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0.迷い子探し



七年後。春の皇都にて。



堤防の階段を下りて河川敷の歩道に出る。

幅の広い遊歩道は緩やかな流れの河川に沿ってずっと先まで続いていた。

水辺はここからでは暗くて見えない。しかし水の流れる音は微かに聞こえてきた。


昼間は走り込みや散歩をする人が行き交う場所だけど、この時間に人の気配はない。

遊歩道の周囲に光源はなく、堤防の上にある車道に設置された電灯はすでに消えている。


澄み渡った空に多くの星がよく見える、新月の夜。

日付は二時間ほど前に変わっていた。



左右を雑草に覆われた黒い道を注意しながら進む。

しばらく歩いていると、草むらの一部がざわりと波打った。


イタチや野良猫と違う。

実体のある生き物が発する生き生きとした鼓動は感じない。

あるのは煙のように、風が吹けば今にも霧散してしまいそうな弱々しい気配だけ。


見つけた。

目的の迷い子だ。


歩道を外れて草むらに入り、気配の元へ。怖がらせないようにゆっくりと近づいていく。


背の高いススキをかきわけた先にうずくまっていたのは、こぶしふたつ分ほどの小さな影だった。

真っ黒の、煙のように左右に揺れる影を見つめていると、次第にそれは姿を変えて輪郭を形作る。

やがてわたしの足元には、耳が垂れた小さな子犬が完成した。


本来、「彼ら」に実体はない。

この子の姿だって、この子の気配を認識して抱いた印象を、わたしの脳が勝手に視覚化しているだけ。


そうあの人(・・・)が言っていた。


——「あの人」というのも、結局はわたしが彼に人間の姿をあてはめているだけに過ぎないのだけど……


しゃがみ込むと、わたしの気配を感知した子犬はますます身をすくめた。



「怖がらないで。迎えに来たよ」



小さな囁きに子犬の耳がぴくりと動く。



「びっくりしたよね。急にこんな眩しいところに出てきてしまって」



わたしが様子を窺っていると、しばらくしてうずくまっていた子犬がゆっくりと顔を上に向けた。

怯えさせないように気を配りながら、静かに手のひらを子犬へと差し出す。



「行きましょう。わたしの夢を経由するけど、元の世界に戻ろうね」



そのまま待ち続けると、やがて子犬は立ち上がった。

これはわたしというよりも、わたしの周囲の深い黒色の空気を感じ取って心を開いてくれたのだと思う。

なんにせよ警戒を解いてくれたみたいで一安心だ。


子犬が鼻先をわたしの指に近づけてきたので、優しく喉を撫でる。

もっとと言わんばかりに顔をすり寄せてくるのがとても可愛い。


懐いてくれるのは嬉しいけれど、うかうかと楽しんでる時間はない。

夜明けは刻一刻と迫ってきていた。


着ていた春物の外套を脱いで、光が当たらないよう子犬を包む。それを持ち上げ、足早に河川敷を後にした。



階段を上り、堤防の上の道を住宅地側に下る坂へと進んだ。

二股の分かれ道は前方に見えている橋の手前ぐらいだったか。


日中は車の通りが激しい橋も日付が変わるころには電気が落とされ、今はひっそりと静まり返っている。


人口の明かりはこの時間帯になるとほとんど見られない。代わりと言わんばかりに、今日みたいな天気のいい夜は無数の星が存在を主張してくる。


暗闇は完璧とは言えず、夜であってもこの世界には腕の中にいる子を脅かすものが数多く存在した。


早く、向こうへ戻してあげないと。


見晴らしのいい堤防の道を、逸る気持ちのままに足を動かす。

暗がりの中、道の先に堤防を下る分かれ道が微かに見えた。


その時。ぞわぞわ……と。

首元から服の中に芋虫を入れられたような、薄気味悪い気配に立ち止まって辺りを見渡す。

河川敷の草むらが風で揺れる。

目を凝らしても生き物は視界にとらえられなかったけど……。


近くに、何かがいる。

この感覚は害があるモノだと、本能が告げていた。


子犬をくるんだ外套を強く抱いて堤防を走る。

嫌な気配は一定の距離を保ちながらこちらに付いてきていた。


