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9.華闇の御社(中)





学校生活は相変わらずで、誰かと話すことなく一日の課程が終了する。


赤兎の本部で暮らすようになって、留美香に気に入られたい生徒からの、明らかな悪意を察する機会は以前より増えた。しかし今のところ遠巻きに観察されるぐらいで、直接的な被害はない。


留美香は教師や生徒に関わらず、校内で大きな影響力を持つ。そんな彼女が疎んじているわたしに絡んでくる人はそういない。

彼女がわたしに興味がないという態度に徹しているからこそ、周囲もそれに倣う形で平穏が保たれている。


ひとたび留美香がわたしにあからさまな敵意を向けようものなら均衡は一気に崩れる。

そうならないためにも、学校ではできるだけ彼女の視界に入らず、息を殺して大人しく過ごすように心がけた。






    *






篤志さんと顔を合わせて以降、雪根さんの宣言した通り赤兎本部は次第に人が増えていった。


正確な人数は把握しきれていないけど、皐月も半ばになるとおよそ二十人くらいの班員が本部で寝泊まりするようになった。

いつかの静けさが嘘みたいに建物は人の気配で溢れている。


彼らはあらかじめ経緯を知らされていたらしく、本部に部外者のわたしが暮らしていても特に騒ぎにはならなかった。

とはいえ赤兎班の皆がわたしに友好的かと問われたら決してそんなはずもなく、多くの班員は奥園礼司の義娘であるわたしに警戒している。


そんな人たちを目の当たりにし、わたしに気さくに話しかけて来る篤志さんが少数派なのはよくわかった。


さらに言えば、わたしの送迎や世話を宮城さんから言い渡されている明将さんと雪根さんはもっと特殊だ。

二人とも、警戒心や嫌悪感をどこかに落っことしてしまったのかとこちらが不安になるぐらいに、わたしに対しての当たりが優しい。

本心を隠すのが上手いのか、ただのお人好しなのかは判別がつかない。


宮城さんの采配で見張り役が明将さんと雪根さんにしてもらえたことは、精神的にとてもありがたかった。



赤兎の本部に班員が戻り、廊下や玄関口で誰かとすれ違う機会が格段に増えた。

突き刺さる視線と、わたしの存在にぴりつく赤兎班の人たちを避けて、ここに来た当初以上にわたしは部屋に籠るようになった。



花歩さんは本部に滞在する人が増えたことによって、とても忙しそうだ。ご飯のお礼も、最近はちゃんと言えてない。


多くの班員が戻り、赤兎班と奥園の関係に変化があるのかと思いきや、表面上は別段大きな衝突もなく。

不気味なまでに静かな日々をわたしは繰り返していた。




そんなある日の夜。

食が終わり、ひとり部屋で窓の外を眺めていた時だった。


空気に微細な振動が混ざっている気がして、不意に周囲を見渡した。

建物の周辺を注意深く探っていると、本部から少し離れた場所で黒い水滴が落ちた。


遠くの情報が視覚に変換されて脳へと伝わる。

水滴は波紋を作り、空気を揺らしながら広がっていく。円を描く波がゆっくりと静まる途中で、中心部にぽっかりと黒い穴が開いた。


気配に既視感と、強烈な危機感が芽生える。

波紋の中心の先は、おそらく闇の世界と繋がっている。


緊張しながら意識を集中させた。幸いにも黒色の小さな穴はすぐに消えたみたい。

闇の世界の誰かが塞いでくれたに違いない。


よかった。

膝から力が抜けて、寝台に座り込んだ。


肺の空気を限界まで吐き出す。

脱力して目を閉じると、脳裏に黒い小さな靄が慌てふためいている姿が再生された。



「……あっ」



改めて立ち上がり、穴の空いた方角へと意識を研ぎ澄ませる。


真っ黒な空洞はもうない。

だけど穴が空いた場所の近くに、微かに影が取り残されていた。


闇の迷い子だ。


一気に顔から血の気が引いた。

どうしよう。ユウたちからも、危険は冒すなと釘を刺されている。

赤兎班の人たちも、わたしが勝手に外に出ることは許してくれないだろう。


でも……。


強く探りを入れるほど、闇の子の困惑と焦りが伝わってくる。

また妖が闇の子に気付いて襲うかもしれない。

妖の危機を免れたとしても、朝になれば闇の子は太陽の光に耐えきれず消滅してしまう。


あの子には時間がない。

知ってしまって、見過ごすなんてできない。




いてもたってもいられず部屋を出た。

駆け足で階段をくだって、二階にある明将さんの部屋へと走る。

無断で外へは行けない。彼に相談して、無理なら諦めよう。


教えてもらった明将さんの部屋の前。

扉を軽く叩こうとして、直前で手を止めた。

中は空っぽで動く人の気配がない。

もう明将さんは寝てしまったかもしれない。だとしたら、起こしてしまうのはためらわれた。



「どうしたの?」



わたしが扉の前で迷っていると、後ろから声がかかった。

階段から雪根さんが上がってきたのだ。

お風呂上がりなのだろう。肩に手ぬぐいをかけた彼の髪は濡れていた。


わたしの立つ位置から用事を察したらしい雪根さんは、柔らかい笑みを浮かべて口を開く。



「アキなら今の時間は談話室にいると思うよ」



よかった。眠ってしまったわけじゃないんだ。

でも、そうよね。夜の就寝までは班員にとって自由にできる貴重な時間だ。こんな時分にわたしがお願いに行くなんて、非常識にも程がある。


闇の子が心配で、彼らの事情を失念していた。



「……朔?」



雪根さんが心配そうに腰をかがめてわたしの顔色を窺ってくる。


どうすればいい。

何と言って説得したら、わたしは闇の子を助けに行ける?



