4.血の縛り(下)
「朔さんはお気になさらず。空木村の神代巫女については、朔さんが希望しない限り責任は伴いません」
困惑するわたしへと一樹さんが助け舟を出してくれた。これに照土さんが慌てた様子で身を乗り出す。
「ちょっと土地守りさん、そんな言い方をしないでくれよ。愛里ちゃんが神代巫女の役目を拒否したなら、娘のこの子に継いでもらわないと困るんだよ」
「神代巫女は土地守りと同じく、強制されて就く職務ではありません。朔さんには朔さんの生き方があります」
「なあ、朔ちゃん。一度試しでいいから空木村に来てみないかい? お母さんが育った、都会と違って空気の美味しい、とてもいいところだよ」
照土さんは一樹さんを無視してわたしに訴えかけた。
「勝手を言うな。こいつは今、訳あってうちで預かってんだ」
宮城さんの迫力にうっと詰まるも、照土さんは怯まなかった。目を大きく見開き、座卓に手をつき腰を上げてわたしに迫る。
「このままでは、愛した土地で先祖代々営みを続けてきたもんが皆、生活できなくなっちまうんだぞ! 村が潰れちまう。朔ちゃん、あんたのせいでっ。村の者たちに悪いとは思わんのか!?」
……そんなこと、言われても。
押し寄せる不快な圧に、照土さんを直視できない。
接近してきた照土さんから感じる、どろどろとした眩しさが気持ち悪い。俯いて口を閉ざし、腹部に力を入れて吐き気を我慢した。
「なあ朔ちゃん、あんたが神代巫女を継いでくれれば、みんなが幸せになれるんだ。あんたは自分の勝手で、儂らを不幸に突き落とすような子なのかい」
「うるせえ」
気怠そうに宮城さんが手を挙げた。
それを見た穂高さんは静かに照土さんへと近付き、忍ばせていた拳銃を取り出した。
篤志さんを、殺した武器だ。
「……なっ、……っ」
至近距離で向けられた銃口に、照土さんは息を飲む。冷や汗を流しながら、ソファへと座り直した。
「なんだ。田舎者かと思ったら、拳銃についての知識はあるのか」
「宮城様」
咎めるような一樹さんの呼びかけを無視し、宮城さんはせせら笑う。
「ここは赤兎の縄張りだ。俺の意に反するやつは始末もやむを得ないと、法律で認められている。まあよそ者は知らないかもしれないけどな」
「……あ、いや。……興奮しすぎましたね……。……申し訳ない」
蚊の鳴くような声で謝るも、照土さんはわたしから目を外そうとしなかった。
居心地の悪さに顔を上げられない。
宮城さんが穂高さんに合図する。それを横目で見た穂高さんは軽く頷き拳銃を収めた。
神代巫女とは、孤島や山深い集落など、華闇の力が届かない場所で土地守りに代わって村の神事を執り行う者だ。
人の営みには神事が必要不可欠で、神代巫女の存在は村の存続に関わってくる。
わたしの母は空木村の神代巫女の娘として生まれ、後継者になるはずだった。
わたしは神代巫女の職務の具体的な内容を知らない。母が故郷でどのように育ち、何を思って村を離れたのかも、一切聞かされていない。
だからわたしの知り得た情報は、一樹さんと照土さんの話が基になっている。
空木村の神代巫女は、村のために尽くす義務がある。
結婚は許されていない。にも関わらず、次代の神代巫女へと血を残すために、子どもを産んでいるのだ。
神代巫女の継承には血筋が重要らしい。
以前一樹さんは先代にあたるわたしの祖母が亡くなり、後継に祖母の妹が選ばれたと教えてくれた。そしてその人は高齢のため体調を崩し、取り急ぎ次の後継が必要になったとも。
「あの……、現在の空木村の神代巫女というのは、照土さんの」
「……ああ、わしの妻が引き受けてくれた。かわいそうに、慣れないことに無理をさせちまって、……あいつはもう長くない」
照土さんはしょんぼりと肩を落とす。その仕草はどことなく、芝居がかっていた。
「……照土さんのお子様は、空木村には? もしもいらっしゃるなら、その方も神代巫女の血筋ということになりませんか」
