36 隠し部屋にて 1
アーシェラの曾祖父、ディーク・バーティア前子爵視点です。
時系列は、アーシェラがデイン伯爵家で初めてバーティアのひいおじい様と、デイン家の皆さんに会った後のことです。
私はディーク・バーティア。バーティアの前子爵である。
今日、私のひ孫である、3歳になったアーシェラに会うことが出来た。
私が初めてアーシェラに会ったのは、アーシェラが生まれて間もない頃だった。
クリステーア公爵に呼ばれて赴いた王宮の隠し部屋で、王妃様に抱かれて眠っているアーシェラに会った。
一度も母親であるローズに抱かれることなく母親から引き離されてしまったアーシェラ。
ローズに申し訳なくて抱くことを拒んだが、クリステーア公爵夫人に促されて恐る恐る生まれて間もない赤ん坊を抱っこした。
小さな小さな赤ん坊。
クリステーア公爵家の色彩を受け継いだ赤ん坊は、金色の髪をしている。
眠っていて瞳の色は確認できないが、瞳はクリステーア公爵家の薄緑を受け継いでいると教えてもらった。
「名前は以前からアーシュとローズが決めていた。女の子だから『アーシェラ』だ」
クリステーア公爵が名前を告げた。
「アーシュが不明になってからリヒャルトの動きが急に活発になっている。ローズの懐妊が分かってからというもの、連日ローズやお腹の中のアーシェラを亡き者にしようとあの手この手で仕掛けて来ていた。あのまま公爵家に置いていては、自分の地位を脅かすアーシェラを絶対に生かしておくはずはない」
アーシェラが生まれた直後に王宮に転移させたことを聞き、これから先は私たちが呼ばれたこの隠し部屋でアーシェラを育てるとのことだった。
「リヒャルト・クリステーア……」
魔法学院の教師だったころの記憶をさらうまでもなく、すぐに出てきた。
あの驕慢な男か。
全寮制の魔法学院には貴族から平民まで身分の差なく通うことが出来る。
高度な魔法教育は基本的に無償で受けられる。
それだけ魔法を使えるものが少なく、魔力を持つ者が貴重な人材であるためだ。
大抵の者は火・水・風・土(地)のどれか一つの属性しか使えない。
その相性の良いひとつの属性を磨き上げ効率よく使えるように鍛錬し、卒業後はその魔力を生かす職に就くことが求められる。
2属性以上の魔力の素質がある者は、鍛錬を重ねて己の中の魔力を練り上げ、磨き上げることで、様々な魔力を身に付けることができる。
代表的なものは『治癒』や『鑑定』だ。
その他にも己の努力次第でどんどん強くなることが出来るのだ。
属性がひとつでもふたつでも魔力を持つ者が貴重であることに変わりはない。
生徒たちの努力を手助けして伸ばしてやることが、教師として楽しくやりがいのある仕事だった。
私が魔法学院の教職についていた期間は三十年弱。
成人した18歳から魔法操作に長けていたことを買われ、教鞭をとることになった。
父親が領地経営に失敗して多額の借金を抱えた為に、領地経営を立て直しつつ、給金のよかった魔法学院の教師を続けて借金を返し続けた。
領地と王都との二足のわらじを履くのはさすがにきつかった為、借金返済が済んだと同時に、教師職を辞し、領地経営のみに切り替えたのだ。
教職を辞してもう十数年経つ。
ここにいるアーネスト・クリステーア公爵はかつて私の生徒であった。
彼は公爵家の後継としての自覚を持ち、さらに公爵家の血筋ゆえの高い能力も持ち合わせていた。
能力の高さと勤勉さで自らの魔力を高めることに余念がなく、人間性も公平かつ誠実で、とても良い生徒だった。
その彼が、孫娘の舅になるとはその当時は思いもしなかった。
レイチェル公爵夫人も、一見冷たそうに見えるが情に厚くいつも同じクラスの皆に分け隔てなく接していたことを思い出す。
一方、リヒャルト・クリステーアは、魔力の素質があり、それなりに優秀ではあったが、その能力は兄であるアーネスト・クリステーアの足元にも及ばなかった。
性格といえば、公爵家の血筋であることを鼻にかける高慢な人物で、身分の低い者を事ある毎に虐げていた。
公爵家より身分の高い者が魔法学院にそうそういるものではない。
自分が王様になったかのように振舞い、遊びでもするかのように標的にした者を苛め抜いていた。
何度厳重注意したか分からない程だ。
そして。
リヒャルトが学院2年生になった頃、当時王太子殿下であった現在の陛下が魔法学院に入学してきた。
王太子殿下が入学してしばらく経った頃、王太子殿下がリヒャルトの学院での悪事に気づいて暴いたため、リヒャルトは自宅謹慎となり、そのまま卒業となった。
卒業資格を与えるなど気分が悪いが、成績はクリアしていたのだ。
それに前クリステーア公爵からの嘆願もあって、退学処分は見送られたためだ。
負の人間にはそれなりの取り巻きがついていた。
時が経つとともに、リヒャルトの学院での悪事は世間から風化し忘れ去られ、リヒャルトの身分や容姿にリヒャルトの本質が隠れてしまっていた。
