29 氷の女官長
◇◇◇
私が王妃様に抱きしめられていたら、にわかに廊下が騒がしくなった。
どうやら、誰かが騒いでいるらしい。
「―――どうやら、余計な客が来たみたいね」
王妃様がいる部屋の近くで大きい声を出すなんて非常識じゃない?
それともそれなりの権力を持った人なんだろうか。
その騒ぎは王妃様の部屋のすぐ近くまで来た。
なんだろう。怖い。
身を固くした私を王妃様が優しく抱きしめた。
「ああ、大丈夫よ。アーシェラ。この部屋には私が許可しないと入れないから」
その騒がしさは近くの部屋に移った。
「女官長様のお部屋……」
母様がポツリと言った。
「気になるわよね。少し見てみましょうか」
王妃様がそう言うと、王妃様の部屋と扉続きの女官長様の部屋を遮っている壁にかけられた大きな風景画のもとに行き、絵画に手を触れさせると、大きな風景画が前世のテレビのように変わった。
どうやら、隣をのぞけるようになっているらしい。
「こちらの姿も声も、あちらには見えないわ。あちらのものを見ているだけよ。安心して」
映し出されたのは、40代くらいの女性で、きっちりと女官の服をきて金色の髪を結いあげた方で、グレイの意思の強そうな瞳をもう一人に向けていた。
女官服を着た人が、母様が会いたがっていた女官長様だろう。
一方は派手な赤いドレスをきた30歳になるかならないかの、派手という言葉を体現したような豊満な体型をした女性だ。
金色の波打った髪と、とても濃い緑色の瞳の勝気というか、傲慢な雰囲気を持つ女性だった。
「何故ですの!? 何故リヒャルト様が処罰を受けることになったんですの!!?」
甲高い声が、扉を隔てても直接聞こえてくる。
隣の部屋が誰の部屋か知っているだろうに、常識がないのだろうか。
それともワザと聞かせているのか。
「それを私に聞く方が間違いではないですか。あなたの夫は役所の長。不正をした部下への監督責任がありましょう」
「不正をしたのは部下の方じゃありませんか!! リヒャルトは何も知らなかったのです!!」
おや、女性の夫は何か問題を起こしたらしい。
「ほう。書類にはリヒャルトの直筆サインがあったではないですか。知らないでは済まされませんよ」
「リヒャルトは知らないと言ったのです!!」
「と、なると。リヒャルトは書類の内容を見もせずにサインをしていたと。なるほど。―――職務怠慢も甚だしい。その結果、その不正によって得た金品はどこに消えたと?」
女官長の視線が鋭く女性を射た。
あなたは知っているわよね、という視線だ。
女官長の視線に女性は明らかにぎくりとしたが。
「そ、そんなの私に分かるわけないじゃないですか!!」
「――――いいですか。上に立つ者はしっかりと仕事に責任を持たねばなりません。部下の指導ももちろんのこと。仕事で生じた事柄をすべてを把握し、そのすべてに責任を持たねばならないのですよ。―――知らない、というのはただの言い訳に過ぎません」
女官長という責任のある立場で、女官すべての仕事をまとめ上げてきた女官長は仕事に対する矜持がある。
真っ直ぐに女性を睨みつけるが、女性にはその矜持が分からないのだろう。
何を言っているのか分からない、という感じだ。
それを見て、女官長は呆れた表情と共に、大きくため息をついた。
「その不正で得た金はどこに行ったのでしょうねえ。リヒャルトの直属の部下はぶるぶると震えていたそうですよ。上司に助けを求めるように見つめていたそうです。もし自らが不正をしていたのなら、あえて上司に助けを求めることはないのではないかしら? 捜査側はその上司が黒幕と睨んでいるようです……その上司が誰か、あなたは知っているのではないのかしら?」
リヒャルトさんの直属の部下の上司、ということは、黒幕とやらはリヒャルトさんではないの?
