30 レイチェルおばあさま
「大変だったわね、女官長」
「いつものことでございます。お見苦しいものをお見せしまして申し訳ございませんでした」
女官長が優雅に礼をする。
先ほどの激情はどこに行ったのかと思うような、物腰の柔らかさ。
「まあ! いいのよ! カロリーヌの鼻がへし折られた姿が見れて、せいせいしたわ!!」
カロリーヌというのは、さっきの傲岸不遜な女性のことだろう。
「カロリーヌは当家の分家の血筋で、金色の髪と緑色の瞳を持つということで、義弟のリヒャルトに見初められたのです。――――瞳の色だけで後継者気取りで勘違いも甚だしい」
そういえば、カロリーヌという派手な女性はとても濃い緑色の瞳だった。
と、いうことは。
クリステーア公爵家は、金色の髪と、濃い緑色の瞳なんだ。
王妃様の実家である、クリスウィン公爵家は、金色の髪と、琥珀色の瞳なのだろう。
他の公爵家の色はどんなんだろう?
もしかしたら、王宮に何度も来たら、私を捨てた家の人に会うことになるのかな。
――――そう思ったら、なんだか怖くなった。
でも。私が赤ちゃんの時、公爵家の血とか、長子とかって、言葉を耳にしたことがあるけど。
本当にそうなんだろうか。
私が勝手に公爵家の長女と思っているだけで、庶子とか、分家の子である可能性もあるんだよね。
それに―――捨てられるくらいだから、どちらにしても歓迎されない子だったに違いない。
生まれてから捨てられるまでの期間、最低限のお世話で、放置されたことが心に突き刺さる。
もし、生まれた家が分かったら私はどうなるんだろう?
生まれた家に帰されて、また放置されるのかな……
さっき王妃様に聞いた怖い話に血のつながった人たちが乗っかって、怖い目に遭うかもしれない。
だけどその前に、何よりも、ローズ母様やローディン叔父様、リンクさんと離れるのは絶対に嫌だ!!
「どうしたの? アーシェ?」
考えていたら怖いことに行きついてしまって、思わずぎゅっと母様の手を握っていた。
母様がしゃがんで私の瞳をのぞいたので、母様に抱き着いた。
「ああ。さっきの話は子どもにはきつかったかも知れないわね。女官長の迫力もすごかったし」
私が怖くて震えているのは女官長のせいではないのだけど、女官長が謝罪する。
「それは……そうですわね。申し訳ございません」
母様は私を抱いたまま、女官長に挨拶をした。
「こんな姿勢で申し訳ございません。お久しぶりでございます。お義母様」
女官長も先ほどの厳しい顔とは変わって、優しい笑顔で答えた。
「お久しぶりね。元気そうでよかったわ。ローズ」
―――お義母様!?
ローズ母様が嫁いだ家って、クリステーア公爵家だったの!?
そういえばカロリーヌという派手な女性が『ローズだって、子供を』って言ってた。
あれは、『ローズ母様が子供を死産した』って言おうとしてたんだ。
だから、カロリーヌさんが、夫のリヒャルトさんが、クリステーア公爵家の後継者だって言ってたんだ。
クリステーア公爵家の嫡男がアンベール国で捕縛されたという話は、ウルド国、ジェンド国で捕縛された人たち同様に国民全員が知っていることだ。
それがこの長年にわたる戦争の引き金になったのだから。
女官長の一人息子のアーシュさんが、生きて戻って来なければ、クリステーア公爵家の直系の子供がいなくなる。
だから現クリステーア公爵の弟であるリヒャルトさんが『仮の後継者』になっていたのだ。
もしかしたら、アーシュさんが戻ってきたら、母様はクリステーア公爵家に戻るのかもしれない。
―――そうしたら、私は?
