78 祈りはとどいていました
アーネストおじい様視点 その3です。
『―――父上、アーシェラは嫁には出しません』
私と同じ淡い緑色の瞳が不愉快そうに細められた。
「―――来たか、アーシュ。ずいぶんとタイミングがいいな」
さっと、レイチェルの手を握る。こうすればレイチェルにも感応できるのだ。
そのとたん、レイチェルにも目の前に立っている人物が見えて喜色を浮かべた。
「まあ! アーシュ! ずいぶんと今日は顔色がいいわね!」
レイチェルがアーシュの幻影に手を伸ばした。
意識を飛ばしてきているので実体ではないが、無事をこうして確認できるようになったことは、本当にアーシェラに感謝しかない。
アーシェラが秋に王宮に来た日、王妃様に促されてアーシュの無事を女神様に祈った時。
遠いアンベール国で魔術の届かぬ場所に閉じ込められていた、アーシュが囚われていた『檻』ともいえる闇の魔術師の結界が、空から降りそそいだ光によって、外から破壊されたのだ。
闇の魔術師とは、『禁術』―――人の命を魔術に使う、禁じられた魔術を好んで使う魔術師のことだ。
どの時代でも、禁術に心を惹かれる者はいる。
魔術や魔法は、基本的に自分の中の魔力を練り上げて形にするものだ。
魔力が少なくても魔術陣を敷くことが出来れば同様の力を使える。
魔法道具、力の強い結晶石などの『己の魔力を引き上げるモノ』を用いれば、己の負担が少なくて済む。
―――その最たるものが、『生き物の命』なのだ。
命のもつ力は、結晶石や魔法道具を遥かにしのぐ。
そしてその強力な力は、欲に弱い人間の心を誘惑し―――それに手を染めた者は、やがて残虐な行為をもいとわない人間に変り果てる。
ゆえに、生き物の命を魔術の代償にする魔法や魔術は、禁じられ、『禁術』とされてきた。
『禁術』を使う者を、己の心の闇に負けて禁術に手を出した魔術師として、闇の魔術師と呼ばれている。
どの国にも『禁術』に手を出す魔術師は少なからず存在する。
だからこそ、『禁術』を行ったと確認されるたびに、その国は闇の魔術師を探し出してその存在を『消去』してきた。
だというのに、アンベール国王は、自ら闇の魔術師を国に引き込んで居場所を与えた。
―――5年前の開戦直後、不自然な犠牲者が出た。
『不自然』だと気づいたのは、戦闘で死亡する際は致命的なキズが体に残るはずだが、ある一帯では剣戟の音が突然止んだと思ったら、敵味方の兵が突然全員倒れて、こと切れていたという報告があった。
そして調べてみると全く体にキズがない状態の遺体がたくさんあったのだ。
魔術戦の魔術が逸れて、運悪く味方まで犠牲になったのかとも思われたが、魔術による傷の跡も見当たらない。そして、同様の状況のものがアンベールの戦場のあちこちで見られた。
その不自然な現象は、アンベール国側での戦闘に特化していた。
ジェンド国、ウルド国では一切同様のことが見られなかったことから、私はアンベール側の現場に足を運んだ。
私を含む公爵家の血筋には四大属性の魔力の他に、光の魔力が宿っている。
だからこそ、現場に残された闇の魔術師の力の残滓が分かった。
―――アンベール国は、禁忌とされた禁術を使う闇の魔術師を囲っている。
すぐさまアンベール国にいる闇の魔術師に対する対策を講じた。
アースクリス国の魔術師たちには闇の魔力を感知し、対抗する光魔法の結晶石を与え、軍の部隊長たちの剣に光魔法を付与した。
その対応は無駄にはならず、だいぶ闇の魔術師の命の狩りを防ぐことができたはずだ。
そして、2年ほど前、暗殺者としても闇の魔術師はやってきたのだ。
アンベール国にほど近い国境の砦に、アースクリス国王が訪れた際に奴はのうのうと砦に入り込んだ。
その時は、私が奴の気配を感じ取り、自ら対峙した。
闇の魔術師は、強い魔力を使える高位魔術師でもある。
生半可な魔術師では歯が立たないのだ。
だからこそ、我が国の魔術師たちを私の後ろに下がらせ後衛とさせた。
『禁術』は使う者の魂をも闇に染める。
―――闇を切り裂くのは、『光』
風魔法と共に光の魔力を放つと、闇の魔術師は私が光の魔法を使うことに驚愕していた。
当然だろう。光魔法を使える者は極まれと言われ、使える者を知る者は少ないのだから。
