなくしたわたしを嘲笑った。



「……嘘です。義父が、そんな……」


「そうだな。俺だってこれが嘘ならどんなによかったか」



宮城さんは淡々と、こともなげにわたしをあしらう。

彼の余裕な態度が、わたしの焦りを増幅させた。


信じられない。

なぜ義父にそのような疑いをかけられなければならないのだ。

社会的な地位が高い人ではあるけど義父も日の元の国民で、国に逆らえるはずがないのに。


震える手でスカートを握りしめた。

全身に力が入って、呼吸が浅く早い。

どうしよう。

頭が真っ白になって、壊れたおもちゃのように小刻みに首を横に振るしかできない。



「先に言っておくけど、変な気起こして自分がお父さんの無実を証明します、なんて言い出さないでね。絶対に無理だから」



断言して、宮城さんは再び優雅に足を組み替える。



「君には自分が赤兎に預けられたという、ことの重大さを理解してくれたらそれで十分だ」



彼が言っているのはわたしのこと。

彼と話しているのはわたし自身のはずなのに、どこか他人事のように声が遠く聞こえていた。

思考が完全に、追いつけていない。



「さて、この子のこれからなんだが、しばらくお前たちに頼めないか」


「おや、アキたちに任せるつもりだったのでは?」


「あいつら、今は別件で走らせてんだ。あっちがひと段落ついたら交代させるから、それまで頼む」


「承知しました」



わたしの意思はお構いなしで、わたしの今後が決まっていく。

宮城さんと穂高さんの会話にやるせなさがこみ上げて、密かに唇をかみしめた。



「朔ちゃん、行こうか。住むところもこの建物内にあるから、案内するよ」



中腰になってわたしを覗き見る穂高さんと視線が交わる。


穂高さんはわたしと会ってからずっと、穏やかな口調で接してくれている。

だけど、柊さんのようなむき出しの警戒心を見せなかったとしても、彼も赤兎班の班員だ。


接近した穂高さんの瞳の奥に垣間見てしまったのは、宮城さんと近い心情。


子供を相手にすることを面倒に思う気持ちと、彼の根底にある、揺るぎない使命感。


彼の態度が丁寧で優しいのは、こちらを懐柔するため。

穂高さんには、わたしの境遇に対する同情心は微塵もない。



「偏りがあると言ったろ」



宮城さんの声がして、穂高さんと見つめ合っていたところを我に返った。

羞恥心がこみ上げ火照った顔を隠すべくうつむく。



「うかつに近づけば、内側を覗き込まれるぞ」


「平気ですよ。見られて困ることなんてありませんから」



穂高さんは苦笑して宮城さんに軽く言ってのけた。



「さ、行こうか」


「……ひとりで立てます」



差し出された手を避けながら立ち上がった。

わたしの態度を気にする様子もなく、穂高さんはゆっくりと背を向けて歩き出した。




建物の三階。

階段から最も遠い隅の部屋へと案内された。

ここがこれからわたしの寝起きする場所になる。


小さな玄関を抜ければ台所があり、奥は襖を挟んで六畳の部屋になっていた。

浴室は一階にある共同浴場を、指定された時間に使ってほしいとのこと。お手洗いは階段の隣。


一通りの説明を終えた穂高さんは背広の懐内からした着信音に反応し、すぐに戻るとだけ告げて部屋を出ていった。


ひとり残されたわたしは部屋の奥へと足を踏み入れる。

生活の場となる奥の六畳間は、簡素な寝台と勉強机が大半の面積を陣取る。

正面の壁には腰ぐらいの高さに、小窓がひとつ。


寝台とは反対側の壁には机の隣に木目調の引き戸があり、中は畳ひとつ分くらいの収納になっていた。

寝る場所に置かれた敷き布、掛け布団。勉強机の本棚に立てかけられた教科書と参考書。

収納に吊るされた外套、衣裳入れに入った衣類。


気付いた途端、ひどい目眩に襲われた。


大きな家具は今日ここで初めて見る物ばかりでも、その中に収まる生活用具は、全てわたしの私物だ。


一体いつの間に運び出したのだろう。

今朝までは普通にわたしの家にあったのに。


よろよろと窓に近づき、日避け布をずらして窓を開ける。

赤兎班本部と道路を挟んだ先には、広大な田畑が広がっていた。山に沈む太陽が見えることから、ここが西向きの部屋なのだと知る。


見晴らしのいい景色。

だけど気分良く眺めるには、窓の外側に取り付けられた格子が邪魔をした。

窓に背を向け、ぼんやりと室内を見渡す。

西日が部屋に差し込み、縦にいくつも走る格子の影とわたしの影が重なり合う。まるで牢屋に入っているみたいだ。


……みたい、じゃないか。

ここはわたしにとって、牢屋となんら変わらない。


窓から吹く冷たい風が肌を撫でた。

今になって、自分の置かれた立場を思い知る。



ずしりとした重みが肩を滑り落ちる。

そういえばずっと鞄を肩にかけたままだった。


いてもたってもいられず、鞄を開いて携帯電話を探す。

すがる思いでボタンを押した。


電話の呼び出し音だけが延々と続く。

相手はなかなか出てくれない。



「……もしもし、朔?」


「お母さん!」



しばらくして、ようやくその人の声が聞けた。

電話の向こうにいる母に、嬉しさと寂しさがこみ上げてくる。



「お母さん、あのね……、よくわからないのだけど、鳳の人たちが」