身の危険は感じていても、実はそこまで焦ってはいない。

今も「あちら側」から、「誰か」がわたしたちを見守っているのを知っているから。


息を軽く乱しながら、どうにか分かれ道へとたどり着いた。

早足で道を下りて堤防を後にする。

諦めたのか、わたしに付きまとっていた悪意のある気配が退いた。



突然のことに驚いたものの、すぐに理由はわかった。

おそらく堤防の坂を下りきった先にある、橋の下の道に立つ人たちが原因だろう。

大きな橋が影となる真っ暗な場所に、ふたりの人が立っていた。


わたしは夜でも目が視えるほうだ。彼らが気配を殺していたとしても、おおよその判別はつく。


背格好からして両方とも男の人だと思う。

彼らはじっと、堤防から近づいてくるわたしを見ていた。

周囲の空気が張り詰めた。だけど先ほどとは違って、身を脅かす危機感はない。



皆が寝静まった時間帯に、わたし以外に外で活動している人がいるのは珍しい。

素性を知らない者同士、素知らぬふりをして横を通り過ぎることはできそうにない。


接近したわたしの行く手に、彼らが立ちはだかった。



「——お前」



わたしから見て左側、背が高くてガタイのいい男性が低い声で唸るように告げる。



「何を大事そうに抱えてやがる」



警戒心をむき出しにして、その人はわたしを睨んだ。



「その中身を、どこに持っていくつもりだ」



彼が顎で示す先には、わたしの抱きしめている丸まった外套があった。この子の気配が察知できるんだ。

厚みはあるが柔らかい服地にくるまれた子犬が震えて体を小さくする。

大丈夫だと安心させるため、外套の上からその子をさすった。


問いかけの答えを返さないわたしに、男性の空気はますます険しくなっていく。



「……答える気はない、ということか」



背の高い男性はそう呟いて、半歩わたしに近付く。

途端に彼の存在感というか、纏う気が一段と濃くなった。

背中がピリピリする。


おそらくふたりは霊能者や祓い屋と呼ばれる類の人たちだ。

この子の存在に気付けるぐらいだから、かなりの実力があるのだろう。


彼が足を踏み出したのと同時。

空の微かな光が薄れ、辺りの闇に深みが増した。

雲があるわけでもないのに、星の輝きが遠ざかっていく。


足を前に踏み出した彼は異変を察知し、それ以上こちらへ接近しようとしなかった。

視界を奪う暗闇のなか、冷たい風が吹き抜けて辺りの気温が低下した。

清らかで落ち着いた空気がわたしと子犬を守るように囲む。


誰かがこちらに干渉しているのだ。

あちら側から力を飛ばせて、星の光がある場所でも強く気配を感じられる。

親しい誰かだとは推測できた。しかし隠されたといえ星の光が邪魔をして、わたしにそれ以上の細かなことは探れなかった。


それでも、守られている安心は勇気に変わる。

わたしの後ろに控える思わぬ大物を察知して動けなくなった彼らを見据え、口を開く。



「わたしのことは忘れて。この子は今夜、あるべきところへ戻るわ。あなたたちが探しているモノは、きっと別にいるはず」


「……得体の知れないものを見逃せと?」


「この子もわたしも、誰の害にもならないわ」



互いが一歩も引かず、膠着状態が続く。

しばらくして、男が鼻で笑った。



「はっ、それだけ深い闇を纏うやつに、害はないだと?」



馬鹿にした物言いにむっとする。

わたしの後ろ、闇の中からも憤りの意思が伝わってきた。



「……闇は、悪なのかしら?」



発した声は心なしか低いものとなった。



「君にとっては違うの?」



今まで何も喋らなかった、もう片方の男性が口を開いた。

高圧的な男性よりも身長が低く、細身の体格をした彼の声音は穏やかなものだった。

純粋に疑問をぶつけてきたためか、口調からはわたしに対する敵意は感じられない。


違う……と、わたしが伝える前に周りの空気がざわめく。


音でなく。

言葉でなく。


頭の中に直接届いたその意思に、思わずうろたえ空を仰ぐ。



——ええぇ……。それ、わたしが言わなきゃいけないの?