今とて後ろにいる魔術師は光魔法を使役したとは分からないだろう。
風魔法でフードに隠れていた顔が露になった。
この国の者ではない。この大陸の者でもない―――浅黒い肌の、中年の男だった。
この大陸よりずっとずっと南の大陸の特色の肌色と顔立ち。
男がとっさに身をよじったため、右半身を光魔法に灼かれ逃げていったが―――あの時、その闇の魔術師がアーシュを閉じ込めていた結界の作り手だと知っていれば、そしてとどめを刺していれば、もっと早くにアーシュを助け出せていたかもしれなかったと後から知って悔やんだ。
だが―――それすらも『必然』であったのかもしれないと、今では思えるが。
◇◇◇
『だいぶ魔力も体調ももとに戻りました。魔力持ちが魔力を封じられると体調不良になると身をもってしりました』
アーシュはレイチェルの問いに答え、にっこりと笑った。
あれから4ヶ月近くがすぎ、体調不良と栄養不足で痩せていた身体が、だいぶ前のように戻っているようだ。
アーシュが身を寄せている場所は私が指定したところだ。
アンベール国の中でも数少ない女神様の信仰をしている場所で、アンベール国王へ反旗を翻そうとしている貴族のもとにアーシュと、アーシュと一緒に森にいた仲間を預けることにしたのだ。
アーシュがベッドで眠っているアーシェラを見て首を傾げた。
『アーシェラのもとに意識を飛ばしてきたのですが、なぜここにいるのですか?』
私たち公爵家の直系は、つながりがある者のところに意識を飛ばすことができる。
おそらく、アーシュはアーシェラがバーティアの商会の家にいると思っていたのだろう。
4ヶ月前までアーシェラが生まれていたことを知らなかったアーシュだが、今はすでに父親の表情をしていた。
―――4ヶ月ほど前のあの日、アーシュとのつながりを取り戻したと感じた瞬間、私はすぐにアーシュのもとに意識を飛ばした。
辿り着いた場所は、アンベール国の外れの森。見上げると崖が見えた。
―――そこは、罪人の処刑場だった。
アンベール国王は、5年前のあの日、アーシュを幽閉するのではなく、最初からアーシュを殺そうとしたのだ。
処刑場は切り立った崖。そして周りを深い森に覆われている。
王宮の魔術師によって処刑場に転移させられると、崖の頂上につく。むろん崖から下に降りる梯子などある訳がない。
崖の下には強力な魔術陣が敷かれ、その魔術陣は処刑場の命を吸うことでさらに強度を増すという、ずいぶんと性格の悪いものだった。
処刑方法は単純かつ確実なもの。
急峻な崖から下に突き落とすのだ。
崖の下の森には、処刑場に連れてこられた人間を確実に屠るために、魔力を無力化するための強力な魔術陣が敷かれていた。
そして、闇の魔術師が作った魔術陣は、処刑された人間の命を糧に強度を増す。
魔力持ちが落とされても、魔術陣が魔力を相殺して、落下し―――死亡する。
これまでが皆そうだったのだ。
アーシュは崖から落とされた際、持ち前の運動能力と機転―――そして、アーシュより先に処刑場で殺されかけて助かった人物に崖の中腹で助けられた為、なんとか無事だった。
だが、張り巡らされた魔術陣が厄介で、一切の魔力が使えなくなった。
そして、処刑場がある森を抜けた辺りには結界が張り巡らされ、その結界に触れると確実に命を取られるのだそうだ。
崖から落ちて助かっても、闇の魔術師が作った結界で、確実に命を刈り取るというシステムだ。
実に胸糞悪い。
アンベール国王は十数年前にこの森に処刑場を作り、己の邪魔になる者たちを殺害し、闇の魔術師の禁術の糧としてきた。アースクリス国との戦闘にも、そして自国の内乱の際にも闇の魔術師を使ってきたのだ。
命を使った禁術によって張り巡らされた結界は強力で、森を抜け出すことは死を意味する。
その中でアーシュたちは諦めずに命をつないできたのだ。
―――そして、アーシュが森の中に囚われてから、4年と7ヶ月ほどたった、あの日。
アーシェラが女神様に祈りを捧げた時―――光がアーシュの囚われている森に降り注いだのだった。
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