「それは名案だな。お前に子どもがいれば解決じゃねえか」
だから遠路はるばる面倒事を持ってくるな、と。宮城さんは不機嫌に続けた。
照土さんは視線を泳がせ、最後にはそっぽを向いてしまった。
どうやらわたしはこの人にとって都合の悪い部分を指摘したらしい。
「……いや、娘は婿を貰って、すでに照土の家を継いでおる。婚姻を結んでしまったから、神代巫女にはなれん」
「でも、照土さんの奥さんは、現在神代巫女としてお勤めをされているのでは」
そこのところはどうなのか。
空木村の決まり事は、いろいろとあやふやな部分が多い。
——まるで特定の誰かの都合によって、物事が決められているような……。そんな気がしてならないのだ。
「……妻は、次代が来るまでの繋ぎとして、仕方なくなったんじゃ。例外中の例外で……、普段なら有り得ん」
もごもごと。口の中で言い訳する照土さんは横を向いたままだ。
頬杖をついた宮城さんが、その姿を嗤う。
「だったらお前の娘の子どもに継がせればいいだろ。それで万事解決だ」
宮城さんの提案に照土さんが激昂する。眉を吊り上げ勢いよく立ち上がり、人差し指をわたしに突きつけた。
「直系がこうして生きておるというのに、なぜ儂の孫を神代巫女などにせねばならん!!」
唾を飛ばす勢いで怒鳴られ、息が止まった。
ひどく不安定で重い空気の塊をぶつけられた気分だ。高温で湿度の高い場所にいるような感覚に襲われ、肌がべたべたする。
驚きで動けずにいるわたしとは違い、宮城さんと一樹さんは心底呆れていた。
「これ以上は時間の無駄ですね。照土さんにはお引き取りいただきましょう」
「何を言うか。儂の話はまだ終わっとらん」
「どんなに粘ろうが、てめえの納得いく結果にはならねえよ」
この部屋で最も発言力のある宮城さんに睨まれ、照土さんは押し黙った。
「とっとと失せろ。目障りだ」
「……わ、わかった。ならばせめて、最後に少しだけ、その娘と二人きりで話しをさせてくれんか。これだけの人数に囲まれておっては、……朔ちゃんも、本音では話せんだろう」
「それは……、できません」
わたしは赤兎班の監視下にあって、内緒話は許されない。それに、奥園の事情を差し置いても、照土さんと二人きりにはなりたくなかった。
「そんな……、年寄りの頼みを、聞いてはくれんのか」
情に訴える照土さんに、不思議と心は揺さぶられなかった。自分の薄情さにこの時ばかりは安堵する。
「すみません」
「朔さんの生きる道は、あなたの手の中にはございませんよ」
一樹さんの諭すような言葉に、照土さんは顔を赤くしてわなわなと震えた。彼は怒りをこぶしに乗せて、自身の太腿に強く打ちつける。
「愛里といい……、とんでもねえ親子だ!」
そう吐き捨て、出口の扉へと荒々しく進んでいく。
「儂は諦めんからな!」
退出した照土さんには、啓斗さんがついて行く。余計なことをさせず、出口まで送り届けるためだろう。
客がひとり帰っただけで、応接室はとても静かになった。
一樹さんがわたしへと深く頭を下げる。
「申し訳ございませんでした。まさかあれほどの方とは……」
「そんな、一樹さんが謝ることではありません」
「こいつが仲立ちして連れてきたんだから、こいつの責任だ。厄介なやつ持ってきやがって」
「……まったくです。空木村については、一度華闇で調査する必要がるでしょう」
「調査が終わるまで村が残っていればいいがな」
宮城さんの嫌味に一樹さんはそうですねとあっさり同意した。
そうか。神代巫女を継ぐ人がいなければ、空木村は無くなってしまうんだ。
「まあ俺の前でもあれだけの物言いができるやつだ。村が消えたところで、どこに行っても図太く生きるだろ」
どうやら宮城さんの中では、空木村の廃村が既に決定しているらしい。
一樹さんはどうなのだろうと表情を窺うと、穏やかな微笑みが返ってきた。
「あなたのせいではありませんよ。日の元の土地に余すことなく御社の守護を及ぼせないのは、華闇の至らぬところです」
