表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/85

17.行方知れず(下)




一度に二つのことを考えて、それぞれに的確な答えを出せるほど、わたしの頭は器用じゃない。


姿を消した花歩さんがどうしているのか、心配でたまらない。やっぱり昨日の夜、ひとりで部屋に帰すべきじゃなかった。

後悔してもしきれない。どうか、無事でいてほしい。



浅ましくて、なんて身勝手なのだろう。

彼女の身を案じる気持ちと同じくらい、わたしは自分のことが不安でたまらなかった。


母に一目会いたいなんて、気軽に考えている場合じゃないんだ。軽率な行動は全てを台無しにしてしまう。

宮城さんに与えられた時間は限られている。だからこそより一層慎重にならないといけない。


そうやって、自分の助かる道を模索すればするほど、花歩さんのことが思考を占領していく。


わたしは自分が幸せになればそれでいいのか。

外つ国から来たという男の存在を赤兎班に告げれば、もしかしたら花歩さんは救い出せるかもしれない。



赤兎の本部で優しくしてくれた彼女をわたしは見捨てるのか……。



何を選び、何を諦める。


母と花歩さん。人の命を天秤に掛けている自分自身に、心の底から嫌悪感が込み上げた。





登校中の車内では、罪悪感に苛まれ続けた。

答えが見つからないまま学校へ到着した。予鈴が聞こえてきて校舎へと急ぐ。


朝礼まで五分を切った昇降口に人の姿はほとんどなかった。上履きに履き替えて廊下を足早に進み、階段を駆け上がる。


教室に入ると、ほとんどの生徒がすでに席に着いていた。

わたしも自分の机に鞄を置いて、手早く授業の準備を済ませる。


筆記帳を机の中に入れた際、くしゃっと何かを押しつぶした感触がした。

奥に手を入れて取り出してみると、ぐしゃぐしゃに丸められた紙切れが入っていた。


破れないように気をつけつつ、紙を広げる。



——死ね。ブス。貧乏人。下賤の子供……。



鉛筆で何度もなぞって線を太くした、お決まりの罵詈雑言が紙全体を埋め尽くしていた。


くすくす……と。

こちらを見て笑っている女子が数人。おそらく彼女たちの誰かがわたしの机に入れたのだろう。


紙の皺を伸ばして折り畳み、机の中に戻す。そこにこれといって感情はない。


いつものわたしだったらうろたえて怖がり、次にどんな仕打ちを受けるのかと身を縮めていただろう。しかしながら今はこんなことに構っていられる余裕がなかった。



授業に集中できるはずもなく、ただずっと母のことを考えていた。


母は義父を愛している。だから奥園に嫁ぐ以前から義父の役に立とうと、いつも献身的に尽くしていた。


そんな母に、わたしが奥園を捨てて逃げようと説得したとして、果たして一緒に来てくれるだろうか。


可能性は限りなく低い。


でも、もう迷っている時間はない。



何の計画もなく母に会うのはまずい。

顔を合わせたところで母とわたしの意見が割れたら、もたついているうちに赤兎班との本格的な衝突が始まってしまう。


とにかく情報を手に入れるのが先だ。


赤兎班と睨み合うこととなった義父を、母はどう思っているのか。説得が絶望的かどうかも、まずは母の気持ちを知らないと始まらない。


先生が黒板に記した文字を早急に筆記帳に写し終え、膝の上に置いた生徒手帳を盗み見た。

携帯電話は赤兎班に没収されてしまったから、これを頼るしかない。


生徒手帳の一番後ろ、所持者の緊急連絡先に書かれた、母の携帯の番号。

普段は生徒手帳なんて気にも止めず、自分の情報欄は無視していたのに。

奥園の家で暇を持て余して何となく書き込んだかつてのわたしをよくやったと褒めたい。