女性は一瞬のけぞった。
夫が黒幕として完全に目をつけられていることを理解したのだろう。
「し、知りません!! 知るわけないでしょう!!」
大きな声で否定しながら、その目はキョロキョロと泳いでいる。
うわあ。これ、この女性も絶対知ってるやつだ。
というより、一緒に着服金をせしめていそうな感じだ。
「……まあ、いいでしょう。ですが、あなたの夫に下された処分は変わりません。役所の長の解任。不正で得た金品の返還と罰金。そして、アンベール国境での一年間の従軍です」
下された処分を淡々と話す女官長。
その女官長に女性は両手を組んで大きな声をあげた。
「それを、取り下げて欲しいのです!!」
え? 罪を犯したのに何を言っているのかな? 君は。
「ばかも休み休み言いなさい。私に何の権限があるというのです」
うん。女官長様の言い分はもっともだ。
「お、王妃様にお願いしてください!!」
「―――なんですって?!」
女官長が思わぬ言葉に驚いて目を見開いて固まった。
その女官長に女性はさらに強く言葉を重ねた。
「王妃様の権限でなかったことにしてください!! 王妃様ならそれくらいできるでしょう!!」
―――なんて傲岸不遜なんだろう。
見ているだけで気分が悪くなる。
腕を組んで映し出された状況を見ていた王妃様の瞳が冷たく眇められた。
厚顔無恥な女性を見つめるその目には鋭利な光が見えた。
わあ。王妃様、怒ってる。
母様もとても嫌そうな表情をしている。
王族を利用して自分の夫の罪を消そうとしているのだから、当たり前だろう。
誰より怒りのオーラを放っていたのは、女官長様だ。
一気に空気がブリザードのように冷えたのが、扉のこちら側でもわかる。
向こう側のテーブルの水差しの中の水がピキピキと音を立てて凍っていったのが見えた。
「さ……寒い? ――――ひっ!!」
女性が女官長を見て息をのんだ。
恐ろしいまでの威圧感。
女官長を本気で怒らせたことを悟ったようだ。
「――――貴女、王族を自分の為に動かそうというの!? ―――それが、我がクリステーア公爵家に連なる者の言うことですか!! 恥を知りなさい!!」
女性は、女官長の迫力に慄いて一歩後退したが。
「でも、リヒャルトはクリステーア公爵家の後継者ですよ!! いなくなったら公爵家が困るじゃないですか!!」
すぐに言い返すとは、ずいぶんと心が強いらしい。
――――とても、残念な方向に。
「どの貴族も半年間の従軍を義務付けられています。例外は認められません」
「でも、今じゃなくても!! それに一年間って長すぎます!!」
今じゃなくても? どういう意味だろう。
「それが、不正に加担した者への罰です。ああ、加担ではないですね。主導していたのですから。リヒャルトはバレていないと思っているようですが、証拠が挙がっているのですよ。その一つを身にまとっている貴女が。――――見苦しい」
女官長の視線が女性の胸元の大きな宝石をさす。
「―――!!」
「それに、リヒャルトが後継者といいましたが、私の息子の死亡は確認されていないのですよ。『後継者』などと、私の前で言うなど無神経な」
「~~ですが。アーシュは5年経った今でも戻ってきていません!! ローズだって、子供を―――」
最後まで言うことが出来なかったのは、女官長の瞳が、相手を殺しそうに睨みつけていたからだ。
「―――あなた。自分たちがいくらでも取りかえのきく『後継者候補』だということを分かっているのかしら?」
「で、でも……」
「こんなことをしでかしておいて、責任はないとでもいうつもり? 罪を犯した自覚さえないあなた達に、クリステーア公爵家の名を名乗らせることさえおぞましい」
その目は怒りに満ちて、女性を震え上がらせた。
さっきまで女性と少し距離を置いていた女官長が、一歩、彼女に近づいて、言った。
「クリステーア公爵家の名をこれほどまでに貶めておきながら。―――あなたたちが公爵家を継ぐ可能性は消えたと思いなさい。その時は来ないわ―――絶対に」
「――――――!!」
女官長から発せられた言葉に驚愕して、女性は声をつまらせた。
「さあ、おかえりなさい。―――ああ。公爵家に帰るのではなく、『あなたたちの家』に帰りなさいね。私は親切だから、教えておいてあげるわ―――今回の件で、宝飾店の店主が捕縛されたそうよ」
言外に公爵家に『帰る』のは許さないと言われて固まった女性は、その後に続けられた言葉にぎくりとした。
「!!」
女性の顔がみるみるうちに青ざめていった。
「魔法省がすでに動いているそうだから、隠したものも根こそぎ見つかるでしょうね。ふふふ」
女官長は楽しそうに、さらにそう爆弾投下した。
あなたの罪もつまびらかになるわよ。と。
「――――――し、失礼します!」
一刻も早く帰ろうと身を翻した女性に、『待ちなさい』と女官長が声をかけた。
「言っておくけれど。二度と王妃様を利用しようとは思わないことね。今は見逃してあげるけど、―――次は、ないわよ」
「身内であろうと、不敬罪でバッサリ切って差し上げるわ」
泰然として、それでいて凄烈なオーラが女性を慄かせた。
女官長の言葉に明らかに震え上がった女性が慌てて退出した後、廊下で転んだ音が聞こえてきた。
相当慌てていたのか、それとも恐怖に足がもつれたのか。
そして、足音が遠ざかって消えた後に。
女官長が『こちら』をみた。
「お騒がせして申し訳ございませんでした。王妃様。今からそちらに参ります」
どうやら、見られていたのを分かっていたようだ。
王妃様が映し出していた映像を消し。
壁面が元の風景画に戻ると同時に、扉がノックされ、女官長が入室してきた。
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