35 女神様の否定
長くなってしまいました。
今回でクリステーア公爵視点はおわりです。
「―――性急すぎてはおらぬか。おぬしたちの言っていることも尤もだが、いささかアーシェラの気持ちを無視しているように思うぞ」
私はアーシェラの気持ちが分かってしまう。
バーティア領の商会の家で楽しそうに笑うアーシェラの姿。
あれを奪い取ることになったら、アーシェラがどんなに悲しむだろうか。
だから、どうにも頷くことはできない。
「クリステーア公爵の言っていることも分かるが、これからの敵はリヒャルトだけではなくなるのだぞ。どうやって知るのか、加護を持つ人物を狙う者が出てくる。王妃様とて何度も危険な目にあってこられた。公爵家と王家に守られていたというのに」
クリスティア公爵の言葉に、クリスフィア公爵が重ねる。
「リヒャルトのせいで、アーシェラ殿にとってクリステーア公爵家が危険な場所なのだ。そうとなったら最も安全なのは王宮と神殿であろう。今までと同じというのは考えられん」
「……」
何も言えなくなった。
安全面でだけで言えばそうだろう……だが。
「私は王宮での保護を提案いたします」
クリスフィア公爵の言葉に、クリスティア公爵とクリスウィン公爵が同意を示した。
「私も」
「私もです」
「私は神殿の長としても、女神様の加護をいただいた方の保護をお願いしとうございます」
三公爵の言葉にカレン神官長が賛同する。
―――このまま決まってしまってはアーシェラを泣かせてしまう。
元気に笑うアーシェラを、触れることができずともずっと見守ってきたのに。
ローディン殿やリンク殿に大事にされて幸せそうに笑っていたのに。
アーシェラの身を護ることと、心を護ること。
それが一緒でなければならないのに。
アーシェラの気持ちを置き去りにことが進んでいく。
「じゃあ、明日王宮に来たら保護するということで決まりでいいです――――――うわあっっ!!?」
クリスフィア公爵が言いかけた瞬間。
突然、魔法で灯りの満ちていた部屋に闇が落ち、一瞬で目の前が暗闇と化した。
「え? これって……」
王妃様の声がする。
誰もが灯りをつけようとするが叶わない。
ただの暗闇ではなく、何かの力のこもった意思のある闇だということが分かる。
「「「「うっ。な、なに……」」」」
声の方向に目を凝らすと、もっと濃い暗闇が三公爵とカレン神官長を包んでいるようだ。
「これは―――女神様の水晶の光でございます」
レント前神官長の声が暗闇の中に響いた。
「は……はい。私の授かった女神様の水晶もです…」
カレン神官長の声もする。
その瞬間、ここにいる皆の脳裏に浮かんだのは。
創世の女神たちの、『否定』
それが何に対する否定なのか、なぜ三公爵とカレン神官長に闇が降り落ちたのか悟った。
「―――!! も、申し訳ありません!!!」
クリスフィア公爵が明らかに慌てきった声で、闇に向かって叫んだ。
女神様の水晶は神官長のみに授けられる、女神様の意思を唯一確認できるもの。
その意思は、肯定であれば光輝き、否定であれば黒く濁る。
水晶石の中で黒く濁るだけのはずなのだ。
それが、黒い光――――黒い闇を作り出したのだ。
それは。
否定だけではなく、創世の女神様達の『怒り』さえ感じさせるものだった。
「―――そ、そうですわ!! 女神様は必然をお与えになる!! アーシェラ様はバーティア領の商会の家にいるのが必然なのですね!!」
カレン神官長が声を裏返しながらそう言うと、その瞬間、闇が消えた。
「「「――――――」」」
闇が消え去り、部屋に明るさが戻った後には、三公爵が呆然としているのが見えた。
「おっかねえ……」
クリスフィア公爵が呟いた。
クリスティア公爵、クリスウィン公爵、カレン神官長も青褪めている。
我々は女神の水晶による『肯定』は見たことがあっても、『否定』を見たことはなかった。
「否定の際に、水晶が黒く濁るという文献はありましたが、闇を出したという文献はありません」
と、読んだ書物を全て記憶しているレント前神官長が言い、顔が強張っていたことから、この現象はおそらく初めてのことなのだろう。
―――この否定は、強烈だ。
私の胸が早鐘を打っている。
おそらくはここにいる誰もが同じだろう。
陛下は一度深く息を吐いた後、私たちを見まわした。
「女神様は『王宮や神殿に閉じ込めずにアーシェラの自由にさせよ』ということだろうな。カレン神官長が言った通り、それが必然なのだろう」
確かに。
王宮や神殿で保護されたら、ほとんど自由はきかなくなる。
常に監視されて、『保護』という名の監禁に近い。
