45 そばのたねをおみやげに
女神様の意思を確信した、ウルド国アウルス子爵領にある女神様の神殿の神官は、ウルド国の宰相に知られぬように隠すことに決めた。
ゆえに女神様の神殿での事柄を知る者はごくわずかだ。
アウルス子爵領の神官、アウルス子爵の両親であるラジエル・ウルド前国王と母親である子爵令嬢、母方の伯父であるアウルス前子爵、そして創世の女神の神官をまとめる立場にあるアースクリス国の神官長、そして神官長から報告を受けたアースクリス国王だけだった。
今、アウルス子爵が現ウルド国王の兄だと知る者はごく少数しかいない。
万が一でも何処かから知られていれば、すでにアウルス子爵の命はなかっただろう。
ウルド国の前宰相は前国王の義父として、傍若無人を極めていた。
温和な性格の前々国王とラジエル・ウルド前国王を傀儡にして圧政を敷いていたという。
早くに前々国王が崩御したため、幼くして王位についたラジエル・ウルドは、実権を宰相に握られ、最期まで自分の意思で政務を執ることはできなかったらしい。
宰相の一人娘が跡継ぎである王子二人を生んだ数年後、不慮の事故でラジエル・ウルド前国王は20代で亡くなっている。
先代国王も、ラジエル・ウルド前国王も、おそらくは宰相に暗殺されたのだろうと囁かれているが、その真相は誰も知らない。
年端もいかない現国王の祖父となった宰相の権力は並ぶものはなく、宰相が亡くなるまで貴族たちも戦々恐々としていたらしい。
その宰相の血を受け継いだ現国王と王弟が、愚かな戦争を引き起こし、悪政を敷き、民を抜け出すことの出来ない泥沼に引きずり込んでいる。
アルトゥール・アウルス子爵の存在。
そして、ウルド王政に反旗を翻したのが、女神様への信仰を忘れない領の者たちであったとは。
「必然、か……」
クリスフィア公爵がポツリと言った。
この大陸の大きな混乱はここ十数年のことだと思ってきた。という。
けれど、その大きな混乱に至るまでの『種』は、ずっとずっと前から芽吹き、育ってきていたということなのだろう。
「陛下には、アウルス子爵のことは、アースクリス国王として即位される時に、レント前神官長と前国王陛下からすでにお伝えされています。国王となるものが把握しておくべき重要な機密情報として。―――私はつい先日レント前神官長から、ウルド国の神殿で受理されたアウルス子爵の『出生届』を渡されました」
この大陸の創世の女神の神殿に提出された出生届は、すべてアースクリス国の大神殿におさめられる。
アルトゥール・アウルスとして、提出された出生届は、女神様によって『アルトゥール・ウルド王子』と刻印された。
その出生届は、ウルド国アウルス子爵領の神殿から、すぐさまアースクリス国の大神殿におさめられ、ウルド国側に出生の秘密が秘匿されてきたからこそ、アルトゥール・ウルド王子の命が護られてきたのだ。
40数年前、レント前神官長が魔法学院を卒業して神官になったばかりの頃、アウルス子爵領の神官を神殿の入り口で出迎えたのがレント前神官長だという。
本来であれば、国が違い、数週間もかかる長い道中でもあることから、『一年分の出生届やその他の届け出書類をまとめておさめに来るはずなのに、時期が違うな』と不思議に思ったそうだ。
さらにアウルスの神官は、アースクリス国の神官長直々に書類の確認をしてほしいと申し出たそうだ。
レント前神官長が、21年前に神官長の重責を担った時、前神官長よりその秘密を受け継いだ。
あの時のアウルスの神官の慌てようと行動を思い出して納得すると同時に。
目の前に示された出生届の意味を知った時、『ウルド国にいずれ政変が起きる』と確信したという。
―――それがまさか、大陸全体を巻き込んだ戦争になるとは思わなかった、とレント前神官長がカレン神官長に話したそうだ。
「―――数日後、この件につきまして公爵様方に陛下からお話がありますが、私は今ここでお話しする必要があると感じましたので独断でお伝えいたしました。ですので、今の話は極秘でお願いいたします」
その言葉にクリスフィア公爵をはじめ、ローディン叔父様とリンクさんが頷いた。
もちろん私も話さないけれど、そんな国家機密を私みたいな子供に教えていいのだろうか?
いや、心は大人(?)だけど。
―――それにしても、すごい話だった。
ウルド国には蕎麦がある! 私にとっては、これが一番だった!!
ウルドではどういう風に食べているんだろう?
麦の代わりというから、パンとかガレットかな?
