333 幕引きの役目(セルト視点)
アンベール国東側にある港で、私セルトはロザリオ・デイン辺境伯と会っていた。
もともと、大きな船が寄港できるほどの港は数少ない。
アンベール王を見限り、反乱軍へと寝返ったシーズ将軍からの情報から、この港がサディル国からの密入国船を秘かに受け入れていることを知った。
「隠蔽魔法と反射魔法か、厄介だな」
「ええ、ですがそれも、コレで無効化できるはずです」
私はアーシュ様にお話しして作ってきたものをデイン辺境伯に渡した。薄茶色の見覚えのある物にデイン辺境伯が「ああ」と頷く。
「それはアーシェラが作った蚊取り線香だな。今では行軍に必要不可欠になった代物だが、これであの魔法を破れると?」
「実は、これは除虫菊ではなく、女神様の菊の花で作ったお香なのです。アーシェラ様がアーシュ様に敵の鉄壁を破るためにいろいろとヒントをくださいまして。その時に思いつきました」
菊の花はアースクリスの女神様の神気が入っている花である。
アンベール国で女神様の花が咲いているのは、先日までは王都からかなり離れた場所にあるクルド男爵領の一か所のみだった。
メルド侯爵領に植えられた一株の苗は、何か月もずっと蕾であったのだが、それが、先日アーシュ様がアーシェラ様に初めてお会いした日に、その時を待っていたかのように花開き、次々と数を増やしていったのだ。
メルド侯爵領に植えられてから半年以上、ずっと蕾で花開く気配のなかった菊の花。
それが花開いた。
その絶妙すぎるタイミングに目に見えない何かの意図が働いているのだと、誰もが感じた。
アーシェラ様はこの膠着した戦況を打開するための提案をいくつもしてくださった。
アンベール王城を包み込む死の結界、そして反射魔法を無力化する方法などを。
そしてその打開策の一つに、『女神様の花である菊の花が使える』との助言があった。
今、クルド男爵領で咲いている菊の花は飢えている民の食料として、クルド男爵領周辺のアンベールの民に浸透しつつある。
菊の花は我々にとって女神様の花であるのだが、アンベールの民には知られていない。
彼らにとって菊の花は生命力の強い食料になる植物という認識しかないだろう。
アンベール国ではこれまでどこにもなかった馴染みが薄い花。そして女神様信仰がほとんどない国であるゆえに『これが女神様の花だ』と言ってもこの国の民は信じない者がほとんどだろう。
だが、今はそれが好都合でもある。
「女神様の花で作ったお香か……。なるほど」
デイン辺境伯は、菊の花がもたらされたことによっていろいろなことが切り開かれてきたことをよく知る人物である。
菊の花は女神様の花。
人が作り出した毒はもちろん、魔術をも消し去る。
それだけではなく、咲く場所を選び、真実への道を示してくれたのだ。
さらに悪用しようとする者の手からは忽然と消えてしまうという特性を持っている。
だから、菊の花が消えずにこうしてお香を作ることができたということは、『それを使っても良い』という女神様からのメッセージだと、そう確信した。
「ええ、認識阻害をかけたもので試してみたところ効果があったので期待できるかと思います」
認識阻害は術者の思い通りに相手を錯覚させる魔術だ。その魔術は本来魔術によってしか破ることができないのだが、お香の効力によって、すうっと解けたのだ。実際に菊の花が魔術にも効果があったことをこの目で確認した。
「なるほど、それは期待大だな。まあ、場所と時間が絞れたゆえ、逃すつもりはなかったのだがな」
とデイン辺境伯が言う。彼はこの度のアンベール王とサディル国の所業について腹を立てていた。
何の罪もない人らを攫ってきて死の結界の贄にする。確かに、誰が聞いても許せない所業だ。
デイン辺境伯領の領地はアースクリスの海の玄関口である海岸線のすべてが含まれている。海岸線には、認識阻害や隠蔽魔法を施し密入国しようとする船が少なくない。デイン辺境伯領の者らはそれらを見破って水際で食い止め、密入国船を撃退してきたという実績があるのだ。認識阻害や隠蔽魔法は、パッと見には分からない術なのだが、デイン辺境伯領の兵たちは長年の経験からそれが感知できるようになるのだという。素直にすごいと感心する。
その積み上げられてきた経験とデイン辺境伯の持つスキルがあれば、菊の花のお香がなくても密入国船を捕縛できるだろう。だからこそ、この港でのミッションに彼らが呼ばれたのだ。
「まあ、見えずとも私や一部の者は感知することができるが、見えていた方が捕縛はしやすいな。この菊の花の香はありがたく使わせてもらおう。絶対に逃がしはせぬゆえ、任せておけ」
その力強いお言葉が何とありがたいことか。
「はい、どうぞよろしくお願いいたします」
良かった。サディル国の船のことはデイン辺境伯を信じてお任せしよう。
「それで、そちらの方の首尾はどうだ?」
「はい。領主が『この不始末は、私に任せてほしい』とのことでした」
