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3.血の縛り(上)




いたいのいたいのとんでいけ



わたしのこころもとんでいけ







夏は好きじゃない。

夜の短さにうんざりするから。


強い日差しと蒸し暑さに毎日ふらふらになりながら、学校と赤兎の本部を往復する生活は続いた。


穂高さんから通達があり、夏休み中も家に帰れないのは把握済みだ。

とはいえ奥園の家も赤兎の本部も、部屋にこもってしまえば同じである。どこで過ごすにしても学校に行かなくていい環境は非常に魅力的で、早く休みになって欲しかった。


来週には終業式があり、それが終われば夏休みが始まる。

そんな週末の午後、穂高さんが部屋の扉を叩いた。



「——わたしに来客、ですか」


「そう。先触れもなくいきなり来たから、断ってもいいよ」



穂高さんの義務的な態度の端々には、煩わしさが見え隠れしている。こんなことで時間を取らせるなとでも言いたげだった。



「どなたでしょうか?」



頭の片隅に、わたしが会いたくてたまらない人の姿が浮かぶ。単身会いに来てくれたのかと少しだけ期待した。



「華闇の土地守りと……」



しかし返ってきた答えは予想と外れていて、密かに握りしめたこぶしから力を抜いた。


そういうものだろう。

簡単に、母に会わせてもらえるわけがない。


穂高さんは続きを言いかけて口を閉ざす。そして少しの間考え込む仕草をした。



「……一樹さんは華闇としての付き添いだろう。朔ちゃんへの来客は、空木村の代表者だ」



——空木村。前に一樹さんに教えてもらった、母の故郷だ。



「そこまで重要な客ではないから、悩みを増やしたくないなら会わなくてもいいよ。正直面倒そうな人だったからね」



いつも宮城さんの意に沿って動くこの人が、わたしに選択を委ねるとは珍しい。


穂高さんの言うように、断ってもよかった。

わたしには他に目を向けている余裕なんてない。


……でも。



「お会いしてみます。少し、待ってください」



母の生まれ育った場所を知りたいという好奇心が先走り、深く考えないで了承してしまった。

靴の紐を結び直して部屋の外に出る。案内をしてくれる穂高さんの後に続いた。



「部屋で空調を付けてないんだね」



廊下を歩いているとき、穂高さんが軽く首を後ろに回してわたしを視界に入れた。



「今日はそんなに暑くないので」


「そう」



返事はそっけないものだった。


……ああまた、やってしまったかもしれない。


室外機の低音が絶えず聞こえてくるのが気になるから、空調は暑さに耐えられない時だけつけるようにしている。赤兎班の預かりになる前から、わたしはずっとそうしていた。


そんな言い訳じみたこと、穂高さんに伝える必要はない。

顔色を窺っても意味がないというのに、自分の言動を悔いてしまっている。


胃がきゅっと縮まるのを感じた。

穂高さんはとっくに前を向いてしまっていて、表情は見られない。



「あんまり使ってない部屋だったから、空調機がカビ臭いなら早めに言ってね。業者入れて掃除するから」



立ち止まらず、振り返りもせず。

前を歩く彼が自然と言い放った言葉に耳を疑った。



「……はい。ありがとう、……ございます」



戸惑いながらのお礼は、ぎこちないものになってしまった。



「感謝されることじゃないよ。君の住環境を整えるのは、うちの義務だからね」


「……そうですか」



手すりづたいに階段を下り、一階へと辿り着く。

途中すれ違った赤兎班の人たちの視線が気まずくて、足元ばかりを見ていた。



「朔ちゃんのお母さんは、愛里という名前だよね」


「はい。……何か?」


「大したことじゃないよ。ただ、故郷を離れた彼女の行動から推察するに、あまり来客には心を許さない方がいいかもしれない」



一階の廊下、応接室までの道のりで、穂高さんがそんなことを言ってきた。


世間話、になるのだろうか。

この人が仕事以外の話をしてくるとは。



「まあ、俺が言えたことじゃないかもしれないけどね」



応接室の扉の前で、穂高さんはわたしを見下ろし皮肉気に自嘲した。


この扉の向こうに一樹さんと、母と縁のある人が待っている……、のだろう……けど……。



「…………うそ」



応接室の中から感じる気配に、思わず穂高さんを見上げた。


そんなはずはない。

だって彼はもうこの世にいない。

あの夜、ここにいる穂高さんがとどめをさしたのだから。


わたしも現場にいた。あの時のことは今でも鮮明に覚えている。


彼は死んだ。

それは変えようのない事実なのに。



……どうして篤志さんと同じ気配が、部屋の中にあるの……?



