83 アンベールの森 3
アーシェラの父、アーシュさん視点 その3です。
やっと暗い話が終わりそうです。もう少しお付き合い下さい。
年に一度か二度、アンベール国王はこの森の外れにやってくる。
そして、魔術師と共に私たちの生存確認をするのだ。
この森に閉じ込められてそろそろ3年経とうとしていた頃、アンベール国王が闇の魔術師と共にやってきた。
『アンベール国王さんよ。この頃おっきな戦闘がないよな』
闇の魔術師はこの頃30代の外見をしていた。
外見に伴ってか、言葉遣いも若い。
『お前がアースクリス国王を暗殺すればアースクリス国の人間をいくらでも屠れるだろう』
『ん~? ちょっとこれ見てよ』
魔術師がフードを取ると、顔や首に焼けただれた痕があった。よく見ると右手も同様だ。
それを見てアンベール王が眉をひそめた。
『お前、その傷はどうした?』
『この前、アースクリス国の砦に忍び込んだらさ。光の魔法を使うやつに身体の半分焼かれたんだよ。おかげで死にかけたわ』
―――そのまま死ねばよかったのに。とメルドが呟いた。
『おかげで闇の魔力は今底打ちよ。どっかで魔力を補給させてくれ』
悪びれもせず、魔術師は命の狩りをすると言う。どこまで人の命を己の欲望に使うつもりなのだ。
『先日、内乱が起きた』
『おー。グッドタイミング。そいつらの命をいただくぜ』
『好きにしろ。私の邪魔をする民などいらん』
―――そんな会話を、わざと魔術師はメルドやカリマー公爵に、そして私に聞かせる。
『サマール! やめろ!!』
『陛下! 思いとどまってください!!』
メルドやカリマー公爵が必死に叫ぶも、アンベール国王は冷ややかに一瞥し。
『止めたければ止めてみよ。そこから出られるのならばな』
アンベール国王は、この森から出ることの出来ない私たちをあざ笑うのだ。
アンベール国王はその目に明らかに狂気を宿していた。
国王だというのに。民を魔術師に下げ渡すかのような所業を繰り返す。
国主としても、一人の人間としても最低だ。
何人もの命を、自らが王として守るべき命を、やつはどれだけ自ら投げ捨てたのか。
―――不快だが、今はただ自分たちが生き延びることが大事だ。
この森は広大で、森の出入り付近には強力な、確実に死を招く結界があり、魔力を封じ込められて魔法を使えないが、―――それでも『自然』のものには魔術師の力は及ばなかった。
そもそも強力で広範囲にわたる魔術陣は、重ね合わせることは不可能だ。
だから、やつは人の命を確実に狩る魔術陣に特化した。
魔力のある者の魔力を無力化する魔術陣を森全体に張り巡らせた。
そして、森の麓、森から抜ける場所一帯に命を狩る魔術陣を張り巡らせたのだ。
魔術陣の中で落とした命は、その魔術陣を施した魔術師の魔術の糧とされる。
つまり、帽子にたとえると。帽子の頭(森)部分が魔力を無力化する魔術陣、帽子のつば(森から抜ける場所)部分が命を狩る魔術陣なのだ。
私たちが今いる場所は、魔力を無力化する魔術陣の中だ。
ここにいる私たち四人は魔力持ちだ。
魔術師のクロムと私は強い魔力。そしてメルドやカリマー公爵もそれなりに魔力を持っている。
魔力が使えないのは痛かったが、魔術師の力は魔力を無力化することに特化し、『自然』には及ばなかった。
だから、木の実や自生する食べられる植物、森の生き物を狩って生き延びてきた。
また、森の生き物は結界の境が分かる。森の境で生き物を観察すると、そこに揺らぎがあるのが分かる。
私は、やっかいな魔術陣の為に魔力は使えないが、視ることは出来るのだ。
私はそこで結界の境あたりに印をつけて、そこより先に出ないように皆に知らせた。
食料調達で誤って結界に触れて命を落とさないようにするためだ。
ただ魔力が使えないというのはこたえていた。
魔力を吸われているのではなく、身体という膜の中に押し込められているようだった。
それは私だけではなく、1年ほど前にここに来た魔術師のクロムも同様だった。
「なんだか、気持ち悪いんですよね。魔力が体の中で行き場を無くしているみたいで。身体が重苦しいです」
クロムは黒髪に青い瞳のまだ20代に見える魔術師だ。
彼は、民の内乱を抑える為に国に派遣されたが、民を傷つける魔法は絶対に使えないと上司にたてつき、ここに送られた魔術師だ。
彼のおかげで外の状況が事細かに分かった。
アースクリス国は三国からの攻勢をしのぎ、今では他の三国が飢えに苦しみ、長い戦争、飢え、略奪による不満が爆発して、三国で民が蜂起し、内乱があちこちで勃発しているとのこと。
「とうとう国が内側から瓦解してきてしもうたか……」
カリマー公爵がため息をついた。
「陛下はそれでもまだアースクリス国を落とすのだと言い張っておられました」
魔術師のクロムが告げると。
「サマールは王の器じゃねえ。ただ、先王のたった一人の子供だっただけで王になった能無しの王だ。王なら民のことを一番に考えるのが仕事じゃねえか。それを……!」
