31 もうひとつのひとみ
「でも、義叔父様は次期後継者です……」
母様がポツリと言うと、レイチェルおばあ様は『それはもう大丈夫』と言った。
「アーシュにもしものことがあっても、リヒャルトには継がせません。後継者は別の者を選定しているわ。リヒャルト達には知られないように手続きも既に終えてあるの。ただ、リヒャルト達を排除する前に公表してはリヒャルト達に殺されてしまうから伏せていたのよ。―――もちろん、その者にも護衛はつけていますよ」
なんと。
すでにリヒャルトは後継者から外されていたのか。
「なかなかリヒャルトがボロを出さなくて。今回の件でバッサリ行きたかったけれど、とどめはさせなかったわね」
バッサリ。とどめ。
その言葉はカロリーヌさんにも言ってた。
それって、世間的に? それとも実質的なんだろうか。
考えるのはやめよう。なんだかこわい。
「まあ。だいぶダメージは与えられたと思うわ。あいつは陛下からの信用は元から持っていなかったけど。今回の件で化けの皮が剝がれたから、今までリヒャルトの表の顔に騙されていた周囲の認識も変わったし。二度と重要なポストには就けないわよ」
ふふふ。と王妃様が楽しそうに笑った。
「その不正とは何だったのですか?」
ローズ母様が聞いた。
そうだ。それは私も聞きたい。
レイチェルおばあ様が説明してくれた。
「昨日、王都の役所と魔法省にレント前神官長と大店の薬屋店主が来所して、特例の誓約魔法付き誓約書を申請されました」
「―――それって、昨日の教会の……。ええ。その話はローディンたちから聞いています」
ああ。昨日のサラさん達を虐めてた人たちのことか。
薬師のドレンさんが、サラさん達を憂さ晴らしのように虐めていた5人を役所に連れて行って誓約魔法付き誓約書にサインさせるって言っていたよね。
「誓約魔法付き誓約書は、特例中の特例です。そして確認したところ―――なんと、その申請された5人の名前が公共工事で雇われている人員の名簿に入っていたのです。―――つまり、人件費の水増しに名前が無断で使われていたのです。実は前々から不正がされているのではないかと、疑いがあったのですが、その公共工事を管轄する役所の長がクリステーア公爵家のリヒャルトだったのです。―――公爵家の権威を笠に着て調査官を脅して、不正を隠ぺいしていたのです。腹立たしい」
すぐさま捜査官が呼ばれ、その5人を足掛かりに、芋づる式に雇ってもいない人が次々と判明した。
そうして水増しした給与がどこに行ったか調べたら―――リヒャルトの懐の中に入っていたそうだ。
その日リヒャルトの妻カロリーヌの祖父名義の口座に、不正で得た日雇いの給与をリヒャルトの部下が入金していた現場を確保。
リヒャルトの直属の部下は、リヒャルトが捜査官の前で部下である自分を助けずに罪をなすりつけて保身に走ったために、魔法省の捜査官に自ら横領事件に対し『真実を話す誓約魔法』を申し出て、己が知りうる限りのリヒャルトの横領や不正を話したという。
その部下はリヒャルトに対して相当怒っていたため、誓約魔法には『真実を話さなかった時は死ぬ』と宣言したそうだ。
驚いた捜査官に。
『だって。あれだけ横領したのを俺のせいにされたら、俺があいつの代わりに処刑されるんだろ』と言って、リヒャルトの悪事をペラペラ話したそうだ。
その段階で、レント前神官長からアースクリス国王への報告、そして不正の一斉検挙につながったそうだ。
国王の命令でリヒャルトが捕縛され、その他にも教会の維持費を不正に取得していたリヒャルトの仲間も捕縛されたとのことだ。
自らの我欲の為に横領して、必要なところに渡さずに飢えさせていたとは許しがたい。
元々リヒャルトの周りで不正が蔓延していて、証拠集めもされていた。
今回確実な証拠が出たので一斉に摘発されたとのことだ。
何年もかけて行われた不正のその総額はとてつもなく、さらに業者からの賄賂や諸々の余罪もあるとのことだ。
「類は友を呼ぶといいますが……呆れてものが言えないですわ」
「その着服金は、豪遊に使っていたようね。このご時世に」
「ええ。着服した金品は、リヒャルトの個人資産でお返しいたしますわ。ふふふ。戦地から帰った時のリヒャルトの顔が見ものですわね」
罰金も入れたらすっからかんですわよ、ほほほ。