「赤兎班の方から話は聞いたわね」



まくし立てるわたしを母が遮った。



「……聞いた、けど……」


「不安かもしれないけど、礼司さんの疑いが晴れるまでの辛抱よ」



言いくるめるような口調だった。

釈然としないやるせなさを唇を噛んで紛らわす。


わたしがここにいることを、義父の秘書である母が知らされているのは当然か。

母にだってわたしを助けることはできない。どうにもならないことだとわかってはいるけど……。



「……わたしじゃなきゃ、いけないの?」


「お母さんは礼司さんの仕事を支えないといけないし、留美香ちゃんにはこんな役、とてもじゃないけどお願いできないでしょう」


「……でも」


「朔はしっかりしているから、大丈夫よね?」



……大丈夫かどうかなんてわからない。

でも、今更わたしが抗議したって、事態は変わりそうにない。


どうしてここにいるのが留美香じゃなくてわたしなのかとは、思っていても口には出せない。

それはきっと、してはいけない質問だ。


全てが決定事項であり、事態は動き出してしまった。

そうなるとわたしのすべきことはひとつ。



——母の期待に、ちゃんと応えないと。



わたしは母の娘として、しっかり者のいい子でいなきゃいけない。



「……うん。大丈夫」


「そう、よかった。それじゃあお母さん仕事に戻るから。赤兎班の人たちになるべく迷惑をかけないようになさいね」


「…………うん」



頷きはしたが、おそらく母には聞こえていない。

返事と通話の切れる音は、ほぼ同時だった。「切断中」と表記された携帯電話の画面がかすむ。


泣いちゃだめだ。

母だって、こんなことになって大変に決まっている。

迷惑をかけるようなまねは、絶対にしてはいけない。


わたしは、お母さんの役に立つ娘でないと……。



「終わった?」


「ひっ」



突然背後でした声に、肩がびくりと跳ねる。

いつの間にか六畳間の引き戸のところには穂高さんが立っていた。



「悪いけど、それも預からせてもらうよ。こちらの内情を筒抜けにするわけにはいかないから」



それ、とわたしの携帯電話が示される。


無意識に手のひらに収まる小さな機械を胸元で握りしめたけど、諦めは早かった。

わたしの手から、穂高さんの手へ。

無言で渡った携帯電話を目の前の青年は背広のポケットにしまった。



「二十時くらいに夕食を運ぶから、それまではゆっくりしていてね」


「……はい」


「じゃあ俺ももう行くから」


「はい。……ありがとうございました」



義務的に頭を下げて穂高さんが出ていくのを待つも、俯いた目に映る彼の足は、なかなか視界から消えなかった。



「……確かに扱いやすいけど、これはこれで調子が狂うね」



上から降って来た言葉に次いで、穂高さんの足が少し後ろに下がる。

顔を上げると、中腰になった穂高さんは苦笑しながら小さくため息を吐いた。



「言っておくけど俺たちは、朔ちゃんに何の同情心も抱いてないわけじゃないよ。君の陥っている状況は、明らかに理不尽なとばっちりだと赤兎班の誰もがわかっている」


「……え?」


「でもね、同情はしても、赤兎は任務を優先するから」



彼は目を伏せて、小さな声で続ける。



「だからごめん。おそらく君は、お父さんとは二度と会えない。覚悟はしておいて」



そう、穂高さんは言い切った。

さっき、宮城さんは義父にかかっているのは容疑だと言ったけど、きっと彼らは確信しているのだ。義父は、何かの罪を犯したのだと。


赤兎班が動くようなこと。皇を脅かす罪とは……。

脳裏に浮かんだ母の幸せそうな笑顔がかすんでいく。


穂高さんがわたしに背を向けた。



「あの!」



いてもたってもいられず震える声で叫べば、穂高さんは立ち止まって顔をこちらへ向けた。



「もし……、もし義父が、取り締まりを受けるようなことになったら。その、母は……」



薄情な人間だと思う。

こんなときでも当事者である義父よりも、血の繋がりがある母の心配をしてしまうなんて。


穂高さんは人当たりのいい笑みを浮かべ、器用に眉をハの字に曲げて肩をすくめた。



「さあ。それは朔ちゃんのお母さん次第かな」



それ以上の情報を、彼が教えてくれることはなかった。


ひとりになって、台所の前で呆然と立ち尽くす。

いつの間にか辺りは真っ暗になっていた。


照明をつける気にもなれず、そのまま部屋で寝台に座りぼんやりしていると、夕食を運んできた柊さんに怪訝な顔をされてしまった。


夕食後、速やかに浴室で体を洗い、逃げるように部屋に戻った。

電気が消えたままの室内で引き戸と窓の日避け布を閉め切り、一切の光を遮断する。


今日一日でいろいろなことが起こりすぎた。

感情の整理が追い付かず、自分でもどうしていいのかわからない。


先の見えない生活。

押し寄せる不安を、あちら側の世界に思いを馳せてごまかした。

布団にくるまり、きつく目を閉じてその時を待つ。


赤兎班のこと。

義父のこと。


考えるのはやめて、今は眠ろう。





一刻も早く、みんなに会いたかった。





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