メルドがぎりり、と歯がみをする。
「いずれにしても、もう、サマール陛下には王の資格はござらんよ」
もう仕える気はないと、カリマー公爵が紫色の瞳を伏せた。
「こっからどうにかして出ねえとなあ」
「そうですねえ。ここだって食料もそんなにないし」
「ここが軍の演習場で、有事の保存食があったおかげで生き延びられたがな」
メルドのおかげで何とかここで生きてこられた。
もともと軍の演習場だった為に、ここにいる誰よりもメルドはここのことを知っていて、さらに軍の司令官でもあったためにどこに何があるのかをすべて把握していたのだ。
アンベール国王さえ知らない備蓄の場所を知っていたことで、私たちは生きてこられた。
軍のサバイバル術でここにいる皆をずっと支えてくれたのだ。
「クロムの話だと、そうとう国が疲弊しているみたいだな」
「もって、あと2年ほどですかな」
「この冬もおそらくはたくさん餓死者が出ることでしょうね……」
クロムが辛そうに青い瞳を伏せた。
―――クロムの深い青い瞳は、私付きの執事を思い出す。
私より9歳年上の黒髪に青い瞳のセルト。
幼い頃、叔父リヒャルトの手の者に襲われた際に私をかばって瀕死の重傷を負ってしまった彼は、それでもずっと私に仕えてくれた。
18歳から外交官の仕事で外国に出ることの多い私が、たまたま出先で目にした結晶石に青い針状のルチルクオーツ。
それを見た時、私をかばった時のあの眼光の鋭さを、凛とした強さを思い出して、―――セルトにプレゼントしたことを思い出した。
裸石で渡してしまったが、なんせ宝飾品など私は疎いのだ。
セルトはどうしているのか、と思いをはせた。
◇◇◇
「もう少しで5年か……」
闇の魔術師はここで生きている私たちのことを嘲りながらも放置している。
いつでも握りつぶせるのだと嫌な笑みを浮かべているのだ。
奴は人の命を狩ることのできる場が大好きだ。
戦争だけでなく、内乱の場に行き、人を殺め、己の魔力の糧にしているのだろう。
あれだけの命を平然と屠るあいつはもはや人間ではないだろう。
そろそろアンベール国にきて5年になるが、アースクリス国にいる大切な人たちはどうしているだろうか。
―――ローズ。
結婚してわずかふた月ほどで私はここに来てしまった。
―――私がディーク・バーティア前子爵に教えを受けたのは12歳の頃だった。
叔父のリヒャルトに命を狙われ、セルトが大けがをした後、両親の勧めで、両親の魔法学院での師であるディーク・バーティア前子爵のもとで魔力を早く自在に扱えるように、とバーティア子爵邸に預けられた。
そこには、ディーク・バーティア前子爵の孫娘のローズと孫息子のローディンがいた。
ローズは私より5歳年下の7歳、ローディンは5歳だった。
ローズに初めてあった瞬間、雷にうたれたような衝撃を受けた。
透き通るような白い肌に真っすぐな銀糸の髪、きらきらしたアメジストの瞳。
それまで出会った誰よりも可愛かった。
―――つまりは一目ぼれしたのだ。
同時期にデイン伯爵家のホークやリンクも、バーティア子爵家に滞在していた。
ホークとは王都の別邸でよく遊んでいたし、弟のリンクとも仲がよかったので一緒に過ごせることは単純に嬉しかったが。
―――ローズとホークとリンクはいとこゆえに、仲が良い。
それにいとこ同士は結婚が出来るのだ。私はそれに気付いて大いに焦った。
ローズの従兄弟のホークやリンクにとられないようにと、ずっとローズの傍にいてふたりを牽制していたら、ホークにもリンクにも呆れられた。
だが、本気で好きだったのだから仕方ない。
幼なじみという立ち位置から、好きな人として意識してもらえるようになるまでじっくり待った。
社交界デビューも相手役をつとめ、他の誰かがローズの美しさに寄ってきても、常に追い払ってきた。
そして。女性の成人年齢の16歳を待って、ローズに結婚を申し込んだ。
彼女の父親の借金の肩代わりに関しては、ローズと結婚できるなら些末な事だ。
一目ぼれしてから9年間。
『一途だねえ』とホークにからかわれたが、私にとってはローズはたった一人の愛する女性なのだ。
結婚してひと月とちょっと。
ローズの17歳の誕生日を祝ってから、私はアンベール国に来たのだ。
―――まさか、このようなことになるとは思わずに。
それから4年と半年以上が過ぎた。
ローズは今どうしているだろうか?
父も母も。元気でいるだろうか。
みんな、私のことを心配しているだろう。
―――メルドが狩ってきたウサギを処理するために狩猟小屋の外に出た。
中で処理すると小屋の中にニオイがこもってしまうのだ。
見上げると、あいにくの曇り空。
「雨が降りそうだな」
早めに処理しなければ、と小屋の裏手にまわった時だった。
―――森の中に、聞こえるはずのない声が、響いた。
―――『めがみしゃま。かあしゃまやおばあしゃまのために、おとうしゃまをまもってくだしゃい!』
お読みいただきありがとうございます。