平和になったらぜひ輸入してもらって、蕎麦を食べたい!!
でも、その蕎麦を育てているアウルス子爵が、前国王が隠してでも守りたかった子供で。
生まれた時に女神様にウルドの王になると指し示されていた、なんてすごいよね。
そこで、あれ? と気が付いた。
ダリル公爵領、アウルス子爵領、ランテッド男爵領。
その三つの領地には女神様の神殿がある。
特にアウルス子爵領は、さっき聞いた奇跡のようなことがおきる。
―――そこは、まぎれもなく神気のある場所だ!!
女神様の菊の花の咲く条件は、『神気のある場所』!!
ウルドの神殿に菊の花が咲いたら、ウルドの人たちを飢えから救済できる!!
「しょのしんでん! めがみしゃまのきく!! しょこならしゃく!!」
思わず大きな声で叫んだら、クリスフィア公爵が『あ!』という表情をした。
キクの花の普及はアースクリス国の国内だけだと思いこんでいたからだ。
それはローディン叔父様とリンクさんも同じだったようだ。
「―――はい。承りました」
そこに、カレン神官長の神妙な声が響いた。
『何を承ったの?』と思ってカレン神官長の顔を見たら、カレン神官長がにっこりと笑っていた。
「アーシェラ様。いま、私が授かった女神様の水晶がお答えになりました」
カレン神官長がそう言って、胸に手を当てた。
見ると、カレン神官長の胸の辺りが、キラキラ光っていた。
レント前神官長のように、そこに女神様の水晶石がおさまっているのだろう。
金色とプラチナの光がそこからあふれていた。
その光が、女神様の肯定を示していることを知っている。
『ウルド国の創世の女神の神殿に、アースクリス国で咲いた女神の花を分け与える』
そう、創世の女神様は言っているのだ。
「―――よかったですわ! 私も先ほどアウルス子爵領の神殿の話をしながら、キクの花が頭をよぎったのです!」
カレン神官長が女神様の肯定を受けて、喜びの声を上げた。
そして、クリスフィア公爵様と、ローディン叔父様に改めて向き直った。
「では。クリスフィア公爵様、バーティア子爵様。ウルド国の女神様の神殿まで、女神様の花の護送と移植をお願いいたします」
カレン神官長の凛とした声に、クリスフィア公爵とローディン叔父様が胸に手を当てて頭を下げた。
「「承りました」」
「―――どうやら、これで何とかなるかもしれないな」
頭をあげたクリスフィア公爵が安堵のため息をついた。
すべての領地が凶作ではないことで、食糧支援の負担と不安が少し減った。
さらにキクの花が多くのウルドの民を救ってくれるだろう。
この希望が大きな力となった。
神妙な顔から笑顔になって、クリスフィア公爵が笑った。
ローディン叔父様とリンクさんも『よかった』と笑っている。
◇◇◇
深刻な話が終わって、みんなの顔が笑顔になったのを見て。
……私は、どうしてもクリスフィア公爵とローディン叔父様にお願いしたいことがあった。
―――いまならお願いできるかな? どうしてもあれが欲しいのだ。
「……おじしゃま。こうしゃくしゃま」
「「ん? どうした?」」
クリスフィア公爵とローディン叔父様の声が重なった。
どうしようか悩んだけど、頼んでいいかな?
「あーちぇ。しょばのたねほちい!」
本当はソバの実やそば粉が欲しいが、食糧難のところからはもらえない。
それなら『一握り分の種』ならいいかなと思ったのだ。
「「ああ~~やっぱりな」」
ローディン叔父様とリンクさんの声が重なった。
同時に笑ってもいる。
「ソバの話が出た時、目がキラキラしてたもんな」
「身体もワクワクしてたしな」
あうう。どうやらバレていたみたいだ。
「しゅこしでいいの」
小さな両手に乗るくらい。
とジェスチャーしたら、クリスフィア公爵が頷いた。
「まあ、いいんじゃないか? 短期間で育って一年に何度も収穫できるなら、来年以降の兵糧にも出来るだろうし、麦が不作になった際の対策にもなるだろうしな。アウルス子爵に種分だけもらえるか尋ねてみよう」
あれ? クリスフィア公爵様、話が大きくなってない? ちょっとでいいんだよ?
「じゃあ、ソバの種はお土産だな。楽しみに待っておいで」
ローディン叔父様が笑って頭を撫でた。
「あい!!」
絶対にローディン叔父様は笑顔でウルドから帰ってくる。
絶対に元気で帰ってくると信じてる。
おみやげに、蕎麦の種を持って。
―――そしたら、一緒に蕎麦を育てようね。
お読みいただきありがとうございます。