85 裁きのひかり
アーシェラの父、アーシュさん視点です。
二つの結界が完全に消えると、光の雨が消えて行った。
しかし、森全体が光の雨で浄化されたかのように、足元の植物や一本一本の木々が、光を纏っているかのような輝きが見えた。
この森や崖は数百もの命を受け止め、闇の魔術の影響を受けていたのだ。
それが、圧倒的な浄化の光によって癒され、まるで森全体が歓喜の声を上げているかのように輝いていた。
―――その時、そこに、もうひとつの声が割り込んだ。
「なんだこれは!! 私の結界が消えただと!!??」
どうやら、結界に異常があったことに気が付き、転移の魔術陣で戻ってきたのだろう。
闇の魔術師が驚愕の表情を浮かべ、父の斜め後ろに立っていた。
大声にゆっくりと父が振り返り、闇の魔術師の姿を見ると。
『―――おや。お前は、あの時の魔術師か』
浅黒い肌の魔術師が、父を見てぎくりとした。
そして、光の魔力で焼かれたという顔の傷痕に手をやり、一歩後退した。
『そうか―――お前だったか。我が息子をこの森に閉じ込めていたのは。―――そうと知っていたらあの時逃がすのではなかったな』
父が不敵に笑んだ。どうやら、2年ほど前に闇の魔術師に深手を負わせたのは父だったようだ。
ふと、父の瞳が何かを視るように眇められた。
『お前―――なんだ? 魂と肉体に齟齬があるぞ』
父も、魔術師の本来の年齢と肉体との違和感に気づいたようだ。
―――クリステーア公爵家の瞳は、『真実』が視えるのだ。
「戦場で得た命を使った禁術で体を若返らせたのですよ」
「アーシュさんのお父さんって、そんなことも分かるんですね! すごいです!!」
クロムが素直に感動して父を見る。
「アースクリス国のクリステーア公爵に光の魔力があったとは」
カリマー公爵も、闇の魔術師がアースクリス国の魔術師に光の魔力で傷を負わされたことを知っている。
光の魔力を持つ者は希少だ。現に他の三国には一人も存在していない。
先ほどの父の言葉と闇の魔術師の反応で、そうだったのかと納得していた。メルドも同様だ。
「―――くそ! もう一度封じ込めてやる!!」
魔術師が叫ぶと、次の瞬間、大きな魔術陣が足元に広がった。
魔術師の身には数多の命を禁術に変換した力がまだまだ残っている。
「やべえ! またあの結界をやるつもりだぞ!!」
メルドもカリマー公爵もクロムも青褪めている。
だが、父はまったく焦りもせずに、私に聞いてきた。
『アーシュ。さきほどの光は、おそらくアーシェラの『願い』に、かの御方たちがお応えになったものだ。―――あの子は何と言っていた?』
あの優しく温かい声は、心にはっきりと刻まれて残っている。
私は目を閉じ、手を胸にあてて言葉を紡いだ。
「『無事でありますように。
元気でありますように。
病気やけがをしていませんように。
もししているなら、病気やけがが早く治りますように』
―――そして。
『無事でいても未だ囚われているなら。
どうかその鎖を断ち切ってほしいです』―――と」
私が言った言葉を聞くと、ゆっくりと父が頷いた。
『―――なるほどな。……『鎖を断ち切る』―――であれば』
「―――ぐわああぁぁぁっっ!!」
―――次の瞬間、光の大きな矢が、魔術師を貫いた。
空から落ちた大きな矢は大剣よりも大きく、槍よりも長く、魔術師を貫き、そのまま大地に突き刺さった。
魔術師は光の矢に貫かれたまま、硬直していた。
『―――その魔術師こそが、断ち切られるべき『鎖』だな』
静かに父が魔術師を見て言った。
―――光の矢は正確に魔術師の心臓を射貫いていた。
だが魔術師は即死していない。
光の矢は、人間の使う矢とは違うらしい。
魔術師の身体から、光がひとつ、またひとつはがれていったかと思うと、次の瞬間にはおびただしいまでの数の光が魔術師の身体から飛び出してきた。
あれは―――先ほど結界が消えていった時と同じ光。
禁術によって縛り付けられていた魔術師の中から解放されて、命が、魂が、天に還っていく。
「あいつは幾千の命を自分に使ったって言ってたよな」
