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15.渇望の果て(下)





朝食後、花歩さんは後片付けのために食堂へ戻り、明将さんと雪根さんは部屋に残った。


これから始まるのは、人を殺すための作戦会議だ。

照土さんを葬る覚悟をしたとはいえ、宮城さんを待つ時間はひどく緊張した。






「わざわざ朔を危険にさらす必要はないでしょう」


「討伐の確率を上げるには、こいつを前に出すのが一番有効だ。餌になる当人が同意してんだ。お前が口出しすんじゃねえ」



作戦会議は初っ端から、宮城さんと雪根さんの間で意見が割れた。


最近過ごしている隣の部屋で、台所前の机にわたしと宮城さんは向かい合って座った。

宮城さんの後ろにはいつものごとく穂高さんが控えている。

わたしの横には雪根さんが立っていて、明将さんは奥の部屋で成り行きを見守っていた。


ただでさえ人口密度の高い室内だ。感情の衝突ひとつで空気はすぐにギスギスしてしまう。



「成り立てを始末する難しさはお前もわかってんだろ。追って狩るのがほぼ不可能な妖の、執着物がここにあったのは幸運だ。これを使わないてはない」


「そもそもどうして朔がこんなことに」


「雪根、それぐらいにしておこおうか」



穂高さんの忠告に雪根さんが渋々口を閉ざす。綺麗な顔が悔しげに歪んだ。



「お前も結局は『赤兎班』だろう?」



止めとばかりに宮城さんが投げかけた問いかけに、雪根さんは拗ねたようにそっぽを向いてしまった。



「話を戻すぞ」



部下が臍を曲げても、宮城さんは気にも留めない。



「確認だが、空木のじじいはお前を奥園朔と認識していた、この事実は間違いないんだろうな。ただお前の持つ闇の気質に惹かれて来ただけとなれば、事情が変わってくるぞ」


「それはない、と思います。……空木村に帰ろうと、照土さんに言われたので。シュリと、知らない名前でしたが、照土さんは確かにわたしを示してその名前を呼んでいて……」



昨晩の感覚を思い出しながら、ひとつひとつ報告していく。

話が進んでいくうちに、部屋にいる全員に驚愕した表情で凝視されていき、圧に耐えかね言葉が続かなくなった。



「照土のじじいは話せたのか?」


「話はしてません。……声も、聞こえてません。その、なんというか」



声という音を介さず、意思を直接汲み取る。していることは深淵での意思伝達と同じだ。

照土さんの眩しい気配と、必死な気持ち、共に空木村へという強烈な思いはわたしへと鮮明に伝わってきた。


それらを宮城さんに言うと、彼は頬杖をついてなにやら考え込んだ。



「お前、ここが地上だってわかってんのか?」


「それは、……はい」



ここは地上だ。疑いようがない。



「……どうやら属性の傾きだけじゃないみたいだな」



闇の属性に傾いた人は、気配に敏感になったり、近くの人の秘めたる感情を感じ取れたりする。

しかしそれも本来は普通の人よりも察しが良いという程度であって、深淵という物質や音のない世界で思念による意思伝達が行えたとしても、地上で同じ能力を扱えるわけではないらしい。


