44 ウルドの王冠
「ランテッド男爵領は以前麦とソバの両方を栽培していましたが、戦争になってすぐの頃、麦の凶作に悩まされた際に、すぐにソバ栽培に切り替えて民を食糧難から守ったそうです」
ソバは痩せた土地に育つということで、貴族たちの嘲笑の対象になっていた。故に他の貴族はソバを植えたがらず、不作になっても麦に固執してさらに飢える民が増えることになったということだ。
ランテッド男爵領は海に面した領地の為、冷たい海からの風が吹く。
もともと麦の収穫量が少ない土地柄だった為、友人のアウルス子爵の勧めでソバ栽培に力を入れたところ、麦の何倍も収穫できたため、麦が凶作になった時、ソバ栽培への転換に抵抗がなかったそうだ。
ダリル公爵領は、内陸に位置し周りを山に囲まれている広大な盆地だそうだ。
例年は夏は暑すぎるくらい暑く、冬は寒さが厳しい。山で海からの風が遮られ、盆地特有の地形で大気が蓋をするため、ここ数年の日照不足や冷害にも作物は深刻な影響を受けなかった。
カレン神官長の言葉のあとを、クリスフィア公爵が続ける。
「もちろんウルド王家からの供出命令が出されて、領地の蓄えのギリギリのラインまで、たくさんの麦やソバを出したが、それらは全て王族と上級貴族に回され、困窮する民には一切回されなかったと、ダリル公爵が悔しそうに言っていた。そしてその所業こそが、ダリル公爵、アウルス子爵、ランテッド男爵が生国に見切りをつけるきっかけになったらしい」
クリスフィア公爵が苦々しくウルド王の所業を話した。
ダリル公爵たちは困窮している民の為に無償で食糧を出したとのことだ。
それを王族と一部の貴族がせしめて困窮している民に渡さないなんて、本当に王様なの? と疑ってしまう。
民を護る為に動くのが王族の役目だろう。その為の高い地位と権力だろう!
ウルドの王に腹が立ってきた。
アウルス子爵はそれからずっとソバの種を飢えに苦しむ他の領地に無償で渡し続けているそうだ。
一度だけでも沢山の領地に無償で渡すことは大変だ。
それを何年も続けているというのは、信念をもってやり続けているのだろう。
話を聞いているだけでも、アウルス子爵はすごい人だ。
けれど、アウルス子爵の援助の種で実ったソバさえもウルド政府に略奪されているらしい。
無情な王族の所業に目が覚めた一部の貴族たちは段々と国におもねることをやめて、今ではダリル公爵やアウルス子爵たちの支持にまわり、今では半数以上の貴族が反乱軍に参加してきているとのことだった。
「アウルス子爵領では、5年前までソバ栽培を年一回行っていたところを、今では年二回から三回まで増やして量を確保しているようです」
んん? 何度も同じ場所で同じ作物を作り続けると連作障害が起きるはずだけど、こっちの世界は違うのかな?
実際収穫出来ているようだから地質が違うか、領民の努力の結果なのだろう。
それにしても、アウルス子爵という人は、頑張っているんだなと思う。
「この三つの領地に、民たちが助けを求めて殺到しているそうです。ですが、ダリル公爵領はともかくアウルス子爵とランテッド男爵の領地は小さく、受け入れられる人数も限りがあります」
「そうだろうな。全員を救うことは難しいだろう」
クリスフィア公爵が頷いた。
「それでも、アウルス子爵はウルド国中を自らが走り回って、なんとか一人でも助けようとしておられるそうです」
「アウルス子爵はそういう人だとダリル公爵からも聞いている。アウルス子爵は、領民の為ならば命を懸けるだろうとも言っておられたな」
「ランテッド男爵も、アウルス子爵と同じ心持ちの方のようで、ダリル公爵は感心していらっしゃいました」
おや、カレン神官長もダリル公爵と会ったことがあるのか。と思ったら、ダリル公爵が夏の終わり頃に単身でアースクリス国にやってきた時に重臣たちと共に同席を許されたということだ。
「―――それに、ですね」
カレン神官長が、少し躊躇った。
言おうかどうか迷っていることがあるらしい。
「? どうした? カレン神官長」
クリスフィア公爵の問いかけに、決意したようだ。
一度目を伏せた後、背筋を伸ばして、真っすぐに私たちを見た。
「これは、神官長として私に伝えられた、極秘扱いの情報となります。ご承知おきください。―――アルトゥール・アウルス子爵は……実は、ウルド国先王の婚外子なのです」
クリスフィア公爵も知らなかったことらしい。
一瞬、ここにいる皆が言葉を無くした。
「……ということは、現王の?」
「母親違いの兄上にあたります。40数年前、ウルドの先王と、アウルス前子爵の妹君との間に生まれた方です。ですが、ウルド国王には当時の宰相の一人娘である侯爵家の婚約者がいたのです。完全な政略結婚ですが」
その宰相が数代にわたってウルド王家を操っていたという話は、アースクリス国上層部も知っている。
「アウルス子爵令嬢は、ウルド前国王が、野心家の宰相からずっと隠し続けてきた恋人です。秘密にしてきた恋人であるアウルス子爵令嬢と生まれた我が子を護るために、アウルス子爵令嬢の私生児として出生届が出されましたが、―――ウルドの神殿で神官が出生届を受理した時、空白だった父親の名前の欄に、ウルドの神官の目の前で『父親の名』が浮かび上がり、刻まれたそうです。『ウルド国王ラジエル・ウルド』と」
「それは……」
クリスフィア公爵が息をのんだ。
―――その奇跡ともいえる状況が指し示すものは。
「はい。私はこの大陸すべての創世の女神様の神殿を統括する、神官の長です。女神様のご意思を汲む者として断言いたします。―――アルトゥール・アウルス子爵は、新生ウルド王国の王冠を戴くお方です」
クリスフィア公爵はもとより、ローディン叔父様やリンクさんも目を見開いた。
今のウルド王政を滅ぼした後、アースクリス国の属国となった後に戴く、新生ウルド国の王冠。
その王冠をさずかるのが、アウルス子爵だと女神様に定められているということなのだ。
「―――よく、これまでアウルス子爵は無事だったな」
「ウルド国はこの大陸にもともとあった女神様の信仰を、別の、というかウルドはもともと別の大陸からの流民が集まって作った国でしたから、自分たちの故郷の神を国教にし、神殿を立てて信仰しています。いま古くからの女神様の神殿が残っていて信仰が続いているのは、奇しくも先ほどの三つの領地。ダリル公爵領、アウルス子爵領、ランテッド男爵領、この三つです」
「……っ!!」
クリスフィア公爵がふたたび驚いて息をのんだ。
「……ウルドの反乱軍を率いている人物や領地のことは聞いていたが、その三つの領地に、ウルド国ではほとんど廃れてしまった創世の女神の神殿がピンポイントで存在しているとは考えもつかなかったな……」
ローディン叔父様やリンクさんも、クリスフィア公爵のその言葉に頷いていた。
出生届は神殿と貴族院に提出される。
貴族院にはアウルス子爵令嬢の私生児として届け出がされたということだ。
病弱で子供のできないアウルス子爵の後継者として。
ウルド国では、貴族院に出生届を二通提出し、二通のうちの一通が原本証明され書き換えができないように魔法付与されて戻ってきたものを、信仰する神殿に提出することになっているとのことだった。
その魔法付与された書類に、干渉できる『人間』はいない。
アルトゥール・アウルス。
―――彼は創世の女神によってウルドの王と定められていたのだ。
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