拾い子である私はもう母様と一緒にいられなくなるかもしれない。
「~~~……」
不安な気持ちがぐるぐる渦巻いて、母様の胸に顔をうずめてふるえてしまった。
「ごめんなさいね。怖がらせてしまって」
女官長の優しい声と、優しい手が私の髪を撫でた。
顔をあげると、とても優しい顔で―――そして、とても戸惑っているようだった。
そうだよね。
クリステーア公爵家のローズ母様が拾い子を育てているんだもの。
戸惑うのは当たり前だよね。
女官長は私の瞳をまっすぐに見て、ふわりと笑んだ。
女官長さんは、さっきのカロリーヌさんに対していた時は怖かったけど、私を見るその瞳は、真っすぐで穢れがない。
それに、悪い人を王妃様が信頼して傍に置くはずがないのだ。
「はじめまちて。あーちぇ…あーしぇらでしゅ」
ちゃんと挨拶しなければ。
ローズ母様にしがみついた手を少し離してぺこりと頭を下げた。
「まあ! …そうね、はじめましてよね。はじめまして。私はレイチェル。―――あなたのおばあ様よ。アーシェラ」
女官長の言葉に私もローズ母様も驚いて声をあげた。
「おばあしゃま??」
「お義母様!?」
拾い子である私に、この国の王家の流れをくむ公爵家の人間である女官長に、おばあ様だと名乗られるとは思わなかった。
にっこりと微笑んだ女官長は、驚いている母様に頷きながら言った。
「ローズの子でしょう! では私たちの孫だわ。なにも問題ないでしょう?」
「お義母様……。ありがとうございます…」
母様が目を潤ませながら女官長に頭を下げた。
ああ。私にもわかった。
レイチェルおばあ様は、バーティアのひいおじいさまやデイン伯爵家のみんなと同じだ。
血のつながりのない私を、ちゃんと母様の子と認めてくれている。
とても優しい人なのだと。
「おばあしゃま!!」
嬉しくなって手を伸ばすと、レイチェルおばあ様がにっこりと笑って、母様から私を抱きとった。
「―――かわいい! かわいいわ! このまま公爵家に連れて帰りたい!!」
レイチェルおばあ様に頬ずりされて、ぎゅうぎゅう抱きしめられた。
あれれ? さっきの氷の女官長はどこに行ったんだろう。
◇◇◇
ソファに戻った王妃様と母様は、レイチェルおばあ様を含めて、今後の私のことを改めて話をした。
一人用のソファに王妃様。
向かいあう形で、向かい側には母様が。そしてこちら側はレイチェルおばあ様と私が座った。
ちなみに、私はずっとレイチェルおばあ様の膝の上だった。
「お義母様……」
母様が私を離さないレイチェルおばあ様に苦笑していた。
レイチェルおばあ様は、夫であるクリステーア公爵から私の加護のことを聞いていたらしい。
「大丈夫よ。ローズ。アーシェラはクリステーア公爵家が護ります。本当は二人とも公爵家に連れて帰りたいくらいなんだけれど、うちにはあのリヒャルト夫妻がいますからね。今回の不正の責任を取って、リヒャルトはしばらく国にいなくなるけれど、カロリーヌがまだいるから。―――あなたを実家に戻す決断をしたとき、あの二人を排除してからあなた達を迎えに行こうと思っていたのよ」
「――――――!!」
母様が息をのんだ。
「リヒャルト達は、アーシュがいなくなったことをいいことに、貴女を亡き者にしようとしていた。だからリヒャルトの手の中ともいえる公爵家から貴女を逃して実家に戻そうと思ったの。そちらの方が貴女を護れると思ったから」
追い出されたわけではないと知って母様が涙を落とした。
「あの時は戦争が激化していて、旦那様も戦地に行ったり、王宮もバタバタしていてあなたに会わずじまいでバーティアに帰してしまって……。ずっと誤解をさせてしまっていたのね。ごめんなさい」
いいえ、と母様がかぶりをふる。
「―――けれど、今でもリヒャルトの手の者が付け狙っているということを知っているわ」
それは私も知っている。
害意は肌に突き刺さる。
私はその感覚に鋭敏で、時折商会の家の周りにそれを見つける。
大抵はローディン叔父様やリンクさん、そしてセルトさんが私と同じくらいに感じて対処していた。
だから母様はあまり外出はしない。
外出する時は、しっかりと安全を確保してからにしているのだ。
あの害意がさっきのカロリーヌと夫のリヒャルト(呼び捨てでいい!)のせいだったなんて!
それを知ったらすごく腹が立ってきた。
「弟や従兄弟が護ってくれました……」
母様の言葉にレイチェルおばあ様が頷いた。
「ローディン殿やリンク殿は相当強いのね。公爵家の護衛からもよく聞いているわ。自分たちの出る幕がないって」
「―――え?」
驚いた母様に、レイチェルおばあ様が実はね、と話す。
「実は、公爵家からも護衛を秘かにつけているのよ。あの馬鹿、アーシェラの命も狙っていたのよ」
え? 私も標的だったの?
「自分たちが確実に後継者になりたくて、少しの芽でも摘んでしまいたかったみたいよ。―――こんなにかわいいアーシェラの命を狙うなんて。―――あの二人の方こそ刈り取ってしまいたいわ」
レイチェルおばあ様の後半のつぶやき……。本音が駄々洩れだ。
「彼らなら納得よね。そこまでクリステーア公爵家が欲しいのかしら。そんな器もないくせに」
王妃様が厳しい。
でも器ってなんだろう?
「クリステーア公爵家を継ぐ者はね、公爵という高い位だけではないのよ、アーシェラ。私たちが女神様の加護を持って役目を果たすように、クリステーア公爵家にはクリステーア公爵家の役割があるの。それは、あの馬鹿リヒャルトでは出来ないことよ」
―――王妃様。とうとうリヒャルトの名前の前に馬鹿ってついたよ。
どうやらリヒャルトという人物は相当厄介な人らしい。
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