246 生きるためには
お久しぶりです!
書籍化作業が一段落したので更新を再開します。
今回はアーシュさん視点です。
3月初旬、アンベール国の王都近くの砦にいる私の元にアースクリス国にいる愛しい妻と可愛い娘から贈り物が届いた。
妻のローズからは無事を祈って刺繡をしたハンカチが、そして娘のアーシェラからはキャンディの花束が。たどたどしい字で書かれたメッセージカードと共に。
『おたんじょうびおめでとうございます』
たった一文なのだが、これが我が娘が書いたものだと思うとカードまでが愛おしくてしょうがない。
「――アーシュ様、いったい何日眺めたら食べる気になるんですか?」
私付きの執事のセルトが私を呆れて見ている。
「届いてから十日は経っていますよ。アーシュ様の誕生日もとっくに過ぎました。せっかくアーシェラ様が誕生日に間に合うように送ってくださったのに」
セルトは数ヶ月前、数年ぶりに再会した時からずっと私に付いて行動している。
「まあ、かわいい娘からのプレゼントだ。いつまでも眺めていたいのが親というものだ」
クリスウィン公爵がくすくすと笑う。
「だが、花束のようにはなっていないが、私にもキャンディは届いた。アーシュ殿が先に食べなければ私も食べるわけにはいかぬ。なあ、そろそろ食べてもよいのではないか。アーシェラちゃんの作った物は美味しいのだぞ。もう十日も経ったし。十分眺めただろう?」
そうなのだ。クリスウィン公爵にもアーシェラの作ったキャンディが届いていた。
私に誕生日プレゼントが届いた日、王妃様からクリスウィン公爵あてに届いた荷物の中にアーシェラが作ったキャンディが入っていたのだ。
もう少し取っておきたかったが仕方ない。
「……ええ、そうですね」
私の返事を受けて、クリスウィン公爵の従者が届いたキャンディの瓶を持って来た。
私のプレゼントのキャンディには色とりどりの包み紙でラッピングされているが、瓶の中の三種類のキャンディは透明な包み紙にくるまれていた。
「おー。やっと食べる気になったか」
執務スペースに戻って来たメルドが包み紙に手をかけている私をからかった。
「…せっかく娘がくれたものだから」
本当はもう少し取っておきたかったが、クリスウィン公爵に先に味見されるのはなんだか悔しい。
可愛い娘のプレゼントなのだ。まずは誰よりも先に私が口にすべきだろう。
「丸いのが醤油飴で、ハート形のがピーナッツ入り、結晶石形のがキクの花入りだったな」
まずは醤油飴。口に含むと、甘さの中に旨味のある塩味が広がる。
「今まで食べたことのない飴ですね。――これは美味い」
素直に感動した。甘じょっぱいお菓子。これは癖になる。
すぐ後にクリスウィン公爵たちもキャンディを口にする。
「うむ。醤油が菓子になるとは思いもしなかったが、後を引く美味さだな」
次はピーナッツ入り。ローストしたピーナッツが香ばしくて美味い。
「このピーナッツ入りは香ばしいな。ナッツが入っているからサクサクとして噛めるし、ナッツの旨味がして美味しいですね」
そう言うと、クリスウィン公爵が二本目のピーナッツ飴を手に取りながら。
「そうだな。醤油飴も美味いが、こっちもすごくいいな」
と言ってピーナッツ飴をおいしそうに頬張った。
クリスウィン公爵は相変わらず食べるスピードが速い。
大量に入っているビンの中身を一度で食べてしまいそうな勢いだ。
――私がもらったプレゼントは死守しておかねば。
「キクの花入り……は、素朴な味ですが、王妃様からの伝言のとおり、確かに内側からじんわり温かい気がします」
結晶石の形のキャンディには女神様の花であるキクの花が閉じ込められていた。ふわりとした温かさがお腹の中心から指先や足先へと広がっていく。
「ああ。寒さが堪える場所で作業する者には有難いだろうな」
「そうですね」
カリマー公爵やメルド、魔術師のクロムもふむふむと味わっている。
アースクリス国から運ばれてきたキクの花は、反乱軍と共に奪い返したメルドの領地とカリマー公爵、そして女神様信仰が根付いていたクルド男爵領の神殿に植えられた。