「あのっ……、人と会わないし、喋らないと約束します。だから少しだけ、外に出ては行けませんか。誰にも迷惑は、かけませんから……」



緊張で頭が混乱して、言い訳がましい言葉ばかりを吐き出してしまう。

そんなわたしの話を雪根さんは頷きながら聞いてくれた。



「うん。じゃあまずは、朔がどうして、何をするために外へ行きたいのか、俺に教えてくれる?」



諭されて思い知る。焦りばかりが先走ってしまい、肝心なことを何も伝えられてない。


恥ずかしくなって俯いた。足元に視線をさまよわせながら言葉を探す。


雪根さんは根気強くわたしの言葉を待っていた。



「闇の子が、近くに落ちて……」



人との会話に慣れないわたしが、短時間で説得に都合の良い言い方なんて思いつくはずもない。

聞かれた通りに、望みを伝えることが精一杯だ。



「……助けたいんです」


「うん、偉いね。ちゃんと相談できた」



即座に否定されると思ったのに、褒められるのは想定外だった。

目を丸くしたわたしに、雪根さんははにかむ。



「おいで。アキを引っ張って、宮城さんに外出の許可を貰いに行こう」


「ですが、こんな時間に……」


「時間帯なんて関係ないよ」



あっけらかんと言い放った雪根さんは、そのまま一階へと行ってしまう。わたしも慌てて彼のあとを追いかけた。






談話室は食堂の隣にある。

四十畳くらいの広さで、半分は畳張りに、もう半分は椅子と長机が設置されており、班員の娯楽の場となっていた。



「アキ、ちょっといい」



入り口のすぐ近くで、篤志さんと向かい合って囲碁に興じていた明将さんを、雪根さんが呼び出す。

明将さんが談話室を出て扉が閉まるまでの数秒間。わたしに気づいた篤志さんが笑顔でこちらに手を振ってきたので慌てて会釈した。


雪根さんが経緯を明将さんに説明する。

明将さんは難しい顔をして、途中わたしに厳しい視線を送ってきた。


責めるような表情に気が滅入る。だけど彼にとっては面倒な話だというのに、わたしに対しての叱責はなかった。


これから宮城さんの元へ行くことも、嫌々ながらにそれしかないと明将さんは納得する。



「駄目もとだぞ」


「うん。許可が出なかったら諦める。それでいいかな?」


「はいっ。ありがとうございます!」



まさかお願いを聞いてもらえるなんて思わなかった。

嬉しさと申し訳なさが混ざり合う。胸を圧迫する複雑な感情は、闇の子の気配に意識を向けることで気づかないふりをした。


宮城さんは彼の執務室にいた。


絨毯が敷かれたその部屋には窓がなく、左右の壁は本棚となっていて隙間なく書籍が並ぶ。天井に吊るされた白い四つの照明が室内を明るく照らす。

部屋に入ったすぐ近く、二人がけのソファが低い机越しに対面した空間のさらに奥。重厚な木製の机には書類が散乱し、それを宮城さんと穂高さん、そして柊さんが囲んでいた。


彼らはまだ仕事中だった。

部屋を訪ねてすぐ、扉の隙間から見えた室内の様子に雪根さんは外で待機するようわたしに告げた。

部屋の中へは明将さんがひとりで入り、しばらくして宮城さんを伴って出てきた。



「駄目に決まってんだろ。今何時だと思ってんだ」



わたしを見るなり開口一番、宮城さんが言い切った。

ほらな、と言いたげな明将さんの視線が痛い。


雪根さんと明将さんまで動いてくれて、ここまで来れたのに。諦めきれず重い沈黙の中、なんとかこの人を説得できないかと考える。


そんなわたしを見下ろす宮城さんが、心底面倒臭いと言わんばかりに深いため息をついた。



「……まあ、自分から言いに来た点だけは評価してやるか」



顎の下に手を置いて、宮城さんが考え込む。



「行ってこい。そいつらが同行するなら許可してやる」


「いいんですか!?」



意外だった。

こんなにあっさり許しが出るなんて。



「ああ。だが間違っても深淵の破片はうちに持ち込むな。然るべき方法で向こうに返せ」


「それは、どういう」



宮城さんの言う深淵の破片は、きっと闇の子を指している。

だけど、然るべき方法って……?