生徒手帳の(ページ)を前に戻す。

学生規則や生徒規範、校訓の項目を飛ばし、校内の見取り図を開いた。

職員室や学園長室、応接室が並ぶ廊下の奥。突き当たりにある職員玄関の手前に記された小さな点と、公衆電話の文字。


場所を確かめて、生徒手帳を閉じる。

教科書や筆記具はともかく、これだけはわたしを敵視する生徒たちに絶対に盗まれてはいけない。

普段は鞄に入れてある生徒手帳をスカートの内袋に移動させ、机の下で布越しに強く握った。





授業合間の休み時間。

廊下からさりげなく留美香の所属する教室を盗み見る。

留美香は人の輪の中心で楽しそうにおしゃべりをしていて、その隣には樋渡さんの姿があった。


教室に須藤さんは見当たらない。

ひょっとして彼は、花歩さんと一緒にいるのだろうか……。


花歩さんのことを心配しながらも、学校に須藤さんがいない事実に安堵してしまう。

人の犠牲を喜ぶ醜い自分に目を背け、早々に教室へと逃げ帰った。


次の四時間目の授業が始まってすぐ、緊張しながら教科担当の先生へと手を挙げた。



「……すみません。気分が悪いので、保健室へ行ってもよろしいでしょうか」



掠れた声で小さく告げると、先生は怪訝そうに眉を寄せた。

教室中の視線がわたしに集まり、息が苦しい。



「仮病でしょ? 雑草がそんな繊細なわけないわ」



女子生徒の野次に、どっと笑いが起きる。

先生は手巾で額の汗を拭い、目を泳がせながらも頷いた。



「確かに、顔色が悪そうだから、保健室で診てもらってきなさい」


「……はい」



逃げるように教室を退出した。


わたしは家名が奥園であっても、血筋は奥園と縁のない半端者である。しかも同学年に在籍する、奥園の正統な令嬢である留美香が疎んでいる存在。

大人たちも、なるべくわたしには関わりたくないのだ。


心臓が小刻みに強く脈打つのを感じながら、階段を駆け降りた。






足音を立てないよう注意しながら、授業中で人のいない廊下を走る。職員室や保健室を通り過ぎ、目的の公衆電話へと行き着いた。


廊下の壁の一部をくり抜き設置された黄緑色の箱型の電話は、間仕切りによって周囲から使用している姿が見えないようになっていた。

こんなところにあるなんて。一年以上学校に通っているけど、初めて見た。


息が整うのを待っていられず、電話から受話器を外し、小銭を投入口に入れた。

生徒手帳を開いて、ひとつひとつ、数字を押していく。最後の数字を入力後、顔の横に受話器を当てた。


緊張で頭がくらくらする。

息を殺して待っていると、呼び出し音が聞こえてきた。


背筋が伸びる。何度目かの呼び出しの後、音が途切れた。

受話器の向こうからは何も聞こえない。

わたしも様子を窺ってしまい、電話越しに沈黙が続いた。


感情が込み上げてきて、うまく言葉が出てこない。

でも……、とにかく何か喋らないと、悪戯電話と思われてしまう。



「……っ、……お母さん?」



震えた声を絞り出すと、電話の向こうからは驚きが伝わってきた。



「……朔っ、朔なの!?」



聞き間違うはずがない。母の声だ。



「お母さんっ、あのね、わたし……っ」



言いかけたところで、通話が途切れた。

ぬっと死角から伸びてきた手が、受話器を置く電話本体の銀色の金具を下げたのだ。


小銭の返却口に使用されなかった十円玉が落ちてくる。

受話器を耳に当てたまま硬直するわたしに、背後の人物はクッと笑った。



「駄目だよ。勝手なことしちゃ」



その男——、須藤さんはわたしの手から受話器を奪い、ゆっくりと公衆電話の定位置に戻す。



「朔ちゃんって夜はあんなに敏感なのに、日中はそうでもないんだね」



恐怖で頭が真っ白になり、振り返ることができない。