そもそも妖とは地上に生きるもので、深淵に由来はない。

その妖の意思を言葉として直接頭で理解したり、気配だけでなく妖の姿形を視覚を使わず把握するのは、闇の属性とは無関係の能力だと宮城さんは言った。



「有能か? 華闇にもここまでの奴はそういないだろ」



不穏な空気に姿勢を正す。宮城さんの機嫌が良くなっているのはわかるけど、好意的な感情を向けられたことがない人だから、過剰に身構えてしまった。



「まあこれに関しては今はいい。空木のじじいの目的が明確になったのも上々だ。面倒事はさっさと片付けるぞ」



そこからの話し合いは順調だった。

もともと主導権は宮城さんにあるのだ。目的が一致しているので、今回はわたしも抵抗なく従える。



決行は今夜。

照土さんの出没率を上げるため、宮城さんは本部を離れることで決まった。

小一時間も経たず打ち合わせは終わり、宮城さんと穂高さんは早々に部屋を後にする。



「空木のじじい以外で、お前は最近、声ではない言葉を感じ取った事はあるのか?」



玄関先での、唐突な問いかけだった。

頭が真っ白になって何も返せないわたしに、宮城さんはふっと笑う。



「……まあいい。忘れろ」



それ以上の深い追及はなく、彼は上機嫌に去っていった。



深淵との関わり。闇の傾き。

それらを宮城さんたちに知られているなら、芋づる式にわたしの探索能力も把握済みとばかり思っていた。


認識の甘さが重くのしかかる。

闇の世界——深淵のみんなについて、地上で話せる人にこれまで会ったことがなかったから、気が緩んでいたのもある。


余計なことを言ってしまったと。後悔してももう遅い。


奥園側が伝えてくる指示を、わたしは赤兎班の人たちに気付かれずに汲み取れる。

このことを宮城さんに知られてしまった。


多少の焦りはあるけれど、それ以上に心のどこかでほっとしていた。


須藤さんの監視さえなければ、すぐにでも全てを打ち明けたい。そう思えるぐらいに、わたしは明将さんと雪根さんを信頼していた。



気が緩めば、——助けてと、すがってしまいそうになる。






      *






深夜、もうすぐ日付が変わる。非常灯の消えた三階の闇は深い。



——シュリちゃん、シュリ……。



今宵もその人は、わたしを朔とは違う名前で呼びかけた。






昼間ずっと考えていた。なぜ照土さんはわたしを「シュリ」と呼ぶのだろうかと。


言葉の響きと、感じた意味合いを文字に当てはめるなら、おそらく守る里と書いての「守里」が近い気がする。



守里——つまりは空木村を守る者。


わたしの母の名は「愛里」だ。その意味はおそらく、里を愛する者。


先代神代巫女、祖母の名を照土さんはルリと呼んだ。字はおそらく「留里」——里に留まる者。



これらはきっと、空木村が神代巫女に課した縛りなのだろう。



名前に刻まれた、明確な役割。


名前で刻み付けられた、強い呪いだ。



母は空木村のしきたりに逆らい、わたしに「朔」と名付けた。それは母にとって、故郷への決別の証明でもあったのだろう。


母は名前とともに、わたしに生まれながらの自由をくれた。過去を語りたがらなかった母はずっと、空木村に囚われまいと必死だったのだ。



——……シュリ。どこだ……。


——わしの言うことを聞かんか。


——都会は好かん。さっさと村へ帰ろうか。



気配が強くなる。届く言葉も鮮明になってきた。

照土さんへ意識を集中させると、絶えずぼやくようなぼそぼそした声が耳元でした。

聞こえる声は錯覚だと頭では理解していても、それでもなお幻聴の囁きに耳の奥がむずむずする。


意識を照土さんから逸らせば少しはましになるのだろうけど、ここはぐっと耐えた。

昨晩と同様に右へ左へ茂みを移動し、それはものすごい速さで赤兎本部へと近づいてきた。

そして建物に沿って約二周。地上をぐるぐる回ったかと思えば急に壁を登りだす。



——シュリ、シュリ……守里。


——……早くこんか。とっとと空木に帰るぞ。


——守里。シュリ、シュリ……。


——……わしの言うことが聞けんとは、仕置きが必要なようじゃな。



伝わる感情に加虐心が混ざり出したのを感じ、背筋がぞっとした。


これが照土さんの本性なのか、妖になった故の変化なのか。

本来の人柄を詳しく知らないわたしには判断できないが、今のあの人は間違いなく狩りを楽しんでいる。


四足歩行の妖が廊下側の壁を三階まで登って来た。

外壁の出っ張りを利用して後ろの二本の脚で立ち、前脚を窓ガラスに付ける。



——シュリぃ……。……見つけたぞぅ。



廊下にたたずむわたしへと、窓越しにそれはにたりと笑った。

周囲の空気がねっとりと湿り気を帯びる。

かつては人として生きていたものの変わり様に悪寒が止まらない。


彼は肉体の変化に気づけていない。自分が人だと当然のように認識しているのだ。


全長はわたしの身長をゆうに超えていた。猪ぐらいの大きさはある、獣姿の妖。

目は小さく鼻は先細りしている。鼠に近い顔の形だが、顔の両横には長い耳が垂れ下がっていて、どの動物とも明確には形容し難い。



——ほれ、守里よ。さっさと来んか。



きい……、と。黒板を引っ掻くような高い鳴き声に一歩後ろに足を引く。



——守里、わしの命令が聞けんのか……?



