34 王宮での子育て
アーシェラの祖父、
クリステーア公爵視点 その3です。
「女官長はアーシェラ殿の祖母ですからな」
公爵たちが納得する。
アーシェラが生まれた直後に、国王直属の魔術師たちの手によって王宮に転移させた。
産室には最初から結界と魔法陣が組まれており、万全を期しておいた。
案の定リヒャルトに買収された者が入り込んでいたが、魔術師たちが別の部屋に誘導し偽りの出産に立ち会わせた。
『死産』だと思わせるために。
「―――だが、子供は成長する。隠し部屋で育てるのも限界がある。しかもクリステーアの瞳を持った子だ。いずれその意味を知る者がアーシェラの存在を知り、うっかりでも口を滑らせたら、リヒャルトだけではなく、よからぬ考えをもった者がクリステーア公爵家の娘を狙ってくる」
陛下がそう続ける。
長く隠し部屋で育てることが出来ないことが分かっていたからこそ、時機を見てローズと共に公爵家より比較的安全なバーティア子爵家に逃すつもりでいた。
結界を張った王妃様の隠し部屋で、レイチェルと私、王妃様でアーシェラを育てていた。
時折陛下もやってきてアーシェラの頬をつついていたが。
万が一、第三者に見られた時のことを考えて、皆でひとりのメイドの姿に身を変えてアーシェラの世話をしていた。
だが、私たちは自分たちの世話さえしたこともない貴族。
レイチェルとて、アーシュが赤ん坊の時は授乳はしていたが、その他はほぼ乳母任せだった。
そんな私達がぎこちなく生まれたばかりのアーシェラのオムツを替え、お風呂に入れ、授乳をする。
秘密裏に乳母を用意しようと思ったが、ローズの親友である王妃様が自分がアーシェラに乳を与えると申し出てくれた。
王妃様が乳母とはとても恐れ多かったが、ローズよりも早く出産されていた王妃様のたっての希望で、王妃様がアーシェラに乳を与えていた。
本来であれば、王族は授乳せずに乳母に任せるものだが、クリスウィン公爵家は母親が授乳するのが当たり前の家だったことから、王子様を出産する前から自分で授乳すると王妃様が言い張ったのだ。
王妃様は公務もあることから、王子様には乳母もついていた。
そして王子様が離乳し始めた頃にアーシェラが生まれた。
生まれた直後に母親から離してしまったため、アーシェラには出来るだけ母親の乳を与えたかった。
だから、ローズが公爵家で搾乳した乳を保存魔法で用意してアーシェラに飲ませていたのだ。
だが、どうしてもそれだけでは不足してしまうために王妃様に授乳をお願いしていた。
茶髪茶色の瞳の乳母に姿を変えた王妃様がポツリと言った。
『―――こどもにお乳を与えるのはとっても幸せな気持ちになるの。私、ローズにその幸せをあげたいわ』
と眠っているアーシェラを抱いて、死産だと思い込んで心を痛めているローズと、母親から引き離されてしまったアーシェラを思って、涙を落としていたのを思い出す。
私もレイチェルも仕事があり、もちろん王妃様も公務があるために忙しく、アーシェラの世話を最低限のことしかしてあげられなかったのが今でも悔やまれる。
本来であれば、公爵家で何人もの世話係がついて何不自由なく世話をしてあげられるのに。
私たちが傍にいない時はほぼ放置の状態だ。
王宮内で命の危険がないことはわかってはいたが、お腹をすかせていないか、オムツが濡れていないか、具合が悪くなっていないか心配で、仕事中もずっと頭から離れなかった。
仕事の合間に隠し部屋に行き、少しの時間で世話をする。
周囲に不自然に思われないように細心の注意を払って世話をする毎日は緊張続きで疲れはしたが、それでもアーシェラを抱くとそんな疲れも吹き飛んだものだ。
日々すくすくと成長し、笑顔を見せるようになったアーシェラが可愛くて可愛くて。
いよいよ手放す時期が来て、準備をしつつも―――ローズに託すのが正解だと分かっていても、今手放すことがアーシェラを護るために必要だと分かっていても、手放すのが身を切られるように辛かった。
だから。
ローズに託した後、時折耐えられなくなって『クリステーアの瞳』のつながりを使った。