わたしに構わず、須藤さんは楽しげに語る。



「ひょっとして、日があるうちは対象に意識を向けないと、探索が難しかったりするのかな?」



その通り、だけど……。



「おかしなことをすると、こわーい兎さんに怒られちゃうよ」



からかいの混ざった口調。

脅し文句に赤兎班を使っているけれど。わたしが勝手に動いて、母やわたしを害するのは、赤兎班ではなくあなたでしょう。


説明を、しないと。

ただ心細くて、母の声が聞きたかっただけだって、弁明してこの場を凌がなければ。


意を決して、ゆっくりと振り返り須藤さんと向き合う。

彼はそれはそれはとても面白そうに、わたしを見下ろしていた。


遊んでいるとしか思えない態度。

愉悦に歪む男の内側に残虐性を覗き見てしまい、咄嗟に用意した言い訳が吹き飛ぶ。



「……花歩さんを、どこへやったのですか」


「さあ。何のことかな」



須藤さんはおどけた調子で両手の手のひらを天井に向けて、肩を軽く上げた。

焦りが増幅する。こんな男に捕まって、花歩さんは無事なのか。



「なんにせよ、せっかく面白い舞台を用意したんだから、余計なことはしちゃだめだよ」



ねぇ……? と、彼がわたしの顔を覗き込む。



「心配しなくても、俺は朔ちゃんを除け者になんてしないよ。ちゃんと演者のひとりに抜擢してあるからね」


「……わたしに何を、させる気ですか……?」


「すぐにわかるよ」



どろどろの、ぐちゃぐちゃ。


外の皮は人のものだけど、この男の中身は……全くの別物。まるで腐ってどろどろに溶けた肉が、体の内側を巡っているかのようだ。


互いの額が付きそうな距離で須藤雷也という人物を見て、はっきりわかった。



もしかしたらとは思っていたけど、やっぱり。


この男は、人間じゃない。



禍々しい気配が嗅覚と結びつき、腐臭を錯覚させる。

吐き気を堪える、顔を背けて口に手を当てた。


須藤さんはわたしの様子を気にも留めず口を開く。



「朔ちゃんのお母さんが舞台に上がるかどうかは、朔ちゃん次第なんだよ?」


「……やめて、……それだけは……」


「うん。じゃあなおさら余計なことはなしでいこうか」



須藤さんが一歩後ろへと足を引く。

少し距離ができただけで腐臭は消えた。


呼吸がしやすくなるにつれて、無力感が押し寄せてくる。


わたしは結局、誰の助けにもなれない。



「……あなたの目から見て、……義父は、母のことを愛していると思いますか?」



唐突な質問に、須藤さんはきょとんと首を傾げた。腕を組み斜め上に視線を向けて、考える仕草をしてみせる。



「そりゃあ……、ねえ? 周囲の反対を押し切って、奥園の籍に迎え入れるなんて、愛情なしに普通はできないことだからねえ」



うんうん唸りながら紡がれた言葉に体の力が抜けていく。

頭の血が下がり、くらくらと眩暈がした。



「……義父は……、普通の人、ですか?」



問いかけはしたけれど、わたしの中で既に答えは出ていた。


普通に生きている人が、皇や赤兎班の敵にはならない。

普通の人は、外つ国の者を秘密裏に国内へ招き入れたりしない。


須藤さんは愉快に笑う。

声量こそ大きくはなかったが、人のいない廊下に彼の笑い声はよく響いた。



「今夜も楽しみだね」



わたしの質問に答えを返すことなく、彼は廊下の奥へと消えた。






    *





「ねえ、クレープって知ってる?」


「何かしら? 不思議な響きの言葉ね」


「最近外から入ってきたお菓子みたい。甘くて美味しいって、留美香さんが言っていたわ。外つ国の甘味を扱うお店が学校の裏門近くにできたらしいから、今日の放課後、行ってみない?」