「どうしたの?」



扉を叩こうとした手を止めて、穂高さんがわたしを窺う。



「……いえ、すみません。……気のせいでした」



そうだ。これはわたしの思い過ごしだ。篤志さんがここにいるはずがない。


穂高さんは深く追及してこなかった。

怪訝そうになりながらも扉を軽く叩き、室内に要件を伝えてわたしに中へ入るよう促した。




緊張しながら部屋に入る。

当然だけど、応接室に篤志さんの姿はなかった。

来客用のソファには一樹さんと、顎に髭を蓄えた老齢の男性が座っていた。

初めて会うその人の纏う光に、目が眩みそうになる。


そうか。わたしはこれを勘違いしたんだ。


男性の体が発光しているわけではないのに、直視するのが難しい。篤志さんと同じ現象だった。

人に説明しにくいその感覚をぐっと耐えて小さくお辞儀をした。



「——ああ、あんたが朔ちゃんかい。なるほど、若い頃の愛里ちゃんにそっくりだ」



感極まった様子で老齢の男性は腰を上げてわたしを歓迎する。

一樹さんもソファから立ち上がり、申し訳なさそうに頭を下げた。


来客ふたりの向かいのソファでは、宮城さんがうんざりした表情で背もたれに体を預けている。

宮城さんの後ろには柊さんと、啓斗さんが直立して控えていた。


よかった。啓斗さんは無事だったんだ。


啓斗さんから物言いたげな視線を感じたけれど、気付かぬふりでやり過ごした。

彼らの横を通り過ぎ、いつかと同じように宮城さんの隣に腰を落ち着ける。





空木村から来たという男性は、自らを照土(てるつち) 奥康(おくやす)と名乗った。


彼はわたしの母の叔母にあたる人の、夫だという。

わたしからしたら、祖母の妹の夫、ということになる。



留里(るり)さん——、朔ちゃんのお祖母さんはいつも神代巫女のお勤めに忙しくされていてね。留里さんの娘の愛里ちゃんは、儂と妻で育てたようなものなんだよ」



照土さんが自慢気に教えてくれたのは、寂しい話だった。神代巫女というのは、自分の子どもに構えないほど大変な役目なのだろうか。


挨拶もそこそこに、嬉しそうに昔を語る照土さんは、他の人に口を挟む隙を与えない。


なんとなく、わたしの向かいに座る一樹さんをちらりと窺う。するとこちらに気付いた一樹さんから微苦笑を返された。

隣を盗み見れば、宮城さんは体勢を崩してだらけ、照土さんを見ようともしない。

客人が歓迎されていないのは明らかだった。


一方の照土さんは、宮城さんや一樹さんには見向きもせず、斜め向かいに座るわたしへと喋り続ける。今にも身を乗り出しそうな勢いに、つい腰が引けてしまった。



「だからねえ。儂にとっても、愛里ちゃんは大切な家族であって、かわいい娘だよ。なんせ儂が育てたようなものだからなあ」



ははは、と。照土さんは目元の皺を深くして朗らかに笑った。


この人の眩しさにはだんだんと目が慣れてきた。すると照土さんの纏う空気の歪さが、より鮮明になった。照土さんとわたしの価値観の違いが、摩擦となって不快感を増幅させる。



「祖父は……、母にとっての父親は、どのような人だったのでしょうか?」



母を育てたのが照土さんだというのなら、実の父親はどんな事情があって娘と離れたのか。


わたしの質問に、照土さんの笑みの質が変わった。にやりの擬音語が似合う笑い方をして、親指を自分自身の胸に向ける。



「それは儂じゃよ」


「…………え」



一瞬で応接室の空気が凍った。



「かっかっかっ! 冗談じゃ! そう本気にするでない」



照土さんは笑い飛ばそうとしたけど、宮城さんをはじめこの場にいる全員が引き気味だった。


歪みがひどくなる。膝の上に置いた両手のこぶしを強く握った。


努めて明るく振る舞う照土さんは焦りを悟られまいと必死だ。言動を間違えたことを、この人が一番理解しているのだろう。


ただ、さっきの言葉には人が嘘をつく際に生じる独特のぶれはなかった。



「すまんのう。年寄りになるとつい若いもんをからかいたくなってしまう。それで……なんだったかな。そうだ、愛里ちゃんのお父さんだね。本当に、留里さんはどこでこしらえてきたんだか」



照土さんは腕を組み、ソファにどっしりと座り直す。空調は十分に効いているが、彼の額には汗が滲んでいた。



「神代巫女というのは、村の者から敬われる代わりに、神事を通して村に尽くすのが役割じゃ。村の守り手は平等でなければならん。だから神代巫女は婚姻が許されておらん。まあこういったしきたりもおいおい知っていけば良い」



……おいおいって、どういうこと?


これからもわたしと照土さんの付き合いが続くみたいな言い方。まるで、わたしが空木村の神代巫女になると決定しているようだ。


……また、わたしの知らないところで、何か取り決めがなされたの!



戸惑うわたしの横で、宮城さんがはっと鼻で笑った。



「だったらどうやって直系の血を残してきたんだよ」


「誤解なさらないでください。神代巫女は婚姻ができないなどという決まりは、日の元にありません」



どうやら宮城さんと一樹さんが気になったのは、わたしとは違う部分だったらしい。


照土さんがむっとして宮城さんを睨む。



「よそ者には関係のないことです。儂らには儂らの生き方があるってもんですよ。口出しせんでいただきたい」


「……よそ者、か。寝言を抜かすな」



隣からの威圧感が強まった。



「てめえらが暮らしているのは日の元の国土だろうが」



宮城さんの苛立ちは照土さんにもしっかり伝わったようだった。



「……あ、いや……、そういうつもりでは……」



萎縮した照土さんは肩を丸めて口の中でもごもごと呟いた。



「……まったく」



一樹さんが大きく息を吐いた。



「あなたの目的は、朔さんに親類として会うことではなかったのですか。強引な勧誘は約束に反しますよ」



穏やかな口調で、しかしはっきりと一樹さんは告げた。

一樹さんの言葉には、宮城さんとはまた違う種類の、有無を言わせない不思議な響きがある。


二人から責められて、照土さんはさらに小さくなってしまった。


ちらちらと上目遣いで助けを求められても、わたしにできることはない。






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