続け様に、一樹さんはとんでもないことを言い出した。
「朔さんの身の回りが落ち着きましたら、一度華闇の修練を受けられるのも良いかもしれません。空木の神代巫女の件はさておき、朔さんには土地守りの素質がありますので」
「……えっ」
「おい」
思いもしなかった誘いに戸惑うわたしの声に、宮城さんの不機嫌な声が被る。
「わたしも人の子です。将来有望な方には貪欲になりますよ」
一樹さんは宮城さんの機嫌を気にせず、わたしに向かって興味があればいつでもぜひと言った。
勧誘は、きっとお世辞に違いない。
光を怖がって、暗くて静かな場所ばかり求めてしまう。わたしなんかに、土地守りの素養などあるはずがない。
自信なく俯いたわたしへと、一樹さんは改まって居住まいを正す。
「先ほどはゆっくりと挨拶もできず、失礼いたしました。朔さんは、その後お体は変わりありませんか」
「……はい」
返答に困った末に、無難に頷いて返した。
この人はどこまで赤兎班や奥園のことを知っているのだろう。情報のすり合わせが安易にできない以上、迂闊に物は言えない。
「蟲の毒は、完全に消し去ることはできません。傷痕は生涯残るでしょう。身に違和感がありましたら、迷わず御社を頼ってください」
「……蟲、……毒? ですか……?」
蟲とは、巨大な蟷螂や芋虫の形をした、あの透明な化け物を指している。そう判断して、いいものなのか。
土地守りの一樹さんは、華闇に属している。——華闇は、あの化け物のことを把握しているの……?
蟲の毒とは何か。どんな害があるのか。わたしは何も聞かされていない。
ならばその事実は、赤兎班にとって都合が悪く、わたしが知ってはいけないことなのではないのか。
「体調は問題ありません。ご心配をおかけして、申し訳ございません」
「お気になさらないでください。……朔さんに、何ひとつ責任などありません。違いませんか?」
一樹さんは伏せ目がちだった目線を上げて、宮城さんをまっすぐに見つめた。
宮城さんは責めるような視線を無視し、ふいと一樹さんから顔を背ける。反論や説明は望めそうになく、その態度からも、やはり蟲に関してはわたしが知ってはいけないことなのだろうと確信した。
踏み込みすぎたら、戻れなくなる。——もう手遅れかもしれないけど……。
その後、一樹さんは挨拶もそこそこに御社へと戻っていった。
「照土だったか。全員に通達して、近くで見たら一樹に押し付けられるようにしておけ。ったく、面倒を増やしやがって」
一樹さんがいなくなった応接室で、宮城さんは柊さんにそう指示を出した。
面倒事。確かにそうだ。
わたしがただの奥園の娘だったなら、こんな事態にはならなかった。
本来空木村の事情は赤兎班にとって無関係なはずで、関わらざるを得ないのはわたしがここにいてしまうからだ。
何もできない。
役にも立たない。
利益も生まない。
そのくせ問題ばかり引き寄せる。
赤兎班がわたしを疎んじるのは、極々自然な結果なのだろう。
「わたしも始末しますか?」
穂高さんは親類で仲間だった人にすら、赤兎班のためなら迷わず引き金を引ける。
宮城さんの命令ひとつで、わたしの命はすぐに消し去れるだろう。
赤兎班の管轄内で宮城さんの意に沿わない者を消しても問題ないなら、理由を適当に付けて処分するぐらい彼らには造作もない。
むしろそれが一番手っ取り早いのではないか。
宮城さんはじっとこちらを睨み、忌々しそうに舌打ちした。
「するわけねえだろ。寝言は寝て言え」
「……そうですね。すみません」
ユウたち深淵と繋がりがあるわたしを、簡単に殺せるわけがないか。
空木村の神代巫女。
人生の選択肢が増えたところで、わたしは何も選べない。
照土さんはわたしを空木村に連れて帰ることを諦めないと言った。
またあの人が来るのかと思うと、とても気が重い。
会わない方がいいかもしれないと。穂高さんの忠告が今更ながら身にのしかかる。
本当に、その通りだった。