続いて感じたのは、威圧というか、背中をぐいぐい押されるような、そんな感覚。

わたしと子犬を見守っているひとが、「早く言え」とせっついてきているのだ。


判明した。

これは『ユウ』で間違いない。


彼らに実体はなく、姿かたちは所詮わたしの想像でしかない。

だけどみんなそれぞれに個性はちゃんとある。

こんなことをわたしにさせようとするのは、ユウしかいない。



「どうした」



背の高いほうの男が警戒心を剥き出しにして詰め寄ってくる。



「えっ、ええっと……。いま、わたしを守ってくれている人が、ね」



焦って「人」と言ってしまったけど、彼らは人間じゃない別の存在だ。……なんて考えている暇も訂正している余裕もない。



「そんなに闇を悪として排除したいなら、お前たちは昼の光の中で休みなく、それこそ身を粉にして働き続けてとっとと過労で死んでしまえ……って……」



背中にかかる威圧感が増した。

ユウはわたしが勝手に言葉の言い回しを柔らかくしたのが気にくわなかったのだろう。

「くたばれ」なんて表現、初対面の人にとてもじゃないけどわたしは言えない。


どんなに怒ったって、言い直さないからね。


ぽかんと口を開けて固まってしまった男性ふたりに、わたしは自分なりの言い分を考えて口を開く。




「あの。えっと、わたしを見守っているのは、穏やかな眠りや、静かな安らぎを司っている人たちなの。……もちろん、この子も。あなたたちにとっては、そういった存在も排除の対象となるのかしら?」