リヒャルトの周りで不正が行われているらしいという話が一部から聞こえて来ていたが、学院にいた時のように犯人を仕立て上げ、とかげの尻尾切りで自分は逃れ続けているらしい。
その男が。
突然降ってわいた公爵家の後継者の地位に固執し、私の孫娘のローズと生まれた子の命を奪おうとしている。
「バーティア先生。あなたも、リヒャルトのことをよく知っておられるかと思います。どうかローズと私の大事な孫娘を護るために力をお貸しいただきたいのです」
アーネスト・クリステーア公爵が頭を下げた。
公爵夫人のレイチェルも同様に。
「頭を上げて欲しい。頼まれるまでもなく、私は孫とひ孫を護る。こちらこそローズとアーシェラを護って欲しいと頼むところだ」
「リヒャルトという公爵の弟はそんなに危険なのか?」
前デイン伯爵であり、この場に息子のロザリオ・デイン伯爵と共に呼ばれたローランド・デインはリヒャルトという人物をよく知らなかった。
世間一般はローランド・デインと同じ反応だろう。
クリステーア公爵の弟で浮名を流す色男。
公爵家がもつ爵位のひとつの伯爵位を受け継いだ者。
公爵家の血筋ゆえに、役所の高い地位を持つ者。
社交界ではそれで通っている。
だが、私は教鞭をとっていてリヒャルトの本質をつぶさに見てきた。
リヒャルトは前公爵夫人の美しさを受け継いだ端正な顔立ちで、裏の顔を知らなければ、家柄と容姿がすこぶる良い優良物件に違いない。
甘いマスクで女性たちの受けがよく、浮名も流している。
笑顔の裏で爪を研いでいることも知らず、リヒャルトの甘言に乗せられてうまく使われている人間が沢山いる。
いつでも自分の罪を他人にかぶせる準備を整えている。
ゆえに自分は被害者のように振舞う。実に厄介なやつだ。
「父上、リヒャルトは……狡猾な人間ですよ。クリステーア公爵には申し訳ないが、公爵家の権威を笠にきて調査官を脅して不正を隠しているというのは上層部では有名な話です。なかなか尻尾を掴ませなくて捜査関係者を困らせているんです」
と軍部と警備に精通しているロザリオ・デイン伯爵が青い瞳を細めて苦々しげに話す。
「恥ずかしながらその通りだ。アーシュが不明になった際に、他の者を仮の次期後継者に指名すれば、リヒャルトが必ずつぶしにかかると踏んで、仕方なく仮の後継者としたとたん、傍若無人さが増長した。今では自分が次期公爵のように振舞っている―――我が弟ながら、情けなくてしょうがない」
クリステーア公爵が薄緑の瞳を伏せきっちりと撫でつけた金色の頭を下げながら、ため息をついた。
「私の部下にリヒャルトと魔法学院の同学年だった者がいて、その所業は聞いています。あのリヒャルトなら、ローズやアーシェラを殺すまで執拗に追いかけるでしょう」
息子であるロザリオ・デイン伯爵の言葉を聞いて、ローランド・デインが愕然とした。
「せっかくローズが幼なじみのアーシュと幸せになれると喜んだのに……こんなことになるとは」
ダリウスのせいで結婚話が流れてしまうかと皆で心配していたのだ。
私の親友でもある前デイン伯爵がため息を落とす。
彼もローズの母方の祖父であり、アーシェラの曾祖父なのだ。
私からアーシェラを抱きとり、頬を撫で、目を潤ませている。
小さな小さなアーシェラ。
生まれる前から命を狙われ、生まれてすぐ母親から引き離されることになるとは。
ここにいる誰もがその理不尽さに、怒りとかなしみを胸に抱いた。
ローズの伯父でもあるロザリオ・デイン伯爵は、痛ましげに青い目を細め、アーシェラの金色の髪を指でゆっくりと撫でると、顔を上げてクリステーア公爵にはっきりと言った。
「クリステーア公爵、わがデイン伯爵家も協力は惜しみません。ローズもアーシェラも我がデイン伯爵家の血に連なる者です。我が血族を一緒に守らせてください」
クリステーア公爵がほっとした顔をすると、『ですが』とロザリオ・デイン伯爵が続けた。
「ですが、公爵。アーシェラを本当の意味で守りきるためにはリヒャルトを『排除』しなければならないのですが、どのようにお考えでしょうか。―――公爵が『弟だから』と情を残しているのであれば、アーシェラは守り切れません。そうであるならば、アーシェラはデイン伯爵家の子として引き取ります。公爵家とは縁を切らせて、辺境伯家の娘として立派に育てます。決して不自由はさせません」
ロザリオ・デイン伯爵が真っすぐに、アーネスト・クリステーア公爵の瞳を見た。
「デイン伯爵……」
クリステーア公爵の薄緑の瞳が驚愕に見開かれた。
だが、ロザリオ・デイン伯爵はクリステーア公爵の瞳を真っすぐに見たまま、さらに言葉を重ねた。
「きつい言い方かもしれません。ですがお答え願いたい。ローズやアーシェラを護るために、うやむやにしておいてはいけないのです」
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