伝わってくる言葉の端々に怒りと苛立ちが混ざる。

妖の注意を十分に引きつけ、わたしは廊下を走り出した。



——どこへ行く……シュリよ。


——……アイリに似て反抗的に育ったもんじゃ。



ずっと引きこもっていたから、体力の低下が著しい。少し走っただけで息が切れた。

肺が悲鳴を上げるのを無視して、なんとか階段を上りきる。


辿り着いた扉を開けば、そこは赤兎本部の屋上だった。

出入り口の階段と給水塔を除いては何もない、平たい空間。

外郭を囲う壁や柵などは設置されていない。


妖となった照土さんはするりと屋上に上り込んできた。



——……手間を取らせおって。


——さあ……リ……、よ。空木へ……。



照土さんの意思とは別に、妖の口から発せられる甲高い鳴き声が耳に届く。

キィキィと、痛いぐらいの高音に集中力を持っていかれて「言葉」をうまく聞き取れない。


たまらず両手で耳を塞いだ。しかし視線は絶対に、妖から外さない。



「……シュリじゃない。わたしは……、朔ですっ」



——たわごとを抜かすな!


——愛里の子供は守里以外にありえん!


——神代巫女の分際で、空木のしきたりに逆らうのか!!


——貴様は守里だ!


——空木へ帰る。なんとしてでも連れて帰る。


——シュリ、お前は守里じゃ。けしからん名前など捨てさせてくれよう。


——さぁて、……どうやって従順にしつけようか……。



直接頭の中に届く声は、拒絶のしようがない。

一度にたくさんの言葉をぶつけられ、頭が熱くなる。脳が情報を処理しきれない。


妖がわたしの方へ……、屋上の内側へとにじり寄る。

ここで悟られてはいけない。

階段のある扉まで数歩。妖から距離を取りながら後ずさった。



「点灯」



低い声を合図に、階下で人が一斉に動きだした。

階段の照明が灯される。扉から漏れ出た淡い光に、妖は耳をつんざく悲鳴を上げた。

わたしも背中がぞくぞくする。宵闇に光を浴びる嫌悪感は本能的なものだ。

形は違っても、わたしは眼前の妖と同じ種類の生き物なのだと思い知らされた。



「少しだけ我慢しろ。そこならあいつは襲ってこない」



階段の陰に隠れていた明将さんが屋上に立つ。



——ひいいぃっ……! おのれっ!



第三者の登場に妖は怒り喚きながらも逃走を選んだ。

こちらに背を向け、一目散に建物を下ろうとしたが……。妖は屋上の外郭を駆け回るだけで、下へと足を進めない。


当然か。現在赤兎本部の照明は、廊下も部屋も。全ての場所で日避け布が取り払われ、明かりが灯されているのだから。


光に怯える妖は、窓から漏れる照明を嫌がり、壁を自由に進めない。

建物の近くに生えた樹木にも赤兎班の班員が待機して、妖が跳び移らないように構えている。


妖……照土さんに、逃げ場はない。


駆けつけた雪根さんが、持っていた大きな布をわたしにかける。



「辛いだろうけど、もう少しだけここにいて。俺たちに見える場所の方が安全だから」



そう言って、雪根さんも明将さんに続いた。



——おのれ、おのれっ、おのれぇ……!