「なるほどな。彼にとっては身内の裏切りだからな」
デイン辺境伯の言うように、港でサディル国の船を引き入れていたのはこの地の領主の甥だった。
シーズ将軍からの情報で、この港がサディル国の船を受け入れていたことを知った私たちは、この港を所有するランドラ伯爵に話をした。
彼は自分の所有する港で密入国船を手引きしていたことを本当に知らなかったようだ。話を聞いて青褪め、必死に関与を否定していた。私も己のスキル『感応』でそれが噓偽りではないことを確認している。
とはいえ、ここの港が密入国船を受け入れていることは確定であるため、ランドラ伯爵は身の潔白を証明するため、犯人を捕まえることに全面的に協力すると申し出た。
犯人は、港の関係者であることが考えられる。
何度も密入国船を手引きできる者は、現場を知る者に限られるからだ。
いつどこに、怪しまれないように、人の目を盗んでやり遂げられるか。
今までバレずに何度もやってきているのだから、港を知り尽くしていなければできないことだ。
また突発的に不都合がおきたとしてもさりげなく差配して、その場をやりすごせられるだけの権力を持つ者。
さらには、その人物は魔力持ちであること、もしくは魔力持ちの仲間がいることが前提となる。
ひそかに積み荷である人間をサディル国の船から降ろし、荷馬車に載せ替えて送り出す。
シーズ将軍からの情報では隠蔽魔法の魔導具が渡されているとのこと。つまりは馬車に隠蔽魔法をかけて誰にも見つからないようにしていたとのことだ。
隠蔽魔法の魔導具を起動させることができるのは、魔力持ちだけ。それでいくとかなり人物は絞られてくる。
というような犯人が持っているであろう条件を述べていくと、ランドラ伯爵がその茶色の瞳をどんどん見開いていく。そしてランドラ伯爵だけでなく、その側近たちもざわつきはじめた。
どうやらその特徴を持った者に心当たりがあるらしく、ランドラ伯爵は整えられていたこげ茶色の髪をぐしゃりとくずし、次の瞬間、「あのバカが!」と声を荒らげた。
港に詳しく、それなりの権力を持つ者。
それだけなら幾人も候補はあるが、『魔力持ちである』という条件を満たすのは、ただ一人なのだと伯爵は唸った。
そして強く目を瞑り己の苦悩を振り切ると、ランドラ伯爵は私たちを見、はっきりと言った。
「犯人は分かりました。どうか私たちに捕縛を任せていただきたい。奴の悪事の幕引きは伯父である私がするべきだと思うので」
なんと。犯人は相応の権力を持っているだろうと踏んではいたのだが、まさかの領主の身内だったとは。
「この頃はまじめに港の管理人をやっていると安心していたのですが、よもやサディル国の船を手引きするとは。そればかりか罪のない人を死地に追いやる手引きまで……。これは弟亡き後あれを育てた私の責任でもありますゆえ、どうかお願いします」
聞くと、その犯人は海に面したこの町で生まれ育った。名をラリムといい、ランドラ伯爵の甥なのだそうだ。
弟夫婦が早くに亡くなったため、伯爵は遺された三人の子供たちをずっと気にかけてきたのだという。
伯爵夫妻はいずれ爵位を継ぐ自分の子供の側近に、と思っていたのだが、甥っ子のうちの一人が、どうも癖が強い……それがラリムだった。
弟の遺児の中でただ一人の魔力持ちではあるのだが、素行がとにかく悪い。
さらに伯爵の身内であることにあぐらをかき、働くことをせず遊びほうけてばかりのため、ラリムを次期伯爵の側近にしようとするのは早々に諦め、港で働くことを命じたのだという。
港はもともとラリムの父親がその地域を管理していたこともあって、幼い頃からのラリムを知る年長者が多く、伯爵の部下もいる。彼を監視しつつ地道に働かせることで少しでもラリムの意識を矯正しようと思ったそうだ。
だが『類は友を呼ぶ』ということわざがあるように、彼はろくでもない仲間とつるんでいたという。
「十中八九、犯人はあいつです」と伯爵が断言し、側近らもそれに同意しているからそうなのだろう。
確かに、伯爵の身内となれば、港からの輸送経路などの情報も取り放題だ。
仲間らと結託してアースクリス国からの支援物資を抜き取って横流ししたりして金を懐に入れていたようだ。真面目に働かなくても大金が懐に飛び込んでくるため、楽しくてやめられなかったのだろう。
そしてついには人の命を軽んじる卑劣な行為に加担したのだ。
「これ以上の悪事を重ねることは私も許しません。領主として犯罪者ラリムを捕らえます。……また私個人としてもけじめをつけさせてください」
ランドラ伯爵は、強い意志をたたえてそう言った。
――数日後、ラリムは港でランドラ伯爵によって現行犯で捕らえられ、魔力持ちの外国人たちは無事に保護された。
そして海上では、デイン辺境伯によってサディル国の船が捕縛されたのだった。
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