「いいわね。楽しみだわ!」


「何それ? わたしも行きたい!」



昼休みになって教室へ戻ったものの、すぐに後悔した。昼食のために食堂へ行った生徒も多いが、教室が無人になることはない。

人の会話が嫌でも耳に入る。仲の良い友人たちで交わされる明るいおしゃべりに、自分の陰鬱さが際立った。


気持ち悪い。

周囲に意識を向けると、過剰な情報が苦痛と一緒にもたらされる。

席に座ってうずくまり、腹部のもやもやした不快感にじっと耐えた。


食事は食べられる気がしない。

席から一歩も動かずに、時間が過ぎるのをひたすら待つ。

昼休みや授業合間の休み時間、誰かに嫌味のようなことを言われた気がする。それどころじゃなくて、内容は全く頭に入ってこなかった。





やっとのことで迎えた放課後。いつも通り学校の裏側へと向かう。


花歩さんは見つかったのだろうか。

結局わたしは、母と連絡ができなかった。


須藤さんは夜が楽しみだと言っていた。

今晩、また襲撃があるかもしれない。



……わたしは、赤兎班に危険を伝えるべきなのか……。



色々なことを考えていると、すぐに裏門まで到着してしまった。

学校の敷地を出て、道路脇に停車している迎えの車に近づく。


運転席には篤志さんが乗っていた。

車の中に彼の相方である啓斗さんがいない。疑問に感じながらも、密かに胸を撫で下ろす。

また朝みたいに責められることはない。そう思うと、少しだけ気が楽になった。



「おかえり。お疲れ様」



後部座席に乗り込むと篤志さんは車を発進させた。

今日も、篤志さんは変わらず眩しい。不調の体に強い光はきつくて、頭がずきずきと痛んだ。



「……あの、花歩さんは……?」


「うん。まだ見つかってないよ」



淡々と告げられた事実に、胸が苦しくなる。

どうか無事でいてほしい。


赤兎班も大変なんだ。

いつも明るい篤志さんすらも、眩しい光の中に焦りの感情が垣間見られた。


彼らが忙しくしている最中に、わたしは普段の日常を送っている。具体的に何かを言われたわけではないけれど、責められている気がして居心地が悪かった。



「……啓斗さんは、捜索へ行かれているのでしょうか?」



沈黙に耐えきれなくなって、当たり前のことを聞いてしまった。

篤志さんと後方確認用の鏡越しに目が合った。

そうだよ、と。当然の返答を予想していたわたしに、篤志さんは思いもよらない言葉を返した。



「啓斗なら後ろにいるよ」



まさか一緒に来ていたなんて。でも、だとしたらどこに?


この車は二列席だ。わたしの座る後部座席の後ろは物が置ける空間が少しあるだけで、人が乗れる場所はない。


もしかして後続の車に乗っているのかと、後方の窓を覗いた。

後ろを走る車は引っ越し用の貨物自動車で、赤兎班とは全く関係がなさそうに見える。

後ろという言葉の意味が掴めずにいるわたしに、信号で車を停止させた篤志さんが振り返って口の両端を吊り上げる。


そして自然な口調で、さも当然とばかりに彼は告げた。



「後ろの、荷室の中だよ」



数秒間、思考が停止する。

言われたことを理解するのに時間がかかった。



「……後続車の、荷台ということですか?」


「違うって、あいつはこの車に乗せてるよ。朔ちゃん、わかっていて聞いてるでしょ」



……わかる、はずがない。


信号が青に変わる。混乱するわたしに構わず、篤志さんは車の速度を上げた。



「ちょっとうるさかったから、黙らせて詰め込んである。置いて来るわけにもいかなかったからね」



帰り道の、いつも右折する交差点を車は直進する。



「班長も余計な入れ知恵をしてくれる」


「……どうして」



頭の中で情報が氾濫を起こしている。

ひどく動揺してしまい、どこから処理していいのか判断ができない。


この車はどこへ向かっているのか。

啓斗さんは大丈夫なのか。

篤志さんは花歩さんの居場所を知っているの?


これは誰の指示で……篤志さんは、何をしようとしているの——?


逃げなきゃいけない。でも、どこに?



「朔ちゃんは、どうして赤兎班の班員が二人一組で行動しているか知ってるかい?」



話しかけてくる篤志さんは、あくまでも自然体だった。それがまた、不気味さに拍車をかける。



「互いに監視し合うためだよ」



わたしの答えを待たず、彼は喋り続けた。



「どちらかが狂って赤兎に牙を剥いた時に、もう一方が責任をもって始末する。いつその時が来てもいいように、俺たちは本部の建物以外での単独行動は許されていない」


「……でも、それだと雪根さんは……」



明将さんと雪根さんがわたしの学校の送迎を担当していたころ、雪根さん一人で迎えに来てくれたことがある。

彼らは確かに二人組で動いている。だけど常に二人一緒というわけではなかった。



「ああ、雪根律ね」



篤志さんの声が心なしか低くなる。



「あいつは班に来て日が浅いってのもあるけど、やっぱり特殊なんだろうね。なぜか班長も、あいつのことは贔屓している」



にしてもさあ、と。彼は立て続けに投げつける。



「俺たちの事情を知らないで、自分だけが不幸だと言わんばかりの顔でいられたら、そりゃ誰だって腹が立つよ」



背中を丸めて俯いた。わたしには反論の余地がない。



「君みたいなのを守るために命を懸けていると思うと、やりきれないよね」



そう思わない? 同意を求められ、ますます身が縮こまる。



……すみません……と。蚊の鳴くような声で言うと、篤志さんは盛大なため息を吐き出した。



「ほんっと、使命感に縛り付けられた挙句に自由を奪われてまで、俺たちは何を守ってんだか」



丁字路の行き止まりの先は海だった。

信号を左折し、海岸に沿ってうねる道を車は進む。



「君は日の元について、何も知らない」



顔を上げて、ちらりと篤志さんを盗み見る。

まっすぐ正面を見据える彼はとても眩しく、斜め後ろから見た横顔は、決意に満ち溢れていた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