私は、私と同じ『クリステーアの瞳』を持つアーシェラの周辺を、アーシェラを中心に俯瞰して見ることが出来る。
だから。
ローズがアーシェラを心の底から愛していることも。
ローディン殿やリンク殿が熱を出したアーシェラを寝ずに看病したことも。
私たちのように、ぎこちないながらも、一生懸命にアーシェラを育ててくれたことも知っている。
リヒャルトの手の者からローディン殿やリンク殿が、ローズやアーシェラを護ってくれていることも。
「―――バーティア領の商会の家の周辺には護衛を潜ませています。何度もリヒャルトの手の者が襲撃しようとしていたのを排除しましたし、ローディン殿やリンク殿も対処していました」
公爵家の護衛からは、ローディン殿とリンク殿があまりに強いため自分たちの出る幕がないとも報告が来ていた。
そして、アーシェラが元気に育っているという報告を受ける度に安堵していた。
アーシェラが生まれた時に、アーシェラの曽祖父である前バーティア子爵と前デイン伯爵、そして現デイン伯爵にも王宮に来てもらい、アーシェラのことを告げた。
アーシェラをリヒャルトから隠し、守り育てるために協力してもらわねばならなかったからだ。
子爵家で護るつもりがダリウスの姑息な思惑のせいで商会の家で暮らすことになり危険性が高まったが、ローディン殿とリンク殿が驚くほど魔力の扱いに長けていて強かったことが嬉しい誤算だった。
「ローディンもリンクも優秀だからな。ふたりとも鍛錬すれば王家直属の魔術師にもなれる実力を持っている。だからこそこれまでの長い間しっかりと二人を守ってこれたんだろう」
公爵位を継ぐ前は魔法学院の教師だったクリスフィア公爵が頷いた。
「だが、ローディン・バーティアもリンク・デインも今後の戦略に必要な人材です。アーシェラ殿の安全性が今後脆弱になるのは否めないですな」
長い銀髪を一本の緩い三つ編みにした、クリスティア公爵が言う。
クリスティア公爵はジェンド国攻略にリンク・デインを連れて行くと先ほど公言した。
そうとなれば、約一年間アーシェラの周りは護衛が心もとなくなる。
「なら、王宮か神殿の中でがっちりと護ってしまえばいいんじゃないか? どうせいずれクリステーア公爵家に戻るんだろう?」
その言葉の意味は、もうアーシェラがバーティアの商会の家に帰ることはないということにつながる。
クリスフィア公爵がそう提案すると、クリスティア公爵が同意する。
「それがいいですな。明日、ローズ殿と一緒に王妃様のところに来られるとか。そのままローズ殿と共に保護いたしましょう」
『保護』
公爵としては分かる対処だ。
いつもであれば私でもそう提案するだろう。
だが。
「ねえ、ちょっと待って。アーシェラを護ることは大事だけれど、お家に帰れないと知ったらアーシェラが悲しむでしょう?」
王妃様の言うとおりだ。
アーシェラの泣き顔が目に浮かぶようだ。
かわいい孫を悲しませたくはない。
「そうです。それにローディン殿やリンク殿も何と言うか」
レント前神官長が止める。
ローディン殿やリンク殿がアーシェラを本当に大事にしてくれているのは知っている。
護衛からの報告の中でも。
私も実際に見て知っている。
アーシェラが『家族』としてふたりをとても大事にしていることも。
幸せそうに笑っていることも。
「優先するべきは安全でしょう。ローディン殿やリンク殿とて不在の間の安全と言えば納得しましょう。子供は順応が早いといいますし。母親と一緒なら大丈夫ですよ。リヒャルトを排除したらクリステーア公爵家に戻せばいいのです。本当の家なのですから」
王妃様の父親であるクリスウィン公爵が言う。
たしかにクリステーア公爵家はアーシェラの生家であり、いずれはアーシェラが継ぐ家だ。
だが、こんな形でバーティアの商会の家から引き離すことは本意ではない。
たとえ、どんなにアーシェラを手元に呼び戻したくても。
アーシェラがクリステーア公爵家が『自分の家』だと、戻るべき場所であると、自分から思ってからでなければならないのだ。
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