94 教会でのきせき
「まあ! でも、今は元気よね。どうしてかしら?」
マリアおば様が目をみはって聞くと。
「「キクの花を食べるようになってから身体が動くようになりました」」
こげ茶色の髪と瞳をしたトッツオさんと、茶色の髪と瞳をしたマリオンさん。
その二人が声を揃えた言葉に、私もみんなも驚いた。
この教会に咲く菊の花は女神様の花。
効能は、解毒・鎮痛・解熱・消炎作用があるけれど、魔術の毒にも効いたということか。
「まあ! キクの花の解毒作用って、魔術にも効くのね!!」
マリアおば様は女神様の花だということを知っている。すぐに理解して感嘆の声をあげた。
「「すごいな……」」
ディークひいおじい様もリンクさんも思わず呟いていた。
一般の薬草で魔術の毒を消し去ることは不可能だ。
分かりやすくいうと、幽霊にモノを投げつけるのと同じことだ。全く意味がない。
魔術の毒には、かけた本人よりも強い魔力を持つ者が、かけられた魔術を無毒化することができるのだと教えてもらった。
魔術には魔術で。これが基本だ。
実は、マリオンさん達は優秀な治癒師がいると言われていた教会をあちこち転々としていたらしい。
しかし、ふたりにかけられた魔術の毒は強力で、誰も治すことが出来ず見放されて、あちこちの教会をたらいまわしにされていたそうだ。
ふたりとも治る見込みがないと絶望していたのだそうだ。
―――それが、いまこうして元気になっている。
女神様の花の効能は本当にすごいのだと、改めて認識した。
菊の花が魔術の毒も解毒できるとは知らなかった。
「すごい効能ですよね!! 私はずっとこの二人の状態を知っていたので、どんどん良くなるのが目に見えて嬉しくって」
デイン商会のカインさんはレント司祭に頼まれて、他の教会から『面倒を見ることが出来ない』と、放り出されそうになったトッツオさんとマリオンさんをこの教会へ運んだとのことだった。
だからこそ、ふたりのことが気になって様子をよく見に来ていたそうだ。
その後一向に良くならないふたりが、菊の花のおかげでこうして元気になったことが嬉しくてしょうがないとうれし涙を流しながら話していた。
すると、ディークひいおじい様が二人が魔術によって体を侵されていたことを聞いて、診察を申し出た。
バーティア家は血筋的に『治癒』を持っているので、ディークひいおじい様もその能力をもれなく持っているのだ。
「少し診させてもらえるか?」
ディークひいおじい様が問うと、『もちろんです』という答えが返ってきた。
「じゃあ、リンクとセルト。手を貸してくれ。二人の鑑定の力を合わせて魔術の痕跡があるか調べる」
「そんなことできるんだ。いいよ」
「もちろんでございます。大旦那様」
ディークひいおじい様の指示でマリオンさんの右肩にリンクさん、左肩にセルトさんが手を置いて、ふたり同時に『鑑定』と呟く。
そして、ディークひいおじい様がなんらかの魔術陣を発動させた。
するとマリオンさんの頭の上に白く輝く魔術陣が現れ、ゆっくりと頭から下へと魔術陣が降りていき、―――やがてすうっと消えていった。
「何をされたのですか? おじい様」
ローズ母様が聞くと。
「魔術の攻撃で性質の悪いものは、長期間身体の内側に影響を残す。もしくは死ぬまで残るものもある。彼の中に魔術の悪しきものが残っているかどうか調べたのだ。だが、おそらくはキクの花の『解毒』作用で浄化されたのだろう。きれいに魔術は消えていた」
もう一人のトッツオさんも同様の結果だった。
「やっぱり、キクの花はすごいですね!!」
「「嬉しいです!!」」
カイルさんが感嘆し、トッツオさんとマリオンさんも、診察の結果、魔術が消え去ってすっかり良くなったと太鼓判を押され、本当に嬉しそうだった。
男性でもう一人教会に身を寄せている老人も、ひいおじい様の診察を受けた。
老人はトムさんといい、何十年も前にジェンド国から移住してきた人だ。
診察によると、幼いころからの微量な毒の摂取の積み重ねで、毒素が内臓に溜まっていたのだそうだ。
それを聞くと、トムさんが頷いて話し出した。