「宮城さん、それは」



口を挟もうとした雪根さんを、宮城さんが片手をあげて制した。



「華闇には俺から一報入れておく。日が登る前に御社(おやしろ)へ運べばいい」


「御社、ですか?」



御社とは、日の元の守護神を祀り、神様と人の心をつなぐための場所だ。

闇の子を連れて行って、どうやってあちらの世界へ戻せるのだろう。



「とにかく行ってこい。あとのことはそいつらに聞けばいい。うかうかしてるとすぐに夜が明けるぞ」


「はいっ」



宮城さんの言う通り、考えるのは後だ。

妖に見つかる前に闇の子を保護しないと。


今度こそ、絶対に助ける。







道を照らす街灯も消され、皆が家の中で眠りにつこうとしている時間帯。

できるだけ音を立てないよう慎重に人気のない道を、闇の子の気配を頼りに早足で進んだ。

先頭を行くわたしの後ろに、明将さんと雪根さんが続く。


あちらの世界から様子を窺っている誰かの、物言いたげな空気が非常に気まずい。後で怒られるのは覚悟しているので、ひとまず今は知らぬふりで通すことにする。


宮城さんの許可は取った。二人も同行してくれている。だからわたしの心配はいらないと、道中は心の中で気休めにもならない言い訳を繰り返した。


ほどなくして、赤兎の本部からそう遠くない場所にある、住宅地の中にぽっかりと開いた空き地にたどり着いた。

道と空き地の境目には簡易な柵が置かれ、中央に集合住宅の建設を知らせる看板が立てかけられていた。


柵と柵の隙間を探して敷地へと踏み入る。

仮設事務所の前を通り、小さな気配を探った。


空き地には工事のための重機や、建築資材がそこかしこに積まれ、死角が多い。突然地上に落とされた闇の子が身を隠すにはちょうどよかったのだろう。


積まれた鉄筋や金属棒を避けながら、奥へと進んでいく。



「足元を照らさなくて大丈夫?」


「平気です。それに光があったら、あの子が怖がって出てこれないので」



気を遣ってくれた雪根さんには悪いけど、闇の子にとっては少しの光でも凶器になり得てしまう。



「物音にも気をつけないと。あちらの世界には、空気の振動がなくてっ——!?」



小声で二人に説明する最中、鈍い金属音が空き地に響く。

驚いて振り返ると、明将さんの足元にブリキの桶が倒れて転がっていた。

言ったそばから蹴飛ばしたな。



「あ、わり」



全く悪びれない謝罪だった。別にいいけど。








気を取り直して闇の子の気配を強く感じる、資材置き場を目指す。

わたしもつまずかないように、より一層足元に注意を払った。



「よくこんな場所ですたすたと歩けるな」


「どこに何があるのか、位置はだいたいわかりますから」


「すごいね。はっきりと見えてるってことなの?」



雪根さんの問いに、少しだけ考え込む。

わたしは人より夜目がきくほうだけど、ここまで暗い場所ではさすがに視覚だけには頼れない。どちらかというと、闇の世界で使用される感覚の方が重宝していた。



「わたしもよくわかってませんが、視覚などの五感は使ってないと思います。気配を頭で直接認識しているみたいな……そんな感じです」



口で説明するのが難しい。現代の技術で例えると、超音波を使って物体を感知する反響探索が近いかもしれない。

普段は凪いでいる空気が、障害物に当たることによって波紋を作る。その振動を感知して琴線に触れたものを判別する。



「妖の気配もわかるのか」


「意思疎通はできませんが、一応あれの気配も探れます。本能に忠実に動く、生命力の塊なので」



幸いにも、その妖の気配は近くにない。



「すごい、けど……。それはつまり、人より世界の変化に敏感ってことだよね」


「確かに。便利に思えて、生きづらそうな能力だな」



雪根さんと明将さんの指摘は正しい。

異変を感じられたとしても、それを証明する術を持たなければ、怪異はないものと同じだ。

二人のように特殊な力を持つ人ならともかく、世間一般からしたらわたしはおかしな人間でしかない。


でも、おかしいからこそ。

