276 おまじない
誤字脱字報告ありがとうございます(^-^)
いつも助かっています。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
『この先獣注意』という立て看板を通り過ぎ、山道を登っていく。
「『探索』したところ、大丈夫そうだが、この立て看板はまだしばらくはこのまま置いておいた方がいい」
そう言うのは、長い銀髪を緩い三つ編みにしたクリスティア公爵である。
「はい、そうします」
ローディン叔父様とリンクさんが頷く。
危険な外来種の殲滅の命を国王陛下から受けたのは、『探索』というスキルを持つクリスティア公爵である。
そのため彼はローディン叔父様やリンクさんと共にこの山に何度も討伐に来ていたのだ。そのおかげで、外来種の獣は数を着実に減らし、今では姿が確認されなくなっていた。
今日もクリスティア公爵が『探索』を巡らせつつ、感知できる範囲内に獣がいないことを確認していた。
この山はそう大きくないので危険さえなければ数時間で登りきることができる。事実、腕に覚えのある人々で構成されたこのパーティは昼過ぎには頂上付近に到達できた。頂上はぽっかりと開けた野原で、小さな小屋があったけどここ数年放置されていたため、あちこち修理が必要そうだった。
「あっちの方に薬師たちの作業小屋が残されているはずだな。そっちも修理が必要か確認していこう」
「ああ」
ローディン叔父様とリンクさんがドレンさんからもらった地図を見ながら、私とクリスティア公爵を振り返り、
「クリスティア公爵、アーシェをお願いします」と言った。そしてクリスティア公爵は私を抱っこしたまま「わかった」と、頷く。
そう、私はずっとこの山をクリスティア公爵と一緒に登ってきたのだった。
彼はリヒャルトの件でクリスフィア公爵がしばらくの間私の護衛を離れることになったため、護衛機関の長の代行となったのである。
私とローズ母様は身の安全のために、最近は外出を控えるようになっていた。それを知っているクリスティア公爵が「ずっとこれでは息が詰まるだろう。私が一緒にいるからお出掛けしようか」と、バーティア伯爵家の領地となった新しい山の視察に誘ってくれたのだ。
ちなみにローズ母様はバーティア伯爵家でお留守番である。
まあ山の視察なんて貴族の女性がするものではないしね。
そんなわけで、ローディン叔父様とリンクさんはこれからこの山を管理するためにいろいろすることがあるので、クリスティア公爵に預けられたのである。
クリステーア公爵のアーネストお祖父様と同年で友人だというクリスティア公爵は、五十歳になるというが、魔力が強いためどうみても三十代半ばくらいにしかみえない。かっこいいおじ様である。
彼は真っ直ぐで長い銀髪を緩い三つ編みにして、後ろに垂らしている。
幼なじみだった奥様がクリスティア公爵の長い銀髪を三つ編みにするのがお好きで、昔一度髪を切ったらものすごく悲しまれたらしく、それ以来三つ編みができる長さをキープし続けていると教えてくれた。クリスティア公爵って愛妻家なんだね。
山を登りきる間、私はずっとクリスティア公爵と手をつないで歩いたり抱っこしてもらってきた。ほとんど抱っこできたようなものだけど。
なぜ抱っこかというと、最初は歩いていたのだけど、初めて履いた山歩き用の靴が足に合わず、靴擦れしてしまったからである。治癒をかけてもらって傷は治ったけどそこからはクリスティア公爵に抱っこされてここまで来た。
途中ローディン叔父様やリンクさんが代わろうとしたけれど、クリスティア公爵が断ったのだ。
私はクリスティア公爵の孫息子と同じくらいの背丈らしい。
「孫は男の子ばかりでな。女の子がいたらこんな感じか。なんだか男の子よりふわふわしてて可愛いなあ」と目を細めて言っていた。