クルド男爵領では翌日には花畑が広がった。
そしてメルドとカリマー公爵の領地の神殿は、クリスウィン公爵が崩れたまま放置されていた女神様の神殿をアースクリス国の兵士たちに整備させた上でキクの花を植えた。
けれど、クルド男爵領と同じように翌日花を咲かせることはなかった。数百年もの間捨て置かれていた神殿。信仰が失われて久しいのだ。
それも仕方のないことだろう。
キクの花は秋の終わりに植えられ、冬の厳しい寒さの中でも、蕾のまま枯れもせずに立っている。
まるで、この地を見定めているかのように。
――凛と、ただ一輪気高い光を放って。
◇◇◇
ここはアンベール国王都近くの、メルドの領地だ。
メルド侯爵家は王族でもある為に王都近くに広大な領地を与えられていた。
アースクリス国侵攻に強硬に反対したガイル・メルド侯爵が捕縛された後、領地は王家に接収された。しかしメルドは北の森を脱出した後、秘かにメルド侯爵家の忠実な家臣と連絡を取り合い、アースクリス国軍侵攻と同時に城と領地を王家から奪い返したのだ。
もともと軍部の実力者であったメルドは見事な策略で自らの領地から王族の傀儡たちを追い出した後、ここを反乱軍の拠点にしていたのだった。
「アーシュさんは娘が生まれていたと聞いた時に泣いていたな」
メルドはいつもの言葉で私をからかう。
「アーシェラは妻にそっくりで可愛い」
「確かに。アーシェラちゃんは将来美しくなるだろうな」
「そうですね」
アーシェラをよく知るクリスウィン公爵とセルトはこくこくと頷いている。
そうだろう。私の娘は可愛いのだ。
私の娘は女神様の加護をいただき――そして過去生の記憶の一部を持って生まれた。
女神様の愛し子はその知識の引き出しにより周りを大きく動かすと言われて来た。
王妃様が魔法の力でアースクリス国を守ったように、私の娘には人の命を繋ぐための特性があるらしい。
北の森での五年弱の生活で、食べるものがなければ死ぬという現実をひしひしと感じてきた。
あそこでメルドにサバイバル術を仕込まれなければ、貴族育ちの私は今こうして生きていられなかっただろう。
あの五年間で生きる為には食べなければいけない、と身に沁みたのだ。
北の森を脱出した私は父クリステーア公爵から、私の娘が女神様の花であるキクの花を広めることになったこと。
そして毒草で有名なわらびを安全な食材に変えたことを聞き、驚いた。
春に北の森のそこらじゅうにあったわらびが木の灰を使って食べられるようになるというのか。
もっと早くに知りたかった、と思った。
わらびの毒性を知っていたからこそ、いつか必ず生きて戻る為に、どんなに飢えていても決して手を出してこなかったのだ。
最近、春が近くなってきたせいかまだ雪の残るこの地でもわらびがあちこちに生えてきている。
つい先日クリスウィン公爵がわらびを採って、私の目の前で毒抜きをして見せてくれた。
鑑定能力でわらびから毒が抜けていく瞬間を見た時は驚愕以外のなにものでもなかった。
さらに驚いたのは、これまでわらびを食してきたせいで身体に蓄積されてきた毒を、キクの花を食すことで解毒することができるという事実だ。
アンベール国では何年も凶作が続き、飢えをしのぐために多くの民が毒草であるわらびを食している。それが自らの命を縮めると分かっていても空腹に耐えられない為に手を出していたのだ。
今、クルド男爵領にて咲くキクの花は周辺の民に食材として分け与えられているという。
――その花は女神様の花。
身の内にこれまでにため込んだ毒を確実に消してくれるだろう。
数多の民の短命の運命を消し去る――それをもたらした私の娘の顔が目に浮かぶ。
――あの時、北の森の処刑場に響いた透き通るような声は、――今でも私の心を掴んで離さないのだった。
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