わたしは闇の世界のみんなと、一緒にいられる。



「……おそらく、この力はもうすぐなくなり、わたしも普通の人と同じになります」



それは決して、素直に喜べることじゃない。



闇の子は空き地の端に積まれた木材の隙間に、身を縮めて潜んでいた。

驚かせないようにゆっくりと近づき、しゃがんで小さな暗闇の穴を覗き込む。



「遅くなってごめんね。もう大丈夫だから」



よほど心細かったのか。

わたしの周囲に揺らぐあちら側の気配を察知した闇の子は、一目散に隙間から這い出てきた。


両手でお椀の形を作った手の上に、闇の子がぽとりと落ちた。

掌に収まる大きさの、耳が小さくて尻尾の長い鼠の影を指で撫でる。わたしの手の中でぐるぐると動き回っていたその子が落ち着いたところを見計らい、持参した布で緩く包んだ。


立ち上がり、こちらを見守っていた二人へと向き直る。


妖たちが闇の子に気付かぬうちに、すぐにその場を後にした。




本来ならばこの子をわたしの寝る部屋まで連れて帰る。

わたしの精神と闇の世界をユウたちの力で繋いでもらって道を作り、あちらへ戻すのがいつものやり方だ。


宮城さんは闇の子を赤兎の本部へ入れず、夜のうちに御社へ運べと言っていた。


御社は日の元を守護する八百万(やおよろず)の神を祀る場所。

そこへ行って、何があるというのだろう。



「どうして宮城さんは、御社へと」


「そいつが華闇の管轄だからだろう」



明将さんの答えは端的すぎて、納得するにはわたしに知識が足りない。



「……華闇?」



そういえば、深夜の川の近くで初めて二人に会った時も、雪根さんがその言葉を言っていた気がする。


記憶を掘り起こしながら斜め前を歩く雪根さんを窺うと、彼は困ったように苦笑して小さく頷いた。



華闇とは皇、鳳と並んで日の元を支える三つの柱のひとつである。


皇は政治。鳳は治安。

そして華闇は信仰を、それぞれ任されている。


神事を取り仕切り、民に神の意思を伝える。日の元のあらゆる場所に点在する御社の管理も華闇の役目だ。


そんな場所にこの子を連れて行って、本当に大丈夫なのだろうか。

問答無用で祓われるなんてことはない、と信じたい。



「本当に触っても壊れないんだな」



わたしが大事に抱える布の包みを見ながら、明将さんが感心した声を上げた。



「壊れるって、物じゃないんですよ」



もぞもぞと闇の子が動いている感触が布越しに伝わってくる。実体はなくてもこの子にだって意思はあるし、ちゃんと生きている。



「地上の生物ではないだろう。布で隔てたとしても、普通は人が触れただけで、そいつはすぐに蒸発して消えてしまう」


「それは確かにそうですが」


「そういうものは、華闇が受け持つ。宮城さんが言ったんだ。悪いようにはしないだろう」


「……非常に不安です」



ついこぼれてしまった本音に、雪根さんがくっと声を押し殺して笑った。



「あの人は、ちょっとわかりにくいから……」



肩を震わせながら弁護してくるけど、全く説得力がない。



「心配ないよ。深淵に在るものを、華闇が無碍に扱うなんてあり得ない」



深淵。また、その言葉だ。



「……深淵、というのは、闇の世界のことを示してますよね。そんな正式名称があるなんて、知りませんでした」



世界に名前が付いているぐらいだ。一部の日の元の民に、ユウたちのいる世界は認知されているのだろう。


それもおそらく……、ずっと昔から。



「むしろ何も知らずに、それも個人的に深淵と親交を深めているお前が特殊すぎるんだ。一体どんな縁を結べばこんな繋がりができるんだよ」



どんな縁と言われても……。確かにみんなとの出会いは、不幸中の幸いとも言える奇跡に近い出来事だった。



話しながら歩いていると住宅地を抜けた。


道を挟んだ先には田畑が広がる。

見晴らしのいい広々とした景色の一部に、木々が生い茂った小高い山があった。


あの山の頂に、御社がある。







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