頭に直接聞こえる罵声が先程よりも曖昧なものになる。

明将さんや雪根さんの登場で、わたしの意識が妖一点に集中しなくなったからだ。


心強い存在に緊張が和らぐ。

ほっと胸を撫で下ろし、……そして、気付いた。



人でない別の何かが……。


他にも。——近くに、いる。



吐き気を伴う気持ち悪さ。この感覚は、妖じゃない。


正体不明の気配を探ろうと、上空を見上げて目を凝らした。

見えない。でも、確実に何かがいる。

真っ黒な夜空を、飛んでいるのだ。



「終わらせるぞ」



短刀を構えた明将さんが妖を追い詰める。

まるでそれを見計らったかのように、上空のものが急降下してきた。それも、一直線に妖の元へ。



「——っ! だめっ!!」



迷っている暇はない。考えるより先に体が動いた。

明将さんに後ろから体当たりをする形で腰に抱きつき、必死になって彼を止めた。



「朔!?」


「危ないだろうが!」



剥き出しの刃を手にする明将さんが怒鳴る。こっちはそれどころじゃない。


行ってはいけない。あれに近づいてはいけない。

明将さんにしがみつく手を、放すわけにはいかなかった。


ひと呼吸も間をおかず、それは姿を現した。

翅を羽ばたかせているのに、音はない。透明な体を虹色に鈍く光らせ、禍々しい気質を纏う。


妖よりも遥かに大きい、巨大な蜻蛉(とんぼ)——蟲だった。


空から降りたった蜻蛉に対し、妖は全くの無警戒だった。

太い針金のような脚で、蜻蛉は妖を掴み空へと運ぶ。そして貯水槽の上に着地し、抵抗をものともせず妖の喉に食いついた。



「蟲が出現した! 至急宮城さんに連絡を!」



雪根さんが階下の人に向けて叫ぶ。

建物内が騒がしくなるなか、蜻蛉と妖から目を離すことができなかった。


蜻蛉の咀嚼音が、生ぬるい風に乗ってここまで聞こえてくる。

ぴくぴくと、痙攣を繰り返す妖はすでに虫の息だ。


どういうこと? 何が起こっているの?


……蟲がいるということは……、須藤さんが、どこかでこれを見ているの……?


咄嗟に明将さんから離れた。


もしかして……、助けてはいけなかった……?


わたしはあの男の計画を、邪魔してしまったかもしれない。



——……あーあ……。



不安を証明するかのように、落胆の声が頭に響いた。



——やっちゃったね……朔ちゃん。……いや、守里ちゃん、かな?


「……っ! どうして!?」



その名前を、あなたが知っているの。照土さんと須藤さんは、繋がっていた……?



「……朔?」


「どうした」



雪根さんと明将さんの声がするけど、それどころじゃない。

体の震えが止まらない。自分で自分を抱きしめた。


妖を捕食していた蜻蛉の動きが止まる。

口元に血が滴る頭部を、こちらに向けた。


雪根さんたちがわたしの前に立つ。階段からは多くの足音がした。増援が来たのだろう。


しかし予想に反し、蜻蛉は空へ飛び立つことも、攻撃を仕掛けてくることもなかった。

夏から秋にかけてそこらじゅうに飛んでいる、昆虫の蜻蛉と同じ形をした頭、虫の眼でわたしを見つめたまま。


音もなく。

ひとりでに。

蜻蛉の首がぼとりと落ちた。


屋上に転がる頭部を残し、蜻蛉は光るちりとなって夜の空に消えていく。

足場の悪い給水塔の上に放置された妖の死骸が、支えを失いゆっくりと落下した。屋上に鈍い音が響く。


蜻蛉の丸い頭がころころと、わたしたちの立つ側まで転がってきた。

明将さんの足元で止まったそれは、蜻蛉の頭から、形を人の顔に変えた。


色はない。変わらずシャボン玉のように虹色に光る、透明な人の……、女性の頭部。

髪の長さ、輪郭、目鼻立ちは、わたしの母とそっくりで……。虚ろな瞳と目が合った。足の力が抜けて、地面に身を崩す。


その後すぐに透明な人の首はさらさらと消えてなくなった。


母は、蟲になんてなっていない。それは蜻蛉に感じた気配からも明白だった。


……大丈夫、大丈夫……。母がこうなったわけじゃない。


これは忠告だ。

彼の意に反することをしてしまった、わたしへの罰だ。



「……あっ、……ごめん、なさい……っ」



わざとじゃない。知らなかった。

こんなつもりではなかったと、どんなに訴えたところで、須藤さんが許してくれるかはわからない。


反応がなくても、わたしには謝ることしかできなくて、ごめんなさい、ごめんなさい——と。何度も祈るように繰り返した。




……っ、でも……!



もう邪魔はしないとだけは、たとえ嘘でも誓えなかった。



だって、わたしは……。



……明将さんや雪根さんに、死んでほしくない……。








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