とレイチェルおばあ様が楽しそうに笑った。
「そんなに横領していたのですか……」
母様が驚いている。
「ええ。リヒャルトが前クリステーア公爵から相続した家屋敷と土地すべて国に没収になるわ」
けれど、今わかっているだけでもそれ以上の金額が動いていたそうだ。
自白したリヒャルトの元部下も、リヒャルトが公共工事の役所の他でも、荒稼ぎしていたことを知っているが、どのようなことをしているかは知らないようだった。
「公共工事は大きな金額が動くのよ。橋一つ作るにも莫大な資金が投入される。リヒャルトは人件費の水増しだけじゃない。あらゆる面で長年に渡って不正を繰り返していたのよ。その金額は莫大で、……それこそ離宮が一つ建設できるくらいにね」
離宮がひとつ? 規模が大きすぎて想像がつかない。
「あいつは悪事に関しては優秀よ。どこをつけば金が懐に転がり込んでくるか分かってる。そして逃げ方も十分に知っている」
王妃様が悔しそうに言う。
何故そんな人が公爵家の血筋なのか、とレイチェルおばあ様も心底悔しそうだ。
「本来なら巨額横領したんだから処刑まで行くところよ。でもリヒャルトは本当にバレたら危ないところは見事なまでに部下や他の者の責任にすり替えている。そこまでは今回追いきれなかったのが悔しいわ。―――本当に狡猾よね」
「とはいえ、今回、だいぶ金の流れと仲間の目星も掴みました。リヒャルトが戦地から帰ってくるまでに色々と仕込んでおいて、泳がせるとのことですわ」
「ええ! 自らが持つ公爵家の財産がすっからかんになったリヒャルトがどう動くかしら。公爵家という盾ももう使えないし、今度は自分で動くしかなくなるはずよ。リヒャルトと手を組んでる者たち諸共、今度こそ引導を渡してやるわ!!」
まだまだ隠して置いてある金品。
公爵家の資産を没収されたなら、隠してあるものを当てにするはずだ。
「着服金と知りながら宝飾品を買いあさっていた罰として、カロリーヌもしばらく外出禁止にいたしますわ。監視もつけておきます。自由になんてさせませんわよ」
カロリーヌが祖父名義の口座を使っていたことで、知らないうちに犯罪に巻き込まれたカロリーヌの実家は、彼女と縁を切ると陛下に申し出たそうだ。
明らかな犯罪の証拠を示され、家を取り潰されるのを恐れて縁切りを宣言し、その申請書類も受理された。
「本当に困った馬鹿夫婦よね」
「全くですわ。一時とはいえ、便宜上仮の後継者としていたのが恥ずかしいですわ」
「ずいぶん前から、クリステーア公爵がリヒャルトの不正を指摘していたのに、なかなか綻びが見つけられなかったのよね」
王妃様との会話の途中で、レイチェルおばあ様の声が少し低くなった。
「―――クリステーア公爵家としても責任を取らなければいけませんが」
王妃様が何を言っているの! と声をあげた。
「それは陛下からも言われているでしょう。罪を犯したのはリヒャルト。クリステーア公爵はリヒャルトの不正を最初から気づいて調査させていた。そしてリヒャルトの不正をいくつか事前に防いでもいた。それでもリヒャルトは次々と罪を重ね続けた。あいつは性根が腐ってるのよ。綺麗な仮面を付けた悪党よ」
「今回の件で当然リヒャルトの貴族位は剥奪となる。リヒャルトやカロリーヌが何と言おうとこれは決定事項。女官長が言ったようにリヒャルトがクリステーア公爵位を継ぐことは、陛下も、私も―――そして女神様も許さないわ」
貴族位の剥奪は、リヒャルトと、クリステーア公爵家との縁を切ることにつながる。
だから。と王妃様は繋げた。
「リヒャルトは自分の罪を自分で償うの。クリステーア公爵や女官長が償うことではないわ」
「―――ありがとうございます。うれしゅうございます。王妃様のお世話をこれからも出来るのですわね」
レイチェルおばあ様がそう言って微笑むと、王妃様がレイチェルおばあ様の手を握って言った。
「当然よ! これからもよろしくお願いするわね!!」
本当に王妃様はレイチェルおばあ様を信頼しているのだとわかった。
母様も二人を見て嬉しそうに微笑んでいる。
実は、レイチェルおばあ様は王妃様と不穏な会話をし続けながらも、私を膝の上にのせてずっと頭を撫で続けていた。
「ねえ! 女官長、私にもアーシェラを抱かせて! なんかズルいわ!」
王妃様が手を伸ばすが、レイチェルおばあ様はどこ吹く風だ。