メルドがおびただしい数の光が、魔術師から出て天に昇っていくのを見ていた。
「見ろ―――あいつの身体が崩れていく」
光がはがれていくたびに魔術師の身体が崩れていく。
「あいつはたくさんの人たちの命を奪って若返ったんです。その命が抜けていったのですから……おそらく本来のあいつの身体はすでに寿命だったんでしょう」
クロムがそう推測する。
そうだ―――禁術は『禁忌』。
禁忌のものに手を出し使役した分、本来の肉体の寿命が縮まるのだ。
それは世界の理である。
それに―――あれは女神様の裁きの光だ。
決して人では生み出すことの出来ない、圧倒的な力の光の矢が魔術師を貫いた。
―――闇の魔術師は、女神様による裁きを受けたのだ。
「なぜだ……なぜ―――……」
ぼろぼろと崩れて消えていく身体。だが、まだ魔術師は意識を保っていた。
『―――お前は、アンベール国王から聞かなかったのか。女神様の神域を侵すな、穢すなと』
父が静かに言ったその言葉にカリマー公爵がはっとする。
それは、アンベール国の貴族であれば知っているのだ。
この大陸に建国を許された時、たったひとつ、アースクリス国からもたらされた条件。
『この大陸を創った創世の女神様に仇なす行為をしてはならない』
それは、ただの約束事ではない。
絶対に守るべき『誓約』なのだ。
―――信仰がほとんどなくなったこの国では、その誓約が意味するのは、残された女神様の神域を侵すべからず。穢すべからず。
カリマー公爵もメルドも、誓約の話は知っていたが、それによって裁かれた者がいるとは見たことも聞いたこともない。
ゆえに、信憑性がない事柄として認識していた。
闇の魔術師やアンベールの民さえも、迷信だと思っていたもの―――だが、その『誓約』によって制裁が下ったのだ、と父が言った。
「まさか、さっきの魔術陣で神殿跡地の―――」
森のほとりに崩れかけた女神様の神殿がある。
そこが神域であったということか、とカリマー公爵が驚いていた。
教会は人の都合によっていろいろな場所に建設される。
しかし、アースクリス大陸の神殿は、何千年も前、この大陸を創られた際に、創世の女神様が自らが住まうためにお作りになった所であったのだ。
女神様はやがて神の世界に去り、アースクリス大陸は女神様の流れを汲む、アースクリス国の王家に大陸の統治を委ねていた。
―――今や、三国にあった女神様のかつての神殿は崩れ去り、放置され、荒れ果ててしまっていた。
しかし、かつて女神様が好んで滞在されていた場所には女神様の輝かしい絶大な力が色あせることなく残っていた。
その神の力を、闇の魔術師は、こともあろうか命を奪う魔術陣の為に手を出したのだ。
「―――あれで誓約を破ったのか!?」
メルドも叫んだ。
あの時、もう一度結界を組もうとした魔術師は、己を光の魔力で焼いた、父の存在に焦ったのだろう。
すぐに魔術陣を展開する為に、手っ取り早く、この森のすぐ近くに崩れつつも存在していた場所に宿っている『力』を奪って利用しようとした。
―――だが、そこは、かつて女神様の神殿があったところ。
奴は、女神様の神殿の神気を闇の魔術に変換して使おうとし、―――神域に闇の魔術を展開させ、その力を奪い取ろうと手を伸ばした。
それは、まぎれもなく女神様に仇なす行為。
―――ゆえに、闇の魔術師は女神様が放った裁きの矢を受けたのだ。
「バカ…な……」
『お前は女神様の裁きを受けた。―――魂は輪廻を赦されずこのまま消滅する』
父の言葉が魔術師に届くと、魔術師の目が驚愕に見開かれ、絶望が彩った。
「そ…ん…な…………」
この言葉が最後だった。
最後の命の光が離れると同時に、魔術師の身体が崩れて消えていった―――
ばさり、と身にまとっていたローブが地面に落ちた。
『あれだけの命を犠牲にしておいて、輪廻が赦されると思うのか―――愚か者が』
―――父の憤りのこもった言葉が、魔術師の真の終わりを告げた。
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