靴擦れを治癒で治してくれた時も「痛いの、痛いの、飛んでいけ~!」と前世でもお馴染みのあのおまじないをしてくれた。手慣れていた感じだったから、たぶんお孫さんにもやっていたんだろうなぁ。そんな感じでずっと来たからおかげですっかり仲良くなった気がする。
木陰で休憩している今も、鳥の名前を教えてくれたり、「あれは触ったらかぶれるぞ」「あの赤い実は薬にできるが生食には向かないぞ」などと、鑑定能力を持つクリスティア公爵が一つ一つ私に教えてくれている。
公爵様って魔力が強いと聞いていたけど、鑑定も治癒も使えるの? さらに探索っていうスキルも持っていたよね? とこっそり聞いたら、四公爵は基本的に鑑定と治癒を持っていると教えてくれた。そして探索はクリスティア公爵独自のスキルなのだそうだ。なるほど。
「うわっ! なんだこれ!」
というリンクさんの声が林の中から聞こえて、クリスティア公爵と共に現場に行くと、大きな木が立ち枯れていた。
見ると木の根元に大きな黒いシミがある。
「これがあるということは、ここで死んだ個体があるということだな」
普通の生物なら腐敗後に骨が残るものだが、件の獣は命を失うと肉も骨も溶けて形をなくすらしい。その溶けた黒いモノが地に浸潤して穢し、不毛の地にしてしまうのだと聞いた。
「浄化されずにいたということは、ここは以前イヌリン小伯爵の手の者が討伐した場所のようだな。ローディンやリンクたちが討伐した時は死体の浄化作業を即座にしていたから土地もさほど穢されることもなく再生していたが、ここは討伐したままの状態だったようだ」
その黒いシミのような跡は横に一・五メートルから二メートルほど。まるで獣が横たわっているかのような形になっている。
そこの木の根元で絶命したと思われ、立派な木が黒く変色して立ち枯れていただけでなく、周辺の土もむき出しになっていて、草が一本も生えていない。
これが、あの獣を放置したゆえの弊害だという。
「とりあえず、浄化するか」
そう言ってクリスティア公爵が手をかざすと、キラキラした金色の光が黒い土に降り注ぎ、吸い込まれていく。
その光は、深く深く地中へと潜り込んでいく。それだけ地中に毒が浸潤していたのだろう。やがて、大地の中から入って行った光に押し出されるように出てきた黒いもやのようなものは、森の光に侵食されるように消えて行った。
「ここはこれでよし、と。だが、よくよく見ると、ここら近辺を寝床にしていたようだな。だからあちこちが汚染されて草木が枯れているようだ」
なんと。生きている間にも毒の影響があったのか。確かに、緑が生い茂って人が入れないような場所なのに、寝床にしていたとみられる場所はほとんど草木がみられない。さらにあちこちに土がむき出しになっているところがあった。
「一度汚染された場所の毒は自然と消えることはない、ということだな」
「そのようですね。実はさっきぐるっと見て回ったのですが、魔導具の結界内のあちこちがこういう感じになっているのです」
「ああ、頂上付近の野原は獣が隠れる場所がないせいか被害は少ないが、木々が生い茂っている場所はあちこち草木が無くなり、地面が黒くなっていた」
その後、調査員たちから同様の報告を聞いたクリスティア公爵が、
「――分かった。結界魔道具が設置されていた一帯の浄化が必要だということだな」と範囲浄化の判断を下した。
クリスティア公爵の指示で、魔術師さんたちが渡された杖を手に散らばっていく。
その杖の先には浄化のための大きな結晶石が付いていて、さらに杖自体にも浄化の力が込められているという。
それを六方向、イヌリン小伯爵が設置した魔導具の結界をすっぽりと覆うように配置する。
なぜ六方向かというと、結晶石の結晶が六角形であることに起因する。この陣形にすることで結晶石の力を最大限に引き出すことができるらしい。