「王妃様。私の長年の想いを察してくださいませ。本日ばかりはお目こぼしください」
ぐ。と王妃様が詰まった。
「~~~っ!! しかたないわね!! 今日だけよ!!」
「お義母様……」
「うふふ。アーシェラは可愛いわね~~」
レイチェルおばあ様は今は母様にも私を渡したくないらしい。
ぐりぐりと頬ずりされて、ぎゅうぎゅうと何度も抱きしめられた。
ここまでの好意を示されたら疑う余地もない。
レイチェルおばあ様は私と母様の味方なのだ。
「ローズ。私はアーシュが無事だと信じているの。いつか必ず戻ってくると。だから、その時はアーシェラと一緒に公爵家に戻ってらっしゃい。―――それまでには、リヒャルト達は必ず排除するわ」
母様が今まで聞きたくても聞けなかったことをレイチェルおばあ様に問いかけた。
「あ、アーシュは無事なんでしょうか……」
「……無事であると信じているのよ。あの子は私が産んだたった一人の子。命を失ったら必ず私の身に何か起きるはずなの。―――だから、まだ生きていると信じているわ」
アーシュさんは未だ不明だということだ。
だけど、レイチェルおばあ様はあきらめてはいない。
「―――はい……」
母様が明らかに項垂れてしまった。
こんなに悲しそうな母様を見るのは初めてだ。
王妃様がローズ母様とレイチェルおばあ様を見て、顔を曇らせたあと。
「! そうだわ! アーシェラ!! 一緒にお父様の無事を祈りましょう!!」
思いついたように手をぱんっと叩いた。
「おとうしゃま?」
って、アーシュさんのことだよね。
「そうよ! お父様が元気でありますように! って! 女神様の加護がある私たちなら少しは効力があるかもしれないわ!!」
その言葉を聞いたレイチェルおばあ様が王妃様を窘めた。
「王妃様、加護があっても私事での願い事は駄目ですよ。私欲にはお答えはされませんでしょう」
「なんで私欲なの? 大事な人を守りたいという純粋な思いなのよ! 私欲っていうのは、こっちの人を護って、あっちの人を護らないでくださいっていうことじゃないの?」
そう言って、王妃様はしゃがんで、私の手を取った。
「その理論はよく分かりません…」
レイチェルおばあ様がポツリと言う。
私もよく分からない。
でも、女神様の加護のおかげで何が出来るのかは分からないけど、お願いだけはしてみたい。
ローズ母様やレイチェルおばあ様が元気になるのは、アーシュさんが無事であることなのだ。
「さあ、アーシェラ。ただお祈りするだけでいいのよ。こうやって」
「あい!!」
王妃様が胸の前で手を組んだので、私も同じように手を組んだ。
そして、昨日教会でお願いしたように声に出した。
その方が聞き届けられるかと思ったから。
「めがみしゃま。かあしゃまやおばあしゃまのために、おとうしゃまをまもってくだしゃい!」
そして心の中で祈りを捧げる。
アーシュさんは私のお父様ではないけれど。
その無事を心から切に願うローズ母様やレイチェルおばあ様の為に。
無事でありますように。
元気でありますように。
病気やけがをしていませんように。
もししているなら、病気やけがが早く治りますように。
無事でいても未だ囚われているなら。
どうかその鎖を断ち切ってほしいです。
昨日みたいに明確な女神様の答えはなかった。
なんだか瞳の奥があったかいかんじがしただけだ。
そして、祈り終わって目を開けたら王妃様が顔を覗き込んでいてびっくりした。
びっくりしたけど……なんだか急激に睡魔が襲ってきて何も考えられなくなった。
「かあしゃま。ねみゅい……」
そういえばもうお昼寝の時間をとっくに過ぎていたのだ。
そのままレイチェルおばあ様に背を預けて、コトリと眠りに落ちてしまった。
「すみません。お昼寝の時間をだいぶ過ぎているので……眠くなってしまったようです」
「私の部屋をお使いなさい」
レイチェルおばあ様から私を引き取った母様が、王妃様の部屋の隣のレイチェルおばあ様の部屋に私を抱いて入っていった。
だから。
「よかったわね。女官長―――不明だった『もうひとつのクリステーアの瞳』がこたえたわ」
そう言って微笑んだ王妃様のことも。
―――レイチェルおばあ様がよろこびの涙を落としたことも、知る由もなかった。
お読みいただきありがとうございます。