「急がずとも、いずれアーシェラはクリステーア公爵家に戻ることになる。私たちはその時が来るまで護ればいいのだ―――アーシェラには、王宮から魔術師の護衛をつける。バーティア領の商会の家の護衛に関しては、各公爵家からも人選せよ。よいな」
「「「「承知いたしました」」」」
陛下の命令に、私を含めて公爵家の当主が首肯した。
これまでの護衛も必要ではあるが、さらに魔術師を護衛に加えることになる。
魔術師が対応しなければならない輩が今後必ず現れるからだ。
王宮での保護が否定された以上、バーティア領での護衛が必要になる。
「それじゃあ、一度バーティアに行ってみるかな~。ほら、護衛計画たてなきゃいけないですよね」
一番強硬に主張していたクリスフィア公爵が、ふっきったように今後のことを話し出す。
それでも、まだ表情は少し強張ってはいるが。
「私も行きたいですな。ですが、その前にアーシェラ殿に一度お会いしたいですな。明日は会えませんかね?」
「いいですな。護衛対象に会うのは当然ですよね? 王妃様」
同様に、クリスティア公爵、クリスウィン公爵が次々に言う。
「時間が合えばいいわよ」
と王妃様が許可を出した。
三公爵とも私に『申し訳なかった』と謝罪してきたが。
彼らに悪気があったわけではないのだ。
アーシェラを護ろうとしてくれていただけなのだから。
気にするな、と言った後。
今まで言うことのできなかった言葉を口にした。
「―――私の孫はものすごく可愛いぞ」
「ははは。さっそく孫バカか」
口が悪いクリスフィア公爵だが、息子と娘を溺愛しているのを知っている。
「それを言うならうちの孫だって、かわいいぞ」
私と同年のクリスティア公爵も昨年初孫が生まれたばかりだ。
「王子様も、うちの孫たちも超絶かわいいぞ!!」
一番年長のクリスウィン公爵が声高に言い、王妃様に窘められている。
三公爵なら、アーシェラを会わせても大丈夫だろう。
―――ああ。よかった。
やっと、私も安堵し、ゆっくりと息をすることが出来た。
◇◇◇
―――とうに日付も変わり、散会することになった。
長く濃密だった一日が終わろうとしている。
長年の懸案だったリヒャルトの犯罪が急に浮き彫りになって裁くことが出来ることになり。
一瞬の安堵の後に、アーシェラの加護を知り、リヒャルトの母の罪の疑惑が追い打ちをかけた。
今日はへとへとだ。
三公爵たちは、私と同じく、王宮内にあてがわれたそれぞれの公爵家の部屋で皆休むことになるだろう。
ああ。その前にレイチェルと話し合わなくては。
アーシェラと会うことが今後許されると教えたら、どんなに喜ぶだろうか。
『氷の女官長』と異名をとる彼女の氷が一瞬で溶けてしまうのは、アーシェラの前だけだ。
私よりも王妃様よりも、アーシェラがいなくなった時のレイチェルの落ち込み様はすごかった。
レイチェルは、アーシュが行方不明になった時は何とか気丈に振舞ってはいたが、おそらくアーシェラの存在が心の支えだったのだろう。
仕方がないとはいえ、アーシェラを手放した後、レイチェルが隠し部屋で泣いている姿を何度も見てきていた。
たぶん、レイチェルは明日アーシェラを抱きしめて離さないだろう。
陛下が退出する際に、ふと思い出したように言った。
「ああ。クリステーア公爵。今後アーシェラに会うときは目の色を変えよ。まだアーシェラや他の者にアーシェラの出自を知られるのは時期尚早だろう?」
公爵家の瞳のことをよく知る者がみれば、私とアーシェラのつながりがわかるだろう。
まだ早いのだ。
「はい。承知致しました」
リヒャルトの危険を完全に排除して、アーシェラが公爵家に戻ることになるまでは、他の者に極力知られぬ方が安全だろう。
「少しだけ濃い緑色の瞳にすると、公爵を知る他の者も気づきにくいでしょうね」
レント前神官長の言葉に頷く。
「そうですね。ではそうします」
ローズに託す前は、魔法でメイドの姿に変えてアーシェラを抱いていた。
自分と同じ薄緑の瞳が、金色の柔らかな髪が、その愛らしさがとてつもなく愛おしかった。
あの愚かな弟から、かわいい孫の命を護りきるために、身を切る思いで手放したのだ。
けれど、リヒャルトの他にも危険が迫っているとは。
この場にはいないアーシュの為にも、アーシェラを護らなければ。
それにしても。
アーシュ。そろそろ戻ってこい。
クリステーアの瞳は、同じ瞳を共有する。
今はつながりが切れているが……死んではいないはずだ。
完全な断絶はすぐにわかるから。
アーシュは死んではいない。
教えてやるから。
―――お前の子はこんなに可愛いのだと。
お読みいただきありがとうございます。