「アーシェラちゃんは広範囲の浄化魔法を見るのは初めてだろう? 光魔法の持ち主は浄化魔法を使えるからいずれアーシェラちゃんも一人で使えるようになるだろう。今回は浄化の魔導具を用いた一般的な方法を見て覚えるといい。一人でやる時と基本は同じだからね。だが範囲は魔力量に比例するから、幼いうちはあまり無理をしないようにな。魔力切れで倒れるよ」
丁寧に教えてくれるクリスティア公爵に「あい」と素直に返事をする。
以前王妃様とうっかり同調をして意識を飛ばした時、魔力切れで倒れた経験がある。あの全身の力が抜け落ちたようなあの感覚はもう二度と経験したくないものね。
私とローディン叔父様とリンクさんは、魔術陣の中心にクリスティア公爵と共に立つ。浄化魔法をクリスティア公爵が中心に展開し、不浄を焼く魔法の炎をローディン叔父様が、そして再生を促す恵みの水を大地に与える役目をリンクさんが担うのだ。
そして「私は?」と問うたら、大地に手をあててお祈りしていてほしいとのことだった。緑の瞳を持っている者は大地に親和性があるので、穢されて乱れた大地の気を整えることができるらしい。そうなんだ。
しばらくして浄化の魔導具設置完了の合図が六方向から届き、クリスティア公爵が右手を高く挙げた。
すると、六方向の上空に魔術陣が立ち上がり、結界の壁が構成されたのが見えた。さらに私たちの上空には金色に輝く大きな魔術陣が展開される。
足元には上空と同じ魔術陣が敷かれており、ローディン叔父様とリンクさんがその魔術陣に手を置いて、浄化の光に己の力を載せていく。
金色の光が大地から黒い力を引きはがし、金色の光が不浄のモノを焼き尽くしていく。さらにキラキラとした金色の粒子が大地に染み込んでいくのが見えた。
不浄のモノを焼いているのはローディン叔父様で、大地に染み込む金色の粒子はリンクさんの力なのだと、自然と理解した。
すごい。さっきまで黒かったところがあっという間に元の色に戻って行く。
その光景に驚いてしばらくの間呆けて見ていたけど、私にもお役目があったことを思い出した。
ぺたっと、両手を草の生えている地面につけて目を閉じ、意識を集中すると。
――何かが、聞こえた。
誰かの声。声だけど、人の声じゃない。誰かの――そう、ここに生きる生き物たちの思いが。大地を通して伝わってくる。
『痛い』
『痛いよ』
『怖い。ここから出して』
『お願い。助けて』
――声と共に脳裏に伝わってくるもので、気づいた。これまでイヌリン小伯爵は獣がふもとに降りてこないように魔導具で結界を施していた。だから、外来種の獣だけではなく、もともとこの山に生息していた動物たちも結界の中に閉じ込められることになったのだ。
その、動物たちの声。
結界の外に逃げることもできず、獣に捕食される動物たち。
さらに獣の生態のせいで森は穢されていき、草食動物たちは安全な食べられる植物を求めて結界内をさまよっていたのだ。
獣によって毒で穢された大地を踏み、足が爛れ苦しむ動物たちの姿が脳裏に浮かび、怯える声が聞こえた。
……ここでこんなことがあったんだ。
人間側の視点でしか見てきていなかったけど、ウサギさんやリスさんたちもずっと大変だったんだね。
浄化の光は浄化と共に治癒をも、齎すと聞いた。
だから、大丈夫。もう少ししたらウサギさんの足も鹿さんの足も治るよ、と伝わってくる声にそう応えると。
驚いたように、『本当?』と返ってくる。
うん。だって少しずつキラキラが広がっていくのが見えるもの。ほら今君たちの足元にも。
よし、じゃあ早く治るように、おまじないをかけるね。せーの。
「いたいの、いたいの、とんでいけ~!」
お読みいただきありがとうございます。
8月22日にコミカライズの第二話がコミックアーススターで配信されています。
コミカライズの方もどうぞご覧くださいね。