わたしの説明に、背が低いほうの男性が首をひねった。



「それは華闇(はなやみ)の領分の?」



ハナヤミとは、わたしの知る華闇でいいのか。でも、領分とはどういうことだろう。

彼の言った単語の意味がわからず、今度はわたしが首をかしげる番となる。



「……うん」



何に対してかは定かでないが、やがて優しそうな男性は納得したように頷いて、わたしに背を向けた。



「おい」


「行こう。俺たちが追っているのは彼女じゃない」


「だからといって放っておく気か」


「標的以外に気を取られている時間はないって、前に言ったのはアキだよ」



渋る相方に彼は淡々と告げる。

やがて長身の男性は盛大な舌打ちをかまし、(きびす)を返した。



「気を付けて帰りなよ。最近、ここら辺は物騒だから」



まさか、心配する言葉までいただけるとは。

さっさと行ってしまった傍若無人な連れに追いつくべく、物腰が柔らかい彼もわたしに背を向けた。


虚をつかれて固まっていたわたしは慌てて息を吸い込む。



「あのっ!」



遠ざかる背中を、大きな声で呼び止めた。

男性ふたりは、同時に立ち止まる。



「……どうしたの?」



問いかけが返ってきたのは、優しい男性からだった。

話しやすそうな人で安心する。



「多分、だけど……。あなたたちが探しているモノは、きっと、おそらく、さっきそこの河原の茂みに潜んでいて……」



少し前までわたしに狙いを付けていたけれど、あなたたちの気配で逃げていった……と、最後まで言えなかった。

わたしの背後から、先程と同じ嫌な気配が風に乗って伝わってきたのだ。


そして、深夜にそぐわない耳をつく甲高い警告音がした矢先に、バンッという大きな破裂音。


続きの言葉を忘れて振り返る。

異常はすぐに見て取れた。

河川敷の草むらの中、ところどころに点在する背の高い木のひとつが、強い光を放っていた。


白い光はやがて赤色の炎に変化し、じわじわと周囲の草むらを侵食していく。



——火事だ。



再び大きな舌打ちが耳に届いた。



「それを先に言え!!」



怒鳴りつけてきたのは長身の、怖いほうの男性だった。

言うが早いか、彼は瞬く間にわたしのたどった堤防の道を駆けていく。

もうひとりも、彼が「アキ」と呼んだ男性に続いた。

残されたわたしはぽつんと立ちつくし、小さくなっていくふたつの影に唇をとがらせる。



「……だから、最初に言ったじゃない」



あなたたちの探しているモノは別にいるって。


訴えを流したのはそっちなのに、どうしてわたしが怒鳴られなきゃいけないの。

理不尽さを胸の内に感じながらも足早にその場を離れて家へと急いだ。


堤防でした嫌な気配とあの炎は、おそらく何かしらの関係がある。

それを知ったところで、わたしにはどうしようもない。


わたしは気配に敏感なだけで、降りかかる怪異に抵抗する力はない。

わたしの抱える小さな闇の子は、星や月の明かりでも消滅する危険があるほどに弱い存在だ。

わたしを見守っているユウは、強すぎる力ゆえにこちら側への過度な干渉をしたがらない。光と闇の均衡を破壊してしまう恐れがあるからだ。


みんなの中ではわりかし好き勝手に動いているユウですら、こちら側の障害に威嚇こそするけど、直接手を下す真似は絶対にしない。

この手に抱える、小さな闇の子ひとりを通す穴を開けることすら躊躇うぐらいに、彼らはこちらへの干渉に神経を尖らせている。


結論からして、わたしたちは災厄の大元に、何もすることができない。

ならばあれは専門家に任せて、こちらはこちらのやるべきことを優先しないと。




駅からほど近い縦積み式の集合住宅。


広大な土地に豪邸を建てるのではなく、建物の階層を多くする部分に予算を費やし、高所に住まいを持つのが最近の富裕層の流行りなんだとか。

未だに慣れないけれど、ここの最上階がわたしの帰る場所だった。

音をたてないように注意を払って、自分の部屋へと戻ってきた。


照明はつけない。

念のため、ひだの付いた分厚い日避け布(ひよけぬの)を閉め切って丸まった外套を寝台の上に置く。



「ちょっと待ってね」



もぞもぞと動く子犬へ静かに告げて部屋着に着替えた。

寝台に上がり羽毛布団をわたしとその子にかけてから、外套を取り去り床に落とした。

布団と寝台の間で横向きに寝て、黒い犬に手を伸ばす。


お腹のあたりでもぞもぞ動いていた塊が、甘えるように手に顔をすりつけてくる。

嬉しくなって撫でていると、安心しきった子犬はわたしの腹部から胸元へ、布団の中を移動する。



「駄目よ、それ以上は」



首筋に頭をうずめようとした子犬を制し、お腹のところまで戻す。


人は誰でも光と闇、両方の気質を持っている。

生まれた時は均衡が保てていても、大人になるにつれ人の性質は闇が少なくなり、光の属性へと傾いていく。

体の部位では、常に動き続ける心臓が光の最も強いところであり、力の発生源となる。


普通の人より属性が闇に偏っているわたしでも、当然体に光は宿っているから。

服越しならともかく、心臓に近い首元をじかにこの子に触れさせるわけにはいかない。



「さあ、もう寝ましょう。日が昇る前にあちらへ戻らないと」



腕の中で拘束を解こうと身をよじる子犬をなだめ、わたしもそっと目を閉じた。




静かな闇。


完全なる黒の世界へ——。




夢の中。


小さな子犬が漆黒に溶けていった。










…………。


……——……ク……。……——……サク。


…………朔、……——。





気を付けて。




最近、境界があやふやになることが多すぎる……。







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