トムさんは生国のジェンド国の中でも貧しい村に生まれ、物心がついた小さな頃から青年になってアースクリス国へ移住を決めるまで、ひもじさゆえに微量だが毒のある植物を、そうと分かっていながら口にして飢えをしのいでいたという。
それだけ貧しかったのだ。
その植物を長年に渡って食していた為に、毒素が身体の内側に溜まっていて、年を取り身体が弱ってきた時、それが病気として表に出たとのことだった。
トムさんも菊の花のおかげで身体の毒素が中和されてラクになり、高齢ゆえに無理は出来ないけれど、菊の花をほぐす軽作業が出来るまでに回復したとのことだ。
男性たちは菊の花の料理を食べ始めた日から体調に変化があった、と話した。
「2年もろくに動かなかった身体が、キクの花のスープや料理を食べる度に、身体の内側から黒いモノが剥がれ落ちていく感じがしたんです」
「ええ、僕もです。それまでどうやっても力が抜けていって動かせなかったんですが、キクの花を食してから、自分の意思で身体に力が入るようになったんです」
「それは、自分ひとりではなくて、症状が違うほかの人たちも同様に、キクの花を口にした日を境に回復していったんです」
「僕たちは奇跡を、この身で体験しました」
トッツオさんの言葉にマリオンさんとトムさんも何度も深く頷いた。
「三日もすると、元通りに身体が動くようになったんです。2年も動かなかった身体が、たった三日で。―――そして、マリオンやトムおじいさんと一緒にキクの花の摘み取りの手伝いを初めてした時のことです。―――僕はあの日のことを絶対に忘れません」
トッツオさんは、自らの意思で動かせるようになった両手を見ながら話す。
「森に入って、手や体、足など、キクの花に触れた場所から、身体が軽くなって重苦しかったものが消えていったんです」
これは、症状が重かったマリオンさんもそれを体験した。
菊の花の料理を食べて体調が回復し、さらに自生しているキクの花に触れると急激にラクになった。
寝たきりで、食事も下の世話もすべてしてもらっていたトッツオさんとマリオンさん。
生きていることすら辛くて、命を絶ちたくとも、それすら出来なかった。
絶望の中にずっとずっといたのだ。
それが、あの日を境に劇的に変わった。
初めて菊の花を口にしてから一週間もすると、完全に健康を取り戻していた。
女神様の教会のほとりに咲くキクの花。
食することもできて、薬になる。
それは、食べて劇的に改善したことも、触れると悪いものが消えて行くような感覚も。
―――己の身をもって知った。
他の植物ではありえない、花を摘んでも翌日にはまた満開の花を咲かせる―――
「―――これが、女神様の御業でなくてなんであろうか、と思いました」
トッツオさんの言葉に、マリオンさんもトムおじいさんも頷いた。
「その後、大神殿の神官長様や神官様方が訪れ、キクの花に敬意を表しながらキクの花の株を採取していく姿を見て、キクの花が女神様の花であることを私たちは確信しました」
三人は菊の花が咲く森を見ながら、敬意を込めて深々と頭を下げた。
彼らは、遠い戦地で戦う同胞たちの為と、病気に苦しむ人たちの為に菊の花の加工品づくりと普及に力を入れているとのことだった。
◇◇◇
私たちは加工品づくりを見た後、礼拝堂の中に戻った。
お昼が近いためか、参拝者はもう誰も礼拝堂にいなかったので私たちだけだ。
「リンク、セルト。さっきは助かった。私だけでは鑑定しきれなかったからな」
「……ああ。あれ、過去の魔術を鑑定したんだよな」
「私の力で過去の身体への影響を視られたのですね」
すごい。ディークひいおじい様、過去に使われた魔術もみることができるんだ。
「リンクはモノ。セルトはヒトを鑑定できるからな。リンクの力で、使われた魔術を。セルトの力で身体への影響を視た―――あれは闇の魔術師の禁術だった」
「……視たものを魔術で共有してたから、おれにも分かった。アンベールはなんてものを飼ってるんだ」
リンクさんは顔をしかめてため息をついた。
「正確には『居た』という過去形だ。禁術によって彼らの生命力は魔術師につながって吸い取られて行っていたが、糸は完全に切れていたし、繋がっていた先は消滅していた」
なんと。人の生命力を奪い取る。そんな傍若無人な魔術があるのか。
「禁術はとてつもなく強力だ。人の命を魔術の媒介にするゆえに、本来の数百倍以上の強さをもつ魔術だ。それは、術者が死ななければ基本的に解くことは出来ない。―――レント前神官長が『治癒』を施せなかったのが分かるな」
神官長の位にいたほどの強い魔力を持つ人が、手を出せない程の禁術による強力な魔術。
「過去形とおっしゃいましたが―――アンベール国の闇の魔術師は死んだのですか?」
セルトさんがディークひいおじい様に聞いた。
「それが、さっきの鑑定で確信できた」
「『確信した』とは、もしや以前にどなたかから聞いていらっしゃったということでしょうか?」
セルトさんがいつもと違って続けざまにディークひいおじい様に問いかける。何故かどこかに必死さが見えた。
「ひと月ほど前に、クリステーア公爵からな。闇の魔術師は10数年前からアンベール国に巣くっていたらしい。その魔術師が数年前に暗殺者として砦に現れて、クリステーア公爵が対峙したそうだ。―――詳しくは話せぬが、その闇の魔術師は数か月前に死んだと」
「闇の魔術師が死んだ、と。そうクリステーア公爵様がおっしゃったのですね」
「闇の魔術師は、人の命を使って強力な術を駆使する。戦場で使われたのは、禁術だ。命を狩る術だな。あの二人は即座に命を取られなかったが、術で縛られ生命力を奪われ続けていたから身体を動かすことも出来なかったのだろうな。とことん相手を絶望の淵に追い込む、悪趣味な魔術だ。―――だが、闇の魔術を切り裂くのは光だ。女神様の光を内包したキクの花によって彼らはその鎖を断ち切ることが出来たのだろう」
「―――すごいな……」
「女神様のキクの花って、すごいですわね……」
それまで静かに話を聞いていたローズ母様がポツリと言った。
食べることが出来て薬になる。それだけではなく、強力な魔術も消してくれる。
「クリステーア公爵が闇の魔術師の最期を見たそうだ。魔術師はいなくなったが、魔術師が生前に行使した魔術の弊害は残るはずだが―――それを、女神様の花が浄化してくれたのだろう」
そう言うと、ディークひいおじい様はセルトさんを見た。
「開戦後、不審な戦死者はアンベール国側で確認されていたからな。闇の魔術師がいなくなったことは、セルト、お前にとっても朗報だ」
「はい。貴重な情報ありがとうございます」
「今朝、クリステーア公爵から書簡が届いていた。『鑑定』を持ち、アンベール国に行くお前に直々に頼みたいことがあるそうだ。次にアーシェラが登城する時は一緒に行ってこい」
王城へはクリスウィン公爵領に行った後、バーティア領に戻る前にもう一度登城する約束をしていたのだった。
セルトさんがその言葉に驚いたように目を瞠った後、深々と頭を下げた。
「承知致しました」
私は教会の長椅子に座っていたので、頭を下げたセルトさんの顔が見えた。
どことなく安堵しているような表情はなぜだろう?
―――今日教会に来ることが出来てよかった。
菊の花は食用としても薬用としても優秀なので、みんなを飢えや病気からも救ってくれていた。
大人も子どもも、みんなが瞳を輝かせて前向きになっていた。
数ヶ月前はいろんな理不尽な事に必死に堪えていたけれど。
ちゃんと食事がとれて。
ここにいてもいいという安堵感。
そして、誰にも罵倒されることのない日々はどんなに安心感をくれるだろうか。
今日はこの教会に、菊の花の活用方法の模範例にして広めるために、神殿や王宮の担当者が来ていて、そこにデイン商会やドレンさんの薬師の店の人も加わり、レント司祭様も忙しいようだった。
マリオンさんやトッツオさんはデイン商会に入って、各地の教会に咲くキクの花の普及に努めるのだそうだ。キクの花の普及に、これ以上はない人選だろう。
これからは、アースクリス国各地で、サラさんやサラサさん達のような女性や子供たちがたくさん救われるだろう。
そして、マリオンさん達のような人たちも、元気にしてくれることだろう。
菊の花をみんなに与えてくれた女神様。
本当にありがとう!!
お読